「イタリア」タグアーカイブ

3年前の左腕激痛といま✨

3年前のきょう✨
これを書きました😃

この数年前から今に至るまで
外側の旅
内側の旅が
続いています✨

こんな激しい痛みは今はありません。
当時は、これは何なのか
何が起こっているのか
わからなかった。

そして「なぜ」を
追求してもわからない
追求してもはじまらない

そういう時ってある

まさしくあれは
そういう時

追求しても
ただジャッジしたり
責めたり
になってしまう

ただそこにあるものがあるのは
何か理由があるのだと
それが何かすぐにはわからない
こともあるのだと

信頼することだと

今つくづく思います。

この3年前の頃
今の人生に大きな影響を及ぼしている
不調和をひきおこしているものが
掘り起こされ😳

そしてそれがあるからこそ
今ある才能が花開く
過去からの贈り物✨✨

それに今は気づいています。

サトルボディヒーリングのセッション、
常時提供しています✨✨

ご興味ある方
お気軽にお問い合わせくださいませ。

サトルボディヒーリングとは?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

これはここは半月間の左腕激痛日記。
イタリアスペイン日記になかなかたどり着きません。

突然の左激痛から20日経過。

『これはもう癒やされる、回復する』
という感触を得たのが昨日。
ようやく。
ヨカッタ❗️

ピークは12月第1週、ほぼ5日5晩。
真夜中の訪問者⁉︎
ナゾの左腕ナシのような状態、力入らず脱力、麻痺したような感覚、と共に居た。

それは夜中1時頃やってくる。
「これはジブンの腕じゃない』
という感覚。

右手で触ると鉛か何かを触っているようになっていく。
右腕で左腕を持ち上げない限りは全く動かない。
姿勢によっては激痛。

夜中3時。
寝ている姿勢では痛みに絶えられなくなり、リビングの椅子に座る。
朝までそのまま。
一睡も出来ず。
気がつけば声をあげている。
呻き声。痛さのあまり。
ここは戦場か⁉︎という気さえした。

痛み止め、もちろんある。
医者、もちろん行った。
しかし何をやっても効かない。

この感覚を痛いというのかどうかさえわからない気もした、とにかく苦しい。

これが毎晩、一生続いたらどうしよう!
何度もそう思った気がする。
あの時あの痛みより、先のことを考えた時の不安感。治ると信じなくてどーするのだ!という気持ち。

『これまで生きてきて全てのケガ、病気は治ってきたではないかあ!』
『だからぜったい大丈夫!!』
としかりと信じていた、とは言いがたい。

ただ毎晩、
同じ時間に同じ調子でやってくる訪問
に『いやあ〜、今晩も来ましたか。いらっしゃあ〜い!』
というキブンにだんだんなっていった。

招いた覚えはないが、わたしのところにやってくるお客さん。

なにが言いたいのかな
それをこれまで
よく聞いてなかったのかもな、
では今聞こうか、
というキブン。

何せ相手はジブンのカラダ。
何も抵抗せずに感じてました。
ようやく生還。

明日も続いたら、何か対策施そう、
医者でダメならアレとか、コレとか。
と、考えました。

色々教えてくださった皆さま、ほんとにありがとうございました。

結局苦しさピークの時は何もせず、の選択をしました。

そして一昨日、サトルボディヒーリングのインターネットクラスにて、皆さまからの遠隔ヒーリングを受けました。そして昨日、回復を自覚したのです。

サトルボディヒーリング、ほんとに気づきと癒しが促される素晴らしいワークです。

また『見る苦しさ伴わずにラクラクになれる表面ハッピーワーク』でないことも痛感。

そのかわり表面をいじったのでなく、
深いところから自分に触れたものは
『また元に戻ってしまった!』
という思いをせずに済む。

ほんとうに気づいたことは、
それがもう過去のことなら、
また同じ繰り返しが出来なくなる。
という自信と信頼があります。

この痛みの始まりも11月末サトルボディヒーリングクラス受講の前日から。

半月以上(イタリアからだから実は2か月、とらえ方によっては昨年イタリアからだから1年以上だけど)のプロセスが終焉に向かっています。

激痛中の頃
近所の本屋さんにて沢山並んでた、水木しげるさんの本をパラパラとめくりました。

戦争のこと、たくさん漫画や本に書いている水木しげるさん。
偶然開いたページが、ラバウルで左腕落とすことになった場面でした。

負傷のあと、
軍医が左腕切り落とすまでの痛み
が『世の中にこんなに痛いことってあるのかしら』とあり、
いざ切り落とす時には『もはや痛くもなんともなかった』とあり、
なぜか『そうだろう、そうだろう!!』

と共感、理解した気になってしまいました。
ほんとに腕落としたヒトの苦しみには、ほど遠いのでしょうけれど。

タイ瞑想旅行記2017❹~ここに至ったこれまでの瞑想の経緯

これを書いている今、
この2017年のチェンマイへの旅からもう1年がすぎている。

そして半月前。
わたしは再びタイはチェンマイのボブ フィックス氏の長期瞑想への参加を決めた。
2018年11月の後半から。長期といっても10日ほどだが。

昨年9月、始めてこのELM瞑想の伝授を友人よーきーから受けたわたしは
どんな瞑想生活になるやら よくわからないままタイに赴いたのだった。

わたしはそれまでOshoの瞑想、特にアクティヴ瞑想のおかげで
リラックスする、そして観照する、自分自身を見る、
ということがわかってきたと感じている。

それまでの過程にはやはりOshoの元で瞑想した先生達による
さまざまなワークや瞑想があった。

最初の入口はオーラソーマ。2007年11月。
ちょうど11年前だ。Oshoの元に居たヌラのコース。
今思えば
これは本当に門を入る、入門のためだった。
オーラソーマの86番、オベロンのボトルで瞑想への扉をくぐった。

