「わからない で生きる」とは?【後 編】

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2年前、
「どうしたら?」でなく
「わからない」で生きるって
どういうことだかわからなかった私。
 
 
これはこれまで
サトルボディヒーリングで習い、
ワークで体感した

「第5チャクラの『わからない』」
というスペース。
 
ここから生きる、
 
ということだったんだ!
と今回実感した。
 
 
「わからない」で生きる。
 
生きることを 謎に満ちた神秘のままにしておくこと。
無条件に生を信頼するということ。
 
過去の記憶、そこから作られた思い込みに
支配されない、ということ。
 
 
痛いもの、傷に触れるものを 自分から切り離してしまわないこと。
それらを無視せずに見ること。

すると
記憶は単なる記憶となり、
それが今起こることをコントロールすることがなくなっていく。
 
困難なチャレンジがやってきても
何か自分に役立つものだ
という態度で受け入れること。
 
これらはまた本来の「信頼」というスペースでもある、
とプラサード達は教えてくれていた。
 
ああ、これら言葉だけ言っても 
むなしい感じがする。
 
2年前のサガプリヤのスターサファイア
のセッション。
私のそれまでの内なる男性性は、
つまり信頼していなかったのだ。

 
自分が100%コントロールしなければ生きていくことはできない、
と思っていた。

何をしたら、何が起こるのか、
ということを
存在にまかすことなく、
すっかり自分で決めていた。
100%過去を指針として。
 

だからヨレヨレに疲れてしまっていた。
「喜び」は遠のいていくばかり。
責任感がある、ようにも見える。
しかしそれはエゴからだったのだ!

 
一方内なる女性性は
「大いなるもの」「存在」
とのつながり、
というものを
感じることができるのだった。
 
しかし 
生きていく上での大事な決定や
責任を取ることをしない。
働きもしない。
男性まかせ。

ほとんどを男性性に支配されることを
許してしまっていた。

 
女性性は「自分で生きる」ことが怖い、
自分の力で生きれることを 
また信頼していなかったのだ。
 
だからわたしは
「わからない」というスペースから
生きる必要があった。
 
 
これからまた
何度もこれに気づいていくのかもしれない。

少しずつ信頼して生きれるようになるのかもしれない。

今のわたしは
あの頃のわたしより少しマシ、
だろう。
 
第5チャクラの無条件の信頼、
というのは「私たちの在り方、在り様」だ、
というアルヴィナの言葉もあった。
 
私が明日唄おうとしていたFlamencoの歌詞。
これってその「生きる在り方」を表したものではないのかな、
と今感じる。
数日前にFacebookの投稿に書いた歌詞。
 
俺は死ぬのは怖くない
死は自然なことだから
俺は生きるのがもっと怖い
なぜなら …
どこに行き着くかわからないから
俺のこの頭では。
わたしにはとても印象深く

✨これがFlamencoだ

✨と感じていたもののひとつ。
ジブンはと言えば~
死ぬのが自然と思えるほど
素直に感じるまま
生きてこれたわけでもない。
それでも 生きる方が怖い、がわかる気がしてた。
信頼することが怖い、気がしてた。
 
それをこんな風に表現できるなんて!
なんて素朴 なんて正直
品格をも感じる。
こういう歌詞に感動しています。
 
「サトルボディヒーリングは
 単なるチャクラのヒーリングではない」
 
「今ここ、を生きるためのものである」
とプラサード。
 
今ここ、を生きるとは
過去の記憶にコントロールされないこと。
ヒーリングだけでなく、
そのスペースに開いていける
サトルボディヒーリング。
 
 
そして私達の中に
別のふたりの人格のように存在する
内なる男性性、女性性エネルギーの
現れを読み解き
今後の指針を得られる スターサファイア。

 
初めてこれらのワークを体験していただくための
機会をただいま準備中。

「わからない で生きる」とは?【前編】

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「今まで生きてきたのが、ウソな感じがする。
  わたしの人生をホントウのものにしたい!」

