謹賀新年✨愛の次元へ✨

あけましておめでとうございます🎍🌅

昨年までを振り返って

瞑想にせよ
フラメンコにせよ

いろんな技法
いろんな学びがあるなあ

とこれまでの道のりを
眺めると
目の前が夕焼け、あるいは朝焼け
のような曙だと感じることがあります

これまで色々なものがある
その豊かさを存分に享受して
味わわせてもらい

そしてかつ
何を選べばよいのか
わたしはどの道へ?

わたしにとって信頼できる道は?

そんな迷いや混乱に陥いることも
よくありました。

そんなわたしへの
こたえのひとつが
このOshoの言葉かな✨😘

本年もどうぞよろしく
お願い申し上げます。

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もし誰かを愛していたら、
たとえ相手が
どこかの星にいようとも、
愛の中でその人は
すぐそばにいる。
たとえ相手がもう死んでいようと、
たとえ二人の間に何世紀もの
距離があろうと、
愛に距離は存在しない。

人によっては今も
ブッダのそばにいられる。
二十五世紀もまったく関係ない、
なぜならそれは愛の距離だからだ。

空間的には今ブッダはいない。
その身体は消え失せた。

時間的には
二十五世紀の距離がある。
だが愛に距離は存在しない。
ブッダを愛している人にとっては、
時間的、空間的な距離は
消え失せる。

ブッダは今もここにいて、
あなたはその恩寵を
受け取ることができる。

あなたがブッダのような
人間のすぐそばに
座っているとする。
空間的にもギャップはないし、
時間的にも距離はない。

でも愛がなかったら、
そこには無限の距離がある。

だから、
ブッダと共に生きながら、
何の繋がりも
持たなかった人間もいるし、
また今ここにありながら、
ブッダと繋がりを持っている
人間もいる。

恩寵は愛の次元で起こる。

愛にとっては、
すべてはいつも永遠に現在だ。

だから
愛の中にいれば、
恩寵もまた起こってくる。

愛とは明け渡しだ。
愛していれば、
相手が自分より重要になり、
そして、
相手の生命のために、
死ぬこともできる。

相手に生きていて欲しいから、
自分自身を犠牲にする…
相手が中心となり、
自分は単なる周辺部となる。

少しずつあなたは消え、
いなくなる。
そして相手が残る。

まさにこの瞬間、
恩寵が受け取られる。

だから師というものは、
別に恩寵を
与えてくれる人ではない。

まずは無力な弟子になることだ…
愛の中で全面的に
明け渡している弟子に…。

師はきっとあなたのところへ
やってくる。

弟子に準備ができたとき、
必ず師はやってくる。

物理的に近くにいるか
いないかは関係ない。
あなたに準備ができたとき、
知られざる愛の次元から
恩寵は起こる。

だが恩寵のことを逃げ道と
考えてはいけない。

私の糧の技法があまりに多いので、
みんなはきっと技法のどれかを
試してみるか、
あるいはただ混乱してしまうか
のどちらかだろう。
後者の可能性の方が大きい。

112もの技法を
ひとつ、またひとつ、
またひとつと続けざまに聞いていると、
混乱してしまうに違いない。

途方に暮れてしまう。
こんなにたくさん技法があって、
一体どれを選んだらいいか。

するとこんな考えが
浮かんだりする…
技法のジャングルみたいな
世界に入るよりも、
恩寵「グルグリパ」を
受け取った方がいい。

技法の世界はひどくややこしい、
恩寵を受け取る方が楽だ。

でもそれはあなたには
起こらない…
もしそんなふうに
考えているのであれば。

これらの技法をやってごらん。
誠実にやってみるのだ。

もし失敗しても
その失敗そのものが
あなたの明け渡しとるなるだろう。
それが究極の技法だ。

OSHO

(ManishのFacebook投稿より転載させていただきました)

投稿者: Sangit.Reiiko

Flamencoカンタオーラ(唄い手)。 インドを起源としたジプシーの芸が スペインアンダルシアに根付いたFlamenco。 Flamencoの発祥は唄から。その魅力を自ら唄い伝えていく。 Flamencoに触れることで行き着いた瞑想をベースとした、サトルボディヒーリング、スターサファイアのエネルギーワーク従事。

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