「瞑想」タグアーカイブ

散らばっていた自分のかけらを取り戻す✨

いままたこれ!

悲しいなら
無理に明るさだけを見ることはしない

だからと言って
悲しみにはまりもしない

わたしには
喜びも楽しみもある

どちらもあらしめる

全体であること✨

散らばっていた自分のかけらを
取り戻す

それをやっています😃

-以下、Manish Kazuo NukiiさんのFacebook投稿から引用-

Osho/「祝祭とは感謝だ」

幸せはひとつの極、
悲しみはもう一方の極だ。
至福はひとつの極、
惨めさはもう一方の極だ。
生は両極を含んでいる。
至福だけの生には、
横への広がりはあるが、
深みがない。

悲しみの生には、
深みがあるが、
広がりがない。
悲しみと至福の
両方からなる生は
多くの次元にわたる。
それは同時にすべての
次元のなかを動く。

仏陀の彫像を見てごらん。
あるいは時々、
私の目をのぞき込んでごらん
― あなたは両方を
同時に見出すだろう ―
至福、平安、悲しみもだ。
あなたは悲しみを含んでいる
至福を見出す。

なぜなら、
その悲しみが至福に
深みを与えるからだ。
仏陀の彫像を見守ってごらん
― 至福に満ちている、
が、それでいて
悲しみをたたえている。
<悲しい>というまさに
その言葉が
あなたに何かが悪いという
間違った連想を促す。
これはあなたの解釈だ。

私にとって、
生はその全体においてよいものだ。
そして、
生をその全体において
理解するとき、
そのときにのみ、
あなたは祝うことができる。

さもなければ、
だめだ。
祝祭とは、
何が起ころうとかまわない、
私は祝う、という意味だ。

祝祭は、「幸せなら祝おう」とか、
「不幸せなら祝わない」というように、
ある決まったものごとに
条件付けられるものではない。
祝祭は無条件だ。

私は生を祝う。
生が不幸せをもたらす

― けっこうだ、私はそれを祝う。
生が幸せをもたらす
― けっこうだ、私はそれを祝う。
祝祭が私の態度であり、
生が何をもたらそうとも無条件だ。

しかし、問題が生じる。
なぜなら、
いつであれ私が言葉を使うと、
それらの言葉があなたのマインドに
連想を引き起こすからだ。

私が「祝いなさい」と言うと、
あなたは、
人は幸せで
いなければならないのだ、
と考える。

悲しいのにどうして祝えるのか?と。

私は、人が祝うためには、
幸せでなければならない、
とは言っていない。
祝祭とは、
何であれ生があなたに与えるもの、
何であれ神があなたへ与えるものへの
感謝だ。

祝祭とは謝意だ。
それは感謝だ。

あるスーフィーの神秘家が
とても貧しく、
空腹で見捨てられ、
旅に疲れていた。
夜になって彼はある村へ行ったが、
その村は彼を
受け容れようとしなかった。
その村は保守的な人々の村だった。
そして、保守的な回教徒が
いるとなると、
説得するのは非常に難しい。
彼らは町の中の、
雨をしのぐ小屋さえ
与えようとしなかった。

夜は寒く、
彼は空腹で、疲れ、
着るものも充分になく、
震えていた。
彼は、町はずれの木の下に
坐っていた。
彼の弟子たちは悲しみに
うちひしがれ、
意気消沈し、怒りさえ覚えていて、
そこに坐っていた。

すると、彼は祈り始めた。
神に向かって、彼は言った。
「あなたは素晴らしい!
あなたは常に、何であれ、
私に必要なものを与えてくださる」
これはあんまりだった。

弟子の一人が言った。
「ちょっと待ってください。
それではあまりにも言いすぎです。
とりわけ今夜は。
その言葉は偽りです。
私たちは空腹で、疲れ、着るものが
ないないというのに、
冷たい夜のとばりが降りようと
しているのですよ。
そこらじゅうに、
野生の動物がいるのに
私たちは町から拒絶されているのです。
私たちには小屋さえありません。
あなたは何に対して、
神に感謝の念を
捧げているのですか?
<あなたは常に、何であれ、
私に必要なものを与えてくださる>
というのは、どういう意味ですか?」

神秘家は言った。
「そのとおりの意味だ。
私はもう一度、繰り返す。
神は、何であれ、
必要なものは与えてくださる。
今夜、私には貧しさが必要なのだ。
今夜、私には拒絶されることが
必要なのだ。
今夜、私には空腹になることが、
危険にさらされることが必要なのだ。

