「Flamenco初CD制作記」カテゴリーアーカイブ

レイコCDリリース記念 カンテフラメンコ 独演ライヴ決定♡2021年4月24日(土)

素敵な場所を

ひとつ見つけました😃💓💓💓

レイコ初CD発売記念ライヴ🌹🌹🌹

4月の後半に出来たら、

と思っています。→ 決定しました! 

4月24日(土)18時30分〜  池袋 自由学園 明日館

これまでの小さな独演ライヴと

同じかちょこっと大きな場所で✨

それがじぶんらしいかなぁ😌 

いつものように

マイクはなしで声が届くように

今の時期は

つめつめにならず

おとなりとの距離も取れる場所で

そしてそこにある何かが

レイコと

波長あいそうな空間で

大切に唄って参ります💓

初CD、初荷を

受け取ってくださった方からの

ご感想を受け取って

感動して泣いてます😭😭😭

これから生きてく

滋養栄養をいただいています✨✨✨

ありがとうございます💓

このCDを、ぜひお手に取っていただけたらうれしいです。

フラメンコ唄のCD: 

DERRAMANDO MIL FLORES

~唄声は内側の宝石への通り道~

Cantaora(唄い手): Reiko Shimizu Sangit

Guittarista(ギタリスト): Toshio Kinami

¥2,800-(+送料 ¥180-)

販売ページはコチラです

→ https://reiko.link/shop/

音のイメージはコチラです

⬇️

レイコシミズ サンギット レコーディングライヴ2020

Flamenco唄のレイコ初CDリリース致します♡ 2021年3月7日 

こんにちは。
Flamencoを唄うレイコ シミズ サンギットです。

3月に入ってはや一週間。
いかがお過ごしでしょうか。
緊急事態宣言も2週間伸び、まだ予断を許さないようですが
ぐんぐんと春めいて季節は巡ります。

昨年来作成してきたFlamenco唄の初CD、3月7日(日)にリリース致します❣️

    販売ページはコチラ → https://reiko.link/shop/

7日以降、お申し込みいただいた方に順次ご郵送。
また、ただいまこれまで投げ銭のCDプレゼントコースにお申しくださった方の発送準備をしています。

「唄声は内側の宝石への通り道」
今のところ、一生このタイトルでライヴをさせていただこうと思っています。

このCDのタイトルも同じです。


そしてスペイン語のタイトルは DERRAMANDO MIL FLORES 

歩んでいくと 千の花も咲きこぼれる

フラメンコにある歌詞からヒントを得てつけたタイトルです。
誰もが生きて歩みを進める姿がそんな風である光景。
それがあたり前の世界、豊かで美しい愛溢れる人生を信じたい。

このCDを、ぜひお手に取っていただけたらうれしいです。


フラメンコ唄のCD: DERRAMANDO MIL FLORES
〜唄声は内側の宝石への通り道〜

Cantaora(唄い手): Reiko Shimizu Sangit
Guittarista(ギタリスト): Toshio Kinami
¥2,800-(+送料 ¥180-)

レイコ シミズ サンギット 初レコーディングCDをお届け致します。

このCDレコーディング開始からリリースまで、1年超。初めての体験に、さまざま試行錯誤しながら進み完成を迎えました。

フラメンコに出会って四半世紀以上の時が流れました。

数年前に「唄声は内側の宝石への通り道」というタイトルでのささやかなカンテフラメンコ独演ライヴを始めました。

これまでそれが十数回に及び、その歩みを形にしようと制作したCDです。

フラメンコは8〜9世紀ごろにインド辺りを出発した流浪の民が、長い放浪の末に15世紀辺りスペインの南、アンダルシアの地に辿り着いてその地のエッセンスと融合して生まれました。

中でもカンテ フラメンコと言われるその唄に、自分の中を掻き回されるような興奮と深遠な魅力を感じました。

フラメンコと言えば踊りをイメージする方も多いかもしれませんが、源はカンテ。

日本人の私がそのカンテを唄う。そしてCDという形とする。
言葉もそのルーツからも物理的にはまったく遠い自分にそれを許すまでには、かなりの時間を要し、様々プロセスがありました。

カンテ フラメンコという自分の奥深くに辿り着く道に出会えたこと、この芸術を育んだ人々、世界への感謝と尊敬の念を携えてこれからも唄って参ります。

【内 容】

① Alegrías de Cádiz(アレグリアス デ カディス)

② Granaínas(グラナイーナス)

③ Bulerías de Bernarda(ブレリアス デ ベルナルダ)

④ Soleares(ソレアレス)

⑤ Cinco de la tarde(シンコ デ ラ タルデ) ※木南利夫氏によるギターソロ

⑥ Tanguillos de Cádiz(タンギージョス デ カディス)

⑦ Tientos(ティエントス)

⑧ Malagueñas(マラゲーニャス)

⑨ La caña(ラ カーニャ)

⑩ Sevillanas clásicas de Pareja-Obregón(セビジャーナス クラシカス デ パレッハ=オブレゴン)


それではどうかお体ご大切に、CDのみならず直接皆さまに

お会いできる機会を楽しみにしています。

CD発売記念ライヴ、計画中です。


いつもありがとうございます。

コロナ後もやり続けそうなもの〜シンクルーム #初CD制作記2

CD作成プロセスで使ったもの。

わたしが

コロナ後もやり続けそうなもの👀、でもある。

それはヤマハがつくってくれた

シンクルーム。

https://syncroom.yamaha.com/

Zoomはお話しするのはよいけど、音楽を合わせるのはむずかしい。

そこでこれなら、遠く離れた人ともセッションできるぜ!

