天草の旅✨ その4


天草への旅~

熊本空港に着いて

市内までの車中からの風景だけでも

何か雄大な気分になる。

なんてゆったりしてるんだろう。

その晩は熊本市内の

彼女の家にお邪魔した。

仏壇のお香立てには

灰が飛び散らないようにラップが。

少しだけ

地震の片鱗を見たな~という感じだ。

そう、ここに来る数日前にも

熊本で地震、のニュースがあったし

なんと言っても2016年の4月の大地震で

どんな経験をされたのだろう、

と思うと

なんとも言葉が出なくなってしまう。

彼女達が住んで来た家は

地震があろうと

そこにがしりと建っていて

迎えてくれた。

これまでご家族やお友達、

いろんな人を迎えてきたようだ。

彼女のご母堂も

お姿は小柄なのに

何か大きくドーンっとして

暖かな方だなぁ、と改めて思った。


彼女のこの家に来た人達、

のハナシの中でもおもしろかったのが

「彼女のだんなさんの

お友達のメガットさん」

も来たんだよ~

なんてハナシ。

というのも実はわたしも

前述した「マレーシアはラブアンへの旅」

のとき

メガットさん宅に泊めていただいたのだ。

コタキナバル(ボルネオ島)の🙄

彼女達ご夫婦が

ずっとラブアンの彼女の家のみに

滞在してた

わたしがタイクツするんぢゃないか?

と気を使ってくれて

「コタキナバル一泊旅行の旅」の

エンタメを考えてくれたのだ。

「それにはメガットさんちに

行くといいよー」

ということになったわけだ。

そして子ども達がわちゃわちゃと集う

誰かの誕生パーティー⁈にも

招待してくれたわけである。

いやあ✨

この体験もまた

驚くことめじろおしの

「旅の中の旅」だった。

そのメガットさん、

もココ熊本の家に来て

しかも彼女のご尊父の法事にも出席、

なんてハナシを聞いて笑い転げる。

ああ

家族とか親戚とかお友達とか

世界中に居る誰とつながって生きていくことになるのかわからない✨🙄

わたしと仲良くしてくれた皆✨✨✨

これまでほんとにありがとう❣️

って気分になる。

世界中の誰とつながって~⁈

というハナシになったので

ここで

「わたしと くまモン との出会い」

についても触れておきたい💓

(つづく)

最初のハナシは コチラ

天草の旅✨ その3


天草の旅  そもそも。

大学時代ともに

歌ったサークルで一緒だった友人との

久々の旅✨

白金のチャペルに響く

フォーレのレクイエムに

大学入学してまもなくのわたしにとって

「いつかこんなうた

        うたってみたいな~」

という思いが自分の中にあったことを

確認させられたものだった。

/

その後変化、

というか

そもそもがコレだったのでしょう!

となったカンテ フラメンコとの出会いは

そのかなりあと。

社会人となってから

バブルの時代に

さまざまな音楽に触れ

あの頃世界中から 

生身でやって来たものを

どんどんと聴きに行き

自分の体感に合うか 

チェックした20代後半

そんなプロセスを経て、の出会いだった。

で、共に天草を旅した彼女は

大学時代のサークル仲間のひとり。

熊本から神奈川県内に

お姉さんと住んでいた彼女の家は

大学にはなかなか遠い自宅から

通学するわたしの

強い味方になってくれた。

ありがたい。

/

そして夜遅いときのみならず

たびたびわたしは

彼女の住むアパートに入り浸っていた気がする😳

そのきっかけは いろいろだったと思うが~

よくあったのが 

こんなお誘い✨

「ねー。

熊本から母が馬刺しを送ってくれたから

食べに来なあい?」

「球磨焼酎飲んだことあるぅ?」

「この前話した辛子レンコンって、

こういうんだよ。実物来たよ!」

思い返せば食べもの、また食べもの!

である。

学生時代当時

そんな魅力的な誘いを断ったことは

一度もなかった、ように思う🙄。


そして

その後2005年。

彼女からこんなお誘い

「ねぇ💓

もうすぐマンゴーの時期になるよ。

ウチの庭にたくさんなるから

いっくらでも取っていいよ~✨」

まんまとこのハナシに乗せられて

わたしは マレーシアはボルネオ島から

さらに飛行機に乗って飛ぶ経済特区でもある小島

「ラブアン」

に一週間近く滞在したのである。

/

彼女とだんなさんと

当時5才になるかわいい女の子

もちろん初めてのラブアンも

彼女達の

意外とフツーな⁈

暮らしぶりを垣間見たのも

なかなか得難い経験だった。

/

そう、

彼女は熊本で働いていた会社での

職場結婚で

マレーシアの人と結婚したのだ。

そのハナシを最初に彼女から聞いたのは~

また別の長崎の友人の結婚式に出席した

機会に皆で行った

熊本は阿蘇での旅の宿だった✨

(今回はそれ以来、20年ぶりくらいの

熊本への旅なのだ)

