「タイ旅行記2017-2018」カテゴリーアーカイブ

天草の旅✨ その4


天草への旅~

熊本空港に着いて

市内までの車中からの風景だけでも

何か雄大な気分になる。

なんてゆったりしてるんだろう。

その晩は熊本市内の

彼女の家にお邪魔した。

仏壇のお香立てには

灰が飛び散らないようにラップが。

少しだけ

地震の片鱗を見たな~という感じだ。

そう、ここに来る数日前にも

熊本で地震、のニュースがあったし

なんと言っても2016年の4月の大地震で

どんな経験をされたのだろう、

と思うと

なんとも言葉が出なくなってしまう。

彼女達が住んで来た家は

地震があろうと

そこにがしりと建っていて

迎えてくれた。

これまでご家族やお友達、

いろんな人を迎えてきたようだ。

彼女のご母堂も

お姿は小柄なのに

何か大きくドーンっとして

暖かな方だなぁ、と改めて思った。


彼女のこの家に来た人達、

のハナシの中でもおもしろかったのが

「彼女のだんなさんの

お友達のメガットさん」

も来たんだよ~

なんてハナシ。

というのも実はわたしも

前述した「マレーシアはラブアンへの旅」

のとき

メガットさん宅に泊めていただいたのだ。

コタキナバル(ボルネオ島)の🙄

彼女達ご夫婦が

ずっとラブアンの彼女の家のみに

滞在してた

わたしがタイクツするんぢゃないか?

と気を使ってくれて

「コタキナバル一泊旅行の旅」の

エンタメを考えてくれたのだ。

「それにはメガットさんちに

行くといいよー」

ということになったわけだ。

そして子ども達がわちゃわちゃと集う

誰かの誕生パーティー⁈にも

招待してくれたわけである。

いやあ✨

この体験もまた

驚くことめじろおしの

「旅の中の旅」だった。

そのメガットさん、

もココ熊本の家に来て

しかも彼女のご尊父の法事にも出席、

なんてハナシを聞いて笑い転げる。

ああ

家族とか親戚とかお友達とか

世界中に居る誰とつながって生きていくことになるのかわからない✨🙄

わたしと仲良くしてくれた皆✨✨✨

これまでほんとにありがとう❣️

って気分になる。

世界中の誰とつながって~⁈

というハナシになったので

ここで

「わたしと くまモン との出会い」

についても触れておきたい💓

(つづく)

最初のハナシは コチラ

天草の旅✨ その3


天草の旅  そもそも。

大学時代ともに

歌ったサークルで一緒だった友人との

久々の旅✨

白金のチャペルに響く

フォーレのレクイエムに

大学入学してまもなくのわたしにとって

「いつかこんなうた

        うたってみたいな~」

という思いが自分の中にあったことを

確認させられたものだった。

/

その後変化、

というか

そもそもがコレだったのでしょう!

となったカンテ フラメンコとの出会いは

そのかなりあと。

社会人となってから

バブルの時代に

さまざまな音楽に触れ

あの頃世界中から 

生身でやって来たものを

どんどんと聴きに行き

自分の体感に合うか 

チェックした20代後半

そんなプロセスを経て、の出会いだった。

で、共に天草を旅した彼女は

大学時代のサークル仲間のひとり。

熊本から神奈川県内に

お姉さんと住んでいた彼女の家は

大学にはなかなか遠い自宅から

通学するわたしの

強い味方になってくれた。

ありがたい。

/

そして夜遅いときのみならず

たびたびわたしは

彼女の住むアパートに入り浸っていた気がする😳

そのきっかけは いろいろだったと思うが~

よくあったのが 

こんなお誘い✨

「ねー。

熊本から母が馬刺しを送ってくれたから

食べに来なあい?」

「球磨焼酎飲んだことあるぅ?」

「この前話した辛子レンコンって、

こういうんだよ。実物来たよ!」

思い返せば食べもの、また食べもの!

