「Flamenco」タグアーカイブ

ランチタイムコンサートでFlamenco✨

12日のオフィスビル🌸🌸🌸
ランチタイムコンサート

初めての場所でした。

いらしてくださった方々✨
でなくとも投稿をご覧くださってる方々✨
ほんとにありがとうございます

うたっていて
皆さまのエネルギーが波のように
感じることがよくあります。

居てくれた人達のエネルギーを存分に感じ
受けとるという体験😀😀😀

昨日はふだんは右往左往に
人々が行き交う場所。

そこが一瞬であれ、
何かひとつにまとまる、
という感じ😀、味わいました。

皆生きているんだね。
何というか
生命がいっぱいで
それが波のようにやってくる😃🌊🌊🌊😃
、とつげたら

来てくれた友人は
生命力や情熱のようなものがやってくる😃😃😃
と伝えてくれました。

こういうことがわかるのは
この上なくうれしい💕

そしてそれが
これまで未知の場所、初めての場所で
確認出来たのは
この上ないよろこびです✨✨

こういった循環がたくさん
起こるように
唄っていけたらよいな💕💕💕

ありがとうございます✨

レイコ葉山独演会☆彡第2章「唄声は内側の宝石への通り道」開催決定。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。

ごく小さな フラメンコ唄のコンサートです。

 昨年ここで初めてひとり✨
Flamencoカンテソロ、唄のみの催しをさせて
いただきました。
 
唄いはじめて20年。
ようやく 一番のスタイルを
見つけた気がしてます🌸🌸🌸

 暖かい皆さまからの愛をいただき
この独演の機会から 
たくさんの滋養を得て学びました。

貴重な体験のこの場を続けさせていただきたく
 2回目を催します。

 
 遠方、そしてたぶん座布団での
フラメンコでございますが
よろしかったら 葉山を散策がてら
どうぞお越しくださいませ✨✨✨

日時: 2017年4月16日 日曜日
2時半開場  3時 スタート

 場所: 葉山 森戸海岸バス停 より徒歩7分 
個人宅
(JR逗子駅、もしくは京浜急行 新逗子駅より
バス利用。
 いらっしゃる方に詳細お知らせ致します。)

 ・カンテ(Flamencoの唄): 清水玲子  
ギター: 木南利夫

 ・入場料: 3000円  要ご予約
   (お支払いは当日現金でお願い致します)

 ・定員: 15名さま

※ご予約先 レイコ シミズ サンギートまで。
(お問い合わせフォームよりご連絡くださいませ)

☆彡これを機会に Flamencoメルマガを始めます😀
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ガルロチ*メルセデス デ コルドバのグループ

初ガルロチ。
コーフンしました✨✨✨

いやあ予想以上にヨカッタ❣️

今のFlamencoがどんどん古いもの、原点に
若いヒトほど激しく帰っているのかも✨✨

Figura(一座の主役)のメルセデス デ コルドバ✨✨

動きは今っぽいこともしているのに
昔の踊り手さんのような古式ゆかしい
雰囲気を持ち合わせ、

まるで少なくとも60才ぐらいの
貫禄✨✨✨😳😳😳

体も小柄。

Loli Floresとかの雰囲気、と言われて
そうだ、そうだ!
と膝をうつ。

そして後から
あのフェミニンな
女性の踊りの中の
もっとも女らしい踊り手

あのメルチェ エスメラルダも思い出した!

ほんとFiguraってやっぱり何かが違う。
ただうまい、とかではない。

存在の濃さが違うのか?

こちらに送ってくる周波数のようなものが
他の人とは違うチャンネルを
使いこなす存在✨✨

ギターはひとりだった。
へええ。

毎日ショーをやるのだから、
何かあったら1人じゃタイヘン!
と思いつつ。

あのヒトだったらかえってひとりがよいかも、
と思わせられる骨太で独自な音。

こういうのが好き❣️

ほかのギターの音が混ざらなくて
よいかもしれない、と思った。

綺麗だけどフニャフニャの音はもう
聞きたくないもんネ。

だからこういうの凄く嬉しい✨

そしてマリア テレモート❣️
半ば彼女の唄が目的で行ったのだ。

もう感慨深い✨✨✨

彼女のおとうさんは数年前に
亡くなっている。
まだ40代だった。

17歳の彼女が唄う姿は
どうしてもテレモート一族の
血の濃さを
感じさせ、

まっすぐ唄ってるだけのようで
どうしてもそれが出てくる。

立ち姿だけでも
テレモートイッホ(おとうさん)が
出て来て、

顔だってどうしても似てるから
それ見てよけい感じるのかもしれないが
テレモート一族のソレ❗️

死んでしまっても

決して一族の芸が
滅びることはないんだ

こうして代々受け継がれてゆくんだ

というさまを
まざまざ見せつけられた。

10年前にヘレスで
みかけたときは
小さい子供だったのに!!

