グラナダ エンリケおじさんの洞窟  その9

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洞窟の奥の
「外界と隔てられた別世界感」には
何か九萬一氏が著わしたような恐ろしさ、
そして同時に彼らの豊かさに
通ずる何かを感じていました。

その恐ろしさと豊かさを持って
移動した今のヒターノの地が
そのZaidin、という地区なのだろうと。

わたしは直感的にそう感じたのです。

つまりここで
「わたしには足を踏み入れられない
世界」と線引きをしたわけです。

あの時行ったら どうなっていたのか?
そんなことわからない。

その後もそのZaidinを訪ねていません。

今そんなことを言われれば
その時は行ってみるかもしれません。

なんということもなく、
フツーに感じる街かもしれない。

あるいは。

もしもセビージャはトリアーナの
ヒターノ達が移動した部落
Las 3000地区のようであれば〜。

そこに行った人の話では
屈強な男子のギターレッスンにも
車の送迎は必須で
昼間でも
ひとりで歩くなど トンデモナク 危険、
だそうです。

グラナダの
Zaidinはどうだったのでしょうか。

以下は2017年1月、独演ライヴの
立ち上がりの時に伝えていきたい、
と書いたことです。

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Flamencoの唄。

どうしようもなく
惹きつけられてきたのは

現地スペインの南、
アンダルシアで暮らしてときた人々の
しかりとした大地との繋がりが
ビンビンに伝わって来ること。

言葉にするなら
生きることの強さと喜び、とでも言うのか。

聴いてるだけでよい、と思っていたのに
自分も唄うことで
そのいくばくかを体感した。

今はそこで暮らし、
何を持たなくても
Flamencoという崇高な財産を持つ
ジプシー。

以前よりジプシーの濃厚さに
触れる機会は
薄れているのだろうけど

彼らはなにも昔の人ではなく

今現在、少なくともこの20年間に現地で
経験してアレアレ驚いた!

今も生き生きと彼らの
今を生きている。

ヒターノ。
(スペイン語でジプシーのこと)

この言葉を発するたびに
それだけで 緊張感が走るような
ところあり。

ジプシー、という単語も差別、偏見から
使っちゃいかん、とされてる。
代わりにロマ、というんだそうですが〜。

彼らの姿。
Flamenco、特に唄に触れることで
彼らに多少なりとも接することになりました。

自分が何を知っているわけでもない。
彼らのほんとうの姿を理解しているわけでもない。
だから人さまに話してよいものか⁉︎

これも今まで やりたいけど
出来ない、
自分が やっちゃいけない、
と思ってたことのひとつ。

けれども今
感じてきたことをお伝えしたいです。

彼らは わたしが
欲しくて 欲しくて
どうしようもないものを
持っている、
と思うから。

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟  その8

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エンリケ オジサンから
「俺達の住んでるZaidinに来て
レッスンしないか」
という申し出アリ。

レッスン代も安くするよ、というのに。

なぜわたしは行かないのか?

ヒターノが住む集落、部落。
かつてはここ
サクロモンテの丘の洞窟住居こそが
そうだった。

明治の頃
そこをアメリカ人のジャーナリストと
共に訪れた日本人外交官が居ました。

その方の名は
堀口九萬一氏✨
日本初の外交官にして
フランス文学者 堀口大學氏のご尊父。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/堀口九萬一

游心録、第一書房、1930
というエッセイに グラナダの洞窟を
訪れたときの様子が描写されています。

それはひとことで言うと
「如何に恐ろしかったか!」
「命拾いの思いとはこのこと!!」
と言った表現の連続。

ほかでは決して見たことのない
人々の表情や
決してたくさんではない
彼らがつくった
独特のモノ。

それらを売りつけられたり
したらしいですが〜。
(ワタシも洞窟でカスタネットなら売った)