である。

学生時代当時

そんな魅力的な誘いを断ったことは

一度もなかった、ように思う🙄。


そして

その後2005年。

彼女からこんなお誘い

「ねぇ💓

もうすぐマンゴーの時期になるよ。

ウチの庭にたくさんなるから

いっくらでも取っていいよ~✨」

まんまとこのハナシに乗せられて

わたしは マレーシアはボルネオ島から

さらに飛行機に乗って飛ぶ経済特区でもある小島

「ラブアン」

に一週間近く滞在したのである。

/

彼女とだんなさんと

当時5才になるかわいい女の子

もちろん初めてのラブアンも

彼女達の

意外とフツーな⁈

暮らしぶりを垣間見たのも

なかなか得難い経験だった。

/

そう、

彼女は熊本で働いていた会社での

職場結婚で

マレーシアの人と結婚したのだ。

そのハナシを最初に彼女から聞いたのは~

また別の長崎の友人の結婚式に出席した

機会に皆で行った

熊本は阿蘇での旅の宿だった✨

(今回はそれ以来、20年ぶりくらいの

熊本への旅なのだ)

/

当時仕事が忙しく

無理矢理会社を休んで行ったわたしは

寝る間も惜しんで

会社に後でFax送ろうと

原稿用紙に鉛筆でレポートを書き書き

していたところ~

そう、あの頃は

こんな場合鉛筆ナメナメ、なんてしてた。

パソコン持ち歩き、なんてありえなかった。

メールもなかったと思う。

彼女が「お茶入れるよ~お茶🍵」

と悠長にいつものおおらかノンビリ調子で

(それが彼女の真骨頂)

何度も話しかけて来て

「なにぃ?

今いっそがしいんだけどおおお!」

と血走る目で余裕ナシの

わずらわしいわね!モード全開な

わたしの態度にも関わらず

重大なハナシをはじめた。

/

そしてその

結婚するぞ😳😳😳❣️

報告に

あまりにビックリして

書いていた鉛筆はボキリ!と折れ、

何を書いていたかすっかりわからなくなって

終了。

「しかもトシシタア⁈

ハッサイもおおお⁉︎」

今よりたぶんかなり

アタマの固かったわたしは

温泉宿の浴衣姿で

雄叫びをあげたものだった。

「えええっ?相手はマレーシア人‼️」

/

そんな彼女達の暮らしぶりに

初めて触れた2005年の旅✨

それ以来まったく会わなかったわけでは

ないが、

泊まりがけでふたりで会えた

貴重な今回なのだ。

/

成田第3ターミナルから乗った

ジェットスター機を降りたってしばらく

空港には彼女の

ご母堂さまも一緒に迎えに来てくださった。

御年80歳✨

この方が送ってくれた数々の

美味しいもの✨✨✨

が今のわたし達を繋いでくれた、

と言っても過言でないわけだ。

/

当時今のわたし達より

ちょいお若かったのだ、

なんて思いながら

今回初めて

ちゃんと⁈おはなし出来たのは

なんとも感慨深かった✨✨✨

(その4 へつづく)


天草の旅(その2)✨

今年最初の旅✨

天草。

その泊まったホテル

友人が昔住んでた近くにあるそのホテル。

大きいから

ホテルと言えばホテル、だが

地元のスタッフの方々の

親切と面倒見のよさで成り立ってそうな

そこは

建物が大きな民宿、

と呼ぶ方がふさわしそうだった。

ここでわたしは

もしかして今回

一生分と思しき鯛の刺身を食べたり✨✨

知らない人におみやげを

買ってもらったり

ひとの優しさが

身に染みる😭😭😭

ここでは

ただ道を歩いてるだけで

あるいは泊まったホテルで食事の席に着いただけで

ドンドンと

彼女の昔の同級生の消息情報がわかっていったりして

これには驚いた!!

まるでスペインはヘレスで目当ての唄い手を探している時のよう!

そう、わたしは

いつもフラメンコの地では

そんな感じで目当ての人を探してた

翌日 島から出たら

浦島太郎のような気分😳😳😳

わずか一晩で

こんな風に感じるのだから

ここに住んだらどうなってしまうのだろう!?

