「フラメンコ」タグアーカイブ

12月10日(日曜)ヒラルディージョ フラメンコチャリティコンサート完売御礼🌹

2017年12月10日(日曜日)
ヒラルディージョ Flamencoチャリティコンサートは
おかげさまで
チケット完売となりました✨

皆さま ほんとうにありがとうございます!

http://giraldillo.org/concierto20171210.html

11月18日土曜 六本木IZUM I Flamencoショーで唄います✨

11月18日土曜日✨

六本木IZUM I唄いに参ります。

★六本木 IZUMI ごあんない

六本木 ロアビル向かい
1967年開業のPiano Bar
店内 ゆったり 船内をイメージしたウッディな 素敵な空間です。

IZUMIのフラメンコギタリストは
われらがヒデさん、高橋秀男さん です!

Jazzを中心としたショーと
そしてフラメンコのショー が2回ずつ

豊富にお届け致します✨

どうぞ六本木に お越しくださいませ✨✨✨

Flamencoショータイム
20:30〜頃
22:00〜頃

ミュージックチャージ 5000-
要飲食

http://izumi-jazz.com

※次回の IZUM I Flamencoショーへの出演は
12月2日土曜日の予定です。

読めば元気が湧いてくる〜Flamencoと旅のメルマガを開始しました🌹

インドから出発したジプシーが
スペインの南 アンダルシア地方に到着し
そこにある文化と
ないまぜになり 生まれたFlamenco

最初に唄があり
楽器は何もなく
パルマ(フラメンコの手拍子)でリズムを取り

やがてそこに
ギターの音色が加わり

やがて踊る。

そのような変遷をして来ました。

最も濃いFlamencoのエッセンスは
唄にこそあります。

その起源に何の関係も持たない
自分がFlamencoを唄うー

最初は正直
無理難題と感じていました。

そしてそれを
人さまの前で唄う、
などとんでもないこと
と思っていました。

現地Flamencoの人達への
敬意と遠慮と
また
難しさゆえの諦めと

そんな気持ちから
かつては
自分を制限していました。

しかし今わたしは
唄っています。

踊りの伴奏だけでなく
最もやりたかった唄のソロを。

ただ好きなだけ
しかしその魅力は
人間の生命力そのもの

ヒターノ(スペインのジプシー)という存在にも
なぜか
まったく自分と違うはずなのに

遠くて近い、
という思いがあり 唄わせていただいています。

先日11月2日の 阿佐ヶ谷 天で
ひとり唄う独演、というスタイルでのライヴも
小さいながら
6度目を迎えさせていただきました。

本当にありがとうございます。

独演スタイルライヴでは
唄とともにFlamenco、
スペイン現地での旅や人びととの邂逅、
唄の合間に話しております。

わたしが生きる気力をもらった
それらFlamencoの旅や人びととの話✨

最近では
もしかしたら唄より⁈
それを聞きにいらしてくださってる方も
いらっしゃる模様です。

そこで。
これらのハナシを
メルマガ形式でお伝え致します✨✨🌹

あわせてレイコ Flamenco出演情報も
お伝え致します。

是非 以下よりご登録くださいませ。

読めば元気が湧いてくる〜!
レイコ旅唄Flamencoの購読申し込みはこちら

11月2日(木) 独演ライヴ por6 ✨唄声は内側の宝石への通り道✨

とても大事な機会になりました。

阿佐ヶ谷 天での独演ライヴ💕

レイコひとりFlamenco唄います
もちろん 木南利夫氏のギター伴奏で

先日タイの瞑想から帰り
今この体があるから
表現出来ること
伝わるかもしれないこと

ものすごい可能性を
当たり前のように享受しているのだなあ、と✨✨✨

改めて 生きていることを
驚きの目で見た気がします

Flamenco発祥は唄から☆彡
Flamencoをもたらしたヒターノ(ジプシー)
はインドから☆彡

そもそも瞑想への入り口は
振り返ればFlamencoから✨✨

唄の間には
これまでFlamencoからの体験✨
現地で出会ったうれしい出会いや不思議なこと✨
そんなお話を

昔からの
Cante Flamenco(Flamencoの唄)が
あることが
生きるために
とても滋養になっています✨✨

生きてる理由
それは何かと
言葉にする必要はない気もしますが
これは私にとって その答えでもあります

🌹その魅力が伝わりますように🌹

場所は前回同様 阿佐ヶ谷天🌈

北口50m、賑やかな楽しいエリアです✨

11月2日(木曜)