ほかの踊り手、歌い手もヨカッタ✨

唄っているのは全純粋伝統的な唄のみ。
こういうのをやって欲しかった❣️

数年前までのグループには
ありえなかったと思う。

古いものを見て
たくさん勉強してるんだな、
とひしひし伝わってきた。

Flamencoが
ようやく元に戻ったという感じ、
ヨカッタヨカッタ✨✨

という報告でした。

ガルロチは
新宿伊勢丹会館にて
ほぼ50年の営業を終えた

エル フラメンコの後を継ぎ

スペインから来日するアーティストグループ
によるフラメンコショーを
毎日実施している

貴重な存在、
Flamenco タブラオです。

これまで エルフラメンコで
繰り広げられてきたショーを見ることで、

そして来日したアーティストに
習うことで
たくさん勉強させていただきました✨✨✨

※ガルロチの情報 詳細は ⇒ コチラ

3.11の地震とサトルボディヒーリング。

今年の3.11は唄ってた✨
感謝✨✨✨

あの年あの日は

サトルボディヒーリングの
コースを受講中で

三浦半島の
宿泊していた先が
そのまま避難所となり

グループごとに
宴会場でざこ寝😳

地震以前に
それまで見ることが出来なかった
ジブンの中にあるものを

見てしまった!
見てしまうぞ!

という感覚で
苦しんでうんうん寝られなかったので

この宴会場のざこ寝で
ようやく安心して熟睡したのだった👀

今思えば
あれは信頼✨のスペースだった。

サトルボディヒーリングは

そのヒトの本質が何かを見て

その本質につながるのに
妨げになるようバランスの乱れた
チャクラのエネルギーを
元の流れに戻し
本来のジブンに戻るためのもの。

自分の困難な状況、
受容して抱きしめる✨

するとエネルギーが動き出す✨✨

あの頃から練習して
そしたら
今まで出てこれなかったものが
ドンドン出て来た😳😳😳!

そんな最初の時期だった。

あの地震で
明日からのこのコースを
どうするか。

そんなハナシになった。

色んな意見があって、
まったく歩みよれないと
感じるような違いもあり。

それをハッキリ言うヒトもいたし
違うと感じても表現しないヒトも居た。
わたしは言った気がするが
ほかにも
もっともっとあった気もする。

で、
別に誰かの意見を優先したとか
誰かが妥協したわけでもなく
何かしら自然な流れはこう、
というのが出来たと思う。

その中で各人が「こうしたい」
ということ、やったと思う。

ということでわたしは一旦
家に帰った。

これが他の人の意見がどうであれ
「こうしたい」を
実行する、
言いたいことを言わない、言えない、
状況を破る

地震後最初のトレーニング
だったかも。

地震後数日。
計画停電などと言うハナシ。

色んなものの自粛、
特に歌舞音曲、みたいなハナシ。

「それでもFlamencoやるの⁉︎
今この状況で❗️」

というのがコース後
すぐにやってきた。

わたしはやりたかった。
関わりのあるものは、選べるならやる。

で、やった。

逆の意見のヒトと
真向意見を戦わせた。

疲れたが愛を感じた✨

日和見のヒトには感じられないものだった。

今はそれも
戦う必要なんてなかった、と思う。

あの頃よりは
マシな対応できる、かもしれない😆😆😆

わたしの中の戦いの
今年の3.11は唄ってた✨
感謝✨✨✨

あの年あの日は

サトルボディヒーリングの
コースを受講中で

三浦半島の
宿泊していた先が
そのまま避難所となり

グループごとに
宴会場でざこ寝😳

地震以前に
それまで見ることが出来なかった
ジブンの中にあるものを

見てしまった!
見てしまうぞ!

という感覚で
苦しんでうんうん寝られなかったので

この宴会場のざこ寝で
ようやく安心して熟睡したのだった👀

今思えば
あれは信頼✨のスペースだった。

サトルボディヒーリングは

そのヒトの本質が何かを見て

その本質につながるのに
妨げになるようバランスの乱れた
チャクラのエネルギーを
元の流れに戻し
本来のジブンに戻るためのもの。

自分の困難な状況、
受容して抱きしめる✨

するとエネルギーが動き出す✨✨

あの頃から練習して
そしたら
今まで出てこれなかったものが
ドンドン出て来た😳😳😳!

そんな最初の時期だった。

あの地震で
明日からのこのコースを
どうするか。

そんなハナシになった。

色んな意見があって、
まったく歩みよれないと
感じるような違いもあり。

それをハッキリ言うヒトもいたし
違うと感じても表現しないヒトも居た。
わたしは言った気がするが
ほかにも
もっともっとあった気もする。

で、
別に誰かの意見を優先したとか
誰かが妥協したわけでもなく
何かしら自然な流れはこう、
というのが出来たと思う。

その中で各人が「こうしたい」
ということ、やったと思う。

ということでわたしは一旦
家に帰った。

これが他の人の意見がどうであれ
「こうしたい」を
実行する、
言いたいことを言わない、言えない、
状況を破る

地震後最初のトレーニング
だったかも。

地震後数日。
計画停電などと言うハナシ。

色んなものの自粛、
特に歌舞音曲、みたいなハナシ。

「それでもFlamencoやるの⁉︎
今この状況で❗️」

というのがコース後
すぐにやってきた。

わたしはやりたかった。
関わりのあるものは、選べるならやる。

で、やった。

逆の意見のヒトと
真向意見を戦わせた。

疲れたが愛を感じた✨

日和見のヒトには感じられないものだった。

今はそれも
戦う必要なんてなかった、と思う。

あの頃よりは
マシな対応できる、かもしれない😆😆😆

わたしの中の戦いの
エネルギー。

そんなエネルギーを薄々感じてはいたが、
2015年、イタリアで
今年の3.11は唄ってた✨
感謝✨✨✨

あの年あの日は

サトルボディヒーリングの
コースを受講中で

三浦半島の
宿泊していた先が
そのまま避難所となり

グループごとに
宴会場でざこ寝😳

地震以前に
それまで見ることが出来なかった
ジブンの中にあるものを

見てしまった!
見てしまうぞ!

