「グラナダ洞窟」タグアーカイブ

グラナダ エンリケおじさんの洞窟  その9

♡こちらはFlamenco唄い手 レイコ シミズ サンギートのFlamenco現地のレポートです。
ただいま初のFlamenco CDを作成中♡

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洞窟の奥の
「外界と隔てられた別世界感」には
何か九萬一氏が著わしたような恐ろしさ、
そして同時に彼らの豊かさに
通ずる何かを感じていました。

その恐ろしさと豊かさを持って
移動した今のヒターノの地が
そのZaidin、という地区なのだろうと。

わたしは直感的にそう感じたのです。

つまりここで
「わたしには足を踏み入れられない
世界」と線引きをしたわけです。

あの時行ったら どうなっていたのか?
そんなことわからない。

その後もそのZaidinを訪ねていません。

今そんなことを言われれば
その時は行ってみるかもしれません。

なんということもなく、
フツーに感じる街かもしれない。

あるいは。

もしもセビージャはトリアーナの
ヒターノ達が移動した部落
Las 3000地区のようであれば〜。

そこに行った人の話では
屈強な男子のギターレッスンにも
車の送迎は必須で
昼間でも
ひとりで歩くなど トンデモナク 危険、
だそうです。

グラナダの
Zaidinはどうだったのでしょうか。

以下は2017年1月、独演ライヴの
立ち上がりの時に伝えていきたい、
と書いたことです。

⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎
Flamencoの唄。

どうしようもなく
惹きつけられてきたのは

現地スペインの南、
アンダルシアで暮らしてときた人々の
しかりとした大地との繋がりが
ビンビンに伝わって来ること。

言葉にするなら
生きることの強さと喜び、とでも言うのか。

聴いてるだけでよい、と思っていたのに
自分も唄うことで
そのいくばくかを体感した。

今はそこで暮らし、
何を持たなくても
Flamencoという崇高な財産を持つ
ジプシー。

以前よりジプシーの濃厚さに
触れる機会は
薄れているのだろうけど

彼らはなにも昔の人ではなく

今現在、少なくともこの20年間に現地で
経験してアレアレ驚いた!

今も生き生きと彼らの
今を生きている。

ヒターノ。
(スペイン語でジプシーのこと)

この言葉を発するたびに
それだけで 緊張感が走るような
ところあり。

ジプシー、という単語も差別、偏見から
使っちゃいかん、とされてる。
代わりにロマ、というんだそうですが〜。

彼らの姿。
Flamenco、特に唄に触れることで
彼らに多少なりとも接することになりました。

自分が何を知っているわけでもない。
彼らのほんとうの姿を理解しているわけでもない。
だから人さまに話してよいものか⁉︎

これも今まで やりたいけど
出来ない、
自分が やっちゃいけない、
と思ってたことのひとつ。

けれども今
感じてきたことをお伝えしたいです。

彼らは わたしが
欲しくて 欲しくて
どうしようもないものを
持っている、
と思うから。

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟  その8

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エンリケ オジサンから
「俺達の住んでるZaidinに来て
レッスンしないか」
という申し出アリ。

レッスン代も安くするよ、というのに。

なぜわたしは行かないのか?

ヒターノが住む集落、部落。
かつてはここ
サクロモンテの丘の洞窟住居こそが
そうだった。

明治の頃
そこをアメリカ人のジャーナリストと
共に訪れた日本人外交官が居ました。

その方の名は
堀口九萬一氏✨
日本初の外交官にして
フランス文学者 堀口大學氏のご尊父。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/堀口九萬一

游心録、第一書房、1930
というエッセイに グラナダの洞窟を
訪れたときの様子が描写されています。

それはひとことで言うと
「如何に恐ろしかったか!」
「命拾いの思いとはこのこと!!」
と言った表現の連続。

ほかでは決して見たことのない
人々の表情や
決してたくさんではない
彼らがつくった
独特のモノ。

それらを売りつけられたり
したらしいですが〜。
(ワタシも洞窟でカスタネットなら売った)