さもなければ、なぜ神が私に
それを与えなければならない?
それは欠かすことができない
ものに違いない。
それは必要とされている。
そして、
私は感謝しなければならない。
神は本当に素晴らしく、
私に必要なものの面倒を見てくださる。
神は実に素晴らしい!」
これが、状況にかかわらない態度だ。
状況は関係ない。

祝いなさい,
どんな場合であろうとも。
もし悲しかったら、
あなたは悲しいのだから、
祝いなさい。

これが錬金術の何たるかだ。
― 卑金属を
より質の高い
金属に変えることだ。

悲しみ、
怒り、
嫉妬
こうした卑金属は
金に変容されうる。

Osho













2020年2月22日 ハート瞑想イベント♡我孫子♡

今週土曜22日、
手賀沼のほとりで
小人数のハート瞑想イベントいたします✨😃

ハート瞑想は目を閉じて聴くだけの
ガイド瞑想。

あなたのハートチャクラ💓
そこがどんな場所なのか、
ご自分で感じられ 
表せるところまで
ガイドさせていただきます✨

毎日いろんな人といろんな事、
が起こります。

そしていつものパターンで
それに反応してしまう自分に気づく。

わたしが
よくやって来たのは
相手からナイスな反応が得られないと、自分を変えようとすること。

相手の反応がかんばしくない

→それは何かわたしに非がある、
わたしは間違ってる、充分でない。

→ だから自分を変える必要がある。

→結果「自分ではないもの」になってしまう。

というループにさんざんはまって
ました。

こんな時どうしたらよいのかな?
何を選べばよいんだろ?

「もし~したら、私は自分を愛することができますか?」

これって魔法のような
言葉だと思う。

ホントの自分が戻ってくる。

そして
「自分じゃないナニモノか」になる努力、
なんてまったく必要ない、って気がつく。

ハート瞑想ではそういうのもやります。

そして瞑想は何も時間を取って
目を閉じて座ることとは限らない。

「こんな時どうしたらいいんだろ」

ふだんの生活のそういうシーンで
ハートに聴くことなんだなあ、
って腹の底から実感してます😃

◉ハート瞑想イベント「ハートから見る」inあびこ
・2月22日土曜 12時30分〜14時30分

・常磐線 我孫子駅から徒歩10分の公共施設
(我孫子は上野から約30分)

お申込み、詳細は⬇️


https://resast.jp/events/410038

謹賀新年✨愛の次元へ✨

あけましておめでとうございます🎍🌅

昨年までを振り返って

瞑想にせよ
フラメンコにせよ

いろんな技法
いろんな学びがあるなあ

とこれまでの道のりを
眺めると
目の前が夕焼け、あるいは朝焼け
のような曙だと感じることがあります

これまで色々なものがある
その豊かさを存分に享受して
味わわせてもらい

そしてかつ
何を選べばよいのか
わたしはどの道へ?

わたしにとって信頼できる道は?

そんな迷いや混乱に陥いることも
よくありました。

そんなわたしへの
こたえのひとつが
このOshoの言葉かな✨😘

本年もどうぞよろしく
お願い申し上げます。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
もし誰かを愛していたら、
たとえ相手が
どこかの星にいようとも、
愛の中でその人は
すぐそばにいる。
たとえ相手がもう死んでいようと、
たとえ二人の間に何世紀もの
距離があろうと、
愛に距離は存在しない。

