「ふたつの愛の岸辺」4

「ふたつの愛の岸辺」。

それはなんだろうか?

それは

このじぶん、とはいったいなんだろうか?

という問いかけとほぼ同じだ。
/

じぶんの内側にいる男女。

インナーマンとインナーウーマン。

このふたりの関係は

すなわちじぶんと

外側の誰かとの関係に投影される。

/

わたしと外側の誰かは

これまで随分と戦って来た。

/

それはある時は

尊敬する先生だったり

元々は仲のよかった瞑想仲間だったりした。

わたしはもうこの戦いをやめる。

もうしたくない。

しない。

/

この世に体のある時間は限られている。

わたしはじぶんのエネルギーを

じぶん本来の仕事に使いたい。

わたしの本質を発揮することに。

/

それは戦いではない。

今世の中では

「戦争」なんて言葉で

随分と戦いが表面化してるように

思うけど

それは常に起こってた

/

マスコミが戦争、と呼ぶかどうかはともかくとして。

そしてわたし個人の中でも

それは起こっていた。

当然、苦しかった。 

/

なぜそんなことが起こるか理解出来なかった。

わたしはそれでも

一生懸命に生きていた。

とても疲れながら。

それを紐解いて

わたしの内なるふたりを

見せてくれたのが 

瞑想の師 サガプリヤである。

/

彼女は両岸が海に挟まれた

ど真ん中の道を堂々歩いていた。

わたしの先を。

両岸は片岸がインナーマン。

そしてもう片岸はインナーウーマンなのである。

/

/

ではその真ん中の道は何か?

愛、なのである。

ふたりの間を流れる愛、なのである。

かつて話しにはこれを

聴いていたけれど

夢を通じて

これを改めて知らされた、

と気づいてわたしは

衝撃を受けた。

感動した。

/

内なるふたりは

それぞれが流れている。

そしてそのふたりの間に流れる愛がある。

そのど真ん中に立ってみよ

そこで起こることを見よ

そんな風に感じた。

( に続く)

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