九萬一氏が言うには

すべては一族の家長が取り仕切る世界。

スペインの法律なんて無関係、
彼らの掟による独自の世界。

なのであります。

何もモノとり、ドロボーが
コワイのではない、と。

「あの今入ってきた奴は我々の敵だ!
コロセ!」
と家長から命令が下ればそれまで。
警察関係ナシ。
刑務所も関係ナシ。

そんな彼らの意志が
いつ発動するかわからない
淡々と光るヒターノ達一同の鋭い目線を
浴びて洞窟を一歩一歩進む恐ろしさ。

モチロンわたしがこの時この洞窟に
そんな恐ろしさを感じた
わけではありません。

九萬一氏のこのエッセイもその頃まだ
読んでいませんでした。

それでも 洞窟の奥の
「外界と隔てられた別世界感」には
何かこのような恐ろしさ、
そして同時に彼らの豊かさに
通ずる何かを感じていました。

その恐ろしさと豊かさを持って
移動した今のヒターノの地が
そのZaidin、という地区なのだろうと。

わたしは直感的にそう感じたのです。

次回(グラナダ エンリケおじさんの洞窟  その9)に続く。

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その7

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では、フラメンコの地
グラナダはサクロモンテの洞窟にて
アメリカ人(たぶん)観光客との思わぬ対話、続きです✨✨✨

この洞窟で わたしは既に
人格を身につけたオトナなはずなのに
それを超えて受け入れられた、どこの国の人間かも 子供なのかオトナなのかも

カンケーない、
という最初の体験をしたのかもしれません。

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洞窟を訪れた観光客の彼らに
アッサリといくつかの

乾いた音がよいだけでなく
可愛らしい絵も描かれたパリージョ
(フラメンコ用カスタネット)が売れー

ささやかながら商売出来た
自分に軽く興奮を覚えてた。

そこにさらに
ビックリなことに!

「貧しくともがんばるのですよ」
(みたいなカタコトスペイン語だった)
なんてセリフとともに
チップを差し出されたのである!

これにはホントに
ビックリしたが
反射的に「グラシアス!(ありがと!)」
と受け取った。

そして彼らは
「ブエナ スェルテ!」のあいさつとともに
ガヤガヤ賑やかに去っていった。

静けさが洞窟に戻る。

ちょっと時間が経つと今の出来事が
なんだか現実じゃないみたい。

いったい彼らの目には
わたしはナニモノと映ったのだろうか。

わたしだって観光客でもあるし
強いて言えば
仕事から逃げてやってきた
にわか留学生なのに。

しばらくして
エンリケオジサンが洞窟に帰って来た。

「パリージョが売れたよーっ」
「チップをいただいたよーっ」

の小さな子供みたいな
興奮ぎみの報告に
オジサンはちょいと驚いたみたい。

そして
「わはは!よくやったね。」
とねぎらってくれた。

その翌日からだったと思う。

もうレッスン代は要らないよ、
という事になった。

それまでたぶん
絶対安くないだろうレッスン代を
毎回払っていたのだ。
プロに習うのだから
それは当たり前なのだが。

オジサンからは数日前に
「俺達の住んでるZaidinに来て
レッスンしないか」
というハナシもあった。

「そこに来てくれればレッスン代も
安くするから」
とのことだった。

しかしわたしは
それを強行に断り
オジサンに他に用がない日も洞窟に
言わば出張して来てもらう、
ことにしてたのである。

いくらレッスン代が高くついても。

それはなぜか?

続きはまた次回✨

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その8) に続きます

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その6

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グラナダはサクロモンテの丘での
エンリケオジサンとのハナシ、続きです。

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なぜか
彼らは Hello〜と入って来た!

あああ どうしよう!!

とりあえず
門前の小僧ナントカで
オジサンがやっていたように
「どうぞ中まで入ってご覧ください」
と手まねきした.

そうだ。
夜のFlamencoショーの予約!