という感覚で
苦しんでうんうん寝られなかったので

この宴会場のざこ寝で
ようやく安心して熟睡したのだった👀

今思えば
あれは信頼✨のスペースだった。

サトルボディヒーリングは

そのヒトの本質が何かを見て

その本質につながるのに
妨げになるようバランスの乱れた
チャクラのエネルギーを
元の流れに戻し
本来のジブンに戻るためのもの。

自分の困難な状況、
受容して抱きしめる✨

するとエネルギーが動き出す✨✨

あの頃から練習して
そしたら
今まで出てこれなかったものが
ドンドン出て来た😳😳😳!

そんな最初の時期だった。

あの地震で
明日からのこのコースを
どうするか。

そんなハナシになった。

色んな意見があって、
まったく歩みよれないと
感じるような違いもあり。

それをハッキリ言うヒトもいたし
違うと感じても表現しないヒトも居た。
わたしは言った気がするが
ほかにも
もっともっとあった気もする。

で、
別に誰かの意見を優先したとか
誰かが妥協したわけでもなく
何かしら自然な流れはこう、
というのが出来たと思う。

その中で各人が「こうしたい」
ということ、やったと思う。

ということでわたしは一旦
家に帰った。

これが他の人の意見がどうであれ
「こうしたい」を
実行する、
言いたいことを言わない、言えない、
状況を破る

地震後最初のトレーニング
だったかも。

地震後数日。
計画停電などと言うハナシ。

色んなものの自粛、
特に歌舞音曲、みたいなハナシ。

「それでもFlamencoやるの⁉︎
今この状況で❗️」

というのがコース後
すぐにやってきた。

わたしはやりたかった。
関わりのあるものは、選べるならやる。

で、やった。

逆の意見のヒトと
真向意見を戦わせた。

疲れたが愛を感じた✨

日和見のヒトには感じられないものだった。

今はそれも
戦う必要なんてなかった、と思う。

あの頃よりは
マシな対応できる、かもしれない😆😆😆

わたしの中の戦いのエネルギー。

そんなエネルギーを薄々感じていたが
2015年10月、
イタリアでサガプリヤに受けた
スターサファイアのセッションで
ハッキリと出てきた。

わたしの男性性にだ。

これも以前の苦しかった状況に
影響していたことだった。

今ブログ連載中の
「イタリアで見た過去生と直後の事件」の
後編にて
このセッションを報告するつもりだ。

  • ※写真は近藤佳奈さん撮影

  • イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その12

    ☆☆☆☆☆
    無事3軒目の警察で
    盗難届をゲットしたわたしは

    ホテルに戻った。
    HOTEL Rimini.

    なんてことない
    よくある、元マンションを
    改装したんだそうな駅前ホテル。
    だけど
    前年泊まってなかなか居心地よく
    また今年もお世話になってるのだった。

    ここのレセプションの
    交代で勤務のふたりのおじさまが

    だんだんと
    まるでわたしの秘書、
    であるかのようにも
    見えてくる。

    ホテルに戻るなり
    「今お戻りデスカ。
    はい、お次のご用はナニかな⁉︎」

    とこちらが聞くまえから
    わたしに聞くもんだ。

    ホテルに到着した昨夕から
    もう10コくらいはココで
    質問した気がするぞ。

    昨晩レセプションで聴いた駅構内警察
    では用が済まず
    3軒目でようやく用が果たせた
    ここまでの経緯も
    「ふんふん。そうだったかい。」
    とやさしく聞いてくれてた。

    聞いて欲しいのよね。
    こういうときダレかに話を。
    コドクな旅人のわたしは。

    昨晩食事した日本の仲間達は皆
    今朝のうちに
    ローマを発ったはず。

    また今朝方、
    チェコから来ていた
    スターサファイアの半月のコース
    をアッシジの山奥で共に過ごした
    メンバーのひとり
    シーマにも
    テルミ二駅で偶然いきあった。

    昨日の昼にそのコースを
    解散したばかりなのに
    もう懐かしかったな。

    彼女は空港ゆきのバスに
    乗ろうとしていたところ。
    モチロン、わたしがドロボーにあった!
    なんて話すヒマはない。

    ただ
    「元気でね。また会いたいネ✨」
    ってあいさつだけでサヨウナラ。

    切ないなぁ。

    そんな場面も今朝あった。

    それにしても
    ローマってとこは
    ドロボー多くてこんな対応に
    ホテルも警察も慣れっこなのだろうか?
    すごいなあ。
    とりかかりさえすれば仕事はやいなあ!