人によっては今も
ブッダのそばにいられる。
二十五世紀もまったく関係ない、
なぜならそれは愛の距離だからだ。

空間的には今ブッダはいない。
その身体は消え失せた。

時間的には
二十五世紀の距離がある。
だが愛に距離は存在しない。
ブッダを愛している人にとっては、
時間的、空間的な距離は
消え失せる。

ブッダは今もここにいて、
あなたはその恩寵を
受け取ることができる。

あなたがブッダのような
人間のすぐそばに
座っているとする。
空間的にもギャップはないし、
時間的にも距離はない。

でも愛がなかったら、
そこには無限の距離がある。

だから、
ブッダと共に生きながら、
何の繋がりも
持たなかった人間もいるし、
また今ここにありながら、
ブッダと繋がりを持っている
人間もいる。

恩寵は愛の次元で起こる。

愛にとっては、
すべてはいつも永遠に現在だ。

だから
愛の中にいれば、
恩寵もまた起こってくる。

愛とは明け渡しだ。
愛していれば、
相手が自分より重要になり、
そして、
相手の生命のために、
死ぬこともできる。

相手に生きていて欲しいから、
自分自身を犠牲にする…
相手が中心となり、
自分は単なる周辺部となる。

少しずつあなたは消え、
いなくなる。
そして相手が残る。

まさにこの瞬間、
恩寵が受け取られる。

だから師というものは、
別に恩寵を
与えてくれる人ではない。

まずは無力な弟子になることだ…
愛の中で全面的に
明け渡している弟子に…。

師はきっとあなたのところへ
やってくる。

弟子に準備ができたとき、
必ず師はやってくる。

物理的に近くにいるか
いないかは関係ない。
あなたに準備ができたとき、
知られざる愛の次元から
恩寵は起こる。

だが恩寵のことを逃げ道と
考えてはいけない。

私の糧の技法があまりに多いので、
みんなはきっと技法のどれかを
試してみるか、
あるいはただ混乱してしまうか
のどちらかだろう。
後者の可能性の方が大きい。

112もの技法を
ひとつ、またひとつ、
またひとつと続けざまに聞いていると、
混乱してしまうに違いない。

途方に暮れてしまう。
こんなにたくさん技法があって、
一体どれを選んだらいいか。

するとこんな考えが
浮かんだりする…
技法のジャングルみたいな
世界に入るよりも、
恩寵「グルグリパ」を
受け取った方がいい。

技法の世界はひどくややこしい、
恩寵を受け取る方が楽だ。

でもそれはあなたには
起こらない…
もしそんなふうに
考えているのであれば。

これらの技法をやってごらん。
誠実にやってみるのだ。

もし失敗しても
その失敗そのものが
あなたの明け渡しとるなるだろう。
それが究極の技法だ。

OSHO

(ManishのFacebook投稿より転載させていただきました)

2019年1月14日 ✨第三チャクライベント🌅

1月14日 チャクライベント-第3チャクラ-
のお知らせ✨

「チャクライベント」とはなんぞや⁇

アクティブな瞑想(身体を動かし、呼吸を使います)や
ハート瞑想(ただ耳を傾けるだけの瞑想)、
そしてワークを通じて
「チャクラのエネルギーを感じてみよう」
という3時間程度の小人数イベントです。

チャクラのエネルギーを
自分自身で感じることが出来るようになると

これまでと違った形で自分を大切にし
自分自身を癒していくことにつながります。

次回は 1月14日、午後1時
葉山にて(JR逗子駅より約30分 バス利用)
第三チャクラをテーマに行います。

ストレス溜まってる!
発散したい!
お酒飲んでクダまきたい!

いわゆる浄化が必要なとき
スッキリしたいとき
とても役立つ

ジベリッシュ瞑想もこのイベント
の中で紹介致します✨

歩いて5分で海に行ける🏖
葉山で
休日の午後✨


ハートにつながり
自分自身のエネルギーに
つながっていきましょう✨😃

詳細、申し込み コチラ⬇️
https://resast.jp/events/311713

3年前の左腕激痛といま✨

3年前のきょう✨
これを書きました😃

この数年前から今に至るまで
外側の旅
内側の旅が
続いています✨

こんな激しい痛みは今はありません。
当時は、これは何なのか
何が起こっているのか
わからなかった。

そして「なぜ」を
追求してもわからない
追求してもはじまらない

そういう時ってある

まさしくあれは
そういう時

追求しても
ただジャッジしたり
責めたり
になってしまう

ただそこにあるものがあるのは
何か理由があるのだと
それが何かすぐにはわからない
こともあるのだと

信頼することだと

今つくづく思います。

この3年前の頃
今の人生に大きな影響を及ぼしている
不調和をひきおこしているものが
掘り起こされ😳

そしてそれがあるからこそ
今ある才能が花開く
過去からの贈り物✨✨

それに今は気づいています。

サトルボディヒーリングのセッション、
常時提供しています✨✨

ご興味ある方
お気軽にお問い合わせくださいませ。

サトルボディヒーリングとは?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

これはここは半月間の左腕激痛日記。
イタリアスペイン日記になかなかたどり着きません。

突然の左激痛から20日経過。

『これはもう癒やされる、回復する』
という感触を得たのが昨日。
ようやく。
ヨカッタ❗️

ピークは12月第1週、ほぼ5日5晩。
真夜中の訪問者⁉︎
ナゾの左腕ナシのような状態、力入らず脱力、麻痺したような感覚、と共に居た。

それは夜中1時頃やってくる。
「これはジブンの腕じゃない』
という感覚。

右手で触ると鉛か何かを触っているようになっていく。
右腕で左腕を持ち上げない限りは全く動かない。
姿勢によっては激痛。

夜中3時。
寝ている姿勢では痛みに絶えられなくなり、リビングの椅子に座る。
朝までそのまま。
一睡も出来ず。
気がつけば声をあげている。
呻き声。痛さのあまり。
ここは戦場か⁉︎という気さえした。