開場19時
開演19時30分

チャージ ¥2,000- +オーダー
(メニューはドリンクのみ🙂)

出演:カンテ:レイコ シミズ サンギート

ギター :木南利夫

✴︎阿佐ヶ谷 天 アクセス
http://asagaya-ten.com/about.html

阿佐谷北2-1-5 B1F

JR阿佐ヶ谷駅北口、駅を背に線路沿いの道を左(荻窪方面)へ40~50m、
酒蔵駒忠の看板の手前を右折、突き当りの右角。
小さめのラスタカラーの看板が目印です。

※写真: カメラマン 近藤佳奈氏

アナマリア ロペス ブレリアの魅力✨

(7月9日 Facebook投稿に同じです)

たぶん〜2年近くぶりに
踊りのクラスに出るなり😳😵🙌

わたしは唄いたいのであり
踊りは〜なんですが
このクラスには出たい!

ブレリアは振り付けではありませんよ✨
知ってることをつなぎあわせて
遊ぶんですよーっ👌👌👌🌹

そういう踊り✨✨✨

で、アニーセンセイの言う
その精神は
よおくよおく承知してて
だからそういうの
やりたいんだけど

いかんせん思うように動けない。

踊りの靴をずっと履いてる、ってことが
結構むずむずで。
いタタッ!
もういっかーっ、暑いしなぁ😵😵💦

と根性ナシレイコになってた。

わたしがわかったのは
「唄のどこで出るか」
だけだわね〜っ。

ああ しかし
アニーセンセイ教える
ヘレスのブレリアへの
憧れは消えることナシ✨✨✨

これは自由、
それも「自由に遊ぶこと」への
渇望だああああ!

この日は特に
プラスエラの唄で
アニーが何かを感じながら 出るところ。

そこからとても伝わって来ました。

クラスにいた他の人達も
そうなんじゃないかしら✨

※ 2年前のJerezでの写真。

大切な本質「繊細」さに気づいたのは、Flamencoを唄うことから♡

(6月5日 Facebookイベント欄の投稿に同じです)

ただただひたすら
感じていたい✨✨🌹

「繊細さ」はわたしの大事な本質のひとつ✨
いや最も大きなものかもしれない、
とごく最近自分を認めるようになった。

と前回の独演ライヴが終わってから。

この静寂 この沈黙
オモテ向きには
激しく唄っているときにも
それはやってくる。

外側、を少し気にしただけで
消えてしまうこともある。

あるいは
なんだかまるで
周囲すべてを巻き込んで
波が行ったり 来たりして
沈黙の中に 波が立つ。

見た目には静か
でもそこに
なにか興奮✨
なにか情熱✨✨

そこに居合わせた人たちと
共有していたなにか
それこそが
忘れられない瞬間だったんだ、
って気がついた。

みんなが居てくれた
おかげで
気がついた。

手を伸ばして
それを獲よう、とすると
逃げていってしまう

それはよくわかった。

ではどうすれば?

そう考えると
また逃げていってしまう
この日こんどは
そーっと
そーっと
一緒に居てみようかな💕

わたしの中の大事なものと
それは
皆の中の大事なもの、でもあるみたい✨✨
次回のCante Flamenco独演ライヴは
9月8日金曜日✨

この日
一緒に居てくださる方
阿佐ヶ谷にて お待ちしています✨次回のCante Flamenco独演ライヴ

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その26

3日間のローマから日本帰国までの奮闘記
の後日談ーその3、である。

前の投稿(その25)で夜中に痛み到来前。

この日は楽しく Flamencoのエッセンス、伝統的なFlamencoを今に伝えるZorriおじさんのハナシを聞いていた。
(2015年11月のFacebook投稿加筆です)

