「イタリアで見た過去生と直後の事件」カテゴリーアーカイブ

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その19

久々にローマの3日間のハナシだ。

この旅を記録しておきたい、
という思い未だ強烈。
記憶鮮明のウチに記す。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
カタール航空の
チェックインカウンターで

行きの成田から持っていた
旅の道連れ
細くて折れそうなキャリーカートを

「それ持ち込んじゃダメよ!」
を喰らったワタシは
シブシブそれを畳む。

「ほら 小さくなったよん」
目で主張。

それ見たとたん
「あ、OK🙆」

やっぱり長いままたためない
と思われたのネ!

これでドーハの長い距離の徒歩移動も
シンパイなし。
よかったよかった✨

さて。
こうなったら出発まで
用意すべきはみやげ、とにかくみやげ!
ジブンのカバンはもういいや。

Bachiの
イタリアっぽいピンクと赤に
赤ちゃん天使が飛んでるパッケージの
お菓子を持てるだけ買い込む。
ピスタチオの板チョコも。

しめて60€くらい。
うーん、お菓子にこんなお金を
かけたのは初めてだ。
もう今しかイタリアみやげは
買えないんだから致し方ないわ。

さて、ドーハゆきの飛行機は
ちゃんと定刻発。
ワタシは乗り込んだ。
サヨナラ、ローマよ!

行きに7時間もかかったドーハまでの
フライトは帰りは
6時間弱だったと思う。

偏西風、でいつもヨーロッパからの
帰路の方が時間は短い。
カラダも少しラク。

ただドーハとヨーロッパ間、
あるいは日本へは到着時刻の調整
(例えば成田は24時間は着陸できない、とかの事情)
のためにフライト時間が長くなるらしい。

その辺、安く乗りたい、仕方ない、
となる。

で。
飛行機の中でウツラウツラしながら
ユメかウツツで蘇るのは〜
あの警察に行く途中の
難民の群れ。
戦いの場から避難してきた人々。

イヤ。
そんな風に見まごう
市民ランナーの群れの姿だ。

「ワタシはかつてあの中に居た」
というフィーリングを改めて感じたのだった。

さて、ドーハには無事到着。

行きにも遭遇したが
石油王のようなベールを被った姿の
男性が金ピカラウンジで葉巻を
くゆらす姿を横目に
バリバリ歩いて移動。

例の細こいキャリーを押しながら。

30分以上歩いたと思う。
ドーハの空港はこれまた
もの凄く広い。
アラブ圏のハブ空港、だかだそうだ。

無事に成田へ向かう次の乗り場に到着。

無事、となると
また気になってくるのはみやげ、だ。

ココでもまずは
手軽なアラブの菓子折を
自分が持てるだけの量、買い込む。

安心して待ち合い何処の
椅子に座り
ホッと息つく。

はっっ!😳😳😳

父に何もみやげを買ってないではないか❗️

この旅に出る前
自分の父
パートナーの父
そして義理の妹の父

父三銃士がほぼ同時に倒れたのだ。

こうなって
ワタシはジブンのサバイバルの恐怖に
おののいた。

自分の足元がガタガタと
揺らぐ思い。

「旅の間に何かあったら
どーしよう!!」
の恐怖感。
旅の間に
もしも父の命にかかわるようなことが
あったら後悔しないのか?

そんな思いで
この旅をやめることも
検討したのだ。

そしてかなりの
重い決断と覚悟をしてこの旅に出たのだ。

それでもわたしには
この旅が必要、と感じたのである。

その感じは
やはり正解だった、
と今思う。

そして前述したが、
後から聞いたら
私のこのパスポートジケンを
聞いて
あの頃立てないはずのわが父は
立ち上がってしまった、という。

そしてその後
「アイタタタ!」のタイヘンな
ことになった、という。

生きるか 死ぬか。
父が、なのか
自分が、なのか

あるいはそんなシロクロ、でもなく。

わたしは生きたいからこそ
命をかけるようなコトを
してきたような、
そんな気もする。

で、そんな父に
何も買ってないことに気づいたワタシは
大急ぎでみやげ売り場に戻った次第。

なかなか適当なモノ、
すぐには目に入らず15分は歩きまわったか。

おお!
ついに。
コレではないかしら。

ランプ❣️
の形をしているが たぶん香立て。
この謎に満ちたデザイン。
とりあえず使い方不明。

凝ってるがこわれやすそう。
この値段が高いのか 安いのか
ゼンゼンわからない。

ということで
買うかどうか迷っていた。

その私の姿を
空港職員さんが
ジッと見ていたようで、

ランプから目を挙げると目があった。

で、その制服の男性職員さんは
「ばっ!」と
わたしの持っていた買い物カゴを
とりあげた❗️
(その20に続く)
その20

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その18

パスポートはじめ殆ど失った
2015年10月31日土曜夕から3日間。
一生忘れそうもない。

11月2日月曜の
帰国便に乗るまで18話、
を費やしている。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
ローマ日本大使館
守衛室のベンチで
待つこと10分。

ちょっきり帰国便出発3時間前。

タクシーのお迎えが来て
優しい守衛さんに挨拶して
います旅立つ。

さようなら〜
日本大使館!
そしてローマよ!!

今度のタクシー運転手も
しごくまともなお方。
必要以上のことは喋らず
淡々と運転。

最近はいつも空港に3時間前には
到着していたので、
チョットどきどき。

でもタクシーだから
2時間以上前には
着けるはず。

で、無事到着、
やはり領収書と1€のお釣りを
固辞されそうになったが
チップとして受け取っていただいた。

空港まではFixプライスが
明示されており
これも心配なく
スムーズだった。

さて。
カタール航空のチェックインカウンターは
どこかなあ⁈

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
この旅の往路は
成田からドーハ(カタール)経由、
マドリード(スペイン)
に入っている。
2015年10月5日、成田発だった。

前半は
Flamencoのための旅だったから。

なので
ローマの空港での
カタール航空の情報は
まったく知らない。

今回初めてアラブの国の
航空会社、カタール航空を選んだ理由は
主に値段だ。

往復8万5千円。

前年はブリティッシュ航空で
ローマ往復 14万円だった。

コース代やら滞在費やら
費用捻出は容易でなし!

ココまで差があったら
安い方を選ぶのだ。
たとえ時間がかかっても。

しかしながら
ドーハからマドリードの7時間、
というのはかなり体に来た。

またいくら安くても
それまでヨーロッパ系の航空会社しか
利用したことのなかったわたしは

前年まではなかなか
アラブ系の会社を
選ぶ勇気がなかったと思う。

わたしは20数年前から
Flamencoを求めて
スペインに数年に一度は行く。

その他の国にも旅するのは大好き。

スペインに行くようになってから
なかなか他の国に行く機会は減ったが
行ければ行きたい。

しかし決して自分が
冒険野郎だとは思わない。

バックパッカーになったこともないし
一回の旅は1.5ヶ月以内で終わるし
ユースホステルにも
泊まったことがない。

richには行かなくとも
希望はなるべく優雅な旅、だ。

そのクセ野宿経験はあるのだが
結果論である。

安全がイチバン
怖がり、なのだ。

ところが前年
私としては変わり種の飛行機に
乗ってしまった。

ターキッシュ エアラインで
トルコはイスタンブールを経由して
ローマから成田へ帰って来たのだ。

ブリティッシュ航空からの
振り替えで。

この時 人生初めての
飛行機の振り替え乗車
(いや、乗船ですね)だった。

というのも、この時期
夏時間が終了し
11月最初の日曜から冬時間、
その冬時間初日のフライトを
選んでしまったためだ。

コースが前日土曜に終了、なので
その翌日の帰国便を選んだのは
さっさと帰りたいこの時の
ナチュラルな選択だった。

時間が変わるというのは
トラブルが起きやすい。

というわけで
今回もこの時期の
冬時間への移行日を
はっきり掴んでいなかったわたしは

とにかく日曜のフライトは
やめて月曜にしておこう!

(そうすれば時間が変わって初日ではない、
少なくとも2日目、となるから)

という過去の学習効果による
選択をしたおかげで

こうしてパスポートを
失くしても
渡航書発給に
こぎ着けられたのだ。

ほかの日本人仲間達と同じように
そして前年と同じように

わたしも日曜出発を
選んでいたら
まったく不可能、

事件にあった時点で
予定便帰国不可決定だったのだ。
休日で大使館がやっていないのだから。

夏時間と冬時間という制度。
年に2回も時計を一時間進めたり
遅らせたり。
まったくタイヘンなコトだ。

実はこの夏時間から
冬時間に変わる時期に
帰国することが
これまでもよくあった。

いつもいつも
何日に変わるの?
とよく現地(スペイン)の皆に聞いてた。

すると
「今年は10月末だっけ?それとも11月1週?」
「う〜ん、どっちだっけねぇ」

なんてやりとりが
いつものことなのだ。

もう翌週にせまったことを
聞いてるんだけどねえ。

当初、こんな感じが
日本人のわたしには
正気の沙汰とは思えなかった。

だけど。

冬時間になる時は
遅らせるので1時間トクする、
みたいな感覚になる。

1時間という時間のごほうび。

飛行機に乗る、なんて用さえ無ければ
どうということもないのかもしれない。
日曜の夜中(午前3時だったと思う)
に変わるわけだしね。

なんて ようやく思えたのは
この年初めて。
今回帰国の1週間前。

スターサファイアのコース中に
既に冬時間になったその日、
楽しい休日を
1時間分の余裕でゆったり
みんなで過ごし
そんな風に感じたのだった。

そういうわけで
前年(2014年)のブリティッシュは
荷物のシステムに異常を来たし、
ロンドンから乗り継ぎの乗客には
全員振替便を充当することになったのだ。

3時間半、列に並んでようやく
ゲットしたのがターキッシュエアライン
だった。

で、乗ってみたら
食事は美味しい、
なんと言ってもよかったのは
乗り換えがラクラク。

飛行機はかなり古い型の
ようだったけど。

まるで
福岡空港あたり⁈
乗り換えるかのような近さ
と感じたものだ。

ヨーロッパの大空港はどこも
乗り換え移動にはタイヘンな距離、
乗り継ぎに2時間見ても
ギリギリだったり。
からするとほんとに素晴らしい!!

この時は翌年は
ターキッシュエアラインを検討しよう!

なんて思っていたが
世情でイスタンブールへの渡航なんて
とんでもない、事態になったのだ。

例の
2015年1月、
ISISと名乗るテロ組織が
人質にされた2人の日本人の身代金要求する
映像をYouTubeに投稿〜〜云々。
湯川さん、後藤さんの事件だ。

そして帰国後しばらくして
2015年11月14日(日本時間)
には パリ同時多発テロ、だった。

イスラム。アラブ。
考えさせられた年だった。
どのようにこれらが
自分に関係してくるのか。

日本とアラブ圏、
正直なかなか
アタマの中で繋がらなかった。

そしてまさか自分が
抱えていた苦しみが

モーロ人(北アフリカを経由して
イベリア半島、つまりスペイン
に入ったイスラム教の人をこう言う)
の女性だった過去生に関係する、

なんて
モチロン考えられなかった!

そのハナシは
今書いている
この「直後の事件」部分が終了後に

その前に
サガプリヤのセッションで
見た「イタリアで見た過去生」
部分に続く予定である。

で、
アラブ圏であっても
カタールへの渡航はこの時期
大丈夫、とされており、
値段で選んだわけだ。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
さて、ローマは
レオナルドダヴィンチ空港での

カタール航空の
チェックインカウンター探し
に話は戻る。

手前はヨーロッパのメジャー会社。

歩けども 歩けども
中々カタール航空出てこず。

ターミナルが違うんじゃなかろうな、
と不安になりつつ
2回聞いてようやく到着。

遠かった!

が、よかったのは
カウンターに並ぶ人の列に列も
ヨーロッパ主要路線より
短いことだった。

なんかオンラインチェックイン、
なんて関係なさそう
な雰囲気だし。
(していても、ここで
また一から確認が必要ぽい)

またベールを被ったイスラム女性の
後ろに並ぶ。
すごい荷物だ。

ヨーロッパで時々みる姿だが、
キャスターの
着いてない大きなカバンをいくつも
お持ちのようだ。

というわけで前の方、
すべて荷物預けるのに
なかなか時間がかかる。

ようやくわたしの番。

さて、ここでいよいよ
先ほど発給された
「帰国のための渡航書」
をカウンターに出す。

カタール航空のおねえさんは
「じいっ」
と穴があくほど渡航書と
わたしの顔を見る。

また質問が始まった。

「なぜして
パスポートでなくコレを?」

「かくかくしかじか」
一昨日夜から何度もした
盗難のハナシを繰り返すなり。

コピーを取らせて、
とか、いつもより
多少逡巡あったものの
無事通過出来そう。

がしかし最後に
「待って!それはダメ!!」

と指さされたのが
カバンにつけていたキャリー、
である。

成田から
大丈夫だったんだから
大丈夫なはずなんだけどねぇ。

これがないと
空港内大移動がかなりキツイ。

大きなカバンを成田で
出したあかつきには
モチロン買わなきゃ持てやしない。

ほんとに前のキャリーなし大荷物
ベールの女性は
どうしているのかしら。
サーバントが迎えにくるのかなぁ。

咄嗟の意外なダメだしに
途方に暮れながら
仕方なく
キャリーをたたんだ。

(その19に続く)
その19
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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その17

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なんか大使館の外は
まるでシャバに出たという解放感だ。

それにしても
お買い物布バックで行動してるのが
ずっと気になっている。

空港で荷物検査の機械になんか通したら
いかにもバラバラものが落ちそう。
お金は
ジップロックに入れてるし。
(ジッパーつきビニール袋)

あぁカバンを買いたい。
出来れば おみやげも
ガサッとまとめて買いたい!