そしてまずは自分を救いたい、という思いから
結果、を深めるための出会いとなったのが
ハート瞑想をベースとしたヒーリングである
サトルボディヒーリング。
2010年だった。

ここでハートを感じ、受容のスペースというのを知ったことは本当に大きかった。
先生はOshoの元に居たリーラ、プラサード、アルヴィナ。

そしてやはりOshoの元に居たサガプリヤが創始した
スターサファイアに出会ったのが2013年。
サガプリヤの弟子である まてぃが、
日本で初めてスターサファイアを教え始めたそのコースに参加したのである。

スターサファイアは
自分の中にふたりの人物が居るように、ふたりの人格のように主要なエネルギーが内在し、
どちらかが主導権をとり、その人の人生をふたりで運営し、成長しあう、
という目からウロコ、以上のものが落ち、
それまでまったく聞いたことも見たこともない画期的なエネルギーワークだと感じた。

その自分に内在するふたりインナーマン、インナーウーマンを理解することで
自分への理解と気づきの方法を知ったわたしは
「自分にあった探求の方法に出会うことができた」という喜びと充実感を味わった。

瞑想、それはわたしにとって「自分を探求すること」だったのである。

昨年2017年9月のサガプリヤの来日。
もうこれで最後、とサガプリヤは言っていた。

2015年のイタリアのスターサファイアエナジーワークのギバーとなるコース(2年目)で
「あなたの中のインナーマンがインナーウーマンを攻撃する戦いの人生。
それが今のあなたの人格の基本構造です」
というサガプリヤの言葉に
号泣したわたし。

それまでの苦しみは「自分が自分を攻撃していた」とわかって
大きなショック、しかしこれまでわからなかった苦しみの理由に光があたることは希望を見出した喜びにも溢れた。

そこにあった過去生。それは別の機会に書いた。

それから2年立った昨年。
9月日本でのサガプリヤの5日間のコースは30人以上の探求心に満ち満ちたメンバーで溢れていた。
メンバーの中で最後にサガプリヤはわたしの両足とチャクラ、オーラをリーディングしてくれた。

「レイコ、あなたは最後でよいわね?
わたしはこのメンバーの中であなたのことを直近 最もよく知っているのだから。」

というあの時のサガプリヤのセリフが忘れられない。

そのサガプリヤのリーディングの結果。
わたしのインナーマンがインナーウーマンはもう戦っていなかった。

これも別の場所で述べたが~

戦っていないがしかし。
これがまたショック。

わたしの中のインナーマンとインナーウーマン。
ふたりはつきあってもいない、状態だったのだ。
もちろん一緒に住んでもいない。

この時わたしのインナーマンは「道を楽しそうに歩いている路上生活者」
インナーウーマンは「お屋敷に住みたくさんのモノに囲まれそれらに助けられてる貴族の女性」

生活も価値感も違いすぎるふたり。
そこまで内在する男女に違いがあると、それは普通の男女のつきあいと同様に、
つきあっていくのはむずかしい、とサガプリヤは言う。

じゃあいったいどうしたらいいの?!

それがわたしは知りたい!!

サガプリヤがわたしのインナーマンに尋ねる。
「あなたは彼女のお屋敷に行って一緒に居たい?」

レイコのインナーマン「まあ行ってもいいよ。」

サガプリヤ「彼はさほど行きたくはありません。皆さんも見ててわかりましたよね?」

次にサガプリヤがわたしのインナーウーマンに尋ねる。
「あなたは 彼と一緒に路上で暮らしたい?」

レイコのインナーウーマン「そんなの嫌よ!」

メンバー一同は爆笑。

観照者の席(インナーマンとインナーウーマンのふたりを見ている自分)に戻ったわたしに
サガプリヤは聞いた。

「あなたはどうしたいですか?」

レイコ「わかりません!」

この先の展開はまったく予想していなかった。

サガプリヤの応えはなかなかきびしい、というのがこれまでの感想。

ところがその時の応えは

「じゃあ待ちましょう!」

だった。
拍子抜けするようだった。

成長を待つ、という忍耐。
それも時には必要なのだ。

さて、このサガプリヤの5日間のコースに入る
10日ほど前にボブフィックス氏の瞑想をよーきーから伝授してもらっていた。

ボブフィックス氏初めて会ったのは2ヶ月前の7月だった。

(つづく)

タイ瞑想旅行記 最初のハナシはコチラ ⇒ タイ瞑想旅行記2017➊

スターサファイア エナジーワークとは?

スターサファイア✴︎イタリアでの2年目のコース✨

暴挙というほどのチャレンジ✨

がいつもついてまわっていました。

スターサファイアエナジーワーク、

常時オープンしています😃✨

「お問い合わせ」より
ご質問、ご相談お気軽にどうぞ。

✴︎✴︎✴︎3年前の今日✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
サガプリヤのセラピー、スターサファイアのコースが始まってきょうで3日目。
14日間のコースなのであと11日。あるのですが、私はもう帰ってもいい!と思うほど満足しています。

セッションによってなぜ今回、ここに来たか目的がわかりました。
昨年つらくてつらくて今年はやめようかとかなり思案の末来ました。来てよかった!