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

ブレリアの使者Zorriおじさん。
御歳79才😳😳😳❗️
(2015年時点)
はじめての来日だそうです。

先月スペインはヘレスでお会いして1カ月ぶり。
しかし1年くらいたった気もする。

子供の頃からフラメンコの家族に育ち、
アニー先生と共にヘレスのブレリアを
伝えにやってきました。

九州から東京まで
10日ばかりを毎日ハードスケジュールをすごし
疲れナシ、時差ボケなし、
日本の食べ物おいしくよく食べる。

ものすごく元気で楽しそう!

自分のエネルギーで立つ、ってこういうことなのね、
と目の前で教えてくれました。

そのZorriおじさんのお話✨✨✨😃

ビール飲みながらボヤッと聞いてたので
マチガイもあろうが忘れるよりマシ、
と以下に備忘録書きました。

彼はパケーラ デ ヘレス
(ヘレスを代表する唄い手のひとりで、
その唄のみならずその存在そのものが
爆発的怪物的偉大なアルティスタ女性)
の一族(いとこだと思う)。

Zorri24才の時にパケーラ座長のもと、
3カ月旅して廻る(場所どこだったか、スペイン国内)
一座に踊り手として参加した。

この頃(1950年代)は、
オールフラメンコな一座ではなく、
クプレを唄う人やコメディアンとかも一緒の
ヴァリアーダ
(逢坂剛さん編纂の『スペイン読本』に入っていた読みものでは『寄席』と訳されていた)という形式だったそう。

一座のフラメンコメンバーには
当時16才だったパコセペーロ(超ベテランヘレスギタリスト)、
クーロデウトレーラ(こちらもすっごいいいウトレーラの唄い手)、
15才位だったタレゴンデコルドバ、

そしてセビージャからは
ファルーコ(セビージャのフラメンコを代表する一族の家長)と
○○(やはり超大物だったが、ダレだか忘れた)などが参加した。

給金は1日50ペセタ(これがウロ覚え)。
ただしファルーコと○○はその2倍もらってた。
座長パケーラが皆に払ってた。

3カ月の旅の仕事を終え
そのためたお金(5000ペセタ?ウロ覚え)もあることだし、
彼女(当時21才)に『結婚しよう!』
と言った。

そして結婚したのだが彼女は
『もうフラメンコの仕事はしてくれるな』と。

その気持ちを組んで3年前、
彼女が他界するまで公式の場で
フラメンコはやらなかった。

あくまで親戚の集まりとかプライベートな場だけで
やっていた
(うーん、それはスゴイ!とReiko驚いた)。

その頃、甥のホセリート メンデス
(唄い手で、教え方も素晴らしく、レイコはさんざレッスンしてもらった)に連れてってもらった初めてのロシオ(巡礼です)。

そこにはヘレスのフラメンコのアルティスタの
集まるカセータ(巡礼小屋、というか)がある。

ここで5日間のフラメンコフィエスタに参加した、
あれあれ❗️
あの日々がこれまでの人生で
イッチバンタノシカッタなあ💕💕💕
(うっとりした様子で)

ああ。
こういう話しを聞くのとその表情に接するのは
ほんと楽しいなあ、
と思ったのでした。

以上。

(その27に続く)

前のハナシは
上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

レイコ葉山独演会☆彡第2章「唄声は内側の宝石への通り道」開催決定。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。

ごく小さな フラメンコ唄のコンサートです。

 昨年ここで初めてひとり✨
Flamencoカンテソロ、唄のみの催しをさせて
いただきました。
 
唄いはじめて20年。
ようやく 一番のスタイルを
見つけた気がしてます🌸🌸🌸

 暖かい皆さまからの愛をいただき
この独演の機会から 
たくさんの滋養を得て学びました。

貴重な体験のこの場を続けさせていただきたく
 2回目を催します。

 
 遠方、そしてたぶん座布団での
フラメンコでございますが
よろしかったら 葉山を散策がてら
どうぞお越しくださいませ✨✨✨

日時: 2017年4月16日 日曜日
2時半開場  3時 スタート

 場所: 葉山 森戸海岸バス停 より徒歩7分 
個人宅
(JR逗子駅、もしくは京浜急行 新逗子駅より
バス利用。
 いらっしゃる方に詳細お知らせ致します。)

