8月18日土曜✨高円寺エスペランサ Latido al Cante por25に出演✨

高円寺エスペランサ Latido al Cante por25
【フラメンコ カンテソロの競演~6名の唄い手が勢ぞろい】

2018年8月18日(土)夜8時と9時15分
場所:高円寺エスペランサ(高円寺駅南口より徒歩5分)
チャージ:割引券で5000円。
※エスペランサHP(http://tablaoesperanza.com/esp_map.htm)より印刷可。
※レイコにご予約いただければ用意致します。
(フリードリンク飲み放題、タパスつきです)

カンテソロ:濱田吾愛、森 薫里、松林由美、
福田加弥子、松岡恭子、
レイコ シミズ サンギート

ギター:木南利夫、尾藤大介

予約⇒メニューから「問い合わせ」よりレイコまで。
またはエスペランサ(電話03-3316-9493夜間)

エスペランサ地図: HP(http://tablaoesperanza.com/esp_map.htm)
エスペランサ住所:杉並区高円寺南3-45-10

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

この度は
Flamenco唄い手が勢ぞろいする
latido✨
唄の祭典的催しで

いつも 独演ライヴで伴奏していただいている
木南利夫さんの伴奏で
唄わせていただきます✨

どうぞフラメンコの老舗
高円寺エスペランサで
お楽しみくださいませ😃😃😃✨

唄声は内側の宝石への通り道 por9.独演ライヴ報告✨

光がいっぱい✨

小さな 独演ライヴを致しました。

夜の花火大会とともに🎇🎇🎇

「唄声は内側の宝石への通り道💎」
であればよいな

存在への通り道となってフラメンコを唄う

そんなビジョンを見たことが
きっかけで始めた ひとり唄うライヴ。

最初友人達に背中を押され
自宅で始めることから出発したのです。

そして色々な場所で
させていただくようになりました。

いろんな方々に出会い、
知らなかった場所へ導かれるように
なりました。

今回、9回目の独演ライヴは
みたび 最初の場に戻り
親しい方々をお迎えする親密な場でした。


共に ごはん
共に 夜は浜辺で花火🎆🎆🎆

大きな声だねーっ!