これが入れば
わたしは優秀な留守番人に
なろうものだが

何せ言葉がほとんど出来なかった当時
こちらから案内出来るわけもなかった。

チケットのアリカは
オジサンがいつも取り出していて
わかっちゃいるのだが。

何せスペイン語学習歴は
半年前から
例のモーレツ会社員をしながら
週1回の門前仲町のスペイン語教室
それも半分くらいは休んでた

その続きわずか半月のグラナダでの
語学学校生活の合間、
というこの時だった

そもそも
オジサンが毎日洞窟に詰めていたのは
夜のFlamencoショーの予約の電話を
取るため、だった。

英語!
で案内しようというアイディアは
なぜか全く浮かばなかった
そもそもそれも対して出来ないが

さて
アメリカ人らしき彼らは
洞窟内をアレコレ見ながら
やがて土産ものコーナーへ

誰かひとりが
パリージョ(フラメンコで使うカスタネット)を手に取り
カタカタっと鳴らしてみた

あー、ここでエンリケおじさんの
いつものパフォーマンスがあれば

パリパリッ‼︎♪

という乾いた気持ちよい音が
響くのになぁーっ

洞窟内は何せ響きがよい

わたしの練習中のパルマの音ですら
スゴクいーかも、と思わせてくれるのだ

誰かのカタカタっ!
に連られて
またほかの仲間の誰かがカタカタっ!

そう
鳴らしてみたいよねーっ♪
わかるなぁ!その気持ち。

で、くるりとこちらを
振り返って
手に持ったパリージョを指し
「コレおいくら?」

「!」
なんかこの物売り場面を予想してなかった。

とっさにドモリながらも
「ご、ごひゃくペセタデス!」
とこたえていた。

そうしてアッサリ
いくつかのパリージョが売れた。

おおお!

スペインで
ここグラナダの洞窟で

わたしは観光客にモノを売ったぞ‼︎
と興奮した。

続きはまた次回に🤗

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

グラナダ エンリケケおじさんの洞窟 その7) に続きます

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その5

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グラナダはサクロモンテの丘での
エンリケオジサンとのハナシ、続きです。

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わたしがグラナダの洞窟で
パルマ(フラメンコの手拍子です)の
手ほどきを受けたそのオジサンは

マリア ラ カナステーラ一座の
かつての若手イケメン看板スターの踊り手、
今は座長のエンリケ カナステーロおじさんだった

のちに神保町あたりで手に入れた彼らのレコードのジャケット。
そこにも若き日のオジサンの仲間達とともにある輝かしい姿が後々発見された

いやあああ。
目の前に居る姿との違いに驚かされることしきり。
しかしこれもその後は
よくあるハナシだとわかった

20年前と今は別人というほど
皆スペインのヒト見た目が違うのだ

さて
そんな洞窟レッスンを連日のように
続ける日々

通りがかってオジサンと話す地元の人々の顔ぶれもなんとなくわかるようになった頃。

ある時 オジサンに留守番を
頼まれた

短い時間だし
まあお客さん(地元の人でなく観光客のこと)
来ないだろうけど
もし来たらよろしくぅ!
とどこかに行ってしまった

オジサン行く途中、
通りがかった近所の人にも
「彼女が留守番だから」
とまたことわりを入れている姿が見えた

これでわたしも周囲も認める
リッパな留守番だ

パルマであれ 唄であれ
日本であれ
スペインであれ
練習に常に騒音問題はツキモノで

レッスンが終わっても
留守番がてらこの素晴らしい響きの
洞窟で練習できるなんて
ありがたい

だもんで喜んで留守番を引き受ける
わけだ

しばらくすると外に
グループの外人アリ、の雰囲気。
英語の会話が聞こえた

何せ洞窟内の別世界に
どっしり構えて居るわたしは
彼らは横目でこちらを見ながらも
通り過ぎるだろう
と思っていたのだが〜

なぜか
彼らは Hello〜と入って来た!

続きはまた次回 に🤗

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)

グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その6) に続きます

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その4

グラナダはサクロモンテの丘でのオジサンとの出会い、続きです✨✨✨


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初めて奥まで入った洞窟の中。

オモテから見える岩肌がそうであるように
中も一面白く塗られている。
天井も壁も。

そこに金色に光る台所道具。
オタマとか大きなフォークとかナイフとか。
が天井から円形にうわーとたくさんぶら下がっている。
使うためというよりこれらは飾り、だ。

まあこの光景は写真とかで見ていたイメージと同じだから驚かない。

しかし。
洞窟というからには奥行きがある。

かつてそこに住もう、とした人達が洞窟を自ら掘り進めたと聞いている。
今ここに居るヒターノ(スペインのジプシー)が掘り進めたのかもしれないし

さらにそれ以前に居たモーロ人(アフリカ大陸を経由して入ってきたイスラムの人)が
掘って住んでいた後にヒターノがやってきて住み着いた、とも聞く。

インドを起源とすると言われる
ヒターノがやってきたのは500年前の話だ。


そう、スペインはイスラムの支配下にあった時代が約800年間ある。
その後キリスト教が再征服、レコンキスタ。
1492年
スペインの歴史でよく聞く年号。
最後に陥落したイスラムの地がここグラナダなのだ。
同じ年にコロンブスがアメリカ大陸を
発見したらしい。