そう泣きながら 言って始まった
スターサファイアのセッション。

これが初めてのサガプリヤとの出会い。
一昨年のことです。

この時、わたしの女性性は
穴に入ってブルブルと震えている白うさぎ。
(こんな感じの女性性、と説明するための比喩です)
とても怖がりなのです。

そして男性性はハードに働いてきたヨレヨレのサラリーマン。
(のような男性)
男性性はエゴで女性性を食わしていたのです。

女性性はひたすら
男性性にコントロールされていました。
自分で住む場所も選ばず 穴で震えていました。

一方、男性性がやってきた仕事に喜びはありませんでした。
一時は楽しくやっていたその仕事に、
もう愛がなくなっていたというのに

白うさぎを食わせるため
ムリヤリ続けていたのです。

女性性は唄うことを愛しています。
唄うことを通して
存在とつながれることをとても感謝しています。
 
しかし、現実を生きていない!
男性性、女性性ともに。

これが一昨年のスターサファイアセッションで
赤裸々になった
自分の状態でした。

これを知ったのは
あまりにもショックでした。

確かに働いて働いてきた、という思いがある私の一部(=男性性)
はとても疲れていました。

そしてもう一方の自分(女性性)は、
自分で生きる、という態度、気力がまったくなかったのです。
自分は出来ないのだ、と思っていました。

この先、生きていくのに、
まったく希望がないようにも感じました。

セッション終了後、
ショックで途方に暮れたようになっていた私に
サガプリヤは言いました。

「あなたがこれから
ホントウの人生を生きれる可能性は、あります」

Reikoは言いました。
「えっ!
 それには どうしたらよいのですかあああ???」
思い切りサガプリヤの前に身を乗り出していました。

対するサガプリヤのお答えは~
「それには~」
「今までのあなたは「どうしたら?」で生きてきました。
これからは「わからない」で生きなさい。」

はあ?????
まるで禅問答のように感じました。

これがどういうことだったか、
ようやく 今ごろ説明ができます。

「サトルボディヒーリングは
 単なるチャクラのヒーリングではない」

のプラサードの名言が突き刺さった
「メンタルプログラムの解放」の数日前の再受講。

この日をまたなくても
「わからない」とは何か、
プラサード達から再三聞いていたのですが~。

この2年前のセッションとバチリと
結びついて理解したのは
ようやく今。

(続く)

今また信頼を学ばされるー後編ー

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信頼を忘れ離脱しようとした
2年前のイタリア
スターサファイアのコース。

しかしながら日々
自分について発見、気づき、
そして結局愛、
というものに繋がるセッションとなる
毎日が感動の嵐。

だからこそ
出ていかず によかった❗️

しかし。
このコースの最中に
正直に怒りをあらわせなかった私が
その後どうなったかと言うと。

帰国後に
「バカヤロー❗️」
という自分自身の怒号(寝言です)で
目が覚める、

鉄筋コンクリートのマンション居住なのに、隣人まで起こしてしまう、
という日々が
ほぼ3ヶ月間繰り返された。

そして翌年(つまり昨年)のイタリアにも
ここから始まった
怒りのバクハツを
持ちこし、

そこで自分に起こった大きなことを
綴るのが、
このブログ開始のモチベーションとなった。

イタリアでの学びは
これは
魂の友に伝えるべき重要こと、

という自覚が最近強くなり、何もせずには
いられなくなってきた。

そこで 伝えたいから今参加しているスピプロ、
の学びの場で。

まさしくこのイタリアの
最初の事件を思い出させられることが
起こりました。

おかげさまで私は 信頼を学ぶために、このスピプロに参加した、と今では自覚しています。

ありがとうございます💓

さて、今日は
ハートを入り口として💕

自分がこれまで思い込んでいたことを
解放していく〜

メンタルブログラムの解放

がテーマのサトルボディヒーリング
を再び学んで来ます。

今 また信頼を学ばされるー前編ー

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わたしは昨年、一昨年と10月に

イタリアでサガプリヤの

スターサファイア という

男性性、女性性のエナジーワークの
半月間のコースに参加した。

そこでの学びは自分にとって

一生もの。

これは魂の友に伝えるべき重要こと、という自覚が今ではある。


そのイタリアのコース2年間で、
その後今の私の在り方に
大きく響いている事件。
色々ある。

けど、一昨年のこれが最初で発端、
という気がする。

「到底 信頼できない!」
イタリアはアッシジのさらに山奥の、
ここは修道院か⁉︎
とも感じた
動きの取れない、
世界中から来ている20 数名の合宿所。

「今日こそ ここを出ていってやる!」

とコースの離脱を目論み、ある朝リーダーに言おうとした。
到底信頼出来ない、と感じることが起こったから。

わたしは結局、出ていかなかった。

そこでの
フツーの日常生活ではありえない
本音のぶつかり合い、

見させられた自分のそこでの投影像はおぞましく 凄まじく。

「おかあさんはわたしが守らなきゃ❗️」
(おかあさんを
この時コースに居たメンバーに投影)

と思ってものすごーくガマンしたり。

「おとなしく していないと見つかってひどい目に あわされる」

(これは いわば過去生からの投影でもありました)

と 怖くて小さなうさぎのように
ブルブル震えていたり。

正直、とてもタイヘン。
信頼を忘れそうになったのