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タイでの冒険ーその1

1年前の夏の終わりのきょう 書いたこの記事。
今朝続き書きました。

サガプリヤのスターサファイアのワークで
たびたび出てくる
わたしの男性性の「冒険心」。

元々はこういうトコロに現れていました。

それがやがてFlamencoの旅につながって行きます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

久々 タイレストランに入って
思い出した。

ウン十年前に フラメンコの踊りの教室で 仲良しだった友達とふたりで夏休み旅行でタイへ。

その頃 残業100時間とかしていたわたしは バンコクで高熱出してた。

「ダイジョブ ダイジョウブ〜 銃声に追い立てられれば 高熱あったって逃げれるよ〜
あははは〜〜」

というカンボジア人のガイドさんに励まされ、
旅程どおり プーケットへ移動。

そこは〜。
文字どおりのリゾート地、周囲にエンタメ何もなし。カップルで来たのでもない若者の私達には
「つまらないな〜」という第一印象だった。

何もないから 当初数日寝ていたおかげで元気も回復。

それにしても私達の部屋の横がダンスホール⁉︎(というのだろうか、ディスコではなかった。ジブンに無関係)
の騒音がうるさい。

部屋を変えてくれ、とリクエストしたが、叶わなかった、と記憶している。

それを毎朝、朝食時に顔合わせて なんか親しみを感じてた従業員(若者男子20代 2名)、に訴えた、とも記憶してる。
ついでに
「毎日海辺でゴロゴロしてるだけでオモシロイ?」
「いや ゼンゼン! なんてタイクツなの!ココは!!」
という会話になった。

〜〜〜〜

で。

彼らふたりは翌日だか、翌々日だったか、一緒に休みを取る画策はじめた。

私達に「街まで案内するよ! 一緒に遊ぼうよ❗️」と。

むむむむ。楽しそう❣️

続きはまた✨

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その24

ここからは3日間のローマから
日本帰国までの奮闘記の後日談、である。
この後も色々あった。

それから
この3日間の前のスターサファイアの
ハナシにいくつもりだ。
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DSC_0834

帰国から22日。約3週間たった。
新たな事件は
忘れもしない11月25日の夜だ。

この頃までにはこの事件にまつわる
いろんな用事を
かなり済ませていた。

例えば
ローマでドロボーに持っていかれた
スマホに代わる新しいiphoneの購入。
なんて快適なの!

操作は早く
写真は美しく
たくさん保存ができるわ!

前のスマホは4年以上使っていた。
早く変えろ、
というドロボーからのメッセージだったのか?

大きかったのは
とられたもののリストを
保険会社に申請したら、
かなりの金額の保険がおりたコトだ。

特にスマホの申請を忘れていたら、
保険会社の人が「申請した方がいい」
と教えてくれた結果、
○万円の査定がついたのは大きかった。

勝手に
もうこのスマホは二足三文だろう、
と思いこんでいたのである。

おかげで、一緒にアッシジ近郊から
ローマまでのタクシー代、
仲間達に返すことも出来たのだ。

盗られたカバンに入っていて
また買う必要のあるもの、
ほとんどこの保険でカバーが出来たのだ。

もう無ければ無いでよい、
というものもかなりあった。
電子辞書とかね。

保険のおかげでホッとしていた。
大騒ぎの末
プラマイゼロ、という感じだ。

あ。
もう用は済んでるからと
忘れちゃいけない、
と面倒だけどしかりと済ませたのは

ローマの日本大使館への
レイコ戸籍謄本原本の送付。

なんと言っても
またローマに行く必要、
あるかもしれないしね。

まさか学生時代の初海外旅行以来、
2年続けてイタリアに行くことになるなんて
夢にも思っていなかった。

Flamencoならスペインだし
瞑想ならインド、
に行くのはありそうな気がしていたけど
イタリア、かあ、という感じだった。

それもこれも
スターサファイア エナジーワークの
ため!

というわけで今後の人生
またイタリア、ローマに行き、
そしてまたドロボーにあわない
とは限らないからね。
そしたらまた日本大使館だからね。

さて、11月25日のハナシだ。
なぜこの日だった
と鮮明な記憶があるかというと、
もはや懐かしい、
でもとっても会いたかった

Flamencoは
ブレリア デ ヘレスの
お師匠さん、
アニー先生。

その傍らにいつも居たアフィシオナード
でありアルティスタ、
Zorriおじさんと
日本で感動の再会を果たしたからである。

10月はじめ、
わたしがまずこの旅で
目指した目的地、

スペインは南のアンダルシア地方
ヘレス。
このFlamenco震撼の地から
来日したのだ。

アニー、Zorriのあまりに
MUY Flamenco、
つまりとってもフラメンコである
魅力については
別の記事に譲るコトとする。

この人達が日本に来る、
なんてコトは滅多になく
Zorriおじさんに到っては初来日だった。
御年80歳にして。

旅行保険、なんてかけるの大変だった、
と聞いた。
そんなハナシも別の機会にゆずろう。

とにかく滅多にない機会に恵まれ、
よいタイミングで会いたい
人達に再会した
なんともラッキーでめずらしい
夜だったのである。

この日はしかもレッスン、などでなく
fiesta、フィエスタであった。

これは言ってみればFlamencoの
パーティだ。

わたしは嬉しくて、
いつもは飲まないビールを
ススメられるがままにグイグイ飲んだ。

お酒をあまり強くはない
レイコだが、
スペイン、特にこのヘレスに
行くと 文字通り「ヘレス」という名の酒を
飲むことになる。
結構これは好きなのだ。

日本ではシェリー酒、と呼ばれてる。
ティオ ペペ、とかは日本でも有名だから
皆もよく知っている名前だと思う。

ヘレスはこのヘレス、
つまりシェリーが作られている
土地なのである。

と同時にFlamenco震撼の地であり、
古い歴史を誇る、
セントロでは
人々か遺跡の中で暮らしているような
古く伝統ある街なのである。

で、ビールは
なぜかこのヘレスより、ワインより
酔っぱらってしまうのである。

アルコール度数としては
ビールの方が低いのにね。

で、ビールを飲んで帰って
寝たら。

なんだかカラダにあわない、
アルコールがカラダに残っていて
軽い神経痛みたいになっていた。

特に腕。
お酒、特にビールを飲んだあとに
こんな風になるのは
これまでもあったから、
別に心配していなかった。

なんだかフィエスタで興奮したからか
寝られない。

もう夜中3時近い。
いつもより左腕が気になる。

そのうちに〜。

(その25 に続く)

前のハナシは
上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その17

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なんか大使館の外は
まるでシャバに出たという解放感だ。

それにしても
お買い物布バックで行動してるのが
ずっと気になっている。

空港で荷物検査の機械になんか通したら
いかにもバラバラものが落ちそう。
お金は
ジップロックに入れてるし。
(ジッパーつきビニール袋)

あぁカバンを買いたい。
出来れば おみやげも
ガサッとまとめて買いたい!

いつもの旅以上に
今回は義理立てするヒトが
たっくさんなのだ。

結局連絡はしなかったけど
友達の友達の先輩のローマ大使館職員、
なんてヒトまで探してもらって
連絡先を教えてもらったり、
とかしてるのだ。

家族以外にも
何人もをお騒がせしている
レイコなのだ。

そうだ。
ローマ三越に行ってみよう。

むか〜し 一気に手ごろなモノ
の数々をここで手に入れたことがある。
27年前だけど。

地図で見、
ローマ三越方面への道に来たけれど〜。

あ・あ・あ。
断念!
ここからでは遠すぎて
時間がかかりすぎる、とわかった。
ああ 27年ぶりの ローマ三越と
再会を逃す。

後から皆さまに聞いたハナシでは
そんなに惜しむほどの場所でもなかったよ、
とも 聞いたのだが。

さて、こうなると自分のカバンだけでも
欲しいのだケド。
もうテルミ二近くの
大道のみやげ物、とか?

「ローマ! LOVE❤️」
とか描かれた中国製のしか、ない!
(目に入らなかっただけかも)

かくして カバンも
手に入らないまま
どうでもいい
(モノしか目に入らなかったのかも)
キーホルダーや
ローマ法皇のブロマイドみたいのや
よくわからない置物

たっくさんの
みやげ物屋があるけど
ひとつも購買意欲がわかない、
ままホテルに着いた。

何やってたんだか、
ブラブラしていて
あっという間に11時をとうに過ぎている。

こうなったらもう荷物を
出してもらって さっさと
タクシーに乗ろう。

今回はスーツケースでは
来なかった。
ひとり行動が殆どの予定だったから
大きな布バック。
それでもキャリーに乗せての
移動はラクではない。

駅近ホテルだから
キャリーを引いて駅のタクシー乗り場へ。

ほどなく乗り込むと
「日本大使館までだと ◯◯€だがよいか?」
と運転手の方から聞く。

へええ!
こんなの初めてだ。
これまでローマのタクシーでは
散々だった。

ローマタクシー初体験、
あの時は海外旅行も初体験。
やはりテルミニからホテルへ
向かおうとして

巨大なスーツケースを2個
(友達とふたりで行った)、
ヒョイと持ち上げ
勝手にトランクに入れて
誘拐さながらに
持って行かれた、という感じ。
モチロン法外な料金を取られた。

そんな昔のハナシをしなくても

サガプリヤのコース開始前に
ローマで仲間と落ち合うために
駅から乗ったタクシーは
充分高かったし 最初に聞いても
料金不明瞭。

それがほんとにFix プライス!
(表示はよくローマ市内Fix、とかあるが
実際違ったりした)
しかも聞く前に運転手が
言うとは
かなり驚きの事態なのだ。

で、大使館に着いたら。
「領収書は必要ですか?」と。

おーっ!
これもあまりに新鮮なセリフだ。

考えてみれば
そうであろう。
大使館の人達は皆仕事で
タクシー乗っているのだから。

かくして
「必要じゃ!」
と答え、支払い。

その料金にピタリの金額は
持ち合わせていなかった。

確か3€くらい、お釣りのある状態。
ところが 釣りがない、
と言う。

小銭が全く無いわけではなかったが、
こちらには その小銭は
ココで出せない理由があった。

何せ これから大使館で支払う
帰国のための 渡航書発給手数料、
18€。

これは
「決してお釣りのないようピタリと!
ご用意願います」とのコト。

ここで小銭を出してしまっては
その18€ピタリ、が払えず
元も子もない、のである。

というわけで
「釣りはいらないぞよ。」

と言ったら
運転手の
恐縮仕様と言ったらない!

さすがは
泣く子も黙る日本大使館⁈
なのか
これまでありえない対応なのだ。

かくしてタクシーを降り、
今度は警備室での
書類記入は顔パスにて
省略で
荷物検査のみで入場。

大きな荷物は
警備室にて預かってもらう。

さあ、12時10分以上前にまた
ここへやって来た。

あとは待つだけ。

椅子に座って毎日新聞を眺めたり
飾ってある 日本人形を見たり
立ち上がって行ったり 来たり。

ここを出てから2時間後の
12時10分。
待ちきれなくて 窓口の前に立つ。
丸窓ブース⁈の中は
ヒトが右往左往してる様子だが
何をしてるか
外からはあまり見えない、
ので気を揉む。

例えば日本の銀行の受付窓口の内部、
とかの方がずっとよくわかる、
という感じ。

そして12時15分頃。
「お待たせしましたーっ」
の声にほっ❣️

めでたく渡航書が発給されたのである!

「タクシーですね?」

「そうですそうです!
お願いします!!」

の会話を最後にココを去る。
あとは守衛室でタクシーを待つのみ❣️

帰国便は15時30分、
ローマ発 ドーハ経由便に乗り
ドーハから成田だ。

(その18 に続く)
その18

⭐️前のハナシは
上記メニューより
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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その11

ハナシは3軒目の
馴染みの警察へ来たところだ。

☆☆☆☆☆
この度は
この警察でどんな経験をするのかなあ?

もうこの際、楽しむことにした。

また1階左側の部屋で
最初の受付をする。

「盗られたの?何を? どこで?」
みたいな最初の問答。

前回はその後、
右の部屋で待ったのだけど
今回は即
「上の階へ上がって」
とのことだった。

上の階ね、はいはい。
前回も行ったもんね。
2階の左手の部屋でしょ。

パーテーションが上半分
ガラス張りのね。

中の机と椅子で面接しながら
盗難届けとか書いてる様子が
見える
アソコでしょ。

前年そこで
初めての盗難届けの書き方、
教えてもらいながら

ようやく記入を終え
「ふうーっ」と
深いため息をついたわたしに
担当警察官は
熱い握手をして
あの部屋から
見送ってくれたものだった。

それにしても今回の
警察官達
(だと思うけどそう言い切る自信がない)
の格好、服装はラフ極まりない、
ヒトが多い。

所謂 制服みたいな姿が
あまり見当たらない。

日曜で
ここに居る何人かは
「警察官のお友達」
が遊びに来てんのかな?
なんて思ってしまったくらいだ。
(真相はわからず)

で、上の階に上がったら
さらに上の階(3階)に導かれた。
わたしの担当⁈
のオニーサン(警察官だと思うが)は

ラフなメンバーの中でも最もラフな姿、

白いヨットパーカーに
ジーンズ、サンダル姿である。

このヒトについてって
よいのかね?

