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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その27

3日間のローマから日本帰国までの奮闘記
の後日談ーその4、である。

ハナシは後日談その2(=トータル その25)
からこちらへ続く。
(前話その3は、その日その前のFlamenco体験です)

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鎮痛剤まったく効果ナシの
この劇痛!

また真夜中になれば
やってくるのだろうか?
夜が来るのが恐怖だ。

とりあえず医者の言う
検査を受けるしかないだろう。

受けるのはCTスキャンではなく
MRIだった😳。

どちらも筒の中に入って撮影、
というイメージだったが、
MRIは時間がかかる。

筒に入っている時に
音もかなりうるさいらしい、
と聞いていた。

翌日また医者に行って
鎮痛剤はまったく無効、と告げ
その足で検査機関へ。

検査場にて。

うわあーっ。
この筒に入るのかあああ😳❗️

首を撮影するのだから
顔も筒に入ることになる。

いやだなあ・・・

「中に入ると うるさいので
これを使ってください」

と、ヘッドホンみたいのを渡された。
やっぱりうるさいんだあ。

そして〜。
「何かあったらこのボタンを
押してください」

ゴー。
筒に入る音だ!

即座にボタンを押した。

こんな狭いところに、
密閉感のあるところにとても入れない‼️

ローマからの帰路、
成田まであと1時間時点での
あの強烈な恐怖を思い出した!

わたしは閉所恐怖があるのだと、
ようやくこの時気づいた。

結局 検査着を着て脱いだだけ。
何もせずにもとの医者に戻ってこれを報告。

医者は
「・・・では様子を見てください」
というしかないのだろう。

もう万事休す、か?

ところでその翌日から
ハート瞑想をベースに
cakraのエネルギーに働きかける
サトルボディヒーリング、

わたしはこれのギバーなのだが
そのコースの再受講をする予定であった。

しかしこの調子では受講出来るか
どうかも危ぶまれた。

翌朝、奇跡的に起きれて
とにかくサトルボディヒーリングの
コース会場、鎌倉に辿り着く。

ただチャクラの前後に手を置く。
これが今の自分には
痛くてなかなか出来ない。

ふだん居るセドナから
日本に来て、このコースを教えている
プラサードとアルヴィナ。

ティーチャーである彼らに事情を相談した。
わたしが予想したアドバイスは
「無理するな、やめとけ」

後から思えば予想というより
そう言って欲しかっただけ!

意外にもプラサードは
「出来るだけやってみるとよい」
で実際、瞑想しながら進むと
手もそれなりに動いたのが不思議だった!

しかし痛いものはやはり痛い‼️

3日目、パートナーと組んでヒーリングを
受けるとき、
この左腕の痛みは絶頂。

あまりにわたしが痛がっているので
パートナーはプラサードに
「やめた方がよいか?」
と相談しにいった。

サトルボディヒーリングは、ハートチャクラの受容性、そしてシンクロ二シティのスペースをベースにしているからこそ
パートナーの働きかけも有効になる。

適切な判断もハートからやってくる。
それはいつも 今この時に必要なことを示してくれる。
わたしはそれに全幅の信頼を
置いている。

それでもわたしの
「痛い痛い‼️」の派手な訴えに
パートナーはプラサードに判断を相談した。

この時、やはりプラサードは
「痛くても働きかけてOK。
腕はハートに繋がっているのだから
これはハートチャクラに
起こっていることだろう。」

やっぱり!😳😳😳
が感想だったが
痛いんだから、やめとけ、
と言って欲しかったジブンが居る。

わたしの痛みに触らないで!
これ以上刺激しないで!

という気持ちと
この痛みに変容をもたらしたい気持ちと。

しかし、あの筒に入るような恐怖
とはちがう。

ジブンの痛みを見る恐怖だ!

わたしはジブンのハートに聞いた。

やってほしい。

それが答えだった。

(その28に続く)

前のハナシは
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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その26

3日間のローマから日本帰国までの奮闘記
の後日談ーその3、である。

前の投稿(その25)で夜中に痛み到来前。

この日は楽しく Flamencoのエッセンス、伝統的なFlamencoを今に伝えるZorriおじさんのハナシを聞いていた。
(2015年11月のFacebook投稿加筆です)

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ブレリアの使者Zorriおじさん。
御歳79才😳😳😳❗️
(2015年時点)
はじめての来日だそうです。

先月スペインはヘレスでお会いして1カ月ぶり。
しかし1年くらいたった気もする。

子供の頃からフラメンコの家族に育ち、
アニー先生と共にヘレスのブレリアを
伝えにやってきました。

九州から東京まで
10日ばかりを毎日ハードスケジュールをすごし
疲れナシ、時差ボケなし、
日本の食べ物おいしくよく食べる。

ものすごく元気で楽しそう!