九萬一氏が言うには

すべては一族の家長が取り仕切る世界。

スペインの法律なんて無関係、
彼らの掟による独自の世界。

なのであります。

何もモノとり、ドロボーが
コワイのではない、と。

「あの今入ってきた奴は我々の敵だ!
コロセ!」
と家長から命令が下ればそれまで。
警察関係ナシ。
刑務所も関係ナシ。

そんな彼らの意志が
いつ発動するかわからない
淡々と光るヒターノ達一同の鋭い目線を
浴びて洞窟を一歩一歩進む恐ろしさ。

モチロンわたしがこの時この洞窟に
そんな恐ろしさを感じた
わけではありません。

九萬一氏のこのエッセイもその頃まだ
読んでいませんでした。

それでも 洞窟の奥の
「外界と隔てられた別世界感」には
何かこのような恐ろしさ、
そして同時に彼らの豊かさに
通ずる何かを感じていました。

その恐ろしさと豊かさを持って
移動した今のヒターノの地が
そのZaidin、という地区なのだろうと。

わたしは直感的にそう感じたのです。

次回(グラナダ エンリケおじさんの洞窟  その9)に続く。

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その7

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では、フラメンコの地
グラナダはサクロモンテの洞窟にて
アメリカ人(たぶん)観光客との思わぬ対話、続きです✨✨✨

この洞窟で わたしは既に
人格を身につけたオトナなはずなのに
それを超えて受け入れられた、どこの国の人間かも 子供なのかオトナなのかも

カンケーない、
という最初の体験をしたのかもしれません。

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洞窟を訪れた観光客の彼らに
アッサリといくつかの

乾いた音がよいだけでなく
可愛らしい絵も描かれたパリージョ
(フラメンコ用カスタネット)が売れー

ささやかながら商売出来た
自分に軽く興奮を覚えてた。

そこにさらに
ビックリなことに!

「貧しくともがんばるのですよ」
(みたいなカタコトスペイン語だった)
なんてセリフとともに
チップを差し出されたのである!

これにはホントに
ビックリしたが
反射的に「グラシアス!(ありがと!)」
と受け取った。

そして彼らは
「ブエナ スェルテ!」のあいさつとともに
ガヤガヤ賑やかに去っていった。

静けさが洞窟に戻る。

ちょっと時間が経つと今の出来事が
なんだか現実じゃないみたい。

いったい彼らの目には
わたしはナニモノと映ったのだろうか。

わたしだって観光客でもあるし
強いて言えば
仕事から逃げてやってきた
にわか留学生なのに。

しばらくして
エンリケオジサンが洞窟に帰って来た。

「パリージョが売れたよーっ」
「チップをいただいたよーっ」

の小さな子供みたいな
興奮ぎみの報告に
オジサンはちょいと驚いたみたい。

そして
「わはは!よくやったね。」
とねぎらってくれた。

その翌日からだったと思う。

もうレッスン代は要らないよ、
という事になった。

それまでたぶん
絶対安くないだろうレッスン代を
毎回払っていたのだ。
プロに習うのだから
それは当たり前なのだが。

オジサンからは数日前に
「俺達の住んでるZaidinに来て
レッスンしないか」
というハナシもあった。

「そこに来てくれればレッスン代も
安くするから」
とのことだった。

しかしわたしは
それを強行に断り
オジサンに他に用がない日も洞窟に
言わば出張して来てもらう、
ことにしてたのである。

いくらレッスン代が高くついても。

それはなぜか?

続きはまた次回✨

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その8) に続きます

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その6

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グラナダはサクロモンテの丘での
エンリケオジサンとのハナシ、続きです。

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なぜか
彼らは Hello〜と入って来た!

あああ どうしよう!!

とりあえず
門前の小僧ナントカで
オジサンがやっていたように
「どうぞ中まで入ってご覧ください」
と手まねきした.

そうだ。
夜のFlamencoショーの予約!