それでもまったく予想しなかったことは起こるもので~。
セッション出来るほどの英語力ないReikoが、イタリア人とスペイン語と英語のちゃんぽんでセッションする、という大チャレンジ。
いくら似ているとはいえ、スペイン語とイタリア語は別の言語だしぃいいい、といいつつとにかく決行!サガプリヤもこの大暴挙には笑ってました。
イタリア語通訳の方は、うーん、といいつつ「まあ日本語よりは似てるから!(イタリア語と)」とやってくれました。感謝感謝!

なんだかドローレスアグヘータの家にレッスンのため、ひとりで勇気だして訪ねていった、あのほんの5日前の大チャレンジと同じ感覚でした。
写真はここでの唄の練習場所。馬が聞いてるみたい。

突発性難聴日記😮その3/鍼治療

さすさすさす。

アタマや首をさする優しい音。
あ〜ゆるむ。
指圧とか 色々苦手なわたしには
代わりにさすってくれた。

この治療院では鍼の前に
そういう時間があった。

優しいっていいね!
うん、自分をいつもさすってあげたい、
と思った。

涙が出てきた。

やっぱり
疲れてたんだな
まだまだがんばってたんだな

そんなことに気づいた瞬間だった。

あ〜もうあまり来ることないと
思ってた新橋で。

ところで
なんだか右の奥歯から
何やら出てきてる気がする

右眼だけで書類を見ると
なんだかボケている。

耳が左なら
それらは右。

かつて覚えのあるカラダの不具合箇所が
いま再度もの申す。

そんな感じだ。

実は右の奥歯は
昨年タイの瞑想から帰って来て
痛みがあり
近所の歯医者に駆け込んだところだった。

その時確か
「抜くしかないだろう」
と言われた。

しかしながら
その歯医者からは怖くなって
逃げるように
出て来たのだった。

清潔で 親切で 優しく 丁寧な
歯医者さんだったと思う。

それなのに。

わたしが怖かったのは
顔にかけられたタオル!

もちろん言って
とってもらったのだが

心臓のバクバクは止まらず、
その歯医者の近くを通るのさえ
しばらく怖かった。

わたしは2年半前にイタリアから
帰って来る飛行機の中で
初めて閉所恐怖を発症した。

その2、で書いた
イタリアに居るサガプリヤの元で

スターサファイア エナジーワークを
学ぶためのイタリア行きだった。

成田に着く1時間前に
急に飛行機の狭さを感じ
「降ろしてくれーっ!」と
叫びたくなるように感じた恐怖。

それをなんとか乗り切れたのは
車中で「ハート瞑想」をしていたおかげだった。
それについてはまた別に。

あの頃は2度と飛行機に乗れない、
そう思っていた。

それが昨年9月
性懲りもなく 飛行機に乗った!

タイのボブ フィックス氏の
元での長期瞑想の一端に
友人 よーきーが誘ってくれたから、である。

このタイ行きは
わたしにとってとても大事な機会だった。

自分がよくも都合よく
コロリと 飛行機の中での恐怖を忘れらていられた、
と思う。

で、タオル掛けの恐怖から
逃げてきたあとは
痛みもおさまり またわたしは右奥歯を
放置していたのだった。

(その4 へつづく)

※最初のハナシは「突発性難聴日記 その1」

突発性難聴日記😮 その2/鍼治療

突発性難聴日記 その2

「とにかく早く」
「できれば48時間以内」
に治療せよ、のネット情報に触れ
マインドはぐるぐるぐる。

近所の耳鼻科に行った3日後には
突発性難聴専門とうたう
鍼治療院に行った。

懐かしい!
ココは
サラリーマンの聖地
(とレイコは思ってる)
新橋ではないか。

なぜ懐かしいかと言うと
それはかつてシャカリキに
ハードに 倒れるほど

サバイバルのために働いていた
わたしの男性性を象徴するような場所
だからである。

わたしは
自分の内なるふたり
男性性・女性性のエネルギーを見て
これまで これからの人生道程上の
成長を促すエネルギーワーク

スターサファイアと
その創始者であるサガプリヤとの出会いが
わたしに大きな影響を与えた。

サガプリヤの初セッションを受けたのは
2014年の7月。

※写真はサガプリヤ

この時のわたしの女性性は
「ぶるぶると恐怖に震え
穴に逃げかえる 白ウサギのような」ヒト、

対する男性性は
「その白ウサギをエゴで喰わす
サバイバルを担当する ハードに働いてきた」ヒト、だったのである。

そのハードな働き方が
サガプリヤからみたら
ジャパニーズサラリーマン、
つまり
「あなたの男性性はまるで
新橋のサラリーマンね」
というイメージだったのだ。

その後わたしの中のふたりは
かなりの様変わりをしている。

男性性は
もう好きでもないのに
ハードにやっていた仕事を手放し
好きな冒険に出

女性性は
穴に隠れず 自分のやりたいことを
やり始め
鼻開き始めたのである

だからもう新橋とは無縁、
と思っていた。

想像した通り
その治療院の院長先生は
元サラリーマン。

見た目も想像通り。

自分が難聴が治らず
鍼灸師に転身したそうだ。

その経験から出てくる言葉は
なかなか説得力がある。

「忙しい生活を見直してね。
ストレスを溜めないようにね。」
先生は言う。

もうわたしは
かつてのような忙しい生活はしていない。

勤め人時代の
大昔は
100時間残業なんてやってたし

同じ仕事でフリーとなった
小昔も
締切日イノチ、最優先
のハードな働きぶりだった。

その時代から見たら
唄ってやりたいことをやって
やりたい放題、
と思っていた。

それが今
突発性難聴で新橋ねー。

これは原因わからぬ病気だそうだ。
ウイルス説、血行わるいから説、
があるらしい。

とにかく疲れ、ストレスからとも言われている。

(その3 へつづく)

※最初のハナシは その1 へ。

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その27

3日間のローマから日本帰国までの奮闘記
の後日談ーその4、である。

ハナシは後日談その2(=トータル その25)
からこちらへ続く。
(前話その3は、その日その前のFlamenco体験です)

DSC_0798

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
鎮痛剤まったく効果ナシの
この劇痛!

また真夜中になれば
やってくるのだろうか?
夜が来るのが恐怖だ。

とりあえず医者の言う
検査を受けるしかないだろう。

受けるのはCTスキャンではなく
MRIだった😳。

どちらも筒の中に入って撮影、
というイメージだったが、
MRIは時間がかかる。

筒に入っている時に
音もかなりうるさいらしい、
と聞いていた。

翌日また医者に行って
鎮痛剤はまったく無効、と告げ
その足で検査機関へ。

検査場にて。

うわあーっ。
この筒に入るのかあああ😳❗️

首を撮影するのだから
顔も筒に入ることになる。

いやだなあ・・・

「中に入ると うるさいので
これを使ってください」

と、ヘッドホンみたいのを渡された。
やっぱりうるさいんだあ。

そして〜。
「何かあったらこのボタンを
押してください」

ゴー。
筒に入る音だ!

即座にボタンを押した。

こんな狭いところに、
密閉感のあるところにとても入れない‼️

ローマからの帰路、
成田まであと1時間時点での
あの強烈な恐怖を思い出した!

わたしは閉所恐怖があるのだと、
ようやくこの時気づいた。

結局 検査着を着て脱いだだけ。
何もせずにもとの医者に戻ってこれを報告。

医者は
「・・・では様子を見てください」
というしかないのだろう。

もう万事休す、か?

ところでその翌日から
ハート瞑想をベースに
cakraのエネルギーに働きかける
サトルボディヒーリング、

わたしはこれのギバーなのだが
そのコースの再受講をする予定であった。

しかしこの調子では受講出来るか
どうかも危ぶまれた。

翌朝、奇跡的に起きれて
とにかくサトルボディヒーリングの
コース会場、鎌倉に辿り着く。

ただチャクラの前後に手を置く。
これが今の自分には
痛くてなかなか出来ない。

ふだん居るセドナから
日本に来て、このコースを教えている
プラサードとアルヴィナ。

ティーチャーである彼らに事情を相談した。
わたしが予想したアドバイスは
「無理するな、やめとけ」

後から思えば予想というより
そう言って欲しかっただけ!

意外にもプラサードは
「出来るだけやってみるとよい」
で実際、瞑想しながら進むと
手もそれなりに動いたのが不思議だった!

しかし痛いものはやはり痛い‼️

3日目、パートナーと組んでヒーリングを
受けるとき、
この左腕の痛みは絶頂。

あまりにわたしが痛がっているので
パートナーはプラサードに
「やめた方がよいか?」
と相談しにいった。

サトルボディヒーリングは、ハートチャクラの受容性、そしてシンクロ二シティのスペースをベースにしているからこそ
パートナーの働きかけも有効になる。

適切な判断もハートからやってくる。
それはいつも 今この時に必要なことを示してくれる。
わたしはそれに全幅の信頼を
置いている。

それでもわたしの
「痛い痛い‼️」の派手な訴えに
パートナーはプラサードに判断を相談した。

この時、やはりプラサードは
「痛くても働きかけてOK。
腕はハートに繋がっているのだから
これはハートチャクラに
起こっていることだろう。」

やっぱり!😳😳😳
が感想だったが
痛いんだから、やめとけ、
と言って欲しかったジブンが居る。

わたしの痛みに触らないで!
これ以上刺激しないで!

という気持ちと
この痛みに変容をもたらしたい気持ちと。

しかし、あの筒に入るような恐怖
とはちがう。

ジブンの痛みを見る恐怖だ!

わたしはジブンのハートに聞いた。

やってほしい。

それが答えだった。

(その28に続く)

前のハナシは
上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その22

DSC_0833

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
さあ、
わたしはかくして
成田空港に降り立った!
感動だ✨✨✨

前に見えるはパスポートコントロール。
「日本人 帰国」の
表示が輝いて見える。

お買い物用布バックから
「帰国のための渡航書」を出して
手に持ち ウキウキと列に並ぶ。

ドーハの空港の荷物検査場では
機械に通すのに手提げのひもを
結んで 開いて、
がタイへンだったこの布バック。
ああ、そんなことも感慨深い。

さて、わたしの番だ。
ここまでくれば
今度こそ こちらのもの❣️

もう何も心配いらない、
とゆうゆうとしたキブンで
渡航書を出す。

「・・・(渡航書見ながらしばし無言)」

係の人、当然日本人だなぁ、
なんてことまで感慨深い。

しばらくしてこちらに目をあげたので
またかくかくしかじか、
の説明を求められるかと思いきや。

「すみませんが、この書類の方はココでは
受けつけられないんです。」

「え!(ココでまた一難か?)」
ドキリである。
何かと心臓によろしくない。

「では何処へ?」

「あちらの出国ゲートで聞いてください。」

指し示されたのは
パイロットや客室乗務員さんが出入りしている、一番はじにある、
いわゆるスタッフ用ゲートである。
皆すーすーと通過、しているように見える。
待つ、という姿なく、
列なんてもちろんない。

おおお。
こんな出口から出るチャンスも
今回限りかも。

いそいそとソチラへ移動。
で、また渡航書を見せる。
係の人「お預かりしますので、
こちらでお待ちください」
と、椅子をすすめてくれた。

てことは時間がかかるのか!?
ふたたび不安。

待つこと約10分近く。

渡航書を持って係の人が
戻ってきた。

「お待たせしました。どうぞ!」
というコトで無事通過。

何の質問もなく、
書類には「帰国」のスタンプが
押されていることを確認。

今度こそ!
無事帰国した!と言ってよいのだろう、
と思いつつ。
預けた大きな荷物が
無事に今受けとれることを祈りつつ。

荷物も無事に出た!

あとは税関通過のみ。
いつもながら税金がかかるほどの
買い物などしていない。

だからパスポート、
いやこの渡航書を見せて
ただ通過するだけ
のはず。

(その23に続く)
その23
⭐️前のハナシは
上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

3.11の地震とサトルボディヒーリング。

今年の3.11は唄ってた✨
感謝✨✨✨

あの年あの日は

サトルボディヒーリングの
コースを受講中で

三浦半島の
宿泊していた先が
そのまま避難所となり

グループごとに
宴会場でざこ寝😳

地震以前に
それまで見ることが出来なかった
ジブンの中にあるものを

見てしまった!
見てしまうぞ!

という感覚で
苦しんでうんうん寝られなかったので

この宴会場のざこ寝で
ようやく安心して熟睡したのだった👀

今思えば
あれは信頼✨のスペースだった。

サトルボディヒーリングは

そのヒトの本質が何かを見て

その本質につながるのに
妨げになるようバランスの乱れた
チャクラのエネルギーを
元の流れに戻し
本来のジブンに戻るためのもの。

自分の困難な状況、
受容して抱きしめる✨

するとエネルギーが動き出す✨✨

あの頃から練習して
そしたら
今まで出てこれなかったものが
ドンドン出て来た😳😳😳!

そんな最初の時期だった。

あの地震で
明日からのこのコースを
どうするか。

そんなハナシになった。

色んな意見があって、
まったく歩みよれないと
感じるような違いもあり。

それをハッキリ言うヒトもいたし
違うと感じても表現しないヒトも居た。
わたしは言った気がするが
ほかにも
もっともっとあった気もする。

で、
別に誰かの意見を優先したとか
誰かが妥協したわけでもなく
何かしら自然な流れはこう、
というのが出来たと思う。

その中で各人が「こうしたい」
ということ、やったと思う。

ということでわたしは一旦
家に帰った。

これが他の人の意見がどうであれ
「こうしたい」を
実行する、
言いたいことを言わない、言えない、
状況を破る

地震後最初のトレーニング
だったかも。

地震後数日。
計画停電などと言うハナシ。

色んなものの自粛、
特に歌舞音曲、みたいなハナシ。

「それでもFlamencoやるの⁉︎
今この状況で❗️」

というのがコース後
すぐにやってきた。

わたしはやりたかった。
関わりのあるものは、選べるならやる。

で、やった。

逆の意見のヒトと
真向意見を戦わせた。

疲れたが愛を感じた✨

日和見のヒトには感じられないものだった。

今はそれも
戦う必要なんてなかった、と思う。

あの頃よりは
マシな対応できる、かもしれない😆😆😆

わたしの中の戦いの
今年の3.11は唄ってた✨
感謝✨✨✨

あの年あの日は

サトルボディヒーリングの
コースを受講中で

三浦半島の
宿泊していた先が
そのまま避難所となり

グループごとに
宴会場でざこ寝😳

地震以前に
それまで見ることが出来なかった
ジブンの中にあるものを

見てしまった!
見てしまうぞ!

という感覚で
苦しんでうんうん寝られなかったので

この宴会場のざこ寝で
ようやく安心して熟睡したのだった👀

今思えば
あれは信頼✨のスペースだった。

サトルボディヒーリングは

そのヒトの本質が何かを見て

その本質につながるのに
妨げになるようバランスの乱れた
チャクラのエネルギーを
元の流れに戻し
本来のジブンに戻るためのもの。

自分の困難な状況、
受容して抱きしめる✨

するとエネルギーが動き出す✨✨

あの頃から練習して
そしたら
今まで出てこれなかったものが
ドンドン出て来た😳😳😳!