自分のエネルギーで立つ、ってこういうことなのね、
と目の前で教えてくれました。

そのZorriおじさんのお話✨✨✨😃

ビール飲みながらボヤッと聞いてたので
マチガイもあろうが忘れるよりマシ、
と以下に備忘録書きました。

彼はパケーラ デ ヘレス
(ヘレスを代表する唄い手のひとりで、
その唄のみならずその存在そのものが
爆発的怪物的偉大なアルティスタ女性)
の一族(いとこだと思う)。

Zorri24才の時にパケーラ座長のもと、
3カ月旅して廻る(場所どこだったか、スペイン国内)
一座に踊り手として参加した。

この頃(1950年代)は、
オールフラメンコな一座ではなく、
クプレを唄う人やコメディアンとかも一緒の
ヴァリアーダ
(逢坂剛さん編纂の『スペイン読本』に入っていた読みものでは『寄席』と訳されていた)という形式だったそう。

一座のフラメンコメンバーには
当時16才だったパコセペーロ(超ベテランヘレスギタリスト)、
クーロデウトレーラ(こちらもすっごいいいウトレーラの唄い手)、
15才位だったタレゴンデコルドバ、

そしてセビージャからは
ファルーコ(セビージャのフラメンコを代表する一族の家長)と
○○(やはり超大物だったが、ダレだか忘れた)などが参加した。

給金は1日50ペセタ(これがウロ覚え)。
ただしファルーコと○○はその2倍もらってた。
座長パケーラが皆に払ってた。

3カ月の旅の仕事を終え
そのためたお金(5000ペセタ?ウロ覚え)もあることだし、
彼女(当時21才)に『結婚しよう!』
と言った。

そして結婚したのだが彼女は
『もうフラメンコの仕事はしてくれるな』と。

その気持ちを組んで3年前、
彼女が他界するまで公式の場で
フラメンコはやらなかった。

あくまで親戚の集まりとかプライベートな場だけで
やっていた
(うーん、それはスゴイ!とReiko驚いた)。

その頃、甥のホセリート メンデス
(唄い手で、教え方も素晴らしく、レイコはさんざレッスンしてもらった)に連れてってもらった初めてのロシオ(巡礼です)。

そこにはヘレスのフラメンコのアルティスタの
集まるカセータ(巡礼小屋、というか)がある。

ここで5日間のフラメンコフィエスタに参加した、
あれあれ❗️
あの日々がこれまでの人生で
イッチバンタノシカッタなあ💕💕💕
(うっとりした様子で)

ああ。
こういう話しを聞くのとその表情に接するのは
ほんと楽しいなあ、
と思ったのでした。

以上。

(その27に続く)

前のハナシは
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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その25

3日間のローマから日本帰国までの奮闘記
の後日談ーその2、である。

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夜中の3時。

どんどんと左腕が重くなる。
布団に沈みこむようだ。
左腕に触ると〜。
感覚が、ない!

どういうこと?
ジブンの腕ではないみたいだ!

鉛のよう。
まるで義手に触っている、みたい。
眠れない・・・。
トイレに行こうと起き上がろうとした。

え?
左腕が持ち上がらない!
なかなか起きあがれない!!

わたしの取った動作はこうだ。
まず右側に転がり
なるべく胴体の上に左腕を乗せる。

そして布団に右腕をつき
少しずつ壁によりかかり
ようやく座った姿勢を取る。

そこからだんだんと
また右手を使って立ち上がるのだ。
わたしの左腕はまったく用を果たさない。
今やまったくのお荷物のようだ。

トイレに行こう、と思ってから
ゆうに15分はたっていた。

そんな調子で夜が明けた。
ほとんど寝ていない。

日が昇ってからというもの
「まるでジブンの腕ではない感」は
やわらぎ、
左腕を取り戻した感じになった。

この頃 呑気に予想したのは
シジュウ、いやゴジュウ肩かな?
なんてことだった。

イタリアでアレだけのコトが
あったんだからそりゃ疲れも出るさ
仕方ないよなあ、
と気楽に構えてた。

痛みと違和感はかかえつつも
昼間はなんとか生活出来ていた。

そしてまたその日の夜🌉。
そいつはまた夜中にやってきた。

また「まるでジブンの腕じゃない!」
という感じ。

例によって起き上がれない。
動かせない。
そして横たわっているそのポーズが無理。
激痛。
つまり寝ていることも出来なくなった!