サクロモンテの向こうに見える
アルハンブラ宮殿は
イスラムの栄華とあまりに美しく
繊細で高度な文化の象徴。

誰であれ 訪れた人をタイムスリップさせ
昔ここに居た、
と感じさせられるような
遠く旅して来た、という思いだけでなく
時間旅行にも誘われるような
魔力に満ちた魅力。

わたしももちろんのこと
言葉にならないほど魅了された場所だ。

その頃のモーロ人も住んでいた
かもしれない今いるこの洞窟。

少し奥に進むとひんやり、とする。
外は暑いのに
洞窟内部は涼しいのだ。

そしてある一歩先から
急に「ここは別世界」となる。

居るところ
が外の人とは完全に違う、
という感じ。

閉鎖的でこわい、というのではない。
外の様子がちゃんと見えるのだから。

そこでオジサンと
椅子をむかえ合わせにして座る。

オジサンがパルマを打ち始める。
それをひたすらマネする。

同じようにやっているようで
違うらしい。

何度も何度も
同じところを注意される。

このスタイルも
その後のフラメンコ修行での
基本スタイルの事始めだった。

一見容易そうな部分こそ
マネ出来てない。
センティードが違う(感じ方が違う、という感じかな)という事象もこの時が最初。

これはーっ。むむむむむ!

いつもそういう気分で
その「別世界」の椅子に座ってレッスン
してもらってた。

遠目に時々
外を通る人がチラチラ見える。

熱中して疲れた。
オジサンは「少し休もう」という。

オジサンもわたしへの
「違う違う!」の連呼でかなり疲れたろう。

オジサンは奥ではなく、横穴という不思議な窪みで
お湯を沸かし、お茶入れてくれた。

それを飲みながら
その時はもう何回目かのレッスンなのに
まるで初めて見たように

目の前の白壁にかかっていた
金の額縁の巨大なすごいGUAPO、
つまり超イケメンの踊り手の
時代がかった肖像画のような写真を見た。

ここのマリア ラ カナステーラ一族の
ご先祖様のどなたかだろうか?

そんな気持ちで
「この写真のヒトは誰ですか」
と聞いた。

「わからないの?」
とオジサン。

「わかるわけないでしょう!」
なんてスペイン語はまだわからなかった
わたしはただ「ノー!」

オジサンは
「では教えてしんぜよう!」
という調子でひと呼吸置き。

「オレだよ。」

「!!!!😳😳😳!」

わたしは
椅子からひっくりかえらんばかりに
素っ頓狂な声をあげた!
洞窟だから響く響く!!

続きはまた次回に🤗

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」。つまりエンリケおじさんの洞窟、右手ふたり目が若き日のエンリケ カナステーロ(エンリケおじさん)



グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その5) に続きます

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グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その3


¡Hola!
ヒトが通りがかればみなこんな風にあいさつします。

グラナダのジプシー達の洞窟の前に
椅子を出し
新聞を読んでる
恰幅のよい、
腹の肉豊かな よく居る
スペイン人のオジサンあり。

そのオジサンと通りがかりのあいさつを交わすこと毎夕。

アルハンブラ宮殿を望む
アルバイシンを越え
さらに上のサクロモンテの丘を
毎日のように散歩していた日々。

会社を休み グラナダの語学学校に通った日々。
学校が終わったら毎日のように
そのサクロモンテの丘にのぼりに行きました。

毎日通るそのうちに。
その洞窟には
「マリア ラ カナステーラのサンブラ」
というタイルの表札⁈が
白く塗られた岩に
埋めこまれているのに気づきました。

まさしくそれは
日本で見つけたCDで聴いていた
一座の洞窟だったのです!

