飽き飽きするほど泣きたい

「わたしは飽き飽きするほど
泣きたいのだ。
少し ひとりにしておくれ」

という(唄の詩の)あたりで
ほんとにぐわっ泣けました。

隣にいた ギタリスト木南さんは
さぞさぞお困りだったことでしょう。

怒りが溜まりに溜まっていたのです。
今までの自分に。

昨晩 クリスマス🎄の夜は
1月7日、コンサートのギターあわせ。

唄っていて音程があ、
とか ここはこうする、

とか
じぶんの意志でコントロールしようと
する気はあります。

しかしそのさなかにも
それはやって来ます。

感情というやつ。

しかもかなり激しいソレです。

Flamencoを唄うことは
自分の感情と否応なく繋がることでもあります。
そしてそれが表に流れて行きます。

大抵はウソをつくことが出来ません。

自分を律して 律して
コントロールすることが なにか
エライことなのだ、と
思っていたこともありました。

この激しい感情が
何かわるいものであるかのように

出て来ては行けない!
と抑圧し、
ジャッジしていた自分。

そしてヒトに受けいれられたいあまりに
外側にいるヒト達の
言うことばかり聞いて

自分自身からの訴えを
何も聴こうとしていなかった自分。

そんなことを
ヒシヒシと感じ
唄いながら 泣きだし

それでも唄い終え
その流れに唄そのものはつかまらず
終わってから再びバクハツしたのでした。

怒りです。
これまで自分で自分にしたことの怒りです。

数日前に飛び起きた
夜明けの怒号、

あの自分の寝言もコレだったのかも
しれません。

1月7日土曜上野でのカンテコンサート。
昨晩はもう 存分に自分と繋がりました、

その歓びを 唄うつもりです。

ぜひお越しくださいませ✨✨

今後の出演情報は ⇒ コチラ

次回 6月23日(金)阿佐ヶ谷 天 19時半~

コチラ

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