と一瞬思った。
けどココは警察、言うこときいて
行動するしかあるまい。

で、

外から来た我々が入るのは
2階までと思ってたけど
3階にも盗難届け書くような
スペースあるのかあ、
へええ。

と思いつつ、導かれるまま
3階に上がる。

そこは❗️
机の上に書類が散乱、
机やいすの置き方ジタイもなんかランダム、

どこに何が置いてあるか
わかりそうもない
散らかり放題の事務所、という様相だ。

ここが警察でなく、
何かクリエイティブな創作する
ミニオフィス、とか言われれば
まだ納得したかもしれない。

スチールの書棚扉には
超グラマーな
ビキニ姿の色っぽ〜い
おねえさんの巨大ポスター、あり。

いや、クリエイティブなオフィスの一角
というよりは
フツーの庶民のオニーサンの部屋、
って感じかなあ。
この目の前のオニーサンのような。

で、
そのオニーサンは
オフィスの一角に
わたしに座るよう促し

急いで目の前の書類とかを
かたづけた。

「コレに記入して。」
とイタリア語表記のみの
盗難届をわたしの目の前に出した。

そこで わたしは
「昨年は 日本語(どれだけ盗難にあう日本人多いんだ!)のがあったのですが。
せめて英語のはないですか?」
と聞いた。

オニーサンは
「うーん!」とうなり
散乱につぐ散乱の書類を
ちょいとは探してくれた。

が、すぐには見当たらないようだった。

で、
「ない」、とのこと。

「ないと何をどこに記入するか
わからないの、困る」
と答えた私。

イタリア語、
特に文字になると
ほとんどわからないのである。

ちなみに
ここまでの会話は
スペイン語、で押し通している。

これまでのFlamencoの旅で
自由自在、とまでは行かなくても
旅であればまあまあ困らない程度の
スペイン語が口から出てくる
習慣がついていた。

これがイタリアを旅する
命綱になっていた。

イタリア語とスペイン語は
似ている。
わたしはイタリア語わからなくても、

イタリア人は
なんとか類推して
わたしの言いたいこと、
わかってくれる人が多いのだ。

ここイタリアでは
英語で話すより
(たいして話せないのだが)
スペイン語の方がよほど
コミュニケーション出来るようだ。

ところが
イタリア語、皆が話している言葉より
さらに
書類、文字になるとカラキシ
わからないのだ。

そんなわたしへの
オニーサンの返答は〜

「あなた喋れてるんだから
(イタリア語のみ書類で)
いーじゃない!」

と来た。
コレへの咄嗟のわたしの受けコタエは

「コレ、スペインごぉおおお‼️」

もはやこの時 日本語、
そして大声だった。

オニーサンはわたしのコトバのイミは
わからなかった気がするが
わたしの勢いに押されてか
ようやく
英語併記の イタリア語盗難届が出てきた。

記入しようとすると
「待って!」
とオニーサン。

どうやら原紙、
みたいなものだったらしく
コピーをするから、
と持ってった。

やれやれ。

そして記入。

被害総額、とかマジメに計算してると
えらく時間がかかる。

もーいーわい!
えらく、概算。

オニーサンに渡すと
ポーンっ!
とハンコを押し、記入ないところに
くの字を書く。

1秒。

読んでない、と思う。

ここまで3階に
上がってから約十数分。

前年も思ったが
素晴らしく
仕事がはやい‼️

日本でむかし
自転車盗られて届けた時には
2時間半、かかった。

さすがはローマだ。

さあ、いったん
ホテルへ戻ろう。

2階に下がると
昨年盗難届を書いたあの部屋、
は暗い。
2階は営業終了?
休日の節電対策で
散乱の3階事務所で手続きした??

もーいいか。
そんな理由、どーでも。

おつかれさまあああ!
わたし。

(その12 に続く)
その12
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「イタリアで見た過去生と直後の事件」
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イタリアで見た過去生と直後の事件~ローマパスポート盗難 その10

サンタマリアマジョーレに通じる道で
目の前のランナーの群れに 
なぜ飛び込んだのか?