通りがかること何日目かに
¡Hora!
のその先の会話にようやく進みました。

「ここでCanteを習いたいんです。
日本で聞いていたCDでこの洞窟の名前を知りました」

そのオジサンの答は。
「ガイジンには到底ムリだから。
Canteは諦めて踊りにしなさい。」

この後のフラメンコ人生で
何度もスペイン人アルティスタ達から聞くことになるこのセリフ。

この時が初めてでした。

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」(=エンリケおじさんの洞窟)

コトバの壁、という以上にそこには
「FlamencoはFlamencoたる人達の伝統であり


そこで大切に受け継がれてきた財産であり


他の文化の人達が習得するには難解であり」


という意味あいが含まれていました。

その中で唯一
外人に開かれているのはバイレ(踊り)だから、と。

あれから20年。
彼らの認識も
私達の認識も大きく変わりました。

世界でスペイン人の次にフラメンコファンが
多い日本人。

日本ではその後バイレだけでなく
Canteを学び その喜びを享受する
人達が増えたのです。

さて。
そういうオジサンにくいさがる私。

「そもそもあなたパルマは打てるのか?」
オジサンは言いました。

そうです。
踊るのであれ
唄うのであれ
パルマ(手拍子でFlamenco独特のリズムを表現する)が出来なくては
ハナシにならないのです。

そうしてそのオジサンから
パルマを習うことになりました。

翌日からは 小さなテープレコーダー持参で
このサクロモンテの丘を
登ってくることになりました。

そのオジサンは
何者だったのか?

次回 (グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その4) に続きます😃✨

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2020年4月 ハートに繋がる瞑想会in葉山💓

3月22日は葉山で、少人数ですが、とっても気持ちの良い瞑想会でした🧡✨✨

次回の葉山の瞑想会は、4月25日(土)を予定しています。

 コロナの状況はますます油断出来ないになって来ました。

予防に関する必要なことは
常に最新の最善の対処や方法で
これからも瞑想の機会を提供して行きます。
 
 4月も極く少人数での集まりを予定していますが、オンライン形式への変更、延期もありえます。よろしくご理解くださいませ。

以下の趣旨は変わらず、瞑想の灯を灯し続けたいと思います💓

◉ミータとレイコの
ハートに繋がる瞑想会in葉山

 ・4月25日(土) 14時〜17時
・葉山 森戸海岸近く
(詳細はご参加の方にお知らせします)
・参加費  4000円(2日前までのお申込みで3000円)

◆お申込み、お問い合わせ

「お問い合わせ」欄よりお願いします。

もしくは

reiko.s.agua♡t.vodafone.ne.jp
♡を@に替えて、送信してください
もしくは
premmitamassage★gmail.com
★を@に替えて、送信してください

◆この瞑想会について:

Flamencoの歌い手でもあるレイコと、ハートダンスでハートソングを歌ってるミータで、参加者の方と一緒に歌を歌いたいなぁ、、と話しています。

あとは
ハート瞑想💖
ハートからのタッチ瞑想💞

海の風が抜ける気持ちの良い一軒家で
ゆったりとハートの広がる瞑想をご一緒しませんか?

殺菌作用のあるスプレーや、免疫力アップのアロマなども準備しています。

これからどうなっていくか、全くわからない状態ですが、
瞑想は、ほんとに私達の心の支えになってくれます。

ハートの光と共に、流れていきましょう✨✨

散らばっていた自分のかけらを取り戻す✨

いままたこれ!

悲しいなら
無理に明るさだけを見ることはしない

だからと言って
悲しみにはまりもしない

わたしには
喜びも楽しみもある

どちらもあらしめる

全体であること✨

散らばっていた自分のかけらを
取り戻す

それをやっています😃

-以下、Manish Kazuo NukiiさんのFacebook投稿から引用-

Osho/「祝祭とは感謝だ」

幸せはひとつの極、
悲しみはもう一方の極だ。
至福はひとつの極、
惨めさはもう一方の極だ。
生は両極を含んでいる。
至福だけの生には、
横への広がりはあるが、
深みがない。

悲しみの生には、
深みがあるが、
広がりがない。
悲しみと至福の
両方からなる生は
多くの次元にわたる。
それは同時にすべての
次元のなかを動く。

仏陀の彫像を見てごらん。
あるいは時々、
私の目をのぞき込んでごらん
― あなたは両方を
同時に見出すだろう ―
至福、平安、悲しみもだ。
あなたは悲しみを含んでいる
至福を見出す。