これが入れば
わたしは優秀な留守番人に
なろうものだが

何せ言葉がほとんど出来なかった当時
こちらから案内出来るわけもなかった。

チケットのアリカは
オジサンがいつも取り出していて
わかっちゃいるのだが。

何せスペイン語学習歴は
半年前から
例のモーレツ会社員をしながら
週1回の門前仲町のスペイン語教室
それも半分くらいは休んでた

その続きわずか半月のグラナダでの
語学学校生活の合間、
というこの時だった

そもそも
オジサンが毎日洞窟に詰めていたのは
夜のFlamencoショーの予約の電話を
取るため、だった。

英語!
で案内しようというアイディアは
なぜか全く浮かばなかった
そもそもそれも対して出来ないが

さて
アメリカ人らしき彼らは
洞窟内をアレコレ見ながら
やがて土産ものコーナーへ

誰かひとりが
パリージョ(フラメンコで使うカスタネット)を手に取り
カタカタっと鳴らしてみた

あー、ここでエンリケおじさんの
いつものパフォーマンスがあれば

パリパリッ‼︎♪

という乾いた気持ちよい音が
響くのになぁーっ

洞窟内は何せ響きがよい

わたしの練習中のパルマの音ですら
スゴクいーかも、と思わせてくれるのだ

誰かのカタカタっ!
に連られて
またほかの仲間の誰かがカタカタっ!

そう
鳴らしてみたいよねーっ♪
わかるなぁ!その気持ち。

で、くるりとこちらを
振り返って
手に持ったパリージョを指し
「コレおいくら?」

「!」
なんかこの物売り場面を予想してなかった。

とっさにドモリながらも
「ご、ごひゃくペセタデス!」
とこたえていた。

そうしてアッサリ
いくつかのパリージョが売れた。

おおお!

スペインで
ここグラナダの洞窟で

わたしは観光客にモノを売ったぞ‼︎
と興奮した。

続きはまた次回に🤗

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

グラナダ エンリケケおじさんの洞窟 その7) に続きます

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その5

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グラナダはサクロモンテの丘での
エンリケオジサンとのハナシ、続きです。

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わたしがグラナダの洞窟で
パルマ(フラメンコの手拍子です)の
手ほどきを受けたそのオジサンは

マリア ラ カナステーラ一座の
かつての若手イケメン看板スターの踊り手、
今は座長のエンリケ カナステーロおじさんだった

のちに神保町あたりで手に入れた彼らのレコードのジャケット。
そこにも若き日のオジサンの仲間達とともにある輝かしい姿が後々発見された

いやあああ。
目の前に居る姿との違いに驚かされることしきり。
しかしこれもその後は
よくあるハナシだとわかった

20年前と今は別人というほど
皆スペインのヒト見た目が違うのだ

さて
そんな洞窟レッスンを連日のように
続ける日々

通りがかってオジサンと話す地元の人々の顔ぶれもなんとなくわかるようになった頃。

ある時 オジサンに留守番を
頼まれた

短い時間だし
まあお客さん(地元の人でなく観光客のこと)
来ないだろうけど
もし来たらよろしくぅ!
とどこかに行ってしまった

オジサン行く途中、
通りがかった近所の人にも
「彼女が留守番だから」
とまたことわりを入れている姿が見えた

これでわたしも周囲も認める
リッパな留守番だ

パルマであれ 唄であれ
日本であれ
スペインであれ
練習に常に騒音問題はツキモノで

レッスンが終わっても
留守番がてらこの素晴らしい響きの
洞窟で練習できるなんて
ありがたい

だもんで喜んで留守番を引き受ける
わけだ

しばらくすると外に
グループの外人アリ、の雰囲気。
英語の会話が聞こえた

何せ洞窟内の別世界に
どっしり構えて居るわたしは
彼らは横目でこちらを見ながらも
通り過ぎるだろう
と思っていたのだが〜

なぜか
彼らは Hello〜と入って来た!