とも言われますが

わたしは唄っていて

とても静寂な中に居ました。

そしてまた
目の前の皆さまもそうだった、
と聞いて

よかった✨
ひとつの同じところに居れたのだ、

と確認し、安堵しました。

一方
後で録音を聴くと〜。

ガックリ、
いややっぱり、
ともがきまくりです。

技術的なこと
出来るようになりたいことがまだまだ、
という見地から見ると
ヤマのように もっとよくしたいことが
あります。

それだけ追っていくと
人生終わるまでに追いつかない。

それを出来ない、と攻めていると
まったくハートを開けなくなる。

ということがわかったから

どんなに まだまだ、とか
出来ない、という思いのある自分も
もう抱きしめながら進むだけ✨✨✨

さて、
独演10回目に向けて
歩み始めます💓💓💓

突発性難聴日記 その7ーよーきーのボディワークー

突発性難聴日記 その7


さて
コワイ歯医者から帰って来た
その日の夜は
友人よーきー、と過ごす日だった。

彼女は身体とエネルギーについて
とても詳しく
とどまるところ知らずの探求心を持ち

直感的知性に溢れた
エネルギーボディワーカーだ。

彼女の施術と
いったらとにかくスゴイ。

たまたま数ヶ月前に
「ずっと腰痛いんで どうにかならないか」
という主訴で
やってもらっていた。

そのように訴えて
たった1回の施術後に
「とりあえず腰なんともない!」

なんてワーク
今までお目にかかったことがない。

そして
施術後に自分のカラダの使い方、
というか腰に対する対応が
変化している
ような感じを持ったので

それを聞いたら
「あとその人のカラダがどう対応するか、
の変化の余地を残す」(だったかな?)
みたいなこと言ってた。

不思議だ。

とにかくよくなってきている、
そして変化が続く、

という実感明白な驚きのワークだったのだ。

なので、耳についても1週間前にやってもらっていた。

この時はまた驚いたのが
「耳の回りのエネルギーが今通りました!」
という瞬間がわかり
そしてその時 メリメリと

穴開けのような音が
聞こえたからである。

わたしはマッサージとか、指圧とか 鍼とか
はたまた美容院とか
カラダに触れるワークには
とても敏感なので

一般的なものを何でもは
受けられない。
やりすぎて逆効果になったりするから。

その普通ならなかなかわかってくれない、
ちょうどよい加減
というものも

彼女にはよくわかるようで
任せて大安心なのだ。

で、そのくだんの彼女に
今日行った コワイ歯医者が
こうだったよー、と報告。

「その歯を抜いたアト
その歯医者はどーするのがいいって?」

と彼女は聞く。

おー それは
歯医者の言ってた今後の治療計画、
というヤツだ。

で彼女の意見は
「その方法はいいと思えない。」

おー。

コワイ、
以外はいい歯医者と思っていた
わたしは驚いた。

いったい何がよいのかねぇ。

とにかくこの状況で
必要なのはセカンドオピニオン、
ってやつだろう。

これまでなかなか出会えなかった
いい歯医者さん。

どこに居るのかねぇ。

彼女曰く
「〇〇ちゃん、確かいい歯医者に
今行ってるって確か言ってた」

で、さっそく聞いてもらった。

おー、
良さそうではないか。

しかしまた遠ければ
はなしにならない。

ところが。
ほぼ隣町ではないか!!

出てくるもんだーっ。

(つづく)