そんな最初の時期だった。

あの地震で
明日からのこのコースを
どうするか。

そんなハナシになった。

色んな意見があって、
まったく歩みよれないと
感じるような違いもあり。

それをハッキリ言うヒトもいたし
違うと感じても表現しないヒトも居た。
わたしは言った気がするが
ほかにも
もっともっとあった気もする。

で、
別に誰かの意見を優先したとか
誰かが妥協したわけでもなく
何かしら自然な流れはこう、
というのが出来たと思う。

その中で各人が「こうしたい」
ということ、やったと思う。

ということでわたしは一旦
家に帰った。

これが他の人の意見がどうであれ
「こうしたい」を
実行する、
言いたいことを言わない、言えない、
状況を破る

地震後最初のトレーニング
だったかも。

地震後数日。
計画停電などと言うハナシ。

色んなものの自粛、
特に歌舞音曲、みたいなハナシ。

「それでもFlamencoやるの⁉︎
今この状況で❗️」

というのがコース後
すぐにやってきた。

わたしはやりたかった。
関わりのあるものは、選べるならやる。

で、やった。

逆の意見のヒトと
真向意見を戦わせた。

疲れたが愛を感じた✨

日和見のヒトには感じられないものだった。

今はそれも
戦う必要なんてなかった、と思う。

あの頃よりは
マシな対応できる、かもしれない😆😆😆

わたしの中の戦いの
エネルギー。

そんなエネルギーを薄々感じてはいたが、
2015年、イタリアで
今年の3.11は唄ってた✨
感謝✨✨✨

あの年あの日は

サトルボディヒーリングの
コースを受講中で

三浦半島の
宿泊していた先が
そのまま避難所となり

グループごとに
宴会場でざこ寝😳

地震以前に
それまで見ることが出来なかった
ジブンの中にあるものを

見てしまった!
見てしまうぞ!

という感覚で
苦しんでうんうん寝られなかったので

この宴会場のざこ寝で
ようやく安心して熟睡したのだった👀

今思えば
あれは信頼✨のスペースだった。

サトルボディヒーリングは

そのヒトの本質が何かを見て

その本質につながるのに
妨げになるようバランスの乱れた
チャクラのエネルギーを
元の流れに戻し
本来のジブンに戻るためのもの。

自分の困難な状況、
受容して抱きしめる✨

するとエネルギーが動き出す✨✨

あの頃から練習して
そしたら
今まで出てこれなかったものが
ドンドン出て来た😳😳😳!

そんな最初の時期だった。

あの地震で
明日からのこのコースを
どうするか。

そんなハナシになった。

色んな意見があって、
まったく歩みよれないと
感じるような違いもあり。

それをハッキリ言うヒトもいたし
違うと感じても表現しないヒトも居た。
わたしは言った気がするが
ほかにも
もっともっとあった気もする。

で、
別に誰かの意見を優先したとか
誰かが妥協したわけでもなく
何かしら自然な流れはこう、
というのが出来たと思う。

その中で各人が「こうしたい」
ということ、やったと思う。

ということでわたしは一旦
家に帰った。

これが他の人の意見がどうであれ
「こうしたい」を
実行する、
言いたいことを言わない、言えない、
状況を破る

地震後最初のトレーニング
だったかも。

地震後数日。
計画停電などと言うハナシ。

色んなものの自粛、
特に歌舞音曲、みたいなハナシ。

「それでもFlamencoやるの⁉︎
今この状況で❗️」

というのがコース後
すぐにやってきた。

わたしはやりたかった。
関わりのあるものは、選べるならやる。

で、やった。

逆の意見のヒトと
真向意見を戦わせた。

疲れたが愛を感じた✨

日和見のヒトには感じられないものだった。

今はそれも
戦う必要なんてなかった、と思う。

あの頃よりは
マシな対応できる、かもしれない😆😆😆

わたしの中の戦いのエネルギー。

そんなエネルギーを薄々感じていたが
2015年10月、
イタリアでサガプリヤに受けた
スターサファイアのセッションで
ハッキリと出てきた。

わたしの男性性にだ。

これも以前の苦しかった状況に
影響していたことだった。

今ブログ連載中の
「イタリアで見た過去生と直後の事件」の
後編にて
このセッションを報告するつもりだ。

  • ※写真は近藤佳奈さん撮影

  • イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その17

    ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
    なんか大使館の外は
    まるでシャバに出たという解放感だ。

    それにしても
    お買い物布バックで行動してるのが
    ずっと気になっている。

    空港で荷物検査の機械になんか通したら
    いかにもバラバラものが落ちそう。
    お金は
    ジップロックに入れてるし。
    (ジッパーつきビニール袋)

    あぁカバンを買いたい。
    出来れば おみやげも
    ガサッとまとめて買いたい!

    いつもの旅以上に
    今回は義理立てするヒトが
    たっくさんなのだ。

    結局連絡はしなかったけど
    友達の友達の先輩のローマ大使館職員、
    なんてヒトまで探してもらって
    連絡先を教えてもらったり、
    とかしてるのだ。

    家族以外にも
    何人もをお騒がせしている
    レイコなのだ。

    そうだ。
    ローマ三越に行ってみよう。

    むか〜し 一気に手ごろなモノ
    の数々をここで手に入れたことがある。
    27年前だけど。

    地図で見、
    ローマ三越方面への道に来たけれど〜。

    あ・あ・あ。
    断念!
    ここからでは遠すぎて
    時間がかかりすぎる、とわかった。
    ああ 27年ぶりの ローマ三越と
    再会を逃す。

    後から皆さまに聞いたハナシでは
    そんなに惜しむほどの場所でもなかったよ、
    とも 聞いたのだが。

    さて、こうなると自分のカバンだけでも
    欲しいのだケド。
    もうテルミ二近くの
    大道のみやげ物、とか?