いつもの旅以上に
今回は義理立てするヒトが
たっくさんなのだ。

結局連絡はしなかったけど
友達の友達の先輩のローマ大使館職員、
なんてヒトまで探してもらって
連絡先を教えてもらったり、
とかしてるのだ。

家族以外にも
何人もをお騒がせしている
レイコなのだ。

そうだ。
ローマ三越に行ってみよう。

むか〜し 一気に手ごろなモノ
の数々をここで手に入れたことがある。
27年前だけど。

地図で見、
ローマ三越方面への道に来たけれど〜。

あ・あ・あ。
断念!
ここからでは遠すぎて
時間がかかりすぎる、とわかった。
ああ 27年ぶりの ローマ三越と
再会を逃す。

後から皆さまに聞いたハナシでは
そんなに惜しむほどの場所でもなかったよ、
とも 聞いたのだが。

さて、こうなると自分のカバンだけでも
欲しいのだケド。
もうテルミ二近くの
大道のみやげ物、とか?

「ローマ! LOVE❤️」
とか描かれた中国製のしか、ない!
(目に入らなかっただけかも)

かくして カバンも
手に入らないまま
どうでもいい
(モノしか目に入らなかったのかも)
キーホルダーや
ローマ法皇のブロマイドみたいのや
よくわからない置物

たっくさんの
みやげ物屋があるけど
ひとつも購買意欲がわかない、
ままホテルに着いた。

何やってたんだか、
ブラブラしていて
あっという間に11時をとうに過ぎている。

こうなったらもう荷物を
出してもらって さっさと
タクシーに乗ろう。

今回はスーツケースでは
来なかった。
ひとり行動が殆どの予定だったから
大きな布バック。
それでもキャリーに乗せての
移動はラクではない。

駅近ホテルだから
キャリーを引いて駅のタクシー乗り場へ。

ほどなく乗り込むと
「日本大使館までだと ◯◯€だがよいか?」
と運転手の方から聞く。

へええ!
こんなの初めてだ。
これまでローマのタクシーでは
散々だった。

ローマタクシー初体験、
あの時は海外旅行も初体験。
やはりテルミニからホテルへ
向かおうとして

巨大なスーツケースを2個
(友達とふたりで行った)、
ヒョイと持ち上げ
勝手にトランクに入れて
誘拐さながらに
持って行かれた、という感じ。
モチロン法外な料金を取られた。

そんな昔のハナシをしなくても

サガプリヤのコース開始前に
ローマで仲間と落ち合うために
駅から乗ったタクシーは
充分高かったし 最初に聞いても
料金不明瞭。

それがほんとにFix プライス!
(表示はよくローマ市内Fix、とかあるが
実際違ったりした)
しかも聞く前に運転手が
言うとは
かなり驚きの事態なのだ。

で、大使館に着いたら。
「領収書は必要ですか?」と。

おーっ!
これもあまりに新鮮なセリフだ。

考えてみれば
そうであろう。
大使館の人達は皆仕事で
タクシー乗っているのだから。

かくして
「必要じゃ!」
と答え、支払い。

その料金にピタリの金額は
持ち合わせていなかった。

確か3€くらい、お釣りのある状態。
ところが 釣りがない、
と言う。

小銭が全く無いわけではなかったが、
こちらには その小銭は
ココで出せない理由があった。

何せ これから大使館で支払う
帰国のための 渡航書発給手数料、
18€。

これは
「決してお釣りのないようピタリと!
ご用意願います」とのコト。

ここで小銭を出してしまっては
その18€ピタリ、が払えず
元も子もない、のである。

というわけで
「釣りはいらないぞよ。」

と言ったら
運転手の
恐縮仕様と言ったらない!

さすがは
泣く子も黙る日本大使館⁈
なのか
これまでありえない対応なのだ。

かくしてタクシーを降り、
今度は警備室での
書類記入は顔パスにて
省略で
荷物検査のみで入場。

大きな荷物は
警備室にて預かってもらう。

さあ、12時10分以上前にまた
ここへやって来た。

あとは待つだけ。

椅子に座って毎日新聞を眺めたり
飾ってある 日本人形を見たり
立ち上がって行ったり 来たり。

ここを出てから2時間後の
12時10分。
待ちきれなくて 窓口の前に立つ。
丸窓ブース⁈の中は
ヒトが右往左往してる様子だが
何をしてるか
外からはあまり見えない、
ので気を揉む。

例えば日本の銀行の受付窓口の内部、
とかの方がずっとよくわかる、
という感じ。

そして12時15分頃。
「お待たせしましたーっ」
の声にほっ❣️

めでたく渡航書が発給されたのである!

「タクシーですね?」

「そうですそうです!
お願いします!!」

の会話を最後にココを去る。
あとは守衛室でタクシーを待つのみ❣️

帰国便は15時30分、
ローマ発 ドーハ経由便に乗り
ドーハから成田だ。

(その18 に続く)
その18

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その16

今書きながら
コレは 楽しい体験
貴重な体験
だったんだなあ

と改めて気づく。

そんな体験を記録しておきたかった
からブログを始めたようなものだ。

しかしこんな思いは
2度としたくない!
もう充分堪能しましたあ❣️

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
さあ帰国をかけた決戦の朝だ。

当然今日の便で帰れるつもりで
荷物のパッキングを済ませ〜
その大荷物はホテルに置いたまま

ハンドバックがないままの私は
お買い物用布バックひとつで
日本大使館へ徒歩でGo!