仕方なくリビングの安楽椅子に座る。
腕を下ろしていると
痛みは少し和らぐ。

そのまま夜明けを迎えた。
こんな調子でどうなってしまうのか⁉︎

とりあえず医者に行ってみよう。
仮眠をしてから
ネットで調べたご近所の医者へ。
こんなコト初めてで
何科にかかればよいか、
から調べる必要があった。

「これはヒドい ゴジュウ肩なんでしょうか?」

医者はわたしの左腕をアレやコレや
動かす。
これが今昼間は
意外と動かすことが出来る。

その動きを見て
「いや、違う」と医者。

「これは何らかによる麻痺、です」

「!😳
ではどうしたら?」
藁をも縋りたいわたし。

「原因を調べたいので
首のレントゲン撮らせてください」
とのこと。

そうだ、いつも医者にかかると
原因を調べるんだったな、と思いだした。

で、レントゲンの結果に医者は〜
「首ではないのかっ(悔しそうに)。
首の骨はキレイです。」

よかったではないか。
異常がないなら。

原因がわからないコトに悔しがるより、
異常がないコトに喜んでほしいっ!

そんなこんなで
これ以上調べるには
CTだったか撮る、というコトになった。
筒のような中に入って撮影するアレ、だ。

その医院にその設備はなかったので
翌日、検査専門の別の機関にかかるコトとなった。

とりあえずたんまりともらった
内服の鎮痛剤、そして鎮痛効果があるという貼り薬をもらって
また今晩に備えるコトにした。

鎮痛剤、はおろか
普段クスリというものをあまり飲まない。
飲みたくない。

けれどこの時は
「鎮痛剤を握りしめ」夜に備えた。

夜が来た。
それはまた夜中3時にやって来た。
この麻痺の感覚!

鎮痛剤を飲もうが
貼り薬を貼ろうが
それは変わらずやってきたのだ😳😳😳!

(その26 に続く)

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その24

ここからは3日間のローマから
日本帰国までの奮闘記の後日談、である。
この後も色々あった。

それから
この3日間の前のスターサファイアの
ハナシにいくつもりだ。
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帰国から22日。約3週間たった。
新たな事件は
忘れもしない11月25日の夜だ。

この頃までにはこの事件にまつわる
いろんな用事を
かなり済ませていた。

例えば
ローマでドロボーに持っていかれた
スマホに代わる新しいiphoneの購入。
なんて快適なの!

操作は早く
写真は美しく
たくさん保存ができるわ!

前のスマホは4年以上使っていた。
早く変えろ、
というドロボーからのメッセージだったのか?

大きかったのは
とられたもののリストを
保険会社に申請したら、
かなりの金額の保険がおりたコトだ。

特にスマホの申請を忘れていたら、
保険会社の人が「申請した方がいい」
と教えてくれた結果、
○万円の査定がついたのは大きかった。

勝手に
もうこのスマホは二足三文だろう、
と思いこんでいたのである。

おかげで、一緒にアッシジ近郊から
ローマまでのタクシー代、
仲間達に返すことも出来たのだ。

盗られたカバンに入っていて
また買う必要のあるもの、
ほとんどこの保険でカバーが出来たのだ。

もう無ければ無いでよい、
というものもかなりあった。
電子辞書とかね。

保険のおかげでホッとしていた。
大騒ぎの末
プラマイゼロ、という感じだ。

あ。
もう用は済んでるからと
忘れちゃいけない、
と面倒だけどしかりと済ませたのは

ローマの日本大使館への
レイコ戸籍謄本原本の送付。

なんと言っても
またローマに行く必要、
あるかもしれないしね。

まさか学生時代の初海外旅行以来、
2年続けてイタリアに行くことになるなんて
夢にも思っていなかった。

Flamencoならスペインだし
瞑想ならインド、
に行くのはありそうな気がしていたけど
イタリア、かあ、という感じだった。

それもこれも
スターサファイア エナジーワークの
ため!