 ・カンテ(Flamencoの唄): 清水玲子  
ギター: 木南利夫

 ・入場料: 3000円  要ご予約
   (お支払いは当日現金でお願い致します)

 ・定員: 15名さま

※ご予約先 レイコ シミズ サンギートまで。
(お問い合わせフォームよりご連絡くださいませ)

☆彡これを機会に Flamencoメルマガを始めます😀
レイコの感じるFlamencoの魅力をお届けします。
ぜひご登録くださいませ♡

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その18

パスポートはじめ殆ど失った
2015年10月31日土曜夕から3日間。
一生忘れそうもない。

11月2日月曜の
帰国便に乗るまで18話、
を費やしている。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
ローマ日本大使館
守衛室のベンチで
待つこと10分。

ちょっきり帰国便出発3時間前。

タクシーのお迎えが来て
優しい守衛さんに挨拶して
います旅立つ。

さようなら〜
日本大使館!
そしてローマよ!!

今度のタクシー運転手も
しごくまともなお方。
必要以上のことは喋らず
淡々と運転。

最近はいつも空港に3時間前には
到着していたので、
チョットどきどき。

でもタクシーだから
2時間以上前には
着けるはず。

で、無事到着、
やはり領収書と1€のお釣りを
固辞されそうになったが
チップとして受け取っていただいた。

空港まではFixプライスが
明示されており
これも心配なく
スムーズだった。

さて。
カタール航空のチェックインカウンターは
どこかなあ⁈

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
この旅の往路は
成田からドーハ(カタール)経由、
マドリード(スペイン)
に入っている。
2015年10月5日、成田発だった。

前半は
Flamencoのための旅だったから。

なので
ローマの空港での
カタール航空の情報は
まったく知らない。

今回初めてアラブの国の
航空会社、カタール航空を選んだ理由は
主に値段だ。

往復8万5千円。

前年はブリティッシュ航空で
ローマ往復 14万円だった。

コース代やら滞在費やら
費用捻出は容易でなし!

ココまで差があったら
安い方を選ぶのだ。
たとえ時間がかかっても。

しかしながら
ドーハからマドリードの7時間、
というのはかなり体に来た。

またいくら安くても
それまでヨーロッパ系の航空会社しか
利用したことのなかったわたしは

前年まではなかなか
アラブ系の会社を
選ぶ勇気がなかったと思う。

わたしは20数年前から
Flamencoを求めて
スペインに数年に一度は行く。

その他の国にも旅するのは大好き。

スペインに行くようになってから
なかなか他の国に行く機会は減ったが
行ければ行きたい。

しかし決して自分が
冒険野郎だとは思わない。

バックパッカーになったこともないし
一回の旅は1.5ヶ月以内で終わるし
ユースホステルにも
泊まったことがない。

richには行かなくとも
希望はなるべく優雅な旅、だ。

そのクセ野宿経験はあるのだが
結果論である。

安全がイチバン
怖がり、なのだ。

ところが前年
私としては変わり種の飛行機に
乗ってしまった。

ターキッシュ エアラインで
トルコはイスタンブールを経由して
ローマから成田へ帰って来たのだ。

ブリティッシュ航空からの
振り替えで。

この時 人生初めての
飛行機の振り替え乗車
(いや、乗船ですね)だった。

というのも、この時期
夏時間が終了し
11月最初の日曜から冬時間、
その冬時間初日のフライトを
選んでしまったためだ。

コースが前日土曜に終了、なので
その翌日の帰国便を選んだのは
さっさと帰りたいこの時の
ナチュラルな選択だった。

時間が変わるというのは
トラブルが起きやすい。

というわけで
今回もこの時期の
冬時間への移行日を
はっきり掴んでいなかったわたしは

とにかく日曜のフライトは
やめて月曜にしておこう!