痛み止め、もちろんある。
医者、もちろん行った。
しかし何をやっても効かない。

この感覚を痛いというのかどうかさえわからない気もした、とにかく苦しい。

これが毎晩、一生続いたらどうしよう!
何度もそう思った気がする。
あの時あの痛みより、先のことを考えた時の不安感。治ると信じなくてどーするのだ!という気持ち。

『これまで生きてきて全てのケガ、病気は治ってきたではないかあ!』
『だからぜったい大丈夫!!』
としかりと信じていた、とは言いがたい。

ただ毎晩、
同じ時間に同じ調子でやってくる訪問
に『いやあ〜、今晩も来ましたか。いらっしゃあ〜い!』
というキブンにだんだんなっていった。

招いた覚えはないが、わたしのところにやってくるお客さん。

なにが言いたいのかな
それをこれまで
よく聞いてなかったのかもな、
では今聞こうか、
というキブン。

何せ相手はジブンのカラダ。
何も抵抗せずに感じてました。
ようやく生還。

明日も続いたら、何か対策施そう、
医者でダメならアレとか、コレとか。
と、考えました。

色々教えてくださった皆さま、ほんとにありがとうございました。

結局苦しさピークの時は何もせず、の選択をしました。

そして一昨日、サトルボディヒーリングのインターネットクラスにて、皆さまからの遠隔ヒーリングを受けました。そして昨日、回復を自覚したのです。

サトルボディヒーリング、ほんとに気づきと癒しが促される素晴らしいワークです。

また『見る苦しさ伴わずにラクラクになれる表面ハッピーワーク』でないことも痛感。

そのかわり表面をいじったのでなく、
深いところから自分に触れたものは
『また元に戻ってしまった!』
という思いをせずに済む。

ほんとうに気づいたことは、
それがもう過去のことなら、
また同じ繰り返しが出来なくなる。
という自信と信頼があります。

この痛みの始まりも11月末サトルボディヒーリングクラス受講の前日から。

半月以上(イタリアからだから実は2か月、とらえ方によっては昨年イタリアからだから1年以上だけど)のプロセスが終焉に向かっています。

激痛中の頃
近所の本屋さんにて沢山並んでた、水木しげるさんの本をパラパラとめくりました。

戦争のこと、たくさん漫画や本に書いている水木しげるさん。
偶然開いたページが、ラバウルで左腕落とすことになった場面でした。

負傷のあと、
軍医が左腕切り落とすまでの痛み
が『世の中にこんなに痛いことってあるのかしら』とあり、
いざ切り落とす時には『もはや痛くもなんともなかった』とあり、
なぜか『そうだろう、そうだろう!!』

と共感、理解した気になってしまいました。
ほんとに腕落としたヒトの苦しみには、ほど遠いのでしょうけれど。

タイ瞑想旅行記2017-18❻「つながりたい」という欲望と「親密さ」という本質✨

このワークをしたのは
今からひと月前、11月初旬。
タイに行く、と決めて数日のころだ。

自分の中の内なるふたり、男性性と女性性のエネルギーを見る
スターサファイア エナジーワーク✨💎✨

わたしにとってとても大事なワークだが
タイに行くこと、タイでの瞑想とコレは
直接関係はないと思っていた。

前者は瞑想をベースとしたセラピーであり
後者は座る瞑想そのもの、である。

座る瞑想、と言っても
このボブ フィックス氏の瞑想は

マントラやヤントラの
持つエネルギーが伝わってくる、
という意味では

エネルギーワークのようだ
と感じるところもある。

今年もタイに行く、と決めた数日後に
ヘルパーとして参加したスターサファイア
コース1日目で、以下のようなものを見た。

具体的にタイ行きと関係あることは
2日目に偶然(その時見るべきものが出た、という意味では必然的に)出てきた。

そのためにこの1日目の発見が
下地にあったのだ。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

自分の中にある
「つながりたい」という欲望😳

誰にもあるそうです。
わたし達は母親とつながっていたのが
わかたれて生まれてきたのだから

スターサファイア エナジーワーク✨✨✨
で今日はこれを見ました。

「ひとりあること」が出来るかどうか

それは孤独とか
他と自分が分離してる、ということでなく
人と居ても

自分が自分であること
自分のエネルギーで生きること

最近日々それを試されることに
たくさん出会ってます。

つながっていたいから
ほかの人にエネルギーを投資したり
本来の自分の仕事を脇に置いて
相手を喜ばせようと
サービスしてたりすることに気づく

ああ わたしは自分自身に
戻り
まず自分を大切にして
自分本来の道を歩まなければ

一方
「親密さ」という本質を発揮したい
というのはまた別にあり
それは相手が誰でも、いつでもやらなくていい

どういう関係で居たいか選べるし
(相手はそれに応じるかはわからないが)