というわけで今後の人生
またイタリア、ローマに行き、
そしてまたドロボーにあわない
とは限らないからね。
そしたらまた日本大使館だからね。

さて、11月25日のハナシだ。
なぜこの日だった
と鮮明な記憶があるかというと、
もはや懐かしい、
でもとっても会いたかった

Flamencoは
ブレリア デ ヘレスの
お師匠さん、
アニー先生。

その傍らにいつも居たアフィシオナード
でありアルティスタ、
Zorriおじさんと
日本で感動の再会を果たしたからである。

10月はじめ、
わたしがまずこの旅で
目指した目的地、

スペインは南のアンダルシア地方
ヘレス。
このFlamenco震撼の地から
来日したのだ。

アニー、Zorriのあまりに
MUY Flamenco、
つまりとってもフラメンコである
魅力については
別の記事に譲るコトとする。

この人達が日本に来る、
なんてコトは滅多になく
Zorriおじさんに到っては初来日だった。
御年80歳にして。

旅行保険、なんてかけるの大変だった、
と聞いた。
そんなハナシも別の機会にゆずろう。

とにかく滅多にない機会に恵まれ、
よいタイミングで会いたい
人達に再会した
なんともラッキーでめずらしい
夜だったのである。

この日はしかもレッスン、などでなく
fiesta、フィエスタであった。

これは言ってみればFlamencoの
パーティだ。

わたしは嬉しくて、
いつもは飲まないビールを
ススメられるがままにグイグイ飲んだ。

お酒をあまり強くはない
レイコだが、
スペイン、特にこのヘレスに
行くと 文字通り「ヘレス」という名の酒を
飲むことになる。
結構これは好きなのだ。

日本ではシェリー酒、と呼ばれてる。
ティオ ペペ、とかは日本でも有名だから
皆もよく知っている名前だと思う。

ヘレスはこのヘレス、
つまりシェリーが作られている
土地なのである。

と同時にFlamenco震撼の地であり、
古い歴史を誇る、
セントロでは
人々か遺跡の中で暮らしているような
古く伝統ある街なのである。

で、ビールは
なぜかこのヘレスより、ワインより
酔っぱらってしまうのである。

アルコール度数としては
ビールの方が低いのにね。

で、ビールを飲んで帰って
寝たら。

なんだかカラダにあわない、
アルコールがカラダに残っていて
軽い神経痛みたいになっていた。

特に腕。
お酒、特にビールを飲んだあとに
こんな風になるのは
これまでもあったから、
別に心配していなかった。

なんだかフィエスタで興奮したからか
寝られない。

もう夜中3時近い。
いつもより左腕が気になる。

そのうちに〜。

(その25 に続く)

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その22

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さあ、
わたしはかくして
成田空港に降り立った!
感動だ✨✨✨

前に見えるはパスポートコントロール。
「日本人 帰国」の
表示が輝いて見える。

お買い物用布バックから
「帰国のための渡航書」を出して
手に持ち ウキウキと列に並ぶ。

ドーハの空港の荷物検査場では
機械に通すのに手提げのひもを
結んで 開いて、
がタイへンだったこの布バック。
ああ、そんなことも感慨深い。

さて、わたしの番だ。
ここまでくれば
今度こそ こちらのもの❣️

もう何も心配いらない、
とゆうゆうとしたキブンで
渡航書を出す。

「・・・(渡航書見ながらしばし無言)」

係の人、当然日本人だなぁ、
なんてことまで感慨深い。

しばらくしてこちらに目をあげたので
またかくかくしかじか、
の説明を求められるかと思いきや。

「すみませんが、この書類の方はココでは
受けつけられないんです。」

「え!(ココでまた一難か?)」
ドキリである。
何かと心臓によろしくない。

「では何処へ?」

「あちらの出国ゲートで聞いてください。」

指し示されたのは
パイロットや客室乗務員さんが出入りしている、一番はじにある、
いわゆるスタッフ用ゲートである。
皆すーすーと通過、しているように見える。
待つ、という姿なく、
列なんてもちろんない。

おおお。
こんな出口から出るチャンスも
今回限りかも。

いそいそとソチラへ移動。
で、また渡航書を見せる。
係の人「お預かりしますので、
こちらでお待ちください」
と、椅子をすすめてくれた。

てことは時間がかかるのか!?
ふたたび不安。

待つこと約10分近く。

渡航書を持って係の人が
戻ってきた。

「お待たせしました。どうぞ!」
というコトで無事通過。

何の質問もなく、
書類には「帰国」のスタンプが
押されていることを確認。

今度こそ!
無事帰国した!と言ってよいのだろう、
と思いつつ。
預けた大きな荷物が
無事に今受けとれることを祈りつつ。

荷物も無事に出た!

あとは税関通過のみ。
いつもながら税金がかかるほどの
買い物などしていない。

だからパスポート、
いやこの渡航書を見せて
ただ通過するだけ
のはず。

(その23に続く)
その23
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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その21

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成田まであと1時間。

ただシートに座っている状態で
何があった、とか
何を思い出した、とかではない。

何もアタマに ココロに
浮かぶものなく
「無」な感じ、から
突然やって来た激しい感情。

怖い!
猛烈に。

「きゃあああ❗️ウワアアア❗️❗️」
激しく叫びたい。
猛烈に。

わたしはこの飛行機の外に出たい!
この狭いところに居られない!!

両手をぎゅーっとにぎり
そこに油アセが滲んで来た。
心臓はドキドキだ。

トイレに入って
鍵をかけて叫ぼうか?