島内に居るときは

まるで時間の流れ方が違うのだ

島を出たら目眩がするようで不思議✨

(以下につづく)

http://reiko.link/2019/01/23/天草の旅-その3/

天草の旅✨ その1


今年最初の旅

天草の旅✨⛩

熊本あたり 

わたしはどこに行きたいんだろ?

ネットでみてたら

山の上の鳥居の間から見える

海へりの集落に凛として

しかしけっして突出などせず

美しい海の景色の中に

配置された教会の光景!

まずはそれにひかれた、のだと思う。

解説が観光情報にあったけど

昨年世界遺産登録となって

注目もされたのかもしれないけど

なんであれ

「そこにあるものはある」

という感じで

ゆったりと

何かとひとつになってしまいそうで

そこにあるのが

神社だろうが

教会だろうが

あたりまえに調和してる空間

美しい海に囲まれた

自然の景色の中に

えもいわれぬ一体感😳✨

そんな写真に惹かれたのかもしれない。

奇しくもそこは

これから旅を共にする

友人がごく子供の頃、

つまり40年以上前に

住んでいたという

彼女が数年前久々に行ったら

すごい年月経ているのに

当時と景色が変わらなかった、という

ますます興味しんしん、だ

熊本から

ノンストップで運転しても

3時間はかかる

ろくろく地図を見ていなかったわたしは

そんなに市内と離れているとも

よく知らず

運転しないわたしの

気軽に「行ってみよっ!」

のかけ声に

友人が

ひとり運転覚悟で

連れてってくれたようなものだ。

島にはいった途端に

何か違う空気感

とりあえずは長崎の九十九島で見たような

目の前に小さな島がうわっと

出てくる美しい光景に

目をうばわれる

少し走ると

川が流れる長野かどこかの

山中のような光景😳

知らなければ

まったく

すぐ近くが海岸線とは思えない

何もないでしょ?

と地元の人に言われ

たしかに何もないかもしれない

最近の都会的なものは。

しかし

これはすべてある、

ということではないのか?

山があり

海があり

地の食べものがたくさんあって

2万円の砥石になる

石が切り出せて

イルカと遊べて

わたしが大好きな「くまモン」

(を生み出した方の)

生まれ故郷だそうで

その日は

その友人が住んでいた集落にある

かなり大きなホテルに泊まった。

もちろん温泉♨️

楽しみだ✨

コチラ につづく)

2019年の始まりは✨

2019年初旅の前、
新年はじまりの記録です✨

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

新年あけまして
おめでとうございます✨😃✨✨

この年が
光満ち
幸多き一年となりますように
お祈り致します💓💓💓

さて初シェア✨

暮れの30日に
近くのお社にお参り行きました

その境内を歩いてたら
突然うわーっという感じになり
涙が流れました

なに?

胸があついんだけど
興奮、じゃなく

それはコトバにするなら
感謝いっぱい、でした

で、家に帰ったらね

発熱、カラダふしぶし痛い、のどいたい
等々
いわゆるかぜの症状すぐにはげしく😆
インフルか?
とも思ったすごさ。

なにかが
くすりは飲むな
あまり食べるな

とのことで
そのようにしました。

いつもの実家帰りの
正月行動はとれず
いや、取らず

そんな選択肢もある、と気づきました。

で、ほとんど寝ていて
元日を迎えたわけです。

そしてさきほど暖かい日射しに
誘われて
再びそのお社へ

今日やって来たのは〜
感動、なのです🌕☀️㊗️☀️🌕

何が?

