グラナダ エンリケおじさんの洞窟  その8

♡こちらはFlamenco唄い手 レイコ シミズ サンギートのFlamenco現地のレポートです。
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エンリケ オジサンから
「俺達の住んでるZaidinに来て
レッスンしないか」
という申し出アリ。

レッスン代も安くするよ、というのに。

なぜわたしは行かないのか?

ヒターノが住む集落、部落。
かつてはここ
サクロモンテの丘の洞窟住居こそが
そうだった。

明治の頃
そこをアメリカ人のジャーナリストと
共に訪れた日本人外交官が居ました。

その方の名は
堀口九萬一氏✨
日本初の外交官にして
フランス文学者 堀口大學氏のご尊父。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/堀口九萬一

游心録、第一書房、1930
というエッセイに グラナダの洞窟を
訪れたときの様子が描写されています。

それはひとことで言うと
「如何に恐ろしかったか!」
「命拾いの思いとはこのこと!!」
と言った表現の連続。

ほかでは決して見たことのない
人々の表情や
決してたくさんではない
彼らがつくった
独特のモノ。

それらを売りつけられたり
したらしいですが〜。
(ワタシも洞窟でカスタネットなら売った)

九萬一氏が言うには

すべては一族の家長が取り仕切る世界。

スペインの法律なんて無関係、
彼らの掟による独自の世界。

なのであります。

何もモノとり、ドロボーが
コワイのではない、と。

「あの今入ってきた奴は我々の敵だ!
コロセ!」
と家長から命令が下ればそれまで。
警察関係ナシ。
刑務所も関係ナシ。

そんな彼らの意志が
いつ発動するかわからない
淡々と光るヒターノ達一同の鋭い目線を
浴びて洞窟を一歩一歩進む恐ろしさ。

モチロンわたしがこの時この洞窟に
そんな恐ろしさを感じた
わけではありません。

九萬一氏のこのエッセイもその頃まだ
読んでいませんでした。

それでも 洞窟の奥の
「外界と隔てられた別世界感」には
何かこのような恐ろしさ、
そして同時に彼らの豊かさに
通ずる何かを感じていました。

その恐ろしさと豊かさを持って
移動した今のヒターノの地が
そのZaidin、という地区なのだろうと。

わたしは直感的にそう感じたのです。

次回(グラナダ エンリケおじさんの洞窟  その9)に続く。

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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