そもそも関係性は相手を選ぶことが出来る
選べばよい、
という選択肢があることも
思い出す

ああ 知っていたはずなのに

スターサファイア エナジーワークは
何度も 何度も
思い出させてくれ
気づかせてくれます

よい秋の日でした😃✨

ありがとう💕

2018チェンマイ瞑想の旅終了✨

チェンマイ瞑想の旅より戻りました。✨😃


これまで
複数のセラピーや瞑想

ハート瞑想をベースとした
サトルボディヒーリング✨

内なる男性・女性の成長を見てゆく
スターサファイア✨

Oshoの瞑想
今回行ったボブ フィックス氏の瞑想

どうつながるのやら
わからなかったそれらが
自分の中で境なく
一緒になっていくプロセスを感じています。

そして唄の道も
同じエネルギーを傾けて来た
その過程だったことを
実感しています。

最初の催しは以下の
12月9日のチャクライベントになります。
✴︎✴︎✴︎

自分自身のチャクラのエネルギーを体感する
小人数イベント✨
【チャクライベント】を海の近くで開催します。

自分のチャクラのエネルギーを実際体感してみよう、というイベントです。

体を動かしながらのアクティティヴ瞑想あり、
静かに座りながらガイドしてゆくハート瞑想あり。
そしてそのチャクラで実際起こっていことを見ていくワークあり。

3時間程度の瞑想しながらの体験イベントです。

前後の時間に海を眺めて
愛と受容のハートのスペースを体感する
素敵な休日をお過ごしくださいませ✨

12月9日(日)第4(ハート)チャクラ⬇️

13時〜 葉山(逗子駅よりバス利用 約30分)

https://resast.jp/events/303660

またただいまイベントと
以下のエネルギーワークを同時に
お申込みの場合、
以下のエネルギーワーク代を
¥3,000 割引させていただいております😃

ぜひこの機会にご体験くださいませ。

♡サトルボディヒーリング
→http://reiko.link/サトルボディヒーリングとは?/

🌟スターサファイア
→ http://reiko.link/スターサファイア-エネルギーワークとは?/

※葉山 セッション

12月8日 土曜 11時〜のみ
12月10日 月曜 11時〜、14時〜、17時〜

12月15日土曜 11時〜のみになりました。
12月16日日曜 11時〜、14時〜、17時〜

※我孫子セッションデーは
お問い合わせくださいませ。

ご興味ある方は「問い合わせ」より
お気軽にご連絡くださいませ😃

タイ瞑想旅行記2017-18❺再びタイへ行きます✨きっかけは体感

チェンマイゆき チケットやっと予約した✨😘

3年前 ローマ帰り

昨年 チェンマイ帰りの

閉所恐怖の3たび発症の恐怖
ほかにもガッツリ経験した痛みやら何やらで

なかなか
また飛行機に乗る気になれず
決められなかったのに😳

きっかけは
久方ぶりに見に行った スペイン国立バレエ団✨
東京文化会館5階で
閉所?高所恐怖?再発

で タイで瞑想の旅ゆき決意

怖い思いしたのに なぜよ?
普通は逆にやめると思う

きっと怖さを
体で思い出せたから

体感した自信ゆえ。

体感ってすごいよ😳😳😳

何かが変わらざるをえない。

葉山での定期的セッション開始✨

海蔵寺✨

初めて瞑想を習い
その後の道の礎となった
オーラソーマの先生 ヌラが
特別好きだと言っていた場所

わたしもだいすき😃💕

深い静けさと
薄いピンク色や薄紫から出てくるような
繊細さと優しさ
細い線がふるふるするような

じぃっと大事にしたい感覚

今日は
ふと道を戻り
海蔵寺 岩船地蔵堂もお参り

そしたらビックリ!

そのお地蔵さまの湛えている雰囲気が
ヌラの優しさそのもので

解説見たら
源 頼朝 の娘 大姫の守り本尊であったと。
いいなづけとの仲をひきさかれ
傷心の内に亡くなった姫だそうです

これを知って
ヌラがここが好きだったのは
当然なんだな と
ストンと納得しました

ヌラが繊細さや優しさと同時に
持っていたチカラ強さや生き生きした質が
またあったことも思い出しました。

今月からまた
アクティブな瞑想やワークを通じて
チャクラのエネルギーを体験する
チャクライベント✨
再開します

自分が生きるのを助けられてきた
瞑想をベースとしたワークをシェア致します✨✨✨

葉山での以下のふたつのエナジーワークの
定期的なセッションデー

♡サトルボディヒーリング
→http://reiko.link/サトルボディヒーリングとは?/

🌟スターサファイア
→ http://reiko.link/スターサファイア-エネルギーワークとは?/

もオープン致します😃✨

10月の葉山でのセッションデー✨
13日土曜
14日日曜
15日月曜
20日土曜
28日日曜
29日月曜

時間: 11時〜 14時〜 17時〜

ご興味ある方は
「問い合わせ」より
お気軽に お問い合わせくださいませ😃

突発性難聴日記😮 その5/ヌラの贈り物

ところで
オーラソーマを習うなら
唯一ヌラ、と思っていた。

セッションを人さまに提供するというより
自分のために習う、
あくまで自分の瞑想のため
(瞑想をまだよく知らなかった当時はそんな言葉を使って説明できなかったけれど)

そんなわたしの目的を
素晴らしい、とチカラづけてくれたヌラ。

自分を受容する
ジャッジしない
起こることを楽しむ

そして何より
「癒しの感覚」というものを
教えてくれた最初の人。

まさしくわたしがその渦中に入ったとき
初めての感覚に
「これは一体何なのですか」
と聞いた。

瞑想的な場ではあったが
何かワークやセッションの最中ではない。

ただグループの皆と共に過ごし
輪になって話しているような時にそれは起こった。

ヌラは
「それが癒しの感覚」です
と応えた。

わたしは号泣。
びっくり そして感動。
これまで知らなかった感覚を知って
驚いたのだ。

わたしにとっては
世紀の大発見だった。

ただ知識として知っている、知らないを
まったく超越した次元の 知る、だった。

これを本当の意味での理解
と言うのだ
ということをかなり後から知った

突然真実に触れた瞬間、
とも言える。

一緒に居たコースの仲間達も
ほぼ同時に泣いているか
またそこから
何かが起こって大変な状態になったメンバーも居た。

そのときわたしがヌラに言われて
選んだオーラソーマボトルは
23番。

愛と光。

落ち着いたピンクのまさしく癒しのボトルだった。

10人弱のコースメンバー全員、
その場で「癒しの感覚」を
明確に共有した一生忘れられないこの場面を
体験したのが

この歯医者に行った数日後だったのである。

わたしはその後
結局オーラソーマからは離れ
サトルボディヒーリングの学びに進んだが

この2007年のヌラのコースの時に
「癒しというのは 起こるもの」
という感覚をがっちりと掴んだのだった。

そもそもは
何かヒーリングと呼ばれる施術をして
でなく

起こるもの。

その例として4月に
こんな記事を書いていた
 ↓
「羽生結弦くんによって起こったヒーリング」

ヒーリングとは何かの理解
それは起こすのでなく起こる、と知ること

それこそ
わたしが望んでいたものだった。

ハートの優しさが溢れた女神さまの
ように感じたそのヌラのコースで
受け取ったその絶対的な感覚は

結果的に その後のヒーリングの
学びの礎となった。

そのヌラはもう2年前か?
来日中に突然にこの世を去った。

ショックと驚き。
ヒトはいつまでも生きてるわけじゃないない。
当たり前であることを忘れていた。

突然何かが起こる。

「人生ってそういうものです」
ヌラのあのコースのときのセリフが蘇った。

コース中に
近くに救急車が止まり
それについて ハートが動揺した、
と あるメンバーがシェアしたことを受けてのセリフだった。

とてもきっぱりとしていたのが
印象的で忘れられない。

私達はそういう人生を生きている、と。

ヌラの亡くなった病状に
ついて わたしはよく知らないのだが
最初は 歯から、とも聞いた。

これを結びつけて
考える必要もないだろうが

歯の治療って大事だな
と思わされる出来事でもあった。

さて
でその歯医者、今のハナシだ。
(つづく)

※最初のハナシは「突発性難聴日記 その1」