(そうすれば時間が変わって初日ではない、
少なくとも2日目、となるから)

という過去の学習効果による
選択をしたおかげで

こうしてパスポートを
失くしても
渡航書発給に
こぎ着けられたのだ。

ほかの日本人仲間達と同じように
そして前年と同じように

わたしも日曜出発を
選んでいたら
まったく不可能、

事件にあった時点で
予定便帰国不可決定だったのだ。
休日で大使館がやっていないのだから。

夏時間と冬時間という制度。
年に2回も時計を一時間進めたり
遅らせたり。
まったくタイヘンなコトだ。

実はこの夏時間から
冬時間に変わる時期に
帰国することが
これまでもよくあった。

いつもいつも
何日に変わるの?
とよく現地(スペイン)の皆に聞いてた。

すると
「今年は10月末だっけ?それとも11月1週?」
「う〜ん、どっちだっけねぇ」

なんてやりとりが
いつものことなのだ。

もう翌週にせまったことを
聞いてるんだけどねえ。

当初、こんな感じが
日本人のわたしには
正気の沙汰とは思えなかった。

だけど。

冬時間になる時は
遅らせるので1時間トクする、
みたいな感覚になる。

1時間という時間のごほうび。

飛行機に乗る、なんて用さえ無ければ
どうということもないのかもしれない。
日曜の夜中(午前3時だったと思う)
に変わるわけだしね。

なんて ようやく思えたのは
この年初めて。
今回帰国の1週間前。

スターサファイアのコース中に
既に冬時間になったその日、
楽しい休日を
1時間分の余裕でゆったり
みんなで過ごし
そんな風に感じたのだった。

そういうわけで
前年(2014年)のブリティッシュは
荷物のシステムに異常を来たし、
ロンドンから乗り継ぎの乗客には
全員振替便を充当することになったのだ。

3時間半、列に並んでようやく
ゲットしたのがターキッシュエアライン
だった。

で、乗ってみたら
食事は美味しい、
なんと言ってもよかったのは
乗り換えがラクラク。

飛行機はかなり古い型の
ようだったけど。

まるで
福岡空港あたり⁈
乗り換えるかのような近さ
と感じたものだ。

ヨーロッパの大空港はどこも
乗り換え移動にはタイヘンな距離、
乗り継ぎに2時間見ても
ギリギリだったり。
からするとほんとに素晴らしい!!

この時は翌年は
ターキッシュエアラインを検討しよう!

なんて思っていたが
世情でイスタンブールへの渡航なんて
とんでもない、事態になったのだ。

例の
2015年1月、
ISISと名乗るテロ組織が
人質にされた2人の日本人の身代金要求する
映像をYouTubeに投稿〜〜云々。
湯川さん、後藤さんの事件だ。

そして帰国後しばらくして
2015年11月14日(日本時間)
には パリ同時多発テロ、だった。

イスラム。アラブ。
考えさせられた年だった。
どのようにこれらが
自分に関係してくるのか。

日本とアラブ圏、
正直なかなか
アタマの中で繋がらなかった。

そしてまさか自分が
抱えていた苦しみが

モーロ人(北アフリカを経由して
イベリア半島、つまりスペイン
に入ったイスラム教の人をこう言う)
の女性だった過去生に関係する、

なんて
モチロン考えられなかった!

そのハナシは
今書いている
この「直後の事件」部分が終了後に

その前に
サガプリヤのセッションで
見た「イタリアで見た過去生」
部分に続く予定である。

で、
アラブ圏であっても
カタールへの渡航はこの時期
大丈夫、とされており、
値段で選んだわけだ。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
さて、ローマは
レオナルドダヴィンチ空港での

カタール航空の
チェックインカウンター探し
に話は戻る。

手前はヨーロッパのメジャー会社。

歩けども 歩けども
中々カタール航空出てこず。

ターミナルが違うんじゃなかろうな、
と不安になりつつ
2回聞いてようやく到着。

遠かった!