☆☆☆☆☆☆
人、人、人の群れ(ランナー)。

それは戦いから逃れて来た人々のように
その時の私の目には見えたのだった。

「今だ!」という何かからの声を聞いた気がして
咄嗟に飛び込んだ。
今この行動をするかしないか、は
まるで 私の生死の分け目のような気がした。

私の右肩をグゥウ。
とつかむ警備員。
当然制止するだろう。

わたしは腰を落として身を低くすることで
その右肩を掴んだ手から逃れた。

こんなワザどこで覚えたんだろ?
という感じ。

とにかく私は今
道の向こうに渡るのだ!!
(警察行くんだからさ)

こんなに強い意志に従って
走ってはいるのに
なかなか進みゃあしない。

この爆発的に増えた大人数を横切るには
私だって前に進みながら
斜めに横断していくしかないのだ。

昨日までは数秒で横断していたその道を、
数分走った。
ランナー達とともに。

ただ無我夢中、の瞬間もありながらも
この数分間にアタマをよぎったよしなしゴトは~

わたしローマまで来て何をやっているんだろう。
普段も走ることなんか滅多にないのに!
前回走ったのは電車に乗るときだったかなあ。

とかなんとか。

なんかこの人たちは(一緒に逃げた)同志っぽいわ。
警備員には肩を掴まれたのに、
この大人数のちがう方向に行くひと達と
殆どぶつからないってどういうことかしら?

で、無我夢中とこれらのアタマの中のブツブツ言葉が
交錯しつつ。
無事 向こう岸、にたどり着いたのである。

たどり着いたわたしを見て
「おーっ。関心関心!(あるいは呆れる)」
みたいな表情で目を丸くしている人たち。(たぶん観光客)。

警察へご用がなくとも
この岸辺にいた人たちも できれば早く道を渡りたい、
のである。
彼らもこのマラソンで10分以上ふいに
待たされることになったようだから。

しかしこんな荒ワザで横断した人は
他に誰もいないようだった。

出よう、と試みてた人は何人かいたけれど
みな警備員に止められ、横断出来なかった。

その人々のかなりの注目の眼差しに
どういう顔をしてよいかわからぬまま
その日3軒目の警察に向かった。

マラソン中、前進を余儀なくされてたので
元来た道をかなり戻ってた。

もうここは素直に
マラソン沿道でなく
警察の通りへ行こう。

で、なんだあ。
たった1本平行した道だった
Via Farini.

この通りに来たら
なんと30秒ほど前マラソンしていたのが
ウソのよう。

別世界なのだ。
なんだか日常に戻ったのだ。
(ローマに居るだけで非日常、盗難にあってさらに非日常だけれども)

で、馴染みの警察の入口にやってきた。

ふふふ。ここはもう知ってるもんねえ。
という安心感とともに。

時間は12時半を回っていたと思う。
きっとあのマラソンのスタートは
12時だったのだろう。

「昼休みの時間にかかると、ロクなことがない」
という思いはそれまでのイタリア、
というよりFlamencoのためにスペインを
何度も旅した経験から
骨の髄まで身にしみていた。

今回の旅も、イタリアに来る前に
しばらくぶりにスペインに行ってきた。
セビージャ⇒ローマという初めての路線の
フライトを経験、
実に面白かったが
それなんて結果的に小さなことで

いやここローマで
今ドロボーなんかに合わなくても、
その前のスターサファイアエナジーワークの
半月間のがっつり経験したコースを受けなくても、

イタリアに向かう前にスペインで
もう日本に帰ってもいいや、
と思うほど充分な
楽しい、感動する、ドキドキする
実りある
旅をしてきたのである。

お腹いっぱい状態な上にさらにさらに
また様々な経験をした旅だったのである。

で、たぶんイタリアは
スペインより1時間くらい昼休みが早いみたい、
となんとなく掴んでた。

スペインだと午後2時頃からで、
その後5時頃までは お店とか完全に閉まる。
スーパー、とかはやってるけど。

イタリアの警察だって
3時間くらい休むかもしれない。

公式に休み時間でなくとも、
昼飯食べるべき時間に働いてくれ、というタイミングには
人々は皆あまりに不機嫌なのだ。
そしてそんな時はムリヤリ何かを頼んでも
マチガイも多いし、いつも以上にノロい。