あ、その前にアレだ!
アレを出そう。

スター オブ ベツレヘム。
素敵な名前だ。
バッチのフラワーエッセンス。

「ショッキングな事件があったときに〜」
とうたわれている、

パスポート盗難にあったわたしに
ちょうどよいこのエッセンスを
スターサファイアを共に学んだ友人が
くれたのだ。

この3日間、仲間と離れてから
何度コレを使ったことか。

その時のわたしに
こんなに役に立つものを
即取り出してくれる。

そんな魔法使いのような
仲間達に囲まれていたのである。
ありがたい。
感謝しつつ、瓶を開ける。

あ。ない、
もう一滴も・・・

アタマまっしろ。

もともとこの瓶には
スターサファイアコースに参加した皆が
もうさんざんお世話になったのだった。

あらゆるトラウマ、
直視出来なかった過去、過去世、
それを見たり変容を起こしてきた
イタリア半月間の間に。

だから瓶の3分の一、も
残っていなかったのだけど
この3日間で
それを使い切ったレイコであった。

では、どうするか?
なんて考えに行く余裕なかったけど。
とにかくドキドキし続けている
自然に胸に手を当てた。

あ。
「ハート瞑想だ❣️
今こそハート瞑想だ❣️❣️」

ハート瞑想✨
わたしがスターサファイア以前に
学んだ素晴らしい方法だ。

まずはハートの受容のスペースに
この恐怖を居させてあげよう。

・・・
・・・・
・・・・・
20分くらいこの瞑想を
やったと思う。

ほどなく
「当飛行機✈️はまもなく
成田国際空港に着陸致します。
シートベルトをおしめおきくださいませ」
という例のアナウンスが聞こえてきた。

ほっとした。

余裕が出たのだろう
やけに細かいコトをツッコミたくなる。

「おしめおく」
なんて日本語、あるのかね?
飛行機でしか聞かないなぁ、なんてね。

いつも海外に行くときに
いつもは聞かないフォーマルな日本語、
丁寧な日本語を聞く気がする。

さて、とにかくわたしは
助かった。

この旅の後、
飛行機で個人の事情で
緊急着陸なんてしようものなら
末代まで返済出来ないような金額を
請求されるらしいよ、と聞いた。

そりぁハイジャックされたと
同じようなことだろうから
そうかもしれない。

この時の恐怖感は
大げさでもなく
緊急着陸を要求して
外に出たいような強烈なものだった。

正直アレから1年半たった今も
ひとりでの長距離フライトに
耐えられるかどうか

この時の恐怖感が蘇ったら
どうしよう、
と不安がまだあるのだ。

(その22に続く)
その22
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※写真は
「現代思想 1989年12月臨時増刊号 イスラーム」
P143〜より。

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その19

久々にローマの3日間のハナシだ。

この旅を記録しておきたい、
という思い未だ強烈。
記憶鮮明のウチに記す。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
カタール航空の
チェックインカウンターで

行きの成田から持っていた
旅の道連れ
細くて折れそうなキャリーカートを

「それ持ち込んじゃダメよ!」
を喰らったワタシは
シブシブそれを畳む。

「ほら 小さくなったよん」
目で主張。

それ見たとたん
「あ、OK🙆」

やっぱり長いままたためない
と思われたのネ!

これでドーハの長い距離の徒歩移動も
シンパイなし。
よかったよかった✨

さて。
こうなったら出発まで
用意すべきはみやげ、とにかくみやげ!
ジブンのカバンはもういいや。

Bachiの
イタリアっぽいピンクと赤に
赤ちゃん天使が飛んでるパッケージの
お菓子を持てるだけ買い込む。
ピスタチオの板チョコも。

しめて60€くらい。
うーん、お菓子にこんなお金を
かけたのは初めてだ。
もう今しかイタリアみやげは
買えないんだから致し方ないわ。

さて、ドーハゆきの飛行機は
ちゃんと定刻発。
ワタシは乗り込んだ。
サヨナラ、ローマよ!