    ・・・
    というのと間逆の考えも
    この後には出てきたんだけど。

    ここは続けます。

    で、
    レセプションでのやりとりは

    「次に聴きたいのは盗難届の
    コピーがとれる場所であるぞ。」

    という感じになってきた。

    なんか真剣ながらも
    ゲームをしているようなキブンでもある。

    ヒネリの効いたナゾ解き問題つきの
    スタンプラリーゲーム?
    無事帰国がゴールの。

    われながら自分の
    今やってることがちょっと不思議だ。

    レセプションの
    コピー場所についてのお応えは
    「うーん、今日は日曜だからなあ
    (やってるかなあ)。」
    と唸りながら

    ホテルの隣りの隣りにある
    インターネットカフェを
    路上まで出て指し示して
    教えてくれた。

    インターネットカフェ!
    皆がPCを持ち歩くようになった今、
    前より見かけなくなったけど
    まだ少しはあるみたいだ。

    で、部屋に戻らず
    コピーに直行だ。

    パスポートがなければ
    この盗難届が身分証明書、
    パスポートがわり、だそうだ。

    またこの盗難届を
    盗まれたりしたら
    目もあてらんないもんね。

    帰国後に
    保険会社に被害申告するのにも
    必要だしね。

    インターネットカフェは
    開いていた。

    よかった!

    「2部ねーっ」
    とアラブ系のお店の人に
    お願いした。

    うん、順調 順調✨✨✨

    「あなたどこから来たの〜。
    どんな盗難にあったの〜。」

    書類が曲がらないようにコピー、とか
    結構キッチリのこの店員さん。
    ハナシを聞いてもらいたいのは
    ヤマヤマだったけど
    先を急ぐことにした。

    今は 時はカネなり。

    さて、ホテルに戻って
    今度はベッドに倒れこむことしばし。

    ・・・
    はっ!
    寝てる場合ぢゃない!!
    まだ今日やることはヤマづみだ!!!

    レセプションでの
    次なる質問は
    「パスポート用の写真は
    どこで撮れますか?」
    だ。

    「それはねえ。
    テルミ二駅の地下だよ。」

    「地下のどこですか?」

    「うーん、
    商店街のどこか一角にあったと思うよ。」

    テルミ二駅の大きさも
    地下街の広さも
    ハンパではないから
    この茫漠とした応え、
    仕方ないかもしれない。

    とにかく地下の商店街に行って
    見ることにした。

    地下街の見取り図、
    みたいのも見た気がするが
    スピード写真の場所なんて
    もちろん書いてない。

    地下に降りてから
    また30分以上かかった。
    発見するまでに。

    5人くらいに聞いて回って
    ようやく辿り着いたのは

    ここぉおおお⁉︎

    という実にむつかしい、地味な場所。

    地下鉄に行く途中の通路の、ある一角。

    なんというか
    東京駅で例えれば

    「東京駅から
    東西線 大手町駅に乗り換える
    地下通路の、限りなく地下鉄入り口に近づいた通路のある一角」
    という感じだ。

    同じ東京駅と言っても
    さっき八重洲地下街に居た
    外人旅行者が
    ソチラに辿りつくのは
    至難のワザ、だと思う。

    という感じの難易度の
    またゲームの一手を
    クリアしたような
    達成感に満ち満ちながら

    いざ撮影しようと
    スピード写真の小屋
    (日本にあるのと大体同じ形デス)
    の中のイスに座って
    鏡を見た。

    ワタシこんな顔!

    アブラアセが滲み
    つかれた表情!
    いつもより だいぶ日焼け。

    が〜ん。

    急いで笑ってみた。

    いや、大使館HPの写真撮影注意事項に
    そういうの(やたら笑ってるのとか)、
    ダメって書いてあったではないか。

    とりあえず撮影したものの、
    写った自分の姿が
    フマンでフマンでならぬ。

    そんな感じで
    機械から出てきた
    写真をしばらくみつめてた。

    (その13 に続く)
    その13

    ⭐️前のハナシは
    上記メニューより
    「イタリアで見た過去生と直後の事件」
    にお願い致します。

    イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その11

    ハナシは3軒目の
    馴染みの警察へ来たところだ。

    ☆☆☆☆☆
    この度は
    この警察でどんな経験をするのかなあ?

    もうこの際、楽しむことにした。

    また1階左側の部屋で
    最初の受付をする。

    「盗られたの?何を? どこで?」
    みたいな最初の問答。

    前回はその後、
    右の部屋で待ったのだけど
    今回は即
    「上の階へ上がって」
    とのことだった。

    上の階ね、はいはい。
    前回も行ったもんね。
    2階の左手の部屋でしょ。

    パーテーションが上半分
    ガラス張りのね。

    中の机と椅子で面接しながら
    盗難届けとか書いてる様子が
    見える
    アソコでしょ。

    前年そこで
    初めての盗難届けの書き方、
    教えてもらいながら

    ようやく記入を終え
    「ふうーっ」と
    深いため息をついたわたしに
    担当警察官は
    熱い握手をして
    あの部屋から
    見送ってくれたものだった。

    それにしても今回の
    警察官達
    (だと思うけどそう言い切る自信がない)
    の格好、服装はラフ極まりない、
    ヒトが多い。

    所謂 制服みたいな姿が
    あまり見当たらない。

    日曜で
    ここに居る何人かは
    「警察官のお友達」
    が遊びに来てんのかな?
    なんて思ってしまったくらいだ。
    (真相はわからず)

    で、上の階に上がったら
    さらに上の階(3階)に導かれた。
    わたしの担当⁈
    のオニーサン(警察官だと思うが)は

    ラフなメンバーの中でも最もラフな姿、

    白いヨットパーカーに
    ジーンズ、サンダル姿である。

    このヒトについてって
    よいのかね?