    「ローマ! LOVE❤️」
    とか描かれた中国製のしか、ない!
    (目に入らなかっただけかも)

    かくして カバンも
    手に入らないまま
    どうでもいい
    (モノしか目に入らなかったのかも)
    キーホルダーや
    ローマ法皇のブロマイドみたいのや
    よくわからない置物

    たっくさんの
    みやげ物屋があるけど
    ひとつも購買意欲がわかない、
    ままホテルに着いた。

    何やってたんだか、
    ブラブラしていて
    あっという間に11時をとうに過ぎている。

    こうなったらもう荷物を
    出してもらって さっさと
    タクシーに乗ろう。

    今回はスーツケースでは
    来なかった。
    ひとり行動が殆どの予定だったから
    大きな布バック。
    それでもキャリーに乗せての
    移動はラクではない。

    駅近ホテルだから
    キャリーを引いて駅のタクシー乗り場へ。

    ほどなく乗り込むと
    「日本大使館までだと ◯◯€だがよいか?」
    と運転手の方から聞く。

    へええ!
    こんなの初めてだ。
    これまでローマのタクシーでは
    散々だった。

    ローマタクシー初体験、
    あの時は海外旅行も初体験。
    やはりテルミニからホテルへ
    向かおうとして

    巨大なスーツケースを2個
    (友達とふたりで行った)、
    ヒョイと持ち上げ
    勝手にトランクに入れて
    誘拐さながらに
    持って行かれた、という感じ。
    モチロン法外な料金を取られた。

    そんな昔のハナシをしなくても

    サガプリヤのコース開始前に
    ローマで仲間と落ち合うために
    駅から乗ったタクシーは
    充分高かったし 最初に聞いても
    料金不明瞭。

    それがほんとにFix プライス!
    (表示はよくローマ市内Fix、とかあるが
    実際違ったりした)
    しかも聞く前に運転手が
    言うとは
    かなり驚きの事態なのだ。

    で、大使館に着いたら。
    「領収書は必要ですか?」と。

    おーっ!
    これもあまりに新鮮なセリフだ。

    考えてみれば
    そうであろう。
    大使館の人達は皆仕事で
    タクシー乗っているのだから。

    かくして
    「必要じゃ!」
    と答え、支払い。

    その料金にピタリの金額は
    持ち合わせていなかった。

    確か3€くらい、お釣りのある状態。
    ところが 釣りがない、
    と言う。

    小銭が全く無いわけではなかったが、
    こちらには その小銭は
    ココで出せない理由があった。

    何せ これから大使館で支払う
    帰国のための 渡航書発給手数料、
    18€。

    これは
    「決してお釣りのないようピタリと!
    ご用意願います」とのコト。

    ここで小銭を出してしまっては
    その18€ピタリ、が払えず
    元も子もない、のである。

    というわけで
    「釣りはいらないぞよ。」

    と言ったら
    運転手の
    恐縮仕様と言ったらない!

    さすがは
    泣く子も黙る日本大使館⁈
    なのか
    これまでありえない対応なのだ。

    かくしてタクシーを降り、
    今度は警備室での
    書類記入は顔パスにて
    省略で
    荷物検査のみで入場。

    大きな荷物は
    警備室にて預かってもらう。

    さあ、12時10分以上前にまた
    ここへやって来た。

    あとは待つだけ。

    椅子に座って毎日新聞を眺めたり
    飾ってある 日本人形を見たり
    立ち上がって行ったり 来たり。

    ここを出てから2時間後の
    12時10分。
    待ちきれなくて 窓口の前に立つ。
    丸窓ブース⁈の中は
    ヒトが右往左往してる様子だが
    何をしてるか
    外からはあまり見えない、
    ので気を揉む。

    例えば日本の銀行の受付窓口の内部、
    とかの方がずっとよくわかる、
    という感じ。

    そして12時15分頃。
    「お待たせしましたーっ」
    の声にほっ❣️

    めでたく渡航書が発給されたのである!

    「タクシーですね?」

    「そうですそうです!
    お願いします!!」

    の会話を最後にココを去る。
    あとは守衛室でタクシーを待つのみ❣️

    帰国便は15時30分、
    ローマ発 ドーハ経由便に乗り
    ドーハから成田だ。

    (その18 に続く)
    その18

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    上記メニューより
    「イタリアで見た過去生と直後の事件」
    にお願い致します。

    最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

    イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その16

    今書きながら
    コレは 楽しい体験
    貴重な体験
    だったんだなあ

    と改めて気づく。

    そんな体験を記録しておきたかった
    からブログを始めたようなものだ。

    しかしこんな思いは
    2度としたくない!
    もう充分堪能しましたあ❣️

    ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
    さあ帰国をかけた決戦の朝だ。

    当然今日の便で帰れるつもりで
    荷物のパッキングを済ませ〜
    その大荷物はホテルに置いたまま

    ハンドバックがないままの私は
    お買い物用布バックひとつで
    日本大使館へ徒歩でGo!