行きに7時間もかかったドーハまでの
フライトは帰りは
6時間弱だったと思う。

偏西風、でいつもヨーロッパからの
帰路の方が時間は短い。
カラダも少しラク。

ただドーハとヨーロッパ間、
あるいは日本へは到着時刻の調整
(例えば成田は24時間は着陸できない、とかの事情)
のためにフライト時間が長くなるらしい。

その辺、安く乗りたい、仕方ない、
となる。

で。
飛行機の中でウツラウツラしながら
ユメかウツツで蘇るのは〜
あの警察に行く途中の
難民の群れ。
戦いの場から避難してきた人々。

イヤ。
そんな風に見まごう
市民ランナーの群れの姿だ。

「ワタシはかつてあの中に居た」
というフィーリングを改めて感じたのだった。

さて、ドーハには無事到着。

行きにも遭遇したが
石油王のようなベールを被った姿の
男性が金ピカラウンジで葉巻を
くゆらす姿を横目に
バリバリ歩いて移動。

例の細こいキャリーを押しながら。

30分以上歩いたと思う。
ドーハの空港はこれまた
もの凄く広い。
アラブ圏のハブ空港、だかだそうだ。

無事に成田へ向かう次の乗り場に到着。

無事、となると
また気になってくるのはみやげ、だ。

ココでもまずは
手軽なアラブの菓子折を
自分が持てるだけの量、買い込む。

安心して待ち合い何処の
椅子に座り
ホッと息つく。

はっっ!😳😳😳

父に何もみやげを買ってないではないか❗️

この旅に出る前
自分の父
パートナーの父
そして義理の妹の父

父三銃士がほぼ同時に倒れたのだ。

こうなって
ワタシはジブンのサバイバルの恐怖に
おののいた。

自分の足元がガタガタと
揺らぐ思い。

「旅の間に何かあったら
どーしよう!!」
の恐怖感。
旅の間に
もしも父の命にかかわるようなことが
あったら後悔しないのか?

そんな思いで
この旅をやめることも
検討したのだ。

そしてかなりの
重い決断と覚悟をしてこの旅に出たのだ。

それでもわたしには
この旅が必要、と感じたのである。

その感じは
やはり正解だった、
と今思う。

そして前述したが、
後から聞いたら
私のこのパスポートジケンを
聞いて
あの頃立てないはずのわが父は
立ち上がってしまった、という。

そしてその後
「アイタタタ!」のタイヘンな
ことになった、という。

生きるか 死ぬか。
父が、なのか
自分が、なのか

あるいはそんなシロクロ、でもなく。

わたしは生きたいからこそ
命をかけるようなコトを
してきたような、
そんな気もする。

で、そんな父に
何も買ってないことに気づいたワタシは
大急ぎでみやげ売り場に戻った次第。

なかなか適当なモノ、
すぐには目に入らず15分は歩きまわったか。

おお!
ついに。
コレではないかしら。

ランプ❣️
の形をしているが たぶん香立て。
この謎に満ちたデザイン。
とりあえず使い方不明。

凝ってるがこわれやすそう。
この値段が高いのか 安いのか
ゼンゼンわからない。

ということで
買うかどうか迷っていた。

その私の姿を
空港職員さんが
ジッと見ていたようで、

ランプから目を挙げると目があった。

で、その制服の男性職員さんは
「ばっ!」と
わたしの持っていた買い物カゴを
とりあげた❗️
(その20に続く)
その20

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その17

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なんか大使館の外は
まるでシャバに出たという解放感だ。

それにしても
お買い物布バックで行動してるのが
ずっと気になっている。

空港で荷物検査の機械になんか通したら
いかにもバラバラものが落ちそう。
お金は
ジップロックに入れてるし。
(ジッパーつきビニール袋)

あぁカバンを買いたい。
出来れば おみやげも
ガサッとまとめて買いたい!

いつもの旅以上に
今回は義理立てするヒトが
たっくさんなのだ。

結局連絡はしなかったけど
友達の友達の先輩のローマ大使館職員、
なんてヒトまで探してもらって
連絡先を教えてもらったり、
とかしてるのだ。

家族以外にも
何人もをお騒がせしている
レイコなのだ。

そうだ。
ローマ三越に行ってみよう。

むか〜し 一気に手ごろなモノ
の数々をここで手に入れたことがある。
27年前だけど。

地図で見、
ローマ三越方面への道に来たけれど〜。

あ・あ・あ。
断念!
ここからでは遠すぎて
時間がかかりすぎる、とわかった。
ああ 27年ぶりの ローマ三越と
再会を逃す。

後から皆さまに聞いたハナシでは
そんなに惜しむほどの場所でもなかったよ、
とも 聞いたのだが。

さて、こうなると自分のカバンだけでも
欲しいのだケド。
もうテルミ二近くの
大道のみやげ物、とか?

「ローマ! LOVE❤️」
とか描かれた中国製のしか、ない!
(目に入らなかっただけかも)

かくして カバンも
手に入らないまま
どうでもいい
(モノしか目に入らなかったのかも)
キーホルダーや
ローマ法皇のブロマイドみたいのや
よくわからない置物

たっくさんの
みやげ物屋があるけど
ひとつも購買意欲がわかない、
ままホテルに着いた。

何やってたんだか、
ブラブラしていて
あっという間に11時をとうに過ぎている。

こうなったらもう荷物を
出してもらって さっさと
タクシーに乗ろう。

今回はスーツケースでは
来なかった。
ひとり行動が殆どの予定だったから
大きな布バック。
それでもキャリーに乗せての
移動はラクではない。

駅近ホテルだから
キャリーを引いて駅のタクシー乗り場へ。

ほどなく乗り込むと
「日本大使館までだと ◯◯€だがよいか?」
と運転手の方から聞く。

へええ!
こんなの初めてだ。
これまでローマのタクシーでは
散々だった。

ローマタクシー初体験、
あの時は海外旅行も初体験。
やはりテルミニからホテルへ
向かおうとして

巨大なスーツケースを2個
(友達とふたりで行った)、
ヒョイと持ち上げ
勝手にトランクに入れて
誘拐さながらに
持って行かれた、という感じ。
モチロン法外な料金を取られた。