    と一瞬思った。
    けどココは警察、言うこときいて
    行動するしかあるまい。

    で、

    外から来た我々が入るのは
    2階までと思ってたけど
    3階にも盗難届け書くような
    スペースあるのかあ、
    へええ。

    と思いつつ、導かれるまま
    3階に上がる。

    そこは❗️
    机の上に書類が散乱、
    机やいすの置き方ジタイもなんかランダム、

    どこに何が置いてあるか
    わかりそうもない
    散らかり放題の事務所、という様相だ。

    ここが警察でなく、
    何かクリエイティブな創作する
    ミニオフィス、とか言われれば
    まだ納得したかもしれない。

    スチールの書棚扉には
    超グラマーな
    ビキニ姿の色っぽ〜い
    おねえさんの巨大ポスター、あり。

    いや、クリエイティブなオフィスの一角
    というよりは
    フツーの庶民のオニーサンの部屋、
    って感じかなあ。
    この目の前のオニーサンのような。

    で、
    そのオニーサンは
    オフィスの一角に
    わたしに座るよう促し

    急いで目の前の書類とかを
    かたづけた。

    「コレに記入して。」
    とイタリア語表記のみの
    盗難届をわたしの目の前に出した。

    そこで わたしは
    「昨年は 日本語(どれだけ盗難にあう日本人多いんだ!)のがあったのですが。
    せめて英語のはないですか?」
    と聞いた。

    オニーサンは
    「うーん!」とうなり
    散乱につぐ散乱の書類を
    ちょいとは探してくれた。

    が、すぐには見当たらないようだった。

    で、
    「ない」、とのこと。

    「ないと何をどこに記入するか
    わからないの、困る」
    と答えた私。

    イタリア語、
    特に文字になると
    ほとんどわからないのである。

    ちなみに
    ここまでの会話は
    スペイン語、で押し通している。

    これまでのFlamencoの旅で
    自由自在、とまでは行かなくても
    旅であればまあまあ困らない程度の
    スペイン語が口から出てくる
    習慣がついていた。

    これがイタリアを旅する
    命綱になっていた。

    イタリア語とスペイン語は
    似ている。
    わたしはイタリア語わからなくても、

    イタリア人は
    なんとか類推して
    わたしの言いたいこと、
    わかってくれる人が多いのだ。

    ここイタリアでは
    英語で話すより
    (たいして話せないのだが)
    スペイン語の方がよほど
    コミュニケーション出来るようだ。

    ところが
    イタリア語、皆が話している言葉より
    さらに
    書類、文字になるとカラキシ
    わからないのだ。

    そんなわたしへの
    オニーサンの返答は〜

    「あなた喋れてるんだから
    (イタリア語のみ書類で)
    いーじゃない!」

    と来た。
    コレへの咄嗟のわたしの受けコタエは

    「コレ、スペインごぉおおお‼️」

    もはやこの時 日本語、
    そして大声だった。

    オニーサンはわたしのコトバのイミは
    わからなかった気がするが
    わたしの勢いに押されてか
    ようやく
    英語併記の イタリア語盗難届が出てきた。

    記入しようとすると
    「待って!」
    とオニーサン。

    どうやら原紙、
    みたいなものだったらしく
    コピーをするから、
    と持ってった。

    やれやれ。

    そして記入。

    被害総額、とかマジメに計算してると
    えらく時間がかかる。

    もーいーわい!
    えらく、概算。

    オニーサンに渡すと
    ポーンっ!
    とハンコを押し、記入ないところに
    くの字を書く。

    1秒。

    読んでない、と思う。

    ここまで3階に
    上がってから約十数分。

    前年も思ったが
    素晴らしく
    仕事がはやい‼️

    日本でむかし
    自転車盗られて届けた時には
    2時間半、かかった。

    さすがはローマだ。

    さあ、いったん
    ホテルへ戻ろう。

    2階に下がると
    昨年盗難届を書いたあの部屋、
    は暗い。
    2階は営業終了?
    休日の節電対策で
    散乱の3階事務所で手続きした??

    もーいいか。
    そんな理由、どーでも。

    おつかれさまあああ!
    わたし。

    (その12 に続く)
    その12
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    イタリアで見た過去生と直後の事件~ローマパスポート盗難 その10

    サンタマリアマジョーレに通じる道で
    目の前のランナーの群れに 
    なぜ飛び込んだのか?