/

当時仕事が忙しく

無理矢理会社を休んで行ったわたしは

寝る間も惜しんで

会社に後でFax送ろうと

原稿用紙に鉛筆でレポートを書き書き

していたところ~

そう、あの頃は

こんな場合鉛筆ナメナメ、なんてしてた。

パソコン持ち歩き、なんてありえなかった。

メールもなかったと思う。

彼女が「お茶入れるよ~お茶🍵」

と悠長にいつものおおらかノンビリ調子で

(それが彼女の真骨頂)

何度も話しかけて来て

「なにぃ?

今いっそがしいんだけどおおお!」

と血走る目で余裕ナシの

わずらわしいわね!モード全開な

わたしの態度にも関わらず

重大なハナシをはじめた。

/

そしてその

結婚するぞ😳😳😳❣️

報告に

あまりにビックリして

書いていた鉛筆はボキリ!と折れ、

何を書いていたかすっかりわからなくなって

終了。

「しかもトシシタア⁈

ハッサイもおおお⁉︎」

今よりたぶんかなり

アタマの固かったわたしは

温泉宿の浴衣姿で

雄叫びをあげたものだった。

「えええっ?相手はマレーシア人‼️」

/

そんな彼女達の暮らしぶりに

初めて触れた2005年の旅✨

それ以来まったく会わなかったわけでは

ないが、

泊まりがけでふたりで会えた

貴重な今回なのだ。

/

成田第3ターミナルから乗った

ジェットスター機を降りたってしばらく

空港には彼女の

ご母堂さまも一緒に迎えに来てくださった。

御年80歳✨

この方が送ってくれた数々の

美味しいもの✨✨✨

が今のわたし達を繋いでくれた、

と言っても過言でないわけだ。

/

当時今のわたし達より

ちょいお若かったのだ、

なんて思いながら

今回初めて

ちゃんと⁈おはなし出来たのは

なんとも感慨深かった✨✨✨

(その4 へつづく)


天草の旅(その2)✨

今年最初の旅✨

天草。

その泊まったホテル

友人が昔住んでた近くにあるそのホテル。

大きいから

ホテルと言えばホテル、だが

地元のスタッフの方々の

親切と面倒見のよさで成り立ってそうな

そこは

建物が大きな民宿、

と呼ぶ方がふさわしそうだった。

ここでわたしは

もしかして今回

一生分と思しき鯛の刺身を食べたり✨✨

知らない人におみやげを

買ってもらったり

ひとの優しさが

身に染みる😭😭😭

ここでは

ただ道を歩いてるだけで

あるいは泊まったホテルで食事の席に着いただけで

ドンドンと

彼女の昔の同級生の消息情報がわかっていったりして

これには驚いた!!

まるでスペインはヘレスで目当ての唄い手を探している時のよう!

そう、わたしは

いつもフラメンコの地では

そんな感じで目当ての人を探してた

翌日 島から出たら

浦島太郎のような気分😳😳😳

わずか一晩で

こんな風に感じるのだから

ここに住んだらどうなってしまうのだろう!?

島内に居るときは

まるで時間の流れ方が違うのだ

島を出たら目眩がするようで不思議✨

(以下につづく)

http://reiko.link/2019/01/23/天草の旅-その3/

天草の旅✨ その1


今年最初の旅

天草の旅✨⛩

熊本あたり 

わたしはどこに行きたいんだろ?

ネットでみてたら

山の上の鳥居の間から見える

海へりの集落に凛として

しかしけっして突出などせず

美しい海の景色の中に

配置された教会の光景!

まずはそれにひかれた、のだと思う。

解説が観光情報にあったけど

昨年世界遺産登録となって

注目もされたのかもしれないけど

なんであれ

「そこにあるものはある」

という感じで

ゆったりと

何かとひとつになってしまいそうで

そこにあるのが

神社だろうが

教会だろうが

あたりまえに調和してる空間

美しい海に囲まれた

自然の景色の中に

えもいわれぬ一体感😳✨

そんな写真に惹かれたのかもしれない。

奇しくもそこは

これから旅を共にする

友人がごく子供の頃、

つまり40年以上前に

住んでいたという

彼女が数年前久々に行ったら

すごい年月経ているのに

当時と景色が変わらなかった、という

ますます興味しんしん、だ

熊本から

ノンストップで運転しても

3時間はかかる

ろくろく地図を見ていなかったわたしは

そんなに市内と離れているとも

よく知らず

運転しないわたしの

気軽に「行ってみよっ!」

のかけ声に

友人が

ひとり運転覚悟で

連れてってくれたようなものだ。

島にはいった途端に

何か違う空気感

とりあえずは長崎の九十九島で見たような

目の前に小さな島がうわっと

出てくる美しい光景に

目をうばわれる

少し走ると

川が流れる長野かどこかの

山中のような光景😳

知らなければ

まったく

すぐ近くが海岸線とは思えない

何もないでしょ?