続きはまた次回 に🤗

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その6) に続きます

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その4

グラナダはサクロモンテの丘でのオジサンとの出会い、続きです✨✨✨


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初めて奥まで入った洞窟の中。

オモテから見える岩肌がそうであるように
中も一面白く塗られている。
天井も壁も。

そこに金色に光る台所道具。
オタマとか大きなフォークとかナイフとか。
が天井から円形にうわーとたくさんぶら下がっている。
使うためというよりこれらは飾り、だ。

まあこの光景は写真とかで見ていたイメージと同じだから驚かない。

しかし。
洞窟というからには奥行きがある。

かつてそこに住もう、とした人達が洞窟を自ら掘り進めたと聞いている。
今ここに居るヒターノ(スペインのジプシー)が掘り進めたのかもしれないし

さらにそれ以前に居たモーロ人(アフリカ大陸を経由して入ってきたイスラムの人)が
掘って住んでいた後にヒターノがやってきて住み着いた、とも聞く。

インドを起源とすると言われる
ヒターノがやってきたのは500年前の話だ。


そう、スペインはイスラムの支配下にあった時代が約800年間ある。
その後キリスト教が再征服、レコンキスタ。
1492年
スペインの歴史でよく聞く年号。
最後に陥落したイスラムの地がここグラナダなのだ。
同じ年にコロンブスがアメリカ大陸を
発見したらしい。


サクロモンテの向こうに見える
アルハンブラ宮殿は
イスラムの栄華とあまりに美しく
繊細で高度な文化の象徴。

誰であれ 訪れた人をタイムスリップさせ
昔ここに居た、
と感じさせられるような
遠く旅して来た、という思いだけでなく
時間旅行にも誘われるような
魔力に満ちた魅力。

わたしももちろんのこと
言葉にならないほど魅了された場所だ。

その頃のモーロ人も住んでいた
かもしれない今いるこの洞窟。

少し奥に進むとひんやり、とする。
外は暑いのに
洞窟内部は涼しいのだ。

そしてある一歩先から
急に「ここは別世界」となる。

居るところ
が外の人とは完全に違う、
という感じ。

閉鎖的でこわい、というのではない。
外の様子がちゃんと見えるのだから。

そこでオジサンと
椅子をむかえ合わせにして座る。

オジサンがパルマを打ち始める。
それをひたすらマネする。

同じようにやっているようで
違うらしい。

何度も何度も
同じところを注意される。

このスタイルも
その後のフラメンコ修行での
基本スタイルの事始めだった。

一見容易そうな部分こそ
マネ出来てない。
センティードが違う(感じ方が違う、という感じかな)という事象もこの時が最初。

これはーっ。むむむむむ!

いつもそういう気分で
その「別世界」の椅子に座ってレッスン
してもらってた。

遠目に時々
外を通る人がチラチラ見える。

熱中して疲れた。
オジサンは「少し休もう」という。

オジサンもわたしへの
「違う違う!」の連呼でかなり疲れたろう。

オジサンは奥ではなく、横穴という不思議な窪みで
お湯を沸かし、お茶入れてくれた。

それを飲みながら
その時はもう何回目かのレッスンなのに
まるで初めて見たように

目の前の白壁にかかっていた
金の額縁の巨大なすごいGUAPO、
つまり超イケメンの踊り手の
時代がかった肖像画のような写真を見た。

ここのマリア ラ カナステーラ一族の
ご先祖様のどなたかだろうか?

そんな気持ちで
「この写真のヒトは誰ですか」
と聞いた。

「わからないの?」
とオジサン。

「わかるわけないでしょう!」
なんてスペイン語はまだわからなかった
わたしはただ「ノー!」

オジサンは
「では教えてしんぜよう!」
という調子でひと呼吸置き。

「オレだよ。」

「!!!!😳😳😳!」

わたしは
椅子からひっくりかえらんばかりに
素っ頓狂な声をあげた!
洞窟だから響く響く!!

続きはまた次回に🤗

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)



グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その5) に続きます

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その3


¡Hola!
ヒトが通りがかればみなこんな風にあいさつします。

グラナダのジプシー達の洞窟の前に
椅子を出し
新聞を読んでる
恰幅のよい、
腹の肉豊かな よく居る
スペイン人のオジサンあり。

そのオジサンと通りがかりのあいさつを交わすこと毎夕。

アルハンブラ宮殿を望む
アルバイシンを越え
さらに上のサクロモンテの丘を
毎日のように散歩していた日々。

会社を休み グラナダの語学学校に通った日々。
学校が終わったら毎日のように
そのサクロモンテの丘にのぼりに行きました。

毎日通るそのうちに。
その洞窟には
「マリア ラ カナステーラのサンブラ」
というタイルの表札⁈が
白く塗られた岩に
埋めこまれているのに気づきました。

まさしくそれは
日本で見つけたCDで聴いていた
一座の洞窟だったのです!