突発性難聴日記😮その6/コワイ歯医者終了✨

突発性難聴日記 その6

さて。
で、その歯医者である。

やっぱり。

歯医者のそのセリフは
「そんな昔のこと(何せ11年前)
言われてもねぇ!
まあ とにかく見せてください」

この段階からかなりコワイ。

で、レントゲン撮ったら
その右奥歯はふたつに割れていた。
そりゃ抜くしかない。

で、その抜いた後をどうするか
が歯医者によって色々らしい。

前に行った歯医者でも治療計画という
ものを提示されただろう、
と言われたがよく覚えていない。

大体歯が割れていたことだって
その時言われたのだろうが
まったく覚えていないのだ。

そんなわたしに業を煮やしたように
「大体ねえ!
ウチに通っていただけるんですかあ!
前だって途中でやめてるでしょうがあ!!」

そうだったのか。
どうやら当時3年近くも通ったらしい。

こちらとて
そんな昔のことを覚えてない、
のだが
この激しい言われようは思い出した。

言ってることはごもっとも。
途中で来ないなら 治療計画は変わってくる、
とのこと。
途中で放られても困るよ、と。

そして前に行った歯医者に行かず
ココに来たわたしの経歴は
前課を上塗りしてるように見えるかもしれない。

わたしは決して医者ジプシーをして
アチコチ渡り歩くタイプじゃない、と思う。
むしろこれまでひとつところを
唯一と思い込んでしまっていたなぁ、と
反省ぎみなのだ。

前の歯医者もなんとなく気に入らない、
とかではない。

どうしようもない恐怖で逃げて来たのだ。

などという言い訳もせず
まったくひるまなかった、とは言わないが
自分はどれだけの期間通ったのかを
歯医者に聞いた。

こういう対応を
前に通っていたときは 出来なかったな、
と思い出した。
ひたすら萎縮してた。

う〜ん。
こんなことも私はガマンして
がんばってたんだね。

で、住まいは当時都内、今千葉県。
前より遠い。
そりゃ今回だって通いきれないかもね
その歯医者の言う通り。

しかし
どこからやってきたのか
わからない恐怖を感じた
前の歯医者には もう行けないが

この歯医者なら行くことはがんばって
可能だな、と思った。

しかしまったく嬉しくない。
歯医者に通う、ってこと自体が嬉しいわけもないけれど。

いずれにせよ
痛くないなら
治療は急がなくて大丈夫だから
突発性難聴の治療が終わってからにせよ、
とのこと。

ステロイドの服用期間はもう終わっていたのだが、
ほかのクスリをたんまりと飲んでいた。

歯を抜くなんて体力使うんだから
クスリが抜けてからの方がいいよ、と。

そう言ってくれてホッとした。

歯医者もゆっくり選べばよいのだから。

で、帰りがけには
「では気をつけてお帰りくださいね」
だって。

優しいことも言う。
ただし顔はあさっての方向を向けながら。

そんなところを救いに
かつてのわたしは
ココに通っていたのかもしれない。

(つづく)

突発性難聴日記😮 その5/ヌラの贈り物

ところで
オーラソーマを習うなら
唯一ヌラ、と思っていた。

セッションを人さまに提供するというより
自分のために習う、
あくまで自分の瞑想のため
(瞑想をまだよく知らなかった当時はそんな言葉を使って説明できなかったけれど)

そんなわたしの目的を
素晴らしい、とチカラづけてくれたヌラ。

自分を受容する
ジャッジしない
起こることを楽しむ

そして何より
「癒しの感覚」というものを
教えてくれた最初の人。

まさしくわたしがその渦中に入ったとき
初めての感覚に
「これは一体何なのですか」
と聞いた。

瞑想的な場ではあったが
何かワークやセッションの最中ではない。

ただグループの皆と共に過ごし
輪になって話しているような時にそれは起こった。

ヌラは
「それが癒しの感覚」です
と応えた。

わたしは号泣。
びっくり そして感動。
これまで知らなかった感覚を知って
驚いたのだ。

わたしにとっては
世紀の大発見だった。

ただ知識として知っている、知らないを
まったく超越した次元の 知る、だった。

これを本当の意味での理解
と言うのだ
ということをかなり後から知った

突然真実に触れた瞬間、
とも言える。

一緒に居たコースの仲間達も
ほぼ同時に泣いているか
またそこから
何かが起こって大変な状態になったメンバーも居た。

そのときわたしがヌラに言われて
選んだオーラソーマボトルは
23番。

愛と光。

落ち着いたピンクのまさしく癒しのボトルだった。

10人弱のコースメンバー全員、
その場で「癒しの感覚」を
明確に共有した一生忘れられないこの場面を
体験したのが

この歯医者に行った数日後だったのである。

わたしはその後
結局オーラソーマからは離れ
サトルボディヒーリングの学びに進んだが

この2007年のヌラのコースの時に
「癒しというのは 起こるもの」
という感覚をがっちりと掴んだのだった。

そもそもは
何かヒーリングと呼ばれる施術をして
でなく

起こるもの。

その例として4月に
こんな記事を書いていた
 ↓
「羽生結弦くんによって起こったヒーリング」

ヒーリングとは何かの理解
それは起こすのでなく起こる、と知ること

それこそ
わたしが望んでいたものだった。

ハートの優しさが溢れた女神さまの
ように感じたそのヌラのコースで
受け取ったその絶対的な感覚は

結果的に その後のヒーリングの
学びの礎となった。

そのヌラはもう2年前か?
来日中に突然にこの世を去った。

ショックと驚き。
ヒトはいつまでも生きてるわけじゃないない。
当たり前であることを忘れていた。

突然何かが起こる。

「人生ってそういうものです」
ヌラのあのコースのときのセリフが蘇った。

コース中に
近くに救急車が止まり
それについて ハートが動揺した、
と あるメンバーがシェアしたことを受けてのセリフだった。

とてもきっぱりとしていたのが
印象的で忘れられない。

私達はそういう人生を生きている、と。

ヌラの亡くなった病状に
ついて わたしはよく知らないのだが
最初は 歯から、とも聞いた。

これを結びつけて
考える必要もないだろうが

歯の治療って大事だな
と思わされる出来事でもあった。

さて
でその歯医者、今のハナシだ。
(つづく)

※最初のハナシは「突発性難聴日記 その1」