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突発性難聴日記😮 その5/ヌラの贈り物

ところで
オーラソーマを習うなら
唯一ヌラ、と思っていた。

セッションを人さまに提供するというより
自分のために習う、
あくまで自分の瞑想のため
(瞑想をまだよく知らなかった当時はそんな言葉を使って説明できなかったけれど)

そんなわたしの目的を
素晴らしい、とチカラづけてくれたヌラ。

自分を受容する
ジャッジしない
起こることを楽しむ

そして何より
「癒しの感覚」というものを
教えてくれた最初の人。

まさしくわたしがその渦中に入ったとき
初めての感覚に
「これは一体何なのですか」
と聞いた。

瞑想的な場ではあったが
何かワークやセッションの最中ではない。

ただグループの皆と共に過ごし
輪になって話しているような時にそれは起こった。

ヌラは
「それが癒しの感覚」です
と応えた。

わたしは号泣。
びっくり そして感動。
これまで知らなかった感覚を知って
驚いたのだ。

わたしにとっては
世紀の大発見だった。

ただ知識として知っている、知らないを
まったく超越した次元の 知る、だった。

これを本当の意味での理解
と言うのだ
ということをかなり後から知った

突然真実に触れた瞬間、
とも言える。

一緒に居たコースの仲間達も
ほぼ同時に泣いているか
またそこから
何かが起こって大変な状態になったメンバーも居た。

そのときわたしがヌラに言われて
選んだオーラソーマボトルは
23番。

愛と光。

落ち着いたピンクのまさしく癒しのボトルだった。

10人弱のコースメンバー全員、
その場で「癒しの感覚」を
明確に共有した一生忘れられないこの場面を
体験したのが

この歯医者に行った数日後だったのである。

わたしはその後
結局オーラソーマからは離れ
サトルボディヒーリングの学びに進んだが

この2007年のヌラのコースの時に
「癒しというのは 起こるもの」
という感覚をがっちりと掴んだのだった。

そもそもは
何かヒーリングと呼ばれる施術をして
でなく

起こるもの。

その例として4月に
こんな記事を書いていた
 ↓
「羽生結弦くんによって起こったヒーリング」

ヒーリングとは何かの理解
それは起こすのでなく起こる、と知ること

それこそ
わたしが望んでいたものだった。

ハートの優しさが溢れた女神さまの
ように感じたそのヌラのコースで
受け取ったその絶対的な感覚は

結果的に その後のヒーリングの
学びの礎となった。

そのヌラはもう2年前か?
来日中に突然にこの世を去った。

ショックと驚き。
ヒトはいつまでも生きてるわけじゃないない。
当たり前であることを忘れていた。

突然何かが起こる。

「人生ってそういうものです」
ヌラのあのコースのときのセリフが蘇った。

コース中に
近くに救急車が止まり
それについて ハートが動揺した、
と あるメンバーがシェアしたことを受けてのセリフだった。

とてもきっぱりとしていたのが
印象的で忘れられない。

私達はそういう人生を生きている、と。

ヌラの亡くなった病状に
ついて わたしはよく知らないのだが
最初は 歯から、とも聞いた。

これを結びつけて
考える必要もないだろうが

歯の治療って大事だな
と思わされる出来事でもあった。

さて
でその歯医者、今のハナシだ。
(つづく)

※最初のハナシは「突発性難聴日記 その1」