    ☆☆☆☆☆☆
    人、人、人の群れ(ランナー)。

    それは戦いから逃れて来た人々のように
    その時の私の目には見えたのだった。

    「今だ!」という何かからの声を聞いた気がして
    咄嗟に飛び込んだ。
    今この行動をするかしないか、は
    まるで 私の生死の分け目のような気がした。

    私の右肩をグゥウ。
    とつかむ警備員。
    当然制止するだろう。

    わたしは腰を落として身を低くすることで
    その右肩を掴んだ手から逃れた。

    こんなワザどこで覚えたんだろ?
    という感じ。

    とにかく私は今
    道の向こうに渡るのだ!!
    (警察行くんだからさ)

    こんなに強い意志に従って
    走ってはいるのに
    なかなか進みゃあしない。

    この爆発的に増えた大人数を横切るには
    私だって前に進みながら
    斜めに横断していくしかないのだ。

    昨日までは数秒で横断していたその道を、
    数分走った。
    ランナー達とともに。

    ただ無我夢中、の瞬間もありながらも
    この数分間にアタマをよぎったよしなしゴトは~

    わたしローマまで来て何をやっているんだろう。
    普段も走ることなんか滅多にないのに!
    前回走ったのは電車に乗るときだったかなあ。

    とかなんとか。

    なんかこの人たちは(一緒に逃げた)同志っぽいわ。
    警備員には肩を掴まれたのに、
    この大人数のちがう方向に行くひと達と
    殆どぶつからないってどういうことかしら?

    で、無我夢中とこれらのアタマの中のブツブツ言葉が
    交錯しつつ。
    無事 向こう岸、にたどり着いたのである。

    たどり着いたわたしを見て
    「おーっ。関心関心!(あるいは呆れる)」
    みたいな表情で目を丸くしている人たち。(たぶん観光客)。

    警察へご用がなくとも
    この岸辺にいた人たちも できれば早く道を渡りたい、
    のである。
    彼らもこのマラソンで10分以上ふいに
    待たされることになったようだから。

    しかしこんな荒ワザで横断した人は
    他に誰もいないようだった。

    出よう、と試みてた人は何人かいたけれど
    みな警備員に止められ、横断出来なかった。

    その人々のかなりの注目の眼差しに
    どういう顔をしてよいかわからぬまま
    その日3軒目の警察に向かった。

    マラソン中、前進を余儀なくされてたので
    元来た道をかなり戻ってた。

    もうここは素直に
    マラソン沿道でなく
    警察の通りへ行こう。

    で、なんだあ。
    たった1本平行した道だった
    Via Farini.

    この通りに来たら
    なんと30秒ほど前マラソンしていたのが
    ウソのよう。

    別世界なのだ。
    なんだか日常に戻ったのだ。
    (ローマに居るだけで非日常、盗難にあってさらに非日常だけれども)

    で、馴染みの警察の入口にやってきた。

    ふふふ。ここはもう知ってるもんねえ。
    という安心感とともに。

    時間は12時半を回っていたと思う。
    きっとあのマラソンのスタートは
    12時だったのだろう。

    「昼休みの時間にかかると、ロクなことがない」
    という思いはそれまでのイタリア、
    というよりFlamencoのためにスペインを
    何度も旅した経験から
    骨の髄まで身にしみていた。

    今回の旅も、イタリアに来る前に
    しばらくぶりにスペインに行ってきた。
    セビージャ⇒ローマという初めての路線の
    フライトを経験、
    実に面白かったが
    それなんて結果的に小さなことで

    いやここローマで
    今ドロボーなんかに合わなくても、
    その前のスターサファイアエナジーワークの
    半月間のがっつり経験したコースを受けなくても、

    イタリアに向かう前にスペインで
    もう日本に帰ってもいいや、
    と思うほど充分な
    楽しい、感動する、ドキドキする
    実りある
    旅をしてきたのである。

    お腹いっぱい状態な上にさらにさらに
    また様々な経験をした旅だったのである。

    で、たぶんイタリアは
    スペインより1時間くらい昼休みが早いみたい、
    となんとなく掴んでた。

    スペインだと午後2時頃からで、
    その後5時頃までは お店とか完全に閉まる。
    スーパー、とかはやってるけど。

    イタリアの警察だって
    3時間くらい休むかもしれない。

    公式に休み時間でなくとも、
    昼飯食べるべき時間に働いてくれ、というタイミングには
    人々は皆あまりに不機嫌なのだ。
    そしてそんな時はムリヤリ何かを頼んでも
    マチガイも多いし、いつも以上にノロい。

    航空会社のカウンターであれ、
    タクシー運転手であれ、
    警察であれ、だ。

    本来ニンゲン、それでいいんじゃないか、
    とそういうのに賛同してたわたしは
    自分自身もそういう行動形式にもなってたわけだ(スペインではね)。

    なんせきょうは日曜だし、こういう傾向はマックスだろう、

    という思いからの焦りもあったわけだ。

    で、まあ昼前に訪問出来てラッキー。
    でないと他の用が済まなかったかもしれない。

    で、警察の入口を入ると
    両側に見覚えのある部屋。

    そうだそうだ。この右手の部屋で前年
    待たされたのだ。

    あのときは「お金盗られました~」
    とかなんて言うのかなあ、
    なんて考えながら話かけようとしたら

    「すとーるん?」「スィ」
    の一言で済んで拍子抜けしたのがスタートだった。
    で、この右の待合室には盗られた人が
    何組も待っていた。

    日本人かな~と思って話しかけた男性親子は
    上海から来た中国人だった。

    何を盗られたんデスカ?
    と聞いたら

    「ホテルについてすぐお金をおろしてきた」
    「で、それをベッドの上に置いて少し部屋を離れたら30秒で盗られた!」
    とのこと。

    「ネットで確かな予約サイトで探した、
    ちゃんとしたホテルだと思ったんだよおお!」
    とわたしに訴えた。
    中国人のオジサンの手にはPCからプリントした
    ホテルを予約した紙。