門前到着9時17分。
「開館の9時半まで待ってね」
という昨日の守衛さんの
言いつけを守り

13分間
例の素敵な鉄格子の門を
握りしめ 中を覗きながら待った。

この間 横の扉から入場した
職員らしきヒト 13人。
うち半数が日本人のようだった。

ふ〜ん。
そういう割合の職場人員構成なのかしら〜
と眺めているうちに
ジャスト9時半になり
守衛さんがガラガラ、と門を開けてくれたんだったと思う。

それから守衛室に入り
入館記録に名前、国籍ほか
必要事項を記入する。
日本語にイタリア語が併記された書類だ。

これを守衛に提出し
空港にあるような機械で荷物検査。
人間も身体検査ブースみたいのを通過して
外側から内側へ。
入り口と出口が反対側なのである。

「緑のボタンを押してくださぁあい。」
という中に居た
もうひとりのイタリア人守衛さんの
日本語発音がおもしろく
あたたかく
この非常時にココロ和ませててくれる。

内側に来て椅子で待つようにとのこと。
あ、ここにお手洗い あった!
行っておこう。

バル、とかでそうであるようのように
声をかけてカギを借りて
使用するスタイルだ。
へえ。

次に来てた日本人のおねえさんは
お手洗いの借り方も心得ていて
ローマに長く居る風だった。

そんなことをしていて
5分以上経過するものの
めでたく入館。

守衛室から素敵な石づくりの洋館まで
少し距離があり
緊張感が高まる。

入り口を入ると〜一番のり。
また警察本部⁉︎とかが
そうであったように
透明ガラスにボツボツと穴の開いた
丸窓つきの窓口がふたつ。

すぐに「土日に緊急連絡先に電話したレイコです、今日3時過ぎの便で帰国したい!」
と告げる。

窓口のいかにも仕事の出来そうな
おねえさんの職員が
「わかりました」
と冷静迅速な口調で対応。

「こちらの5種類(だったと思う)の書類に
必要事項を記入してください」

「机に記入例があるので
『その通りに』『間違えないように』」

むむむ。
最もわたしの不得意とするところだ。
この指示にまた緊張感を高めながら
席に着く。
着席時9時40分すぎ。

わたしが今申請しようとしているのは
「パスポートの再発行」ではなく
「帰国のための渡航書」
という1回限り、指定便のみ有効のもの。
(そうでないと即日発行はムリ)

そのためには
「なぜパスポートでなく、
1回限りの渡航書で
直ぐに帰国する必要があるか、の理由」を
記述式で記入、
大使の許可を
もらう書類、とか。

『本来ならパスポートを再発行
すべきところ、
業務の都合で至急帰国せねばならず云々』
的な例文だったと思う。

またモチロン
盗難届を出したときのように
どこでどのような盗難にあったか、を
記述する書類、とか

また何より
戸籍謄本が提出出来ない理由、
それに変わってどのような書類を出すか
また日本に帰ってから
それを必ず取得して
日本大使館に送付する
という誓約書、とかである。

いわゆるマル、バツ記入で済むような書類
ではないので記入には
結構な時間がかかる。

記入机の隣りに 先ほどの
いかにもローマに住んでいそうな
おねえさんがやってくる。

やはり 数年ローマに住んでいて
パスポートが切れるために
更新に来たそうだ。

彼女に細々した記入方法を
いくつか聞きながら進めた。
ありがたい。

なにせ 間違えると
最初からやり直し!
になるらしい。

おねえさんも
わたしに聞きたい、と言う。

この状況で
このヒトにわからなくて
わたしにわかること
なさそうな気がするなあ、
と思ってたんで少々驚く。

おねえさんは
「すみません。
今年は平成27年デスカ?」と。

なるほど!
それなら聞きたい気持ちはわかる。

ここでいつもなら
「はい!」
と即答できるはずが

どうもわたしも
自信が無くなってしまったのである。
今がいつやらわからない、
が正直な感覚。

「だと思うんですが〜。
そこに新聞があったから
見てみますね、わたしも必要だし」

と、ロビーに常設してるらしき
1週間遅れ1週間分の
毎日新聞で確認する始末。

どうやらほんとに
平成27年、でホッとした。

そんなこんなで
ずっと
ストップウオッチが
傍らで音を立てているようなキブンのまま
記入を修了!

窓口提出10時10分!!

ここで職員から重大情報。

「戸籍謄本がFaxで届いていますよ。」
と。

取りに行ってくれたのだ!
弟が役所に!!
そして送ってくれたのだ!
たぶん 義理の妹が。

あぁ もう言葉にならない。
この感謝の気持ちが。

職員が
「これから渡航書を発行します。
最低2時間はかかります。」

なるほど。
記入に30分、発行に2時間が
最低必要時間なわけだ。
あと2時間立つと12時10分。

予定搭乗便
ほぼ出発3時間前だ。

「このままここでお待ちになっても
出直されても構いません。
どうなさいますか。」
と丁寧に聞いてくれた。

わたしはホテルに戻って
荷物を取ってくる旨
そしてその足で
空港に向かう旨、告げた。

すると職員さんは
「タクシーを呼びますか。」
とまた丁寧に。

「今は必要ないです。
次に空港に向かう時には
お願いします!」

と答え、ここは徒歩で
ホテルに戻ることにする。

あぁ、ここまでよくやった!
と自分を褒めつつ
先ほどの守衛室の前を
通り 外へ。

さあて!
ローマでの自由時間は
ホテル往復時間をマイナスすると
あと1時間弱だあ❣️

(その17 に続く)
その17

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その15


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夕飯までひと眠りの前に。

念のため〜
で開けたPC。
すっかり今日の仕事は
終わった、かと思いきや

こんな時に限って!!
みたいなコトが
日本で起きてた。

この旅で日本を
1ヶ月ばかり
離れていたわたしは
お仕事など
この時まったくないはずが

急ぎの事務対応が今ただ今!
必要な事態になっていた。

ちょっとしたトラブルなのだけども
昨日、まさしく
ここローマで盗難にあった
時間帯にそれは起こったらしい。

これも
シンクロニシティ、って言うヤツか?

まあPCでのやり取り
1時間以内で無事、済んだのだ。
それで済んだ事に感謝したい。

はぁあああ。
ベッドに横たわって溜め息をつく。

それにしても。
行動に疲れ
こうして静かにしていると

なんかハナシが出来過ぎだ、
と感じるのだ。

ホテルや警察や
道ゆく街の人達に
いろんなこと聞いて
いろんな親切を受けて

ここまで
まるでゲームのように⁉︎
歩みを進めてきた。

イチバンのショックは
日本大使館 緊急連絡先のしょっぱな
電話対応で

ここローマ、イタリアの対応は
すべて親切 優しい
そして一旦始まりさえすればスムーズ。

であることに
感激していたのだけれど。

なんだか
これって芝居、みたいではないか?
ローマ劇場??