ここに居ること。

ローカルなこの場所、
という意味だけでなく

なんか地球❣️
なんですよ😳😳😳

で、気づけば
かぜはほとんど治ってました。

皆さま
本年もどうぞ
よろしくお願い申し上げます✨✨✨

2019年 初の旅へ✨

(これは「天草の旅(そのゼロ)」の投稿でもある)

今年最初の旅へ✨

2019年1月某日
ひさびさに
国内線飛行機に成田から乗る予定✨
うっれしいな😃

チェンマイゆきで飛行機こわい!
どーしよーっ
と言ってた
2ヶ月前とは別人のワクワクぶり😍😍😍

初めて飛行機搭乗経験は
ほぼ40年近く前

当時 東亜国内航空✨
羽田-仙台往復5万円。

とても親切でよかった思い出がある。

旅が大すき
でもなかなか旅行に出れない、

そして実は冒険も好きだったかも、
の母が「乗ってみたい!」
で、
こわがる父もがんばったのだと思う😳

昨年タイ-チェンマイで乗った
バンコクエアウェイズ、
というのがこれに似て

とても雰囲気とサービスがよくて
嬉しかった💓

そこでチェンマイで
ご一緒した皆さまに
東亜国内航空の名前を出したら
ダレも、知らない!(日本人)

そうかもな〜。
88年からは
日本エアシステム、という名に
変わっています。
ロゴはコレ。

あすは成田第3ターミナルってのに
初めてだ。

荷物を体重計に乗せて
みたが7キロはきびしいなあ。

当時5万円が
今回は1万5千円くらいさ

しかたないよなあ!

今年はこれまでより気軽に
いろんな場所に行きたい🤗🤗🤗

(コチラ へつづく)

3年前の左腕激痛といま✨

3年前のきょう✨
これを書きました😃

この数年前から今に至るまで
外側の旅
内側の旅が
続いています✨

こんな激しい痛みは今はありません。
当時は、これは何なのか
何が起こっているのか
わからなかった。

そして「なぜ」を
追求してもわからない
追求してもはじまらない

そういう時ってある

まさしくあれは
そういう時

追求しても
ただジャッジしたり
責めたり
になってしまう

ただそこにあるものがあるのは
何か理由があるのだと
それが何かすぐにはわからない
こともあるのだと

信頼することだと

今つくづく思います。

この3年前の頃
今の人生に大きな影響を及ぼしている
不調和をひきおこしているものが
掘り起こされ😳

そしてそれがあるからこそ
今ある才能が花開く
過去からの贈り物✨✨

それに今は気づいています。

サトルボディヒーリングのセッション、
常時提供しています✨✨

ご興味ある方
お気軽にお問い合わせくださいませ。

サトルボディヒーリングとは?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

これはここは半月間の左腕激痛日記。
イタリアスペイン日記になかなかたどり着きません。

突然の左激痛から20日経過。

『これはもう癒やされる、回復する』
という感触を得たのが昨日。
ようやく。
ヨカッタ❗️

ピークは12月第1週、ほぼ5日5晩。
真夜中の訪問者⁉︎
ナゾの左腕ナシのような状態、力入らず脱力、麻痺したような感覚、と共に居た。

それは夜中1時頃やってくる。
「これはジブンの腕じゃない』
という感覚。

右手で触ると鉛か何かを触っているようになっていく。
右腕で左腕を持ち上げない限りは全く動かない。
姿勢によっては激痛。

夜中3時。
寝ている姿勢では痛みに絶えられなくなり、リビングの椅子に座る。
朝までそのまま。
一睡も出来ず。
気がつけば声をあげている。
呻き声。痛さのあまり。
ここは戦場か⁉︎という気さえした。