    見せてもらうとわたしも予約した覚えのある
    ホテル予約サイト名だった。

    で、いくら盗られたんデスカ?
    と聞いたら

    「1万5千ユーロ、、、」

    だってさ。
    あははーっ。ざっと200万弱ぅ?

    私たちの100倍以上なのね。
    (前年の被害金額はそんなものだった)

    もうわたしは何がホントか、
    とかぜんぜんわからなくなっていた。

    さあて、今回は
    この警察でどんなことがあるのだろう。

    (その11 に続く)
    その11

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    「イタリアで見た過去生と直後の事件」
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    イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その7

    久しぶりにこの事件簿の続きである。
    一昨年の3日間のハナシがまだ終わらない。

    そんな事件が現実に起きる前に見た
    モーロ人の女性だった自分の過去生。

    イタリアで学んだ
    内なる男性性と女性性エネルギーを
    自分に内在する ふたりの人格のように
    理解する
    スターサファイア、というエネルギーワーク。

    このワークと出会い、学ぶことで
    目から鱗のごとく
    これまで自分の人生が

    なんでこうなってきたかを理解した。

    そして実際に
    今の現実が動いていく。

    そのあまりにわかりやすかった事件が
    コレ、だったので
    時間が経ったが
    このように
    書かずにはいられなかった、
    のである。

    いや、直後はまだ出来事を客観視出来ず、
    なかなかコトバにもならなかったのが現実。

    さて、事件のハナシの続きである。

    ✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
    昨晩6時すぎに
    起こった盗難ジケンの対処に追われた
    日曜夜が
    明けた。

    ローマ日曜の朝。

    電話、メールでなく
    いよいよ行動だ。

    日本に帰国のためには
    まずは警察で
    盗難届けをゲットするのが先決だ。

    空が白んでから寝たので
    行動開始は10時すぎ。

    それでも
    昨夜教えられたテルミニ駅構内の警察は
    徒歩5分。

    少なくとも午前中には終わるだろう、
    と予想した。

    実はこの構内警察、
    昨晩夕飯前に 一行隊長マティが
    同伴で既に尋ねていた。

    あのときは夕べのうちに
    用が済む、と思っていたが、
    そうはいかなかった。

    まず構内警察の場所を
    探しあてるのに40分ほど
    かかった。

    尋ねたヒト4人。

    どんな場所にあったかというと
    Binario1・2 Est.のプラットホーム
    に行く途中の道の薬局の先。

    旗が出ている、
    ということでようやく
    「コレが?」と判明したが

    いわゆる「交番のマーク」的なものが見当たらない。
    いや、
    それが旗、だったのかもしれない。

    そもそも
    Binario1・2 Est.
    (1番線・2番線 東側、という意味だそうだ)
    の場所というのが初めての場合は
    極めてわかりにくい。

    このホームからは
    ローマからアッシジゆきの電車が出るのだ。

    なので、
    アッシジ近郊、さらに山奥で
    スターサファイア エネルギーワークを
    学ぶために半月間、

    世界中(といってもヨーロッパ在住者中心)
    からやってきた20数名と
    合宿していた私だから
    たまたまよく知っていたホームである。

    ちなみにただの「1番線」というのは
    駅の最西にある。
    「1番線Est.」と付くと最東となり、さらに
    重層構造の最奥である。

    この駅内移動にはスーツケースを
    転がしながらだと
    ゆうに15分はかかったのだ。

    話がそれた。

    で、夕べようやく辿り着いた
    ところ、こう言われたのだ。

    「今日はもう終わりだから
    明日来て。
    朝8時半からだから。」

    このくらいのコトはよくある。
    そこに書いてある
    営業終了時間にはまだ少し間があるのだが。

    イタリア、というより
    スペインをフラメンコのために旅してきた
    わたしは
    この程度では驚かない経験をしてきた。

    なので、
    気をとりなおして夕飯タイムに
    したのだった。

    それで今朝。

    再び、構内警察のインターホンで。
    レイコ「はろー、ボンジョルノ、
    かくかくしかじか」

    警察のヒト「どこで盗られたのか?」

    レイコ「目の前の通りデス。
    Via Principe Amedeo。」

    警察のヒト「それならコチラでは扱えない」

    レイコ「なんでえ⁈
    夕べ朝来い、って言ったではないですか!」
    (ホテルで聞いたのも
    この構内警察で対処可能、と聞いていた)

    警察のヒト「ココは駅構内の事件のみ扱うのだよ」

    レイコ「なるほどね。
    では何処に行ったらよいですか?」

    警察のヒト「知らにゃい!」

    レイコ「なんですって!
    教えてくれなきゃこまるわよ!」

    警察のヒト「忙しいから他に聞いて!
    バイバイ‼️」

    ほんとに バイバイ、というセリフだった。

    ここでまた、途方に暮れる。

    ・・・

    むかーし、
    こんな事がやっぱりあった気がするなああ。

    そうだ、スペインはマラガの空港だ!
    これまで何度もしてきた
    フラメンコの旅 のうちのひとつ。

    帰りの飛行機が飛ばず
    空港で11時間待たされたときに
    航空会社の職員に
    こんな対応があったのだ。

    で、こんな時どうするんだっけ?