通りがかること何日目かに
¡Hora!
のその先の会話にようやく進みました。

「ここでCanteを習いたいんです。
日本で聞いていたCDでこの洞窟の名前を知りました」

そのオジサンの答は。
「ガイジンには到底ムリだから。
Canteは諦めて踊りにしなさい。」

この後のフラメンコ人生で
何度もスペイン人アルティスタ達から聞くことになるこのセリフ。

この時が初めてでした。

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」(=エンリケおじさんの洞窟)

コトバの壁、という以上にそこには
「FlamencoはFlamencoたる人達の伝統であり


そこで大切に受け継がれてきた財産であり


他の文化の人達が習得するには難解であり」


という意味あいが含まれていました。

その中で唯一
外人に開かれているのはバイレ(踊り)だから、と。

あれから20年。
彼らの認識も
私達の認識も大きく変わりました。

世界でスペイン人の次にフラメンコファンが
多い日本人。

日本ではその後バイレだけでなく
Canteを学び その喜びを享受する
人達が増えたのです。

さて。
そういうオジサンにくいさがる私。

「そもそもあなたパルマは打てるのか?」
オジサンは言いました。

そうです。
踊るのであれ
唄うのであれ
パルマ(手拍子でFlamenco独特のリズムを表現する)が出来なくては
ハナシにならないのです。

そうしてそのオジサンから
パルマを習うことになりました。

翌日からは 小さなテープレコーダー持参で
このサクロモンテの丘を
登ってくることになりました。

そのオジサンは
何者だったのか?

次回 (グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その4) に続きます😃✨

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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✨グラナダ エンリケおじさんの洞窟✨その2

Cante Flamenco✨✨✨

フラメンコの唄だけのライヴを
ひとりでやり
皆さまに楽しんでいただく。

それはかつて夢でした。

今では 独演ライヴ、次回9月22日 横浜元町で
10回目を迎え着実に
現実のものとなっています✨✨✨
***********

こちらはライヴの場でも
シェアさせていただいている
「Flamencoと旅」のハナシです。

よかったらまたライヴの場で
お会い致しましょう✨✨✨


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20年前当時バブル華やかなりし日本。
今では考えられないほど
たくさんのめずらしい分野も含めた
音楽に触れる機会があり
一流のアルティスタが次々来日し
それまで触れたことのなかった
新しい情報が溢れ出ていました。

そんな中から
Flamenco、特に唄の魅力を発見しました。

最初にわかりやすく目に着いたのは
ジプシーキングス。
ビールのCMで有名になったボラーレ、
鬼平犯科帳のテーマ音楽ともなった
インスピレーションなど
すっかり日本人好みの音として長く受け入れられているように思います。

彼らはスペインからフランスに移住した
ジプシーなのでした。

とても気に入りましたが
スペインはアンダルシア現地の
正調Flamenco、というものとは
また違うものだと気づきました。

そしてまさしく正調、
と思しきもののひとつに
このグラナダの「洞窟Flamenco」が
ありました。

「マリア・ラ・カナステーラ一座による
真夜中の洞窟Flamenco」というCD。

何というプリミティブな音!
なんの飾りけもない!
虚飾が皆無。
単純そうでいて実はマネの出来ないノリのリズム
メロディもわかりにくい
聞いたことないメロディで
音がこれで
あっているのかどうか不明。

普通の音楽、とすると
これは実に聴きにくいかもしれない。
これまで聴いたどんな音楽も
いわばお化粧が
施されていたのだな、と気づきます。

これはわたしにとって
大きなカルチャーショックでした。

そして今!
「わたしは
“Zambra de Maria la Canastera”
という素敵な焼きものタイルの表札が
白壁にはめられた
まさに
そのCDを録音した一座、その一族の
洞窟 前を通りかかったのでした。

(次回 グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その3 に続きます😃)

※前のハナシは⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟✨その1

※最新話は以下にて連載中。

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☆☆☆以下 次回独演ライブお知らせ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

🔴Cante Flamenco 独演ライヴ por10
「唄声は内側の宝石への通り道」

2018年9月22日土曜 横浜元町