痛み止め、もちろんある。
医者、もちろん行った。
しかし何をやっても効かない。

この感覚を痛いというのかどうかさえわからない気もした、とにかく苦しい。

これが毎晩、一生続いたらどうしよう!
何度もそう思った気がする。
あの時あの痛みより、先のことを考えた時の不安感。治ると信じなくてどーするのだ!という気持ち。

『これまで生きてきて全てのケガ、病気は治ってきたではないかあ!』
『だからぜったい大丈夫!!』
としかりと信じていた、とは言いがたい。

ただ毎晩、
同じ時間に同じ調子でやってくる訪問
に『いやあ〜、今晩も来ましたか。いらっしゃあ〜い!』
というキブンにだんだんなっていった。

招いた覚えはないが、わたしのところにやってくるお客さん。

なにが言いたいのかな
それをこれまで
よく聞いてなかったのかもな、
では今聞こうか、
というキブン。

何せ相手はジブンのカラダ。
何も抵抗せずに感じてました。
ようやく生還。

明日も続いたら、何か対策施そう、
医者でダメならアレとか、コレとか。
と、考えました。

色々教えてくださった皆さま、ほんとにありがとうございました。

結局苦しさピークの時は何もせず、の選択をしました。

そして一昨日、サトルボディヒーリングのインターネットクラスにて、皆さまからの遠隔ヒーリングを受けました。そして昨日、回復を自覚したのです。

サトルボディヒーリング、ほんとに気づきと癒しが促される素晴らしいワークです。

また『見る苦しさ伴わずにラクラクになれる表面ハッピーワーク』でないことも痛感。

そのかわり表面をいじったのでなく、
深いところから自分に触れたものは
『また元に戻ってしまった!』
という思いをせずに済む。

ほんとうに気づいたことは、
それがもう過去のことなら、
また同じ繰り返しが出来なくなる。
という自信と信頼があります。

この痛みの始まりも11月末サトルボディヒーリングクラス受講の前日から。

半月以上(イタリアからだから実は2か月、とらえ方によっては昨年イタリアからだから1年以上だけど)のプロセスが終焉に向かっています。

激痛中の頃
近所の本屋さんにて沢山並んでた、水木しげるさんの本をパラパラとめくりました。

戦争のこと、たくさん漫画や本に書いている水木しげるさん。
偶然開いたページが、ラバウルで左腕落とすことになった場面でした。

負傷のあと、
軍医が左腕切り落とすまでの痛み
が『世の中にこんなに痛いことってあるのかしら』とあり、
いざ切り落とす時には『もはや痛くもなんともなかった』とあり、
なぜか『そうだろう、そうだろう!!』

と共感、理解した気になってしまいました。
ほんとに腕落としたヒトの苦しみには、ほど遠いのでしょうけれど。

タイ瞑想旅行記2017-18❻「つながりたい」という欲望と「親密さ」という本質✨

このワークをしたのは
今からひと月前、11月初旬。
タイに行く、と決めて数日のころだ。

自分の中の内なるふたり、男性性と女性性のエネルギーを見る
スターサファイア エナジーワーク✨💎✨

わたしにとってとても大事なワークだが
タイに行くこと、タイでの瞑想とコレは
直接関係はないと思っていた。

前者は瞑想をベースとしたセラピーであり
後者は座る瞑想そのもの、である。

座る瞑想、と言っても
このボブ フィックス氏の瞑想は

マントラやヤントラの
持つエネルギーが伝わってくる、
という意味では

エネルギーワークのようだ
と感じるところもある。

今年もタイに行く、と決めた数日後に
ヘルパーとして参加したスターサファイア
コース1日目で、以下のようなものを見た。

具体的にタイ行きと関係あることは
2日目に偶然(その時見るべきものが出た、という意味では必然的に)出てきた。

そのためにこの1日目の発見が
下地にあったのだ。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

自分の中にある
「つながりたい」という欲望😳

誰にもあるそうです。
わたし達は母親とつながっていたのが
わかたれて生まれてきたのだから

スターサファイア エナジーワーク✨✨✨
で今日はこれを見ました。

「ひとりあること」が出来るかどうか

それは孤独とか
他と自分が分離してる、ということでなく
人と居ても

自分が自分であること
自分のエネルギーで生きること

最近日々それを試されることに
たくさん出会ってます。

つながっていたいから
ほかの人にエネルギーを投資したり
本来の自分の仕事を脇に置いて
相手を喜ばせようと
サービスしてたりすることに気づく

ああ わたしは自分自身に
戻り
まず自分を大切にして
自分本来の道を歩まなければ

一方
「親密さ」という本質を発揮したい
というのはまた別にあり
それは相手が誰でも、いつでもやらなくていい

どういう関係で居たいか選べるし
(相手はそれに応じるかはわからないが)