    まずは近くの広場のベンチに
    落ち着く

    ・・・
    で、行動を考える。

    そういや昨夜見た
    緊急時用に日本大使館が出していた
    問い合わせ先。

    そこには
    「ローマ警察本部」、
    みたいな大きな機関の連絡先と住所が載ってたなあ。

    あまりに大きすぎて、盗難届けごときを
    もらうにはなんか違う気もしたが、

    ホテルに戻ってそこを再度調べ
    行くことにした。

    ・・・
    ホテル、つまりテルミニ駅から20分くらい
    歩いたか。

    さすがローマ警察本部⁉︎
    中心地の
    なかなかわかりやすい場所にあった。

    で、このレセプション、
    というのか
    最初のお尋ねをする場所の
    広く威丈高な雰囲気と言ったら、ない。

    警備員⁉︎が立つ扉を入ってから
    お尋ねするまで
    相当歩き、
    イヤが応にも 緊張感は高まった。

    ガラス越しに、会話するための
    丸窓にポツポツ、と穴が開いている、
    アレ、だ。

    ここでレイコまた
    「はろー、ボンジョルノ、
    かくかくしかじか」

    警察のヒト
    「・・・」(しばし無言)

    続きは その8 へ

    その8

    120%って?中身が明らかに。

    7日の
    宋雲院での カンテコンサート

    お越しくださった皆さま🌟
    コレをご覧くださっている皆皆さま💕

    本当にありがとうございました。

    おかげさまで
    昨日は
    ついぞ!!
    やりたい場で
    すべて自分のやりたいようにやる、
    体験を初めて致しました。

    やはりコレが
    「Reikoやりたいこと120%」
    だったと
    終わっとみて 改めて気づいた次第です。

    学んだのは

    「自分が必要とする条件は
    すべて整えるべき❣️」

    デス。

    それがわざわざ
    いらしてくださった方々のためにも
    なるみたいだ、
    という事です。

    文字にすると
    アタリマエ!!!
    な気もしますが

    どうやら 今まで
    「既にあるもの」で足るを知る、
    ゼイタクは敵だ!
    みたいになっていました。

    これに気づいて衝撃です。

    自分に必要なものは
    自分に与えてよいんだあああああ❗️

    写真は プロのFlamenco写真家✨✨💕
    近藤 佳奈さん撮影の
    思わずうなった❣️写真の一枚。

    はい、私は こういう場で
    カンテを唄いたかったです✨✨✨

    という証拠のように感じています。

    ありがとうございました。

    飽き飽きするほど泣きたい

    「わたしは飽き飽きするほど
    泣きたいのだ。
    少し ひとりにしておくれ」

    という(唄の詩の)あたりで
    ほんとにぐわっ泣けました。

    隣にいた ギタリスト木南さんは
    さぞさぞお困りだったことでしょう。

    怒りが溜まりに溜まっていたのです。
    今までの自分に。

    昨晩 クリスマス🎄の夜は
    1月7日、コンサートのギターあわせ。

    唄っていて音程があ、
    とか ここはこうする、

    とか
    じぶんの意志でコントロールしようと
    する気はあります。

    しかしそのさなかにも
    それはやって来ます。

    感情というやつ。

    しかもかなり激しいソレです。

    Flamencoを唄うことは
    自分の感情と否応なく繋がることでもあります。
    そしてそれが表に流れて行きます。

    大抵はウソをつくことが出来ません。

    自分を律して 律して
    コントロールすることが なにか
    エライことなのだ、と
    思っていたこともありました。

    この激しい感情が
    何かわるいものであるかのように

    出て来ては行けない!
    と抑圧し、
    ジャッジしていた自分。

    そしてヒトに受けいれられたいあまりに
    外側にいるヒト達の
    言うことばかり聞いて

    自分自身からの訴えを
    何も聴こうとしていなかった自分。

    そんなことを
    ヒシヒシと感じ
    唄いながら 泣きだし

    それでも唄い終え
    その流れに唄そのものはつかまらず
    終わってから再びバクハツしたのでした。

    怒りです。
    これまで自分で自分にしたことの怒りです。

    数日前に飛び起きた
    夜明けの怒号、

    あの自分の寝言もコレだったのかも
    しれません。

    1月7日土曜上野でのカンテコンサート。
    昨晩はもう 存分に自分と繋がりました、

    その歓びを 唄うつもりです。

    ぜひお越しくださいませ✨✨

    今後の出演情報は ⇒ コチラ

    次回 6月23日(金)阿佐ヶ谷 天 19時半~

    コチラ