イタリアの経済
は限りなくわるい、
と聞いている。

電車内の様子、街の様子、
荒れた感じのところは荒れている。
わたしの体感では
Flamencoの地
スペイン、アンダルシアより
わるい。

街を歩けば
「ゼネラルストライキ◯月◯日決行!」
の予告貼り紙とか。

駅周辺や車中には
物乞いやモチロン、ドロボー。

ローマの
ドロボー、警察、ホテル。

もしかして
もしかして皆・・・

ぐる! なんぢゃないのぉおお?

観光客が
ローマにお金を
落とすための
芝居をうってるんじゃないのおお??

という想像がぐるぐる。
ながらも寝落ちした。

はっ!
と気づくと
すぐ夕飯に出かけないと
食いはぐれてしまいそうな時間。

目星をつけていた
レストランへ駆けこむ。
あやうくセーフ。

お味のほどは〜

う〜ん!
最後の晩餐にして今ひとつな感じ。
まあ白いテーブルクロスの上で
ワインから🍷始めて
デザートまでいただく。

それをこの状況で
ひとり完遂したのだから
よし!としようではないか。

この夕飯の席で
初めて隣りの隣りのテーブルに来た
日本人のご夫婦に
話しかけられた。

サガプリヤのエネルギーワークの
グループメンバー以外で、
初めての日本人との会話をここで少々。

さあ、明日は帰国をかけた決戦だ!

(その16 に続く)
その16

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上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その14

☆☆☆☆☆
さあ、めでたく
パスポート用写真を撮ったゾ。

後は日本大使館の場所だ。

この時は
テルミニからホテルに戻らなかった、
気がする(キオク曖昧)。

戻ったら寝てしまう、
という気がした気がする。

で、ローママップを見ると
在ローマ 日本大使館は
ホテルから歩いて30分強ほどだろう場所。
見つけるのにむずかしくなさそう。

しかしながら
明日は帰国決戦日!
朝初めて探す、
のはやめておこう。
今歩いてみよう。

その通りはすぐ見つかった。
目抜き通り、ではない。
そういうのに平行した
少しそれより細い道。

へえ、こういう通りに
日本大使館があるのかあ。

この時思い浮かべてたのは
大きなビルの何階かにあるのかなあ、
なんて思ってた。
盗難届をゲットした警察の建物のような。

住所のあたりに小さめのビル、
あれどもどうも違う。

そのうちこの通り沿いに出てきた
あらまあ✨
レイコ好みの素敵なお屋敷
瀟洒でクラシカルな洋館✨✨

3階建てかしら。
ビルとは違って
小ぶりでまとまりがあって
上品な😍

え!
ココが日本大使館⁈

なんて素敵なの!😍😍😍
ローマに住むならぜひ
ココで働きたいわ!!

なんて勝手ながら 思ったのですわ💕

モチロン日曜のこの日はお休み。

鉄格子、と言ってもこれもあくまで
瀟洒な感じの扉、
中がよく見える開放的な空間。
建物の入り口までは結構な距離。
ゆったりスペース。

お屋敷左手の
警備員小屋のような建物から
キチッとした制服姿
高身長のイタリア人(たぶん)
の警備員さんが出てきた。

瀟洒な鉄格子につかまって
中を覗きこむわたしに

「きょうは閉館ですよ」
と優しく かつ紳士的に
話しかける警備員さん。

なんか、
ノーブルな感じだわ!
さっきの警察とはかなり違う雰囲気だわ!!
と喜ぶわたし。

「ハイ、知ってマス。
パスポートをなくし、
しかし明日の便で帰りたいのです。」

と、聞かれてもないのに
また事情を説明するわたし。

「ふんふん。
ではまた明日の朝
来るんだね。」

「はあい。また明日✨」

この会話に気をよくして
また 少しるるん、
というキブンになり
ホテルへの帰路へ。

何せこれで
今日の仕事が ほぼ終わったのだ。

明日大使館に持っていく
モノは揃えたのだ。

カンジンの戸籍謄本を
除いては。
あぁ弟が、奇跡的に取りに行けて
大使館に送ってくれたらぁあ〜っ。

もうこれは考えても仕方がない。

きょうは
後、ひとりでどんな
ローマ最後の晩餐するか
だけ考えればよいだろ。

道すがら
ステキなレストランを
物色しながら 戻る。

あとで ココに食べに来ようかな〜
という候補が複数出来た。

どんなときだって
美味しいモノを食べること
考えるのは楽しい✨

・・・
ホテルに戻った。

そうだ、
帰国便のリコンファーム、
でなくて
事前のPCからのチェックイン。
搭乗24時間前から出来る。

行きはした。
早めにすれば希望の座席が確保される、
可能性が高い。

今回はどーする?
チェックインしてしまえば
もう便の変更は出来ない。
(そうでなくとも変更出来ないチケットだけど)
もし明日の大使館で手続き間に合わなかったら?
どーなる??

もー考えるのも
メンドーになり、
やらないことにした。

他にやることあったか?
ないと思うケド 念のため
ベッドに倒れる前に
PCを開けて見よう。

えっ。

まだあったみたい!

(その15 に続く)

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その15

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その13

☆☆☆☆☆
スピード写真の機械から
つるりと下方へ出てきた写真。

疲れ果てたわが顔を
じぃっと見るなり。
あ あ あ。

そこへ
「使えマスカア?」と、次の方。

じっとプリントされた写真に
見入っていたわたしをみて
機械は正常に動いているのか、
と聞いてきたわけだ。

「はい、大丈夫ですよお!」
大丈夫でないのは
このわたしの顔で
機械は正常作動してますよお。

ってことで 再度撮ろうとも思ったが、
なかなかこのスピード写真機は
混んでいるのである。

次も待ってるし
わたしも先ほど ふたり待ってから
撮影したのだよ。

このベールを被って彫りの深い
イスラム系美人のこの次の方も、
パスポート用の撮影だそうだ。
わたしに喋りかけた言葉はスペイン語
だった。
ナニジン?お国は??

はああ。
どれだけそういう人多いのかね。

ここはすぐに
次の方にお譲りし
ようやく昼ごはん、にする。
この時3時はとっくに
まわっていた、と思う。

そうだ
こういう時に
お腹を空かせてるから
ますます顔もこーなる!

ここは
テルミニ地下飲食店街、
まずは食べようじゃないか。

レストランに入る
時間はないからカンタンに、
でも美味しいものをネ!

で、選んだのは
切り売りしているピザを
席でも食べれるタイプのお店。

わ〜っ
どれも美味しそう❣️

コレ、ひと切れの値段かしらね。
チョットお高めな気がするけど。

では コレとアレ、
お願いしまーす!