そんな昔のハナシをしなくても

サガプリヤのコース開始前に
ローマで仲間と落ち合うために
駅から乗ったタクシーは
充分高かったし 最初に聞いても
料金不明瞭。

それがほんとにFix プライス!
(表示はよくローマ市内Fix、とかあるが
実際違ったりした)
しかも聞く前に運転手が
言うとは
かなり驚きの事態なのだ。

で、大使館に着いたら。
「領収書は必要ですか?」と。

おーっ!
これもあまりに新鮮なセリフだ。

考えてみれば
そうであろう。
大使館の人達は皆仕事で
タクシー乗っているのだから。

かくして
「必要じゃ!」
と答え、支払い。

その料金にピタリの金額は
持ち合わせていなかった。

確か3€くらい、お釣りのある状態。
ところが 釣りがない、
と言う。

小銭が全く無いわけではなかったが、
こちらには その小銭は
ココで出せない理由があった。

何せ これから大使館で支払う
帰国のための 渡航書発給手数料、
18€。

これは
「決してお釣りのないようピタリと!
ご用意願います」とのコト。

ここで小銭を出してしまっては
その18€ピタリ、が払えず
元も子もない、のである。

というわけで
「釣りはいらないぞよ。」

と言ったら
運転手の
恐縮仕様と言ったらない!

さすがは
泣く子も黙る日本大使館⁈
なのか
これまでありえない対応なのだ。

かくしてタクシーを降り、
今度は警備室での
書類記入は顔パスにて
省略で
荷物検査のみで入場。

大きな荷物は
警備室にて預かってもらう。

さあ、12時10分以上前にまた
ここへやって来た。

あとは待つだけ。

椅子に座って毎日新聞を眺めたり
飾ってある 日本人形を見たり
立ち上がって行ったり 来たり。

ここを出てから2時間後の
12時10分。
待ちきれなくて 窓口の前に立つ。
丸窓ブース⁈の中は
ヒトが右往左往してる様子だが
何をしてるか
外からはあまり見えない、
ので気を揉む。

例えば日本の銀行の受付窓口の内部、
とかの方がずっとよくわかる、
という感じ。

そして12時15分頃。
「お待たせしましたーっ」
の声にほっ❣️

めでたく渡航書が発給されたのである!

「タクシーですね?」

「そうですそうです!
お願いします!!」

の会話を最後にココを去る。
あとは守衛室でタクシーを待つのみ❣️

帰国便は15時30分、
ローマ発 ドーハ経由便に乗り
ドーハから成田だ。

(その18 に続く)
その18

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最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その15


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夕飯までひと眠りの前に。

念のため〜
で開けたPC。
すっかり今日の仕事は
終わった、かと思いきや

こんな時に限って!!
みたいなコトが
日本で起きてた。

この旅で日本を
1ヶ月ばかり
離れていたわたしは
お仕事など
この時まったくないはずが

急ぎの事務対応が今ただ今!
必要な事態になっていた。

ちょっとしたトラブルなのだけども
昨日、まさしく
ここローマで盗難にあった
時間帯にそれは起こったらしい。

これも
シンクロニシティ、って言うヤツか?

まあPCでのやり取り
1時間以内で無事、済んだのだ。
それで済んだ事に感謝したい。

はぁあああ。
ベッドに横たわって溜め息をつく。

それにしても。
行動に疲れ
こうして静かにしていると

なんかハナシが出来過ぎだ、
と感じるのだ。

ホテルや警察や
道ゆく街の人達に
いろんなこと聞いて
いろんな親切を受けて

ここまで
まるでゲームのように⁉︎
歩みを進めてきた。

イチバンのショックは
日本大使館 緊急連絡先のしょっぱな
電話対応で

ここローマ、イタリアの対応は
すべて親切 優しい
そして一旦始まりさえすればスムーズ。

であることに
感激していたのだけれど。

なんだか
これって芝居、みたいではないか?
ローマ劇場??

イタリアの経済
は限りなくわるい、
と聞いている。

電車内の様子、街の様子、
荒れた感じのところは荒れている。
わたしの体感では
Flamencoの地
スペイン、アンダルシアより
わるい。

街を歩けば
「ゼネラルストライキ◯月◯日決行!」
の予告貼り紙とか。

駅周辺や車中には
物乞いやモチロン、ドロボー。

ローマの
ドロボー、警察、ホテル。

もしかして
もしかして皆・・・

ぐる! なんぢゃないのぉおお?