航空会社のカウンターであれ、
タクシー運転手であれ、
警察であれ、だ。

本来ニンゲン、それでいいんじゃないか、
とそういうのに賛同してたわたしは
自分自身もそういう行動形式にもなってたわけだ(スペインではね)。

なんせきょうは日曜だし、こういう傾向はマックスだろう、

という思いからの焦りもあったわけだ。

で、まあ昼前に訪問出来てラッキー。
でないと他の用が済まなかったかもしれない。

で、警察の入口を入ると
両側に見覚えのある部屋。

そうだそうだ。この右手の部屋で前年
待たされたのだ。

あのときは「お金盗られました~」
とかなんて言うのかなあ、
なんて考えながら話かけようとしたら

「すとーるん?」「スィ」
の一言で済んで拍子抜けしたのがスタートだった。
で、この右の待合室には盗られた人が
何組も待っていた。

日本人かな~と思って話しかけた男性親子は
上海から来た中国人だった。

何を盗られたんデスカ?
と聞いたら

「ホテルについてすぐお金をおろしてきた」
「で、それをベッドの上に置いて少し部屋を離れたら30秒で盗られた!」
とのこと。

「ネットで確かな予約サイトで探した、
ちゃんとしたホテルだと思ったんだよおお!」
とわたしに訴えた。
中国人のオジサンの手にはPCからプリントした
ホテルを予約した紙。

見せてもらうとわたしも予約した覚えのある
ホテル予約サイト名だった。

で、いくら盗られたんデスカ?
と聞いたら

「1万5千ユーロ、、、」

だってさ。
あははーっ。ざっと200万弱ぅ?

私たちの100倍以上なのね。
(前年の被害金額はそんなものだった)

もうわたしは何がホントか、
とかぜんぜんわからなくなっていた。

さあて、今回は
この警察でどんなことがあるのだろう。

(その11 に続く)
その11

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「イタリアで見た過去生と直後の事件」
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「わからない で生きる」とは?【前編】

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「今まで生きてきたのが、ウソな感じがする。
  わたしの人生をホントウのものにしたい!」

そう泣きながら 言って始まった
スターサファイアのセッション。

これが初めてのサガプリヤとの出会い。
一昨年のことです。

この時、わたしの女性性は
穴に入ってブルブルと震えている白うさぎ。
(こんな感じの女性性、と説明するための比喩です)
とても怖がりなのです。

そして男性性はハードに働いてきたヨレヨレのサラリーマン。
(のような男性)
男性性はエゴで女性性を食わしていたのです。

女性性はひたすら
男性性にコントロールされていました。
自分で住む場所も選ばず 穴で震えていました。

一方、男性性がやってきた仕事に喜びはありませんでした。
一時は楽しくやっていたその仕事に、
もう愛がなくなっていたというのに

白うさぎを食わせるため
ムリヤリ続けていたのです。

女性性は唄うことを愛しています。
唄うことを通して
存在とつながれることをとても感謝しています。
 
しかし、現実を生きていない!
男性性、女性性ともに。

これが一昨年のスターサファイアセッションで
赤裸々になった
自分の状態でした。

これを知ったのは
あまりにもショックでした。

確かに働いて働いてきた、という思いがある私の一部(=男性性)
はとても疲れていました。

そしてもう一方の自分(女性性)は、
自分で生きる、という態度、気力がまったくなかったのです。
自分は出来ないのだ、と思っていました。

この先、生きていくのに、
まったく希望がないようにも感じました。

セッション終了後、
ショックで途方に暮れたようになっていた私に
サガプリヤは言いました。

「あなたがこれから
ホントウの人生を生きれる可能性は、あります」

Reikoは言いました。
「えっ!
 それには どうしたらよいのですかあああ???」
思い切りサガプリヤの前に身を乗り出していました。

対するサガプリヤのお答えは~
「それには~」
「今までのあなたは「どうしたら?」で生きてきました。
これからは「わからない」で生きなさい。」

はあ?????
まるで禅問答のように感じました。

これがどういうことだったか、
ようやく 今ごろ説明ができます。

「サトルボディヒーリングは
 単なるチャクラのヒーリングではない」

のプラサードの名言が突き刺さった
「メンタルプログラムの解放」の数日前の再受講。

この日をまたなくても
「わからない」とは何か、
プラサード達から再三聞いていたのですが~。

この2年前のセッションとバチリと
結びついて理解したのは
ようやく今。

(続く)