そもそも関係性は相手を選ぶことが出来る
選べばよい、
という選択肢があることも
思い出す

ああ 知っていたはずなのに

スターサファイア エナジーワークは
何度も 何度も
思い出させてくれ
気づかせてくれます

よい秋の日でした😃✨

ありがとう💕

2018チェンマイ瞑想の旅終了✨

チェンマイ瞑想の旅より戻りました。✨😃


これまで
複数のセラピーや瞑想

ハート瞑想をベースとした
サトルボディヒーリング✨

内なる男性・女性の成長を見てゆく
スターサファイア✨

Oshoの瞑想
今回行ったボブ フィックス氏の瞑想

どうつながるのやら
わからなかったそれらが
自分の中で境なく
一緒になっていくプロセスを感じています。

そして唄の道も
同じエネルギーを傾けて来た
その過程だったことを
実感しています。

最初の催しは以下の
12月9日のチャクライベントになります。
✴︎✴︎✴︎

自分自身のチャクラのエネルギーを体感する
小人数イベント✨
【チャクライベント】を海の近くで開催します。

自分のチャクラのエネルギーを実際体感してみよう、というイベントです。

体を動かしながらのアクティティヴ瞑想あり、
静かに座りながらガイドしてゆくハート瞑想あり。
そしてそのチャクラで実際起こっていことを見ていくワークあり。

3時間程度の瞑想しながらの体験イベントです。

前後の時間に海を眺めて
愛と受容のハートのスペースを体感する
素敵な休日をお過ごしくださいませ✨

12月9日(日)第4(ハート)チャクラ⬇️

13時〜 葉山(逗子駅よりバス利用 約30分)

https://resast.jp/events/303660

またただいまイベントと
以下のエネルギーワークを同時に
お申込みの場合、
以下のエネルギーワーク代を
¥3,000 割引させていただいております😃

ぜひこの機会にご体験くださいませ。

♡サトルボディヒーリング
→http://reiko.link/サトルボディヒーリングとは?/

🌟スターサファイア
→ http://reiko.link/スターサファイア-エネルギーワークとは?/

※葉山 セッション

12月8日 土曜 11時〜のみ
12月10日 月曜 11時〜、14時〜、17時〜

12月15日土曜 11時〜のみになりました。
12月16日日曜 11時〜、14時〜、17時〜

※我孫子セッションデーは
お問い合わせくださいませ。

ご興味ある方は「問い合わせ」より
お気軽にご連絡くださいませ😃

タイ瞑想旅行記2017❹~ここに至ったこれまでの瞑想の経緯

これを書いている今、
この2017年のチェンマイへの旅からもう1年がすぎている。

そして半月前。
わたしは再びタイはチェンマイのボブ フィックス氏の長期瞑想への参加を決めた。
2018年11月の後半から。長期といっても10日ほどだが。

昨年9月、始めてこのELM瞑想の伝授を友人よーきーから受けたわたしは
どんな瞑想生活になるやら よくわからないままタイに赴いたのだった。

わたしはそれまでOshoの瞑想、特にアクティヴ瞑想のおかげで
リラックスする、そして観照する、自分自身を見る、
ということがわかってきたと感じている。

それまでの過程にはやはりOshoの元で瞑想した先生達による
さまざまなワークや瞑想があった。

最初の入口はオーラソーマ。2007年11月。
ちょうど11年前だ。Oshoの元に居たヌラのコース。
今思えば
これは本当に門を入る、入門のためだった。
オーラソーマの86番、オベロンのボトルで瞑想への扉をくぐった。

そしてまずは自分を救いたい、という思いから
結果、を深めるための出会いとなったのが
ハート瞑想をベースとしたヒーリングである
サトルボディヒーリング。
2010年だった。

ここでハートを感じ、受容のスペースというのを知ったことは本当に大きかった。
先生はOshoの元に居たリーラ、プラサード、アルヴィナ。

そしてやはりOshoの元に居たサガプリヤが創始した
スターサファイアに出会ったのが2013年。
サガプリヤの弟子である まてぃが、
日本で初めてスターサファイアを教え始めたそのコースに参加したのである。