観光客が
ローマにお金を
落とすための
芝居をうってるんじゃないのおお??

という想像がぐるぐる。
ながらも寝落ちした。

はっ!
と気づくと
すぐ夕飯に出かけないと
食いはぐれてしまいそうな時間。

目星をつけていた
レストランへ駆けこむ。
あやうくセーフ。

お味のほどは〜

う〜ん!
最後の晩餐にして今ひとつな感じ。
まあ白いテーブルクロスの上で
ワインから🍷始めて
デザートまでいただく。

それをこの状況で
ひとり完遂したのだから
よし!としようではないか。

この夕飯の席で
初めて隣りの隣りのテーブルに来た
日本人のご夫婦に
話しかけられた。

サガプリヤのエネルギーワークの
グループメンバー以外で、
初めての日本人との会話をここで少々。

さあ、明日は帰国をかけた決戦だ!

(その16 に続く)
その16

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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その14

☆☆☆☆☆
さあ、めでたく
パスポート用写真を撮ったゾ。

後は日本大使館の場所だ。

この時は
テルミニからホテルに戻らなかった、
気がする(キオク曖昧)。

戻ったら寝てしまう、
という気がした気がする。

で、ローママップを見ると
在ローマ 日本大使館は
ホテルから歩いて30分強ほどだろう場所。
見つけるのにむずかしくなさそう。

しかしながら
明日は帰国決戦日!
朝初めて探す、
のはやめておこう。
今歩いてみよう。

その通りはすぐ見つかった。
目抜き通り、ではない。
そういうのに平行した
少しそれより細い道。

へえ、こういう通りに
日本大使館があるのかあ。

この時思い浮かべてたのは
大きなビルの何階かにあるのかなあ、
なんて思ってた。
盗難届をゲットした警察の建物のような。

住所のあたりに小さめのビル、
あれどもどうも違う。

そのうちこの通り沿いに出てきた
あらまあ✨
レイコ好みの素敵なお屋敷
瀟洒でクラシカルな洋館✨✨

3階建てかしら。
ビルとは違って
小ぶりでまとまりがあって
上品な😍

え!
ココが日本大使館⁈

なんて素敵なの!😍😍😍
ローマに住むならぜひ
ココで働きたいわ!!

なんて勝手ながら 思ったのですわ💕

モチロン日曜のこの日はお休み。

鉄格子、と言ってもこれもあくまで
瀟洒な感じの扉、
中がよく見える開放的な空間。
建物の入り口までは結構な距離。
ゆったりスペース。

お屋敷左手の
警備員小屋のような建物から
キチッとした制服姿
高身長のイタリア人(たぶん)
の警備員さんが出てきた。

瀟洒な鉄格子につかまって
中を覗きこむわたしに

「きょうは閉館ですよ」
と優しく かつ紳士的に
話しかける警備員さん。

なんか、
ノーブルな感じだわ!
さっきの警察とはかなり違う雰囲気だわ!!
と喜ぶわたし。

「ハイ、知ってマス。
パスポートをなくし、
しかし明日の便で帰りたいのです。」

と、聞かれてもないのに
また事情を説明するわたし。

「ふんふん。
ではまた明日の朝
来るんだね。」

「はあい。また明日✨」

この会話に気をよくして
また 少しるるん、
というキブンになり
ホテルへの帰路へ。

何せこれで
今日の仕事が ほぼ終わったのだ。

明日大使館に持っていく
モノは揃えたのだ。

カンジンの戸籍謄本を
除いては。
あぁ弟が、奇跡的に取りに行けて
大使館に送ってくれたらぁあ〜っ。

もうこれは考えても仕方がない。

きょうは
後、ひとりでどんな
ローマ最後の晩餐するか
だけ考えればよいだろ。

道すがら
ステキなレストランを
物色しながら 戻る。

あとで ココに食べに来ようかな〜
という候補が複数出来た。

どんなときだって
美味しいモノを食べること
考えるのは楽しい✨

・・・
ホテルに戻った。

そうだ、
帰国便のリコンファーム、
でなくて
事前のPCからのチェックイン。
搭乗24時間前から出来る。

行きはした。
早めにすれば希望の座席が確保される、
可能性が高い。

今回はどーする?
チェックインしてしまえば
もう便の変更は出来ない。
(そうでなくとも変更出来ないチケットだけど)
もし明日の大使館で手続き間に合わなかったら?
どーなる??

もー考えるのも
メンドーになり、
やらないことにした。

他にやることあったか?
ないと思うケド 念のため
ベッドに倒れる前に
PCを開けて見よう。

えっ。

まだあったみたい!

(その15 に続く)

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その15