が、よかったのは
カウンターに並ぶ人の列に列も
ヨーロッパ主要路線より
短いことだった。

なんかオンラインチェックイン、
なんて関係なさそう
な雰囲気だし。
(していても、ここで
また一から確認が必要ぽい)

またベールを被ったイスラム女性の
後ろに並ぶ。
すごい荷物だ。

ヨーロッパで時々みる姿だが、
キャスターの
着いてない大きなカバンをいくつも
お持ちのようだ。

というわけで前の方、
すべて荷物預けるのに
なかなか時間がかかる。

ようやくわたしの番。

さて、ここでいよいよ
先ほど発給された
「帰国のための渡航書」
をカウンターに出す。

カタール航空のおねえさんは
「じいっ」
と穴があくほど渡航書と
わたしの顔を見る。

また質問が始まった。

「なぜして
パスポートでなくコレを?」

「かくかくしかじか」
一昨日夜から何度もした
盗難のハナシを繰り返すなり。

コピーを取らせて、
とか、いつもより
多少逡巡あったものの
無事通過出来そう。

がしかし最後に
「待って!それはダメ!!」

と指さされたのが
カバンにつけていたキャリー、
である。

成田から
大丈夫だったんだから
大丈夫なはずなんだけどねぇ。

これがないと
空港内大移動がかなりキツイ。

大きなカバンを成田で
出したあかつきには
モチロン買わなきゃ持てやしない。

ほんとに前のキャリーなし大荷物
ベールの女性は
どうしているのかしら。
サーバントが迎えにくるのかなぁ。

咄嗟の意外なダメだしに
途方に暮れながら
仕方なく
キャリーをたたんだ。

(その19に続く)
その19
⭐️前のハナシは
上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

イタリアで見た過去生と直後の事件~ローマパスポート盗難 その10

サンタマリアマジョーレに通じる道で
目の前のランナーの群れに 
なぜ飛び込んだのか?

☆☆☆☆☆☆
人、人、人の群れ(ランナー)。

それは戦いから逃れて来た人々のように
その時の私の目には見えたのだった。

「今だ!」という何かからの声を聞いた気がして
咄嗟に飛び込んだ。
今この行動をするかしないか、は
まるで 私の生死の分け目のような気がした。

私の右肩をグゥウ。
とつかむ警備員。
当然制止するだろう。

わたしは腰を落として身を低くすることで
その右肩を掴んだ手から逃れた。

こんなワザどこで覚えたんだろ?
という感じ。

とにかく私は今
道の向こうに渡るのだ!!
(警察行くんだからさ)

こんなに強い意志に従って
走ってはいるのに
なかなか進みゃあしない。

この爆発的に増えた大人数を横切るには
私だって前に進みながら
斜めに横断していくしかないのだ。

昨日までは数秒で横断していたその道を、
数分走った。
ランナー達とともに。

ただ無我夢中、の瞬間もありながらも
この数分間にアタマをよぎったよしなしゴトは~

わたしローマまで来て何をやっているんだろう。
普段も走ることなんか滅多にないのに!
前回走ったのは電車に乗るときだったかなあ。

とかなんとか。

なんかこの人たちは(一緒に逃げた)同志っぽいわ。
警備員には肩を掴まれたのに、
この大人数のちがう方向に行くひと達と
殆どぶつからないってどういうことかしら?

で、無我夢中とこれらのアタマの中のブツブツ言葉が
交錯しつつ。
無事 向こう岸、にたどり着いたのである。

たどり着いたわたしを見て
「おーっ。関心関心!(あるいは呆れる)」
みたいな表情で目を丸くしている人たち。(たぶん観光客)。

警察へご用がなくとも
この岸辺にいた人たちも できれば早く道を渡りたい、
のである。
彼らもこのマラソンで10分以上ふいに
待たされることになったようだから。

しかしこんな荒ワザで横断した人は
他に誰もいないようだった。

出よう、と試みてた人は何人かいたけれど
みな警備員に止められ、横断出来なかった。

その人々のかなりの注目の眼差しに
どういう顔をしてよいかわからぬまま
その日3軒目の警察に向かった。

マラソン中、前進を余儀なくされてたので
元来た道をかなり戻ってた。

もうここは素直に
マラソン沿道でなく
警察の通りへ行こう。

で、なんだあ。
たった1本平行した道だった
Via Farini.