と地元の人に言われ

たしかに何もないかもしれない

最近の都会的なものは。

しかし

これはすべてある、

ということではないのか?

山があり

海があり

地の食べものがたくさんあって

2万円の砥石になる

石が切り出せて

イルカと遊べて

わたしが大好きな「くまモン」

(を生み出した方の)

生まれ故郷だそうで

その日は

その友人が住んでいた集落にある

かなり大きなホテルに泊まった。

もちろん温泉♨️

楽しみだ✨

コチラ につづく)

第三チャクライベント終了✨

「やらなきゃ やらなきゃ!」
からやらない!!
と決めました✨😃

第3チャクラのイベントから
一週間。

「葛藤に居る」兆候。
「それをやりたい」自分と
「やりたくない」自分にひきさかれる。

第三チャクラの前面、背面のエネルギーを
ともに感じることは
この葛藤から抜け出すヒントにもなりました。

本来そこには
かがやくゴールドのような
パワフルなエネルギーがありました。

葛藤、に使っていたら
もったいない!

来月2月は
第2チャクラのイベントをやる予定です✨

2019年の始まりは✨

2019年初旅の前、
新年はじまりの記録です✨

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

新年あけまして
おめでとうございます✨😃✨✨

この年が
光満ち
幸多き一年となりますように
お祈り致します💓💓💓

さて初シェア✨

暮れの30日に
近くのお社にお参り行きました

その境内を歩いてたら
突然うわーっという感じになり
涙が流れました

なに?

胸があついんだけど
興奮、じゃなく

それはコトバにするなら
感謝いっぱい、でした

で、家に帰ったらね

発熱、カラダふしぶし痛い、のどいたい
等々
いわゆるかぜの症状すぐにはげしく😆
インフルか?
とも思ったすごさ。

なにかが
くすりは飲むな
あまり食べるな

とのことで
そのようにしました。

いつもの実家帰りの
正月行動はとれず
いや、取らず

そんな選択肢もある、と気づきました。

で、ほとんど寝ていて
元日を迎えたわけです。

そしてさきほど暖かい日射しに
誘われて
再びそのお社へ

今日やって来たのは〜
感動、なのです🌕☀️㊗️☀️🌕

何が?

ここに居ること。

ローカルなこの場所、
という意味だけでなく

なんか地球❣️
なんですよ😳😳😳

で、気づけば
かぜはほとんど治ってました。

皆さま
本年もどうぞ
よろしくお願い申し上げます✨✨✨

2019年 初の旅へ✨

(これは「天草の旅(そのゼロ)」の投稿でもある)

今年最初の旅へ✨

2019年1月某日
ひさびさに
国内線飛行機に成田から乗る予定✨
うっれしいな😃

チェンマイゆきで飛行機こわい!
どーしよーっ
と言ってた
2ヶ月前とは別人のワクワクぶり😍😍😍

初めて飛行機搭乗経験は
ほぼ40年近く前

当時 東亜国内航空✨
羽田-仙台往復5万円。

とても親切でよかった思い出がある。

旅が大すき
でもなかなか旅行に出れない、

そして実は冒険も好きだったかも、
の母が「乗ってみたい!」
で、
こわがる父もがんばったのだと思う😳

昨年タイ-チェンマイで乗った
バンコクエアウェイズ、
というのがこれに似て

とても雰囲気とサービスがよくて
嬉しかった💓

そこでチェンマイで
ご一緒した皆さまに
東亜国内航空の名前を出したら
ダレも、知らない!(日本人)

そうかもな〜。
88年からは
日本エアシステム、という名に
変わっています。
ロゴはコレ。

あすは成田第3ターミナルってのに
初めてだ。

荷物を体重計に乗せて
みたが7キロはきびしいなあ。

当時5万円が
今回は1万5千円くらいさ

しかたないよなあ!

今年はこれまでより気軽に
いろんな場所に行きたい🤗🤗🤗

(コチラ へつづく)

謹賀新年✨愛の次元へ✨

あけましておめでとうございます🎍🌅

昨年までを振り返って

瞑想にせよ
フラメンコにせよ

いろんな技法
いろんな学びがあるなあ

とこれまでの道のりを
眺めると
目の前が夕焼け、あるいは朝焼け
のような曙だと感じることがあります

これまで色々なものがある
その豊かさを存分に享受して
味わわせてもらい

そしてかつ
何を選べばよいのか
わたしはどの道へ?