遅延が少ないぜ❣️

ってアプリです。

昨年6月ころ

ネットデゥエット、というのから

バージョンがあがったのだったと思います。

それをいまいまか〜。

と待っていました。

昨年緊急事態宣言の頃ですね。

あの頃はCD録音のためのあわせ、も中断を余儀なくされた時もありました。

いざ、インストールをして使ってみたけど

自宅のネット回線が脆弱だったり、

PCがフリーズしたり、

オーディオインターフェースってものが必要だと気づいたり。

いくら遅延が少ないと言っても

フラメンコの速い曲種、

そしてパルマ(フラメンコの手拍子)を打つブレリアを遠隔であわせるのはまったく容易じゃなかった!

ビビ。

ガガガ どかーん!!

まったく壊れそう、

PCも じぶんの耳も。

って言うんで

結局、その頃受け取った

持続化給付金は

初めてのMacの購入や、

ネット回線の新調などにつぎこんだ。

7か月前だ。

あの頃は

Zoomを通じた瞑想会もしていて

たびたび途中で落ちてしまい

どうしたものか、

と気持ちも落ちたもんだ。

それからこれらについては

世間全体が、だけど

じぶんも随分と進化した。

必要は発明の母、って言うけど

タイヘンだったーっ。

きっと皆がそうだったと思う。

コロナが終わっても

遠くの人と同時セッション出来るようになったんだから、

きっと続けると思う。

そして

どーしても

やっぱりそれだけじゃ済まない。

実際会わなきゃどうしようもなく

伝わらないこと

感じられないこと

肉体に居るから、

お互い生きてるからこそ

出来ることは

何だったのかも

よおくよおく味わわされた。

フラメンコじゃなくても

そうだけれども

相手が生きて目の前に居る、

この音は

今この時だけなんだ。

ってことかな。

#CD制作日記

初のCD制作ミックス段階。私の耳を形成したのは一体誰だった?🌹

いま結構きぃ狂いそうである😳

初のCD録音初日から1年、が立つ。
あの頃、まだコロナ騒ぎにはなっていなかった。
その影響で、だいぶ時間がかかることになったが、
しかし思えば「コロナ」より、パルマの録音方法を検討していた時間が長い。

パルマ、とはフラメンコにおけるリズムをとるための手拍子で、何より重要な楽器である。
で、それについてはまた別に書こうと思う。


今これまでまったく
気づかなかったことを知る、という体験は

CDの音ミックス、からである。

ミックスと言えば、複数のマイクに収録されたものを混ぜる。
単にそのさじ加減だろう、なんて想像していたのだが、
そのarte たるもの。
そのさじ加減、これこそが芸術、を創り出しているのかもしれない。

これまで自分が聴いてきたFlamencoの音は、
誰がクリエイトしたものだったのだろうか❓❓❓

いきなり問いかけたくなったのだ。

わたしが聴いてきたあのレコード、
このレコード、そして山のように集めたCD。

20代の頃、バブル花盛り。
会社帰りに月5万ほどCDを買っていた時期がある。

それまでカンテ フラメンコ(フラメンコの唄です)のCDは、

ある場所にしかない、専門店を尋ねないとなかなか手に入りにくかった。

92年、カマロン・デ・ラ ・イスラが亡くなった年、

それが突然、銀座山野楽器に並び始めたのだ。
あれは自分にとってとてもおおきなことだった。

そしてCDの音や、当時大流行りのモデルノ(現代的なフラメンコ)より、古い純粋なものを求めてレコードを探し歩くようになるまで10年。

その頃には、一時は残業100時間以上していた会社も辞め、バブルはとうに終わり、ついでに離婚もしたばかりだった。

モノにもよるが、レコードの音。

この暖かみや臨場感。

これぞきっと本物のフラメンコに近いのだろう。

そう思った。

何人もの唄い手やギタリストが共に集い、飲みながら唄う、弾くといったフィエスタのような録音がある。

誰かが唄っている右の向こう側から、その唄に触発されたまた誰かがアイ アイィイ〜と唄い、いや印象としては唸りはじめる。

その「右端、こちら手前から」

「堪え切れずに」

ということまで伝わるのがレコードだ、と思った。

実際、同じ録音のCD復刻版を聴いたら

右手前から、とわからないし、

この人が「堪え切れず」に唄いはじめたとは感じなかった。

そんなわけでレコード信奉者になり、それはいまだに続いてもいる。

いや、しかし。
なんと言ってもこれまで大きく影響を受けて来たのは
生、でFlamencoを聴く機会だ。

これについてはまた別の時に書こうと思う。

ざっくり言えば、

日本に居る時には、貴重な来日アルティスタが唄うのに接する機会。

フラメンコの現地、スペインには数年に1回、1か月ほど滞在する機会もこれまで持って来た。
そんな時でも、今日はよい唄を聴いた💓💓💓
って経験が毎日、なんてあるわけじゃない。

それを補うのが録音されたもの、かもしれない。
よくよく思えば
これまでの人生、フラメンコに接してきた総時間は
生より録音を聴いた時間の方が
圧倒的に長いのだ。

いったいこれまでわたしを
教育してたのは
誰だったのか?

CDのミックス、という段階に来て
初めて知ったこと。

このむかしのレコードで
唄ってる人はもちろん、
演奏してる
ギタリストの○○氏や△△氏ではなかったのかね?

ミキサーや音響の人が
こんなにも 
自分のフラメンコ耳の形成に
影響していたなんて。

お釈迦さまでも
気がつきまいよ。

いま、そんな気分です。

カンテフラメンコ レコーディングライヴ映像 https://youtu.be/7ybbmfAZ57I