なぜなら、
その悲しみが至福に
深みを与えるからだ。
仏陀の彫像を見守ってごらん
― 至福に満ちている、
が、それでいて
悲しみをたたえている。
<悲しい>というまさに
その言葉が
あなたに何かが悪いという
間違った連想を促す。
これはあなたの解釈だ。

私にとって、
生はその全体においてよいものだ。
そして、
生をその全体において
理解するとき、
そのときにのみ、
あなたは祝うことができる。

さもなければ、
だめだ。
祝祭とは、
何が起ころうとかまわない、
私は祝う、という意味だ。

祝祭は、「幸せなら祝おう」とか、
「不幸せなら祝わない」というように、
ある決まったものごとに
条件付けられるものではない。
祝祭は無条件だ。

私は生を祝う。
生が不幸せをもたらす

― けっこうだ、私はそれを祝う。
生が幸せをもたらす
― けっこうだ、私はそれを祝う。
祝祭が私の態度であり、
生が何をもたらそうとも無条件だ。

しかし、問題が生じる。
なぜなら、
いつであれ私が言葉を使うと、
それらの言葉があなたのマインドに
連想を引き起こすからだ。

私が「祝いなさい」と言うと、
あなたは、
人は幸せで
いなければならないのだ、
と考える。

悲しいのにどうして祝えるのか?と。

私は、人が祝うためには、
幸せでなければならない、
とは言っていない。
祝祭とは、
何であれ生があなたに与えるもの、
何であれ神があなたへ与えるものへの
感謝だ。

祝祭とは謝意だ。
それは感謝だ。

あるスーフィーの神秘家が
とても貧しく、
空腹で見捨てられ、
旅に疲れていた。
夜になって彼はある村へ行ったが、
その村は彼を
受け容れようとしなかった。
その村は保守的な人々の村だった。
そして、保守的な回教徒が
いるとなると、
説得するのは非常に難しい。
彼らは町の中の、
雨をしのぐ小屋さえ
与えようとしなかった。

夜は寒く、
彼は空腹で、疲れ、
着るものも充分になく、
震えていた。
彼は、町はずれの木の下に
坐っていた。
彼の弟子たちは悲しみに
うちひしがれ、
意気消沈し、怒りさえ覚えていて、
そこに坐っていた。

すると、彼は祈り始めた。
神に向かって、彼は言った。
「あなたは素晴らしい!
あなたは常に、何であれ、
私に必要なものを与えてくださる」
これはあんまりだった。

弟子の一人が言った。
「ちょっと待ってください。
それではあまりにも言いすぎです。
とりわけ今夜は。
その言葉は偽りです。
私たちは空腹で、疲れ、着るものが
ないないというのに、
冷たい夜のとばりが降りようと
しているのですよ。
そこらじゅうに、
野生の動物がいるのに
私たちは町から拒絶されているのです。
私たちには小屋さえありません。
あなたは何に対して、
神に感謝の念を
捧げているのですか?
<あなたは常に、何であれ、
私に必要なものを与えてくださる>
というのは、どういう意味ですか?」

神秘家は言った。
「そのとおりの意味だ。
私はもう一度、繰り返す。
神は、何であれ、
必要なものは与えてくださる。
今夜、私には貧しさが必要なのだ。
今夜、私には拒絶されることが
必要なのだ。
今夜、私には空腹になることが、
危険にさらされることが必要なのだ。

さもなければ、なぜ神が私に
それを与えなければならない?
それは欠かすことができない
ものに違いない。
それは必要とされている。
そして、
私は感謝しなければならない。
神は本当に素晴らしく、
私に必要なものの面倒を見てくださる。
神は実に素晴らしい!」
これが、状況にかかわらない態度だ。
状況は関係ない。

祝いなさい,
どんな場合であろうとも。
もし悲しかったら、
あなたは悲しいのだから、
祝いなさい。

これが錬金術の何たるかだ。
― 卑金属を
より質の高い
金属に変えることだ。

悲しみ、
怒り、
嫉妬
こうした卑金属は
金に変容されうる。

Osho