    門前到着9時17分。
    「開館の9時半まで待ってね」
    という昨日の守衛さんの
    言いつけを守り

    13分間
    例の素敵な鉄格子の門を
    握りしめ 中を覗きながら待った。

    この間 横の扉から入場した
    職員らしきヒト 13人。
    うち半数が日本人のようだった。

    ふ〜ん。
    そういう割合の職場人員構成なのかしら〜
    と眺めているうちに
    ジャスト9時半になり
    守衛さんがガラガラ、と門を開けてくれたんだったと思う。

    それから守衛室に入り
    入館記録に名前、国籍ほか
    必要事項を記入する。
    日本語にイタリア語が併記された書類だ。

    これを守衛に提出し
    空港にあるような機械で荷物検査。
    人間も身体検査ブースみたいのを通過して
    外側から内側へ。
    入り口と出口が反対側なのである。

    「緑のボタンを押してくださぁあい。」
    という中に居た
    もうひとりのイタリア人守衛さんの
    日本語発音がおもしろく
    あたたかく
    この非常時にココロ和ませててくれる。

    内側に来て椅子で待つようにとのこと。
    あ、ここにお手洗い あった!
    行っておこう。

    バル、とかでそうであるようのように
    声をかけてカギを借りて
    使用するスタイルだ。
    へえ。

    次に来てた日本人のおねえさんは
    お手洗いの借り方も心得ていて
    ローマに長く居る風だった。

    そんなことをしていて
    5分以上経過するものの
    めでたく入館。

    守衛室から素敵な石づくりの洋館まで
    少し距離があり
    緊張感が高まる。

    入り口を入ると〜一番のり。
    また警察本部⁉︎とかが
    そうであったように
    透明ガラスにボツボツと穴の開いた
    丸窓つきの窓口がふたつ。

    すぐに「土日に緊急連絡先に電話したレイコです、今日3時過ぎの便で帰国したい!」
    と告げる。

    窓口のいかにも仕事の出来そうな
    おねえさんの職員が
    「わかりました」
    と冷静迅速な口調で対応。

    「こちらの5種類(だったと思う)の書類に
    必要事項を記入してください」

    「机に記入例があるので
    『その通りに』『間違えないように』」

    むむむ。
    最もわたしの不得意とするところだ。
    この指示にまた緊張感を高めながら
    席に着く。
    着席時9時40分すぎ。

    わたしが今申請しようとしているのは
    「パスポートの再発行」ではなく
    「帰国のための渡航書」
    という1回限り、指定便のみ有効のもの。
    (そうでないと即日発行はムリ)

    そのためには
    「なぜパスポートでなく、
    1回限りの渡航書で
    直ぐに帰国する必要があるか、の理由」を
    記述式で記入、
    大使の許可を
    もらう書類、とか。

    『本来ならパスポートを再発行
    すべきところ、
    業務の都合で至急帰国せねばならず云々』
    的な例文だったと思う。

    またモチロン
    盗難届を出したときのように
    どこでどのような盗難にあったか、を
    記述する書類、とか

    また何より
    戸籍謄本が提出出来ない理由、
    それに変わってどのような書類を出すか
    また日本に帰ってから
    それを必ず取得して
    日本大使館に送付する
    という誓約書、とかである。

    いわゆるマル、バツ記入で済むような書類
    ではないので記入には
    結構な時間がかかる。

    記入机の隣りに 先ほどの
    いかにもローマに住んでいそうな
    おねえさんがやってくる。

    やはり 数年ローマに住んでいて
    パスポートが切れるために
    更新に来たそうだ。

    彼女に細々した記入方法を
    いくつか聞きながら進めた。
    ありがたい。

    なにせ 間違えると
    最初からやり直し!
    になるらしい。

    おねえさんも
    わたしに聞きたい、と言う。

    この状況で
    このヒトにわからなくて
    わたしにわかること
    なさそうな気がするなあ、
    と思ってたんで少々驚く。

    おねえさんは
    「すみません。
    今年は平成27年デスカ?」と。

    なるほど!
    それなら聞きたい気持ちはわかる。

    ここでいつもなら
    「はい!」
    と即答できるはずが

    どうもわたしも
    自信が無くなってしまったのである。
    今がいつやらわからない、
    が正直な感覚。

    「だと思うんですが〜。
    そこに新聞があったから
    見てみますね、わたしも必要だし」

    と、ロビーに常設してるらしき
    1週間遅れ1週間分の
    毎日新聞で確認する始末。

    どうやらほんとに
    平成27年、でホッとした。

    そんなこんなで
    ずっと
    ストップウオッチが
    傍らで音を立てているようなキブンのまま
    記入を修了!

    窓口提出10時10分!!

    ここで職員から重大情報。

    「戸籍謄本がFaxで届いていますよ。」
    と。

    取りに行ってくれたのだ!
    弟が役所に!!
    そして送ってくれたのだ!
    たぶん 義理の妹が。

    あぁ もう言葉にならない。
    この感謝の気持ちが。

    職員が
    「これから渡航書を発行します。
    最低2時間はかかります。」

    なるほど。
    記入に30分、発行に2時間が
    最低必要時間なわけだ。
    あと2時間立つと12時10分。

    予定搭乗便
    ほぼ出発3時間前だ。

    「このままここでお待ちになっても
    出直されても構いません。
    どうなさいますか。」
    と丁寧に聞いてくれた。

    わたしはホテルに戻って
    荷物を取ってくる旨
    そしてその足で
    空港に向かう旨、告げた。

    すると職員さんは
    「タクシーを呼びますか。」
    とまた丁寧に。

    「今は必要ないです。
    次に空港に向かう時には
    お願いします!」

    と答え、ここは徒歩で
    ホテルに戻ることにする。

    あぁ、ここまでよくやった!
    と自分を褒めつつ
    先ほどの守衛室の前を
    通り 外へ。

    さあて!
    ローマでの自由時間は
    ホテル往復時間をマイナスすると
    あと1時間弱だあ❣️

    (その17 に続く)
    その17

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