スターサファイアは
自分の中にふたりの人物が居るように、ふたりの人格のように主要なエネルギーが内在し、
どちらかが主導権をとり、その人の人生をふたりで運営し、成長しあう、
という目からウロコ、以上のものが落ち、
それまでまったく聞いたことも見たこともない画期的なエネルギーワークだと感じた。

その自分に内在するふたりインナーマン、インナーウーマンを理解することで
自分への理解と気づきの方法を知ったわたしは
「自分にあった探求の方法に出会うことができた」という喜びと充実感を味わった。

瞑想、それはわたしにとって「自分を探求すること」だったのである。

昨年2017年9月のサガプリヤの来日。
もうこれで最後、とサガプリヤは言っていた。

2015年のイタリアのスターサファイアエナジーワークのギバーとなるコース(2年目)で
「あなたの中のインナーマンがインナーウーマンを攻撃する戦いの人生。
それが今のあなたの人格の基本構造です」
というサガプリヤの言葉に
号泣したわたし。

それまでの苦しみは「自分が自分を攻撃していた」とわかって
大きなショック、しかしこれまでわからなかった苦しみの理由に光があたることは希望を見出した喜びにも溢れた。

そこにあった過去生。それは別の機会に書いた。

それから2年立った昨年。
9月日本でのサガプリヤの5日間のコースは30人以上の探求心に満ち満ちたメンバーで溢れていた。
メンバーの中で最後にサガプリヤはわたしの両足とチャクラ、オーラをリーディングしてくれた。

「レイコ、あなたは最後でよいわね?
わたしはこのメンバーの中であなたのことを直近 最もよく知っているのだから。」

というあの時のサガプリヤのセリフが忘れられない。

そのサガプリヤのリーディングの結果。
わたしのインナーマンがインナーウーマンはもう戦っていなかった。

これも別の場所で述べたが~

戦っていないがしかし。
これがまたショック。

わたしの中のインナーマンとインナーウーマン。
ふたりはつきあってもいない、状態だったのだ。
もちろん一緒に住んでもいない。

この時わたしのインナーマンは「道を楽しそうに歩いている路上生活者」
インナーウーマンは「お屋敷に住みたくさんのモノに囲まれそれらに助けられてる貴族の女性」

生活も価値感も違いすぎるふたり。
そこまで内在する男女に違いがあると、それは普通の男女のつきあいと同様に、
つきあっていくのはむずかしい、とサガプリヤは言う。

じゃあいったいどうしたらいいの?!

それがわたしは知りたい!!

サガプリヤがわたしのインナーマンに尋ねる。
「あなたは彼女のお屋敷に行って一緒に居たい?」

レイコのインナーマン「まあ行ってもいいよ。」

サガプリヤ「彼はさほど行きたくはありません。皆さんも見ててわかりましたよね?」

次にサガプリヤがわたしのインナーウーマンに尋ねる。
「あなたは 彼と一緒に路上で暮らしたい?」

レイコのインナーウーマン「そんなの嫌よ!」

メンバー一同は爆笑。

観照者の席(インナーマンとインナーウーマンのふたりを見ている自分)に戻ったわたしに
サガプリヤは聞いた。

「あなたはどうしたいですか?」

レイコ「わかりません!」

この先の展開はまったく予想していなかった。

サガプリヤの応えはなかなかきびしい、というのがこれまでの感想。

ところがその時の応えは

「じゃあ待ちましょう!」

だった。
拍子抜けするようだった。

成長を待つ、という忍耐。
それも時には必要なのだ。

さて、このサガプリヤの5日間のコースに入る
10日ほど前にボブフィックス氏の瞑想をよーきーから伝授してもらっていた。

ボブフィックス氏初めて会ったのは2ヶ月前の7月だった。

(つづく)

タイ瞑想旅行記 最初のハナシはコチラ ⇒ タイ瞑想旅行記2017➊

スターサファイア エナジーワークとは?