Flamencoは
感情込めてうたうものだよ
まるで恋人のようにね✨
ホセ メンデス先生は
言いました。
おっしゃる通りの
気持ちのこもったうたを
目の前でうたう姿に
わたしは泣き出してしまいました。
2006年のコト。
「どうしたの、
どうしたの、ったらどうしたの⁈」
そう聞かれれば
聞かれるほど
コチラは涙が出てきてしまうわけでした。
お困りになって部屋を
ノシノシと歩きまわる
ホセ メンデス先生😳😳😳
今も忘れられないイチ場面です。
ホセのブレリア、
これからも大切にうたっていきます✨✨✨

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以下は「ホセガルベスとトロンボのグループ その2(その1の続き)」です。
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最初のブレリアの一声から
ヤツはやっぱりホンモノだ!
と確信した。
つまり偉大な唄い手、パケーラ デ ヘレスの芸を本当の意味で継いでいる。
やはり同じ血をひくヘスースメンデス、の方が最近ではよほど人気らしい、と聞く。
しかし生で聴けば一聴瞭然。
違うものははっきりと違う。
これは揺るぎない確信だ。
このグループは全体として、古き良きもの残す「ナントカ重要文化保存会」みたいなイメージだろう。
ヘレス、それにセビージャという地の伝統の芸。
これまでの アレやってコレやって~のグループから見たらば、
実に渋くて 踊りファンの方々にしてみれば「いささか地味」なのかもしれない。
2部のトロンボが踊ったカンティーニャ デ Córdobaなんて、まったくホセメンデス氏のカンテを聴かせるためのヌメロみたい。
わたしにとってはとても面白かったけど。
ギタリストがほとんどカンテの合いの手、としてしか弾いて、ない。
踊りでさえカンテの合いの手みたいに見える。
これまで2ヶ月やってきた毎夜のことだから、お互い承知でこの感じに仕立てた、のだと思う。
もしも初見で合わせた同士でああ弾かれたのなら、踊り手は驚いて困っちゃうことだろう。
逆に一部のトロンボのソレアは、その日の主役の代表ヌメロなわけだが、ホセの歌はバイレ用に真面目に⁈唄うしかなく、歌としてはつまんなかった。
やはりヘレスの人だろう若手女性のカンタオーラも、これからどういう貫禄あるおばさんになっていくか既視感があるような、ガッチリ地に足がつき、いい感じだった。
それに比べたら我がマエストロ、ホセメンデス氏は、なんとも繊細な面がある。
それでホセメンデス氏とは。
何も話さずそうっと帰ろう、と当初は思っていた。
しかしながら「やっぱりこれはホンモノ」感を確認し、自分が選んだ先生が間違えてなかったんだ!という感動を自分に隠しきれなかったわたしは、
二部の中盤には、終わったらやっぱり挨拶行こう、と気をとりなおしていた。
そして二部後半。
唄い手ふたり並んで、順に唄うファンダンゴ。
いわゆる「思いのたけ」を唄に乗せられる、音楽というよりいわば手紙を読むようなヌメロだ、とわたしは感じる。
自分で作詞して唄うひとも多いようだし、自分の気分、その場その雰囲気に合わせたものを選べて伝えやすい、かもしれない。
ベテランで後攻のホセは、なんだかボルテージが異様に高く、どちらが先か定かでないがそれに連れてギターもその調子で上がる。
いたちごっこ、みたいな。
結果ひとことで言うと、誠に失礼ながら「ドンドンうるさく」なっていった。
この場合女性の歌い手、彼女の方がよほどバランスよく落ち着いていた。
しかし、小さい。
そしてどうやらホセメンデス、張り切り過ぎ。
すごいアレコレのテクと、ぜんぶはわからぬがたぶんとても感動的な歌詞と、持てるすべてをやって熱唱に次ぐ熱唱。
「金持ちが~ 貧乏が~」よくある題材だが
いやあ、なんかあやしい・・・。
で、終演した。
さて終演後、いつも出演者達は
店に戻って「おつかれさまーっ」という感じで飲んでいる。
少し待っていればまず殆どまたメンバーに会えるわけだ。
ところが。
なぜか
ホセメンデスだけなかなか出て来ず。
なのでシビレを切らしたわたしは
楽屋に行ったわけだ。
そしたら~
もぬけの殻・・・。
逃げられたあっ!
わたしは借金返せーっ!!
とは、たとえ会っても
言えなかったと思うのだが🙄
いやいや、ホセメンデスとは
ヘレス滞在中に色々あった。
何年経っても
どうやら忘れないのね。
Flamencoの真実を伝えてくれる芸を
持つArtistaの、人間らしい一面。
芸の崇高さと
それらはいくらでも同居する、
ということを見せつけられまくったあの頃。
学んだのは唄、
だけではありませんでした。
おしまい。