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4月28日水曜 「口もとの自由を取り戻し、ハートから沈黙のスペースへ」瞑想会のお知らせ♡

葉山での次回瞑想会のお知らせです。

4月28日水曜 14時〜
葉山 森戸海岸近くのスペースにて。

口もとの自由を取り戻し、ハートから沈黙のスペースへ。 
〜波の音を聴きながら〜

詳細、お申し込み⬇️

https://resast.jp/events/554022

海の近くのとても寛げるスペースで超少人数制で、ゆったりとリラックスして、自分の内側を探求していく楽しい瞑想イベントをサイキックマッサージのミータと、ハート瞑想のレイコで毎月開催しています。

2ヶ月続けて開催した「内側の男性性と女性性」を知り、ふたりをサポートするタッチ瞑想」はとても盛り上がりました。

さて今月は♡

もう1年以上、毎日毎日、マスクをつけた生活をしている私達。

会話をしなくなり、歌も歌わなくなり、
大きな口を開けて笑わなくなり、
息苦しいから、口呼吸をするようになり

気がついたら、顔の筋肉は衰え、ほうれい線が深くなり、アゴがたるみ、耳が緊張して疲労し、、

え? この顔、本当に私???
ゾンビみたいな顔してるんですけど、😭

そんなあなたや私のために、
今回は、まずガイド瞑想やタッチを通して、思いっきり顔の筋肉を動かして、口元を解放してあげようと思います。

お顔がピカピカのニコニコになってからのハート瞑想💗

ハートから耳を傾け、沈黙の中に深く深く降りていきます。

お天気が良かったら、海まで出て、一緒に波の音と共に座れたら、と思います。

夕日を見ながら、波の音でダンスをするのも素敵💗

この気持ちの良い季節の
人の少ない平日だから出来る葉山の瞑想会。

一緒に楽しみましょう♡

超少人数制で、コロナ予防に配慮しながら、お待ちしています。

詳細、お申し込みは⬇️
「4月28日(水)
口もとの自由を取り戻し、ハートから沈黙のスペースへ」

https://resast.jp/events/554022

ハート瞑想ティーチャーとなって。

最初のHMTT(ハート瞑想ティーチャートレーニング)は、既に5年くらい前には始まっていました。

しかし、昨年2019年にようやくこのトレーニングを受けたのです。

既にサトルボディヒーリングをはじめとした、ハート瞑想がベースとなっているユニティインスティチュートの色々なコースを受講することで、それまでのわたしの人生は大きく変わっていました。

サトルボディヒーリングとの出会いは、既に10年前。いまではこのセッションも提供するようになりました。

わたしの長い間の悩みだった親兄弟親戚との関係がよくなり、息が出来るようになりました。

上手く行かなかった関係性は解消され、喜びを感じて共に生きられるパートナーに出会い、落ち着いてしあわせな気持ちで暮らしています。

 ほぼ同時にそれまでの仕事を手放すこととなり、唄うことや瞑想を大切にする人生に変わりました。

もう充分かもしれない、という気もしつつ、HMTTの魅力に抗し難く、ついに受講した次第です。

その結果、ハートの道はどこまでも深まり、終わりはなく、それは人生が深まっていくことなのだと実感しました。

 自分が自分にかけている制限や思い込みにたくさん出会い、本当の自分はもっともっと大きいのだ、と気づきます。

また自分の経験やハートの質を人と分かち合う大きな喜びを発見しました。

これまでどこかに自分が伝える側になることは、自分のエゴからしてしまうのではないか、という恐れがあったのです。

 HMTTで伝えること、表現することは自分にとっては喜びで、ハートの質を育てるのだ、と知りました。

分かち合うことで、それは豊かになり増えてゆくのだ、と気づきました。

 毎回ハート瞑想イベントをするたびに皆さまとのハートの共振、そして気づきをわかちあえることに深く感動し、感謝を感じます。

またハートの質は誰にでもあり、それを思い出すだけでよい、と習って来ましたが、それを実感し信頼することが出来るようになってきました。

ハートの質は、自分のハートを通じて感じるけれども、それは宇宙のあらゆるところに無尽蔵にある質、

だから限りなく豊かにある。

 今はそんな風に感じています。

ありがとうございます。

愛の目の瞑想 その2

前の話から続いてます⇒ 愛の目の瞑想

こうしてハートを感じることで、わたしのアタマ、つまりマインドの使い方はだいぶ変わって来たようです。

そうして少しずつハートに入ることが出来るようになっていきました。

すると少しずつ

この世は生きにくい、

居心地がわるい、

わたしの居る場所がない、

というフィーリングから

安心感、自分の居場所はあるのだ、という感覚が生まれてきました。

 ここに来てよかった✨

という感覚。

やっとほっとしてよいスペースにやって来たのです。

そして

瞑想を始めてみて数年の時点で気づいたのは〜

わたしに必要だったのは

「感じすぎる」のを感じなくすることではなくて

逆に「もっとしっかり自分を感じる」必要があったのでした。

驚きでした。

わたしは「カラダやハートでたくさん感じていたこと」を、

「感じない」ように頑張っていたのです。

「気づかない」ように麻痺させようとしていたのです。

なんてことでしょう!

自分の状態を

ありのままに感じる、

というのはわたしにとって

かつてはとてもむずかしいことでした。

それはこんなことです。

きょうのハート瞑想イベント「愛の目の瞑想」のワークの中で、まずは鏡でいつものように自分の顔を見てみました。

 ・・・

 眉間にシワが寄っています。

顔にできたシミや、髪の乱れやら、

白髪やら、と気になりすぎます。

 改めて普段どれだけ鏡を見るとき自分を批判的に見ているか、に気づきました。

そもそも思春期のころはともかく、最近では身だしなみチェックのために鏡を見るだけでした。

この批判的見方で自分から失われていたもの。

それを「愛の目」で鏡を使って自分自身を見ることで気づいたのです。

批判的に見るとなにが起こるか?

自分の要らない部分を分割しよう、切り離したい、という思いが生まれます。

この鏡で普段自分を批判的に見ていたのと同じように、

自分のすべて、そして自分に起こることや周囲を厳しく

批判的に見ていたことに気づきました。

当然見たくない

感じたくない

エスカレートして麻痺させたい。

そんな風になっていたのです。

(続く)

前の話は⇒ 愛の目の瞑想