わたしにとって信頼できる道は?

そんな迷いや混乱に陥いることも
よくありました。

そんなわたしへの
こたえのひとつが
このOshoの言葉かな✨😘

本年もどうぞよろしく
お願い申し上げます。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
もし誰かを愛していたら、
たとえ相手が
どこかの星にいようとも、
愛の中でその人は
すぐそばにいる。
たとえ相手がもう死んでいようと、
たとえ二人の間に何世紀もの
距離があろうと、
愛に距離は存在しない。

人によっては今も
ブッダのそばにいられる。
二十五世紀もまったく関係ない、
なぜならそれは愛の距離だからだ。

空間的には今ブッダはいない。
その身体は消え失せた。

時間的には
二十五世紀の距離がある。
だが愛に距離は存在しない。
ブッダを愛している人にとっては、
時間的、空間的な距離は
消え失せる。

ブッダは今もここにいて、
あなたはその恩寵を
受け取ることができる。

あなたがブッダのような
人間のすぐそばに
座っているとする。
空間的にもギャップはないし、
時間的にも距離はない。

でも愛がなかったら、
そこには無限の距離がある。

だから、
ブッダと共に生きながら、
何の繋がりも
持たなかった人間もいるし、
また今ここにありながら、
ブッダと繋がりを持っている
人間もいる。

恩寵は愛の次元で起こる。

愛にとっては、
すべてはいつも永遠に現在だ。

だから
愛の中にいれば、
恩寵もまた起こってくる。

愛とは明け渡しだ。
愛していれば、
相手が自分より重要になり、
そして、
相手の生命のために、
死ぬこともできる。

相手に生きていて欲しいから、
自分自身を犠牲にする…
相手が中心となり、
自分は単なる周辺部となる。

少しずつあなたは消え、
いなくなる。
そして相手が残る。

まさにこの瞬間、
恩寵が受け取られる。

だから師というものは、
別に恩寵を
与えてくれる人ではない。

まずは無力な弟子になることだ…
愛の中で全面的に
明け渡している弟子に…。

師はきっとあなたのところへ
やってくる。

弟子に準備ができたとき、
必ず師はやってくる。

物理的に近くにいるか
いないかは関係ない。
あなたに準備ができたとき、
知られざる愛の次元から
恩寵は起こる。

だが恩寵のことを逃げ道と
考えてはいけない。

私の糧の技法があまりに多いので、
みんなはきっと技法のどれかを
試してみるか、
あるいはただ混乱してしまうか
のどちらかだろう。
後者の可能性の方が大きい。

112もの技法を
ひとつ、またひとつ、
またひとつと続けざまに聞いていると、
混乱してしまうに違いない。

途方に暮れてしまう。
こんなにたくさん技法があって、
一体どれを選んだらいいか。

するとこんな考えが
浮かんだりする…
技法のジャングルみたいな
世界に入るよりも、
恩寵「グルグリパ」を
受け取った方がいい。

技法の世界はひどくややこしい、
恩寵を受け取る方が楽だ。

でもそれはあなたには
起こらない…
もしそんなふうに
考えているのであれば。

これらの技法をやってごらん。
誠実にやってみるのだ。

もし失敗しても
その失敗そのものが
あなたの明け渡しとるなるだろう。
それが究極の技法だ。

OSHO

(ManishのFacebook投稿より転載させていただきました)

2019年1月14日 ✨第三チャクライベント🌅

1月14日 チャクライベント-第3チャクラ-
のお知らせ✨

「チャクライベント」とはなんぞや⁇

アクティブな瞑想(身体を動かし、呼吸を使います)や
ハート瞑想(ただ耳を傾けるだけの瞑想)、
そしてワークを通じて
「チャクラのエネルギーを感じてみよう」
という3時間程度の小人数イベントです。

チャクラのエネルギーを
自分自身で感じることが出来るようになると

これまでと違った形で自分を大切にし
自分自身を癒していくことにつながります。

次回は 1月14日、午後1時
葉山にて(JR逗子駅より約30分 バス利用)
第三チャクラをテーマに行います。

ストレス溜まってる!
発散したい!
お酒飲んでクダまきたい!

いわゆる浄化が必要なとき
スッキリしたいとき
とても役立つ

ジベリッシュ瞑想もこのイベント
の中で紹介致します✨

歩いて5分で海に行ける🏖
葉山で
休日の午後✨


ハートにつながり
自分自身のエネルギーに
つながっていきましょう✨😃

詳細、申し込み コチラ⬇️
https://resast.jp/events/311713