結構ご年配の店員さんは
ケースの中のピザ、切らずに!
そのまま袋へ!!

え?え??
ひとつがこの大きさ⁈
これをさらにいくつかに切った
ひと切れ、
で充分な量なんだけど。

いわば ひとりだというのに
ケーキをホールで
買ってしまったような状態。

「いくらなんでも大きすぎるーっ
小さくして売ってくれませんか?」

といつもの
ブロークン スペイン語でコーフンぎみに
言ったのですが〜。
この時は通じなかった!

ご年配の店員さんは
次に待ってた大学生風のワカモノに聞いた。
「このご婦人、何が言いたいのかねえ?」
みたいな感じ。

で、聞かれたワカモノは
「おじさーん、このひとはね。
ピザが大きくて食べにくいから、
細かく切ってくれ、
って言ってるんだよ」

え〜〜っ!
「違うの、違うのおおお!」
もはやまた日本語だった。

疲れもピークに来たわたしは
このたびは それ以上の要求は
あきらめ
巨大なフタ切れのピザと
飲みモノをトレーにのせて
席についた。

脱力。

食べながら〜
なんか元気の出る方法、ないかなあ。
この写真も出来れば
もっと美しく、とまでいかなくても
さっきよりマトモな顔を撮りたい!
わたし、余裕なくしてる!

・・・
そういえば
今朝 顔は洗ったけど
化粧してない。

パスポートのみならず
カバンごと持ってかれたから
そこに入っていた数少ない化粧品も
すべてない・・・。

そうだ、ここはひとつ
化粧品を買うことにしよう。

といっても
ブランドモノとか買うフトコロの余裕なし。
貴重品袋にあった
明日までに使う現金を
計算しながら使っている状態。

カードの使用限度額も心配だ。

では、ドラッグストア、
そこに適当なのがなく
結局なんでも揃ってる テルミニ地下の
スーパー、コナードへ。

口紅が2千円弱くらいのだったか?
「どうせスーパーのだしなあ。
(クオリティは期待出来ない)」

という思い込みに反し、
日本に帰国後にも使ったなかなか
コスパの高いものだった。
さすがイタリア!

買った化粧品を開封し
ここはもうホテルに戻らず
1ユーロはらう
テルミニ駅御手洗にて
身支度を整え

再度
スピード写真撮影に挑む!

いや〜〜っ。
今度は、まあいいか。
確か6ユーロ、だったかの
再投資。
わりとスピード写真、高し。

(その14 に続く)
その14

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その12

☆☆☆☆☆
無事3軒目の警察で
盗難届をゲットしたわたしは

ホテルに戻った。
HOTEL Rimini.

なんてことない
よくある、元マンションを
改装したんだそうな駅前ホテル。
だけど
前年泊まってなかなか居心地よく
また今年もお世話になってるのだった。

ここのレセプションの
交代で勤務のふたりのおじさまが

だんだんと
まるでわたしの秘書、
であるかのようにも
見えてくる。

ホテルに戻るなり
「今お戻りデスカ。
はい、お次のご用はナニかな⁉︎」

とこちらが聞くまえから
わたしに聞くもんだ。

ホテルに到着した昨夕から
もう10コくらいはココで
質問した気がするぞ。

昨晩レセプションで聴いた駅構内警察
では用が済まず
3軒目でようやく用が果たせた
ここまでの経緯も
「ふんふん。そうだったかい。」
とやさしく聞いてくれてた。

聞いて欲しいのよね。
こういうときダレかに話を。
コドクな旅人のわたしは。

昨晩食事した日本の仲間達は皆
今朝のうちに
ローマを発ったはず。

また今朝方、
チェコから来ていた
スターサファイアの半月のコース
をアッシジの山奥で共に過ごした
メンバーのひとり
シーマにも
テルミ二駅で偶然いきあった。

昨日の昼にそのコースを
解散したばかりなのに
もう懐かしかったな。

彼女は空港ゆきのバスに
乗ろうとしていたところ。
モチロン、わたしがドロボーにあった!
なんて話すヒマはない。

ただ
「元気でね。また会いたいネ✨」
ってあいさつだけでサヨウナラ。

切ないなぁ。

そんな場面も今朝あった。

それにしても
ローマってとこは
ドロボー多くてこんな対応に
ホテルも警察も慣れっこなのだろうか?
すごいなあ。
とりかかりさえすれば仕事はやいなあ!

・・・
というのと間逆の考えも
この後には出てきたんだけど。

ここは続けます。

で、
レセプションでのやりとりは

「次に聴きたいのは盗難届の
コピーがとれる場所であるぞ。」

という感じになってきた。

なんか真剣ながらも
ゲームをしているようなキブンでもある。

ヒネリの効いたナゾ解き問題つきの
スタンプラリーゲーム?
無事帰国がゴールの。

われながら自分の
今やってることがちょっと不思議だ。

レセプションの
コピー場所についてのお応えは
「うーん、今日は日曜だからなあ
(やってるかなあ)。」
と唸りながら

ホテルの隣りの隣りにある
インターネットカフェを
路上まで出て指し示して
教えてくれた。

インターネットカフェ!
皆がPCを持ち歩くようになった今、
前より見かけなくなったけど
まだ少しはあるみたいだ。

で、部屋に戻らず
コピーに直行だ。

パスポートがなければ
この盗難届が身分証明書、
パスポートがわり、だそうだ。

またこの盗難届を
盗まれたりしたら
目もあてらんないもんね。

帰国後に
保険会社に被害申告するのにも
必要だしね。

インターネットカフェは
開いていた。

よかった!

「2部ねーっ」
とアラブ系のお店の人に
お願いした。

うん、順調 順調✨✨✨

「あなたどこから来たの〜。
どんな盗難にあったの〜。」

書類が曲がらないようにコピー、とか
結構キッチリのこの店員さん。
ハナシを聞いてもらいたいのは
ヤマヤマだったけど
先を急ぐことにした。

今は 時はカネなり。

さて、ホテルに戻って
今度はベッドに倒れこむことしばし。

・・・
はっ!
寝てる場合ぢゃない!!
まだ今日やることはヤマづみだ!!!