この通りに来たら
なんと30秒ほど前マラソンしていたのが
ウソのよう。

別世界なのだ。
なんだか日常に戻ったのだ。
(ローマに居るだけで非日常、盗難にあってさらに非日常だけれども)

で、馴染みの警察の入口にやってきた。

ふふふ。ここはもう知ってるもんねえ。
という安心感とともに。

時間は12時半を回っていたと思う。
きっとあのマラソンのスタートは
12時だったのだろう。

「昼休みの時間にかかると、ロクなことがない」
という思いはそれまでのイタリア、
というよりFlamencoのためにスペインを
何度も旅した経験から
骨の髄まで身にしみていた。

今回の旅も、イタリアに来る前に
しばらくぶりにスペインに行ってきた。
セビージャ⇒ローマという初めての路線の
フライトを経験、
実に面白かったが
それなんて結果的に小さなことで

いやここローマで
今ドロボーなんかに合わなくても、
その前のスターサファイアエナジーワークの
半月間のがっつり経験したコースを受けなくても、

イタリアに向かう前にスペインで
もう日本に帰ってもいいや、
と思うほど充分な
楽しい、感動する、ドキドキする
実りある
旅をしてきたのである。

お腹いっぱい状態な上にさらにさらに
また様々な経験をした旅だったのである。

で、たぶんイタリアは
スペインより1時間くらい昼休みが早いみたい、
となんとなく掴んでた。

スペインだと午後2時頃からで、
その後5時頃までは お店とか完全に閉まる。
スーパー、とかはやってるけど。

イタリアの警察だって
3時間くらい休むかもしれない。

公式に休み時間でなくとも、
昼飯食べるべき時間に働いてくれ、というタイミングには
人々は皆あまりに不機嫌なのだ。
そしてそんな時はムリヤリ何かを頼んでも
マチガイも多いし、いつも以上にノロい。

航空会社のカウンターであれ、
タクシー運転手であれ、
警察であれ、だ。

本来ニンゲン、それでいいんじゃないか、
とそういうのに賛同してたわたしは
自分自身もそういう行動形式にもなってたわけだ(スペインではね)。

なんせきょうは日曜だし、こういう傾向はマックスだろう、

という思いからの焦りもあったわけだ。

で、まあ昼前に訪問出来てラッキー。
でないと他の用が済まなかったかもしれない。

で、警察の入口を入ると
両側に見覚えのある部屋。

そうだそうだ。この右手の部屋で前年
待たされたのだ。

あのときは「お金盗られました~」
とかなんて言うのかなあ、
なんて考えながら話かけようとしたら

「すとーるん?」「スィ」
の一言で済んで拍子抜けしたのがスタートだった。
で、この右の待合室には盗られた人が
何組も待っていた。

日本人かな~と思って話しかけた男性親子は
上海から来た中国人だった。

何を盗られたんデスカ?
と聞いたら

「ホテルについてすぐお金をおろしてきた」
「で、それをベッドの上に置いて少し部屋を離れたら30秒で盗られた!」
とのこと。

「ネットで確かな予約サイトで探した、
ちゃんとしたホテルだと思ったんだよおお!」
とわたしに訴えた。
中国人のオジサンの手にはPCからプリントした
ホテルを予約した紙。

見せてもらうとわたしも予約した覚えのある
ホテル予約サイト名だった。

で、いくら盗られたんデスカ?
と聞いたら

「1万5千ユーロ、、、」

だってさ。
あははーっ。ざっと200万弱ぅ?

私たちの100倍以上なのね。
(前年の被害金額はそんなものだった)

もうわたしは何がホントか、
とかぜんぜんわからなくなっていた。

さあて、今回は
この警察でどんなことがあるのだろう。

(その11 に続く)
その11

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「イタリアで見た過去生と直後の事件」
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