レセプションでの
次なる質問は
「パスポート用の写真は
どこで撮れますか?」
だ。

「それはねえ。
テルミ二駅の地下だよ。」

「地下のどこですか?」

「うーん、
商店街のどこか一角にあったと思うよ。」

テルミ二駅の大きさも
地下街の広さも
ハンパではないから
この茫漠とした応え、
仕方ないかもしれない。

とにかく地下の商店街に行って
見ることにした。

地下街の見取り図、
みたいのも見た気がするが
スピード写真の場所なんて
もちろん書いてない。

地下に降りてから
また30分以上かかった。
発見するまでに。

5人くらいに聞いて回って
ようやく辿り着いたのは

ここぉおおお⁉︎

という実にむつかしい、地味な場所。

地下鉄に行く途中の通路の、ある一角。

なんというか
東京駅で例えれば

「東京駅から
東西線 大手町駅に乗り換える
地下通路の、限りなく地下鉄入り口に近づいた通路のある一角」
という感じだ。

同じ東京駅と言っても
さっき八重洲地下街に居た
外人旅行者が
ソチラに辿りつくのは
至難のワザ、だと思う。

という感じの難易度の
またゲームの一手を
クリアしたような
達成感に満ち満ちながら

いざ撮影しようと
スピード写真の小屋
(日本にあるのと大体同じ形デス)
の中のイスに座って
鏡を見た。

ワタシこんな顔!

アブラアセが滲み
つかれた表情!
いつもより だいぶ日焼け。

が〜ん。

急いで笑ってみた。

いや、大使館HPの写真撮影注意事項に
そういうの(やたら笑ってるのとか)、
ダメって書いてあったではないか。

とりあえず撮影したものの、
写った自分の姿が
フマンでフマンでならぬ。

そんな感じで
機械から出てきた
写真をしばらくみつめてた。

(その13 に続く)
その13

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その11

ハナシは3軒目の
馴染みの警察へ来たところだ。

☆☆☆☆☆
この度は
この警察でどんな経験をするのかなあ?

もうこの際、楽しむことにした。

また1階左側の部屋で
最初の受付をする。

「盗られたの?何を? どこで?」
みたいな最初の問答。

前回はその後、
右の部屋で待ったのだけど
今回は即
「上の階へ上がって」
とのことだった。

上の階ね、はいはい。
前回も行ったもんね。
2階の左手の部屋でしょ。

パーテーションが上半分
ガラス張りのね。

中の机と椅子で面接しながら
盗難届けとか書いてる様子が
見える
アソコでしょ。

前年そこで
初めての盗難届けの書き方、
教えてもらいながら

ようやく記入を終え
「ふうーっ」と
深いため息をついたわたしに
担当警察官は
熱い握手をして
あの部屋から
見送ってくれたものだった。

それにしても今回の
警察官達
(だと思うけどそう言い切る自信がない)
の格好、服装はラフ極まりない、
ヒトが多い。

所謂 制服みたいな姿が
あまり見当たらない。

日曜で
ここに居る何人かは
「警察官のお友達」
が遊びに来てんのかな?
なんて思ってしまったくらいだ。
(真相はわからず)

で、上の階に上がったら
さらに上の階(3階)に導かれた。
わたしの担当⁈
のオニーサン(警察官だと思うが)は

ラフなメンバーの中でも最もラフな姿、

白いヨットパーカーに
ジーンズ、サンダル姿である。

このヒトについてって
よいのかね?

と一瞬思った。
けどココは警察、言うこときいて
行動するしかあるまい。

で、

外から来た我々が入るのは
2階までと思ってたけど
3階にも盗難届け書くような
スペースあるのかあ、
へええ。

と思いつつ、導かれるまま
3階に上がる。

そこは❗️
机の上に書類が散乱、
机やいすの置き方ジタイもなんかランダム、

どこに何が置いてあるか
わかりそうもない
散らかり放題の事務所、という様相だ。

ここが警察でなく、
何かクリエイティブな創作する
ミニオフィス、とか言われれば
まだ納得したかもしれない。

スチールの書棚扉には
超グラマーな
ビキニ姿の色っぽ〜い
おねえさんの巨大ポスター、あり。

いや、クリエイティブなオフィスの一角
というよりは
フツーの庶民のオニーサンの部屋、
って感じかなあ。
この目の前のオニーサンのような。

で、
そのオニーサンは
オフィスの一角に
わたしに座るよう促し

急いで目の前の書類とかを
かたづけた。

「コレに記入して。」
とイタリア語表記のみの
盗難届をわたしの目の前に出した。

そこで わたしは
「昨年は 日本語(どれだけ盗難にあう日本人多いんだ!)のがあったのですが。
せめて英語のはないですか?」
と聞いた。

オニーサンは
「うーん!」とうなり
散乱につぐ散乱の書類を
ちょいとは探してくれた。

が、すぐには見当たらないようだった。

で、
「ない」、とのこと。

「ないと何をどこに記入するか
わからないの、困る」
と答えた私。

イタリア語、
特に文字になると
ほとんどわからないのである。

ちなみに
ここまでの会話は
スペイン語、で押し通している。

これまでのFlamencoの旅で
自由自在、とまでは行かなくても
旅であればまあまあ困らない程度の
スペイン語が口から出てくる
習慣がついていた。

これがイタリアを旅する
命綱になっていた。

イタリア語とスペイン語は
似ている。
わたしはイタリア語わからなくても、

イタリア人は
なんとか類推して
わたしの言いたいこと、
わかってくれる人が多いのだ。

ここイタリアでは
英語で話すより
(たいして話せないのだが)
スペイン語の方がよほど
コミュニケーション出来るようだ。

ところが
イタリア語、皆が話している言葉より
さらに
書類、文字になるとカラキシ
わからないのだ。

そんなわたしへの
オニーサンの返答は〜

「あなた喋れてるんだから
(イタリア語のみ書類で)
いーじゃない!」

と来た。
コレへの咄嗟のわたしの受けコタエは

「コレ、スペインごぉおおお‼️」

もはやこの時 日本語、
そして大声だった。

オニーサンはわたしのコトバのイミは
わからなかった気がするが
わたしの勢いに押されてか
ようやく
英語併記の イタリア語盗難届が出てきた。

記入しようとすると
「待って!」
とオニーサン。

どうやら原紙、
みたいなものだったらしく
コピーをするから、
と持ってった。

やれやれ。

そして記入。

被害総額、とかマジメに計算してると
えらく時間がかかる。

もーいーわい!
えらく、概算。

オニーサンに渡すと
ポーンっ!
とハンコを押し、記入ないところに
くの字を書く。

1秒。

読んでない、と思う。

ここまで3階に
上がってから約十数分。

前年も思ったが
素晴らしく
仕事がはやい‼️

日本でむかし
自転車盗られて届けた時には
2時間半、かかった。

さすがはローマだ。

さあ、いったん
ホテルへ戻ろう。

2階に下がると
昨年盗難届を書いたあの部屋、
は暗い。
2階は営業終了?
休日の節電対策で
散乱の3階事務所で手続きした??

もーいいか。
そんな理由、どーでも。

おつかれさまあああ!
わたし。

(その12 に続く)
その12
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イタリアで見た過去生と直後の事件~ローマパスポート盗難 その10

サンタマリアマジョーレに通じる道で
目の前のランナーの群れに 
なぜ飛び込んだのか?

☆☆☆☆☆☆
人、人、人の群れ(ランナー)。

それは戦いから逃れて来た人々のように
その時の私の目には見えたのだった。

「今だ!」という何かからの声を聞いた気がして
咄嗟に飛び込んだ。
今この行動をするかしないか、は
まるで 私の生死の分け目のような気がした。

私の右肩をグゥウ。
とつかむ警備員。
当然制止するだろう。

わたしは腰を落として身を低くすることで
その右肩を掴んだ手から逃れた。

こんなワザどこで覚えたんだろ?
という感じ。

とにかく私は今
道の向こうに渡るのだ!!
(警察行くんだからさ)

こんなに強い意志に従って
走ってはいるのに
なかなか進みゃあしない。

この爆発的に増えた大人数を横切るには
私だって前に進みながら
斜めに横断していくしかないのだ。

昨日までは数秒で横断していたその道を、
数分走った。
ランナー達とともに。

ただ無我夢中、の瞬間もありながらも
この数分間にアタマをよぎったよしなしゴトは~

わたしローマまで来て何をやっているんだろう。
普段も走ることなんか滅多にないのに!
前回走ったのは電車に乗るときだったかなあ。

とかなんとか。

なんかこの人たちは(一緒に逃げた)同志っぽいわ。
警備員には肩を掴まれたのに、
この大人数のちがう方向に行くひと達と
殆どぶつからないってどういうことかしら?

で、無我夢中とこれらのアタマの中のブツブツ言葉が
交錯しつつ。
無事 向こう岸、にたどり着いたのである。

たどり着いたわたしを見て
「おーっ。関心関心!(あるいは呆れる)」
みたいな表情で目を丸くしている人たち。(たぶん観光客)。

警察へご用がなくとも
この岸辺にいた人たちも できれば早く道を渡りたい、
のである。
彼らもこのマラソンで10分以上ふいに
待たされることになったようだから。

しかしこんな荒ワザで横断した人は
他に誰もいないようだった。

出よう、と試みてた人は何人かいたけれど
みな警備員に止められ、横断出来なかった。

その人々のかなりの注目の眼差しに
どういう顔をしてよいかわからぬまま
その日3軒目の警察に向かった。

マラソン中、前進を余儀なくされてたので
元来た道をかなり戻ってた。

もうここは素直に
マラソン沿道でなく
警察の通りへ行こう。

で、なんだあ。
たった1本平行した道だった
Via Farini.

この通りに来たら
なんと30秒ほど前マラソンしていたのが
ウソのよう。

別世界なのだ。
なんだか日常に戻ったのだ。
(ローマに居るだけで非日常、盗難にあってさらに非日常だけれども)

で、馴染みの警察の入口にやってきた。

ふふふ。ここはもう知ってるもんねえ。
という安心感とともに。

時間は12時半を回っていたと思う。
きっとあのマラソンのスタートは
12時だったのだろう。

「昼休みの時間にかかると、ロクなことがない」
という思いはそれまでのイタリア、
というよりFlamencoのためにスペインを
何度も旅した経験から
骨の髄まで身にしみていた。

今回の旅も、イタリアに来る前に
しばらくぶりにスペインに行ってきた。
セビージャ⇒ローマという初めての路線の
フライトを経験、
実に面白かったが
それなんて結果的に小さなことで

いやここローマで
今ドロボーなんかに合わなくても、
その前のスターサファイアエナジーワークの
半月間のがっつり経験したコースを受けなくても、

イタリアに向かう前にスペインで
もう日本に帰ってもいいや、
と思うほど充分な
楽しい、感動する、ドキドキする
実りある
旅をしてきたのである。

お腹いっぱい状態な上にさらにさらに
また様々な経験をした旅だったのである。

で、たぶんイタリアは
スペインより1時間くらい昼休みが早いみたい、
となんとなく掴んでた。

スペインだと午後2時頃からで、
その後5時頃までは お店とか完全に閉まる。
スーパー、とかはやってるけど。

イタリアの警察だって
3時間くらい休むかもしれない。

公式に休み時間でなくとも、
昼飯食べるべき時間に働いてくれ、というタイミングには
人々は皆あまりに不機嫌なのだ。
そしてそんな時はムリヤリ何かを頼んでも
マチガイも多いし、いつも以上にノロい。

航空会社のカウンターであれ、
タクシー運転手であれ、
警察であれ、だ。

本来ニンゲン、それでいいんじゃないか、
とそういうのに賛同してたわたしは
自分自身もそういう行動形式にもなってたわけだ(スペインではね)。

なんせきょうは日曜だし、こういう傾向はマックスだろう、

という思いからの焦りもあったわけだ。

で、まあ昼前に訪問出来てラッキー。
でないと他の用が済まなかったかもしれない。

で、警察の入口を入ると
両側に見覚えのある部屋。

そうだそうだ。この右手の部屋で前年
待たされたのだ。

あのときは「お金盗られました~」
とかなんて言うのかなあ、
なんて考えながら話かけようとしたら

「すとーるん?」「スィ」
の一言で済んで拍子抜けしたのがスタートだった。
で、この右の待合室には盗られた人が
何組も待っていた。

日本人かな~と思って話しかけた男性親子は
上海から来た中国人だった。

何を盗られたんデスカ?
と聞いたら

「ホテルについてすぐお金をおろしてきた」
「で、それをベッドの上に置いて少し部屋を離れたら30秒で盗られた!」
とのこと。

「ネットで確かな予約サイトで探した、
ちゃんとしたホテルだと思ったんだよおお!」
とわたしに訴えた。
中国人のオジサンの手にはPCからプリントした
ホテルを予約した紙。

見せてもらうとわたしも予約した覚えのある
ホテル予約サイト名だった。

で、いくら盗られたんデスカ?
と聞いたら

「1万5千ユーロ、、、」

だってさ。
あははーっ。ざっと200万弱ぅ?

私たちの100倍以上なのね。
(前年の被害金額はそんなものだった)

もうわたしは何がホントか、
とかぜんぜんわからなくなっていた。

さあて、今回は
この警察でどんなことがあるのだろう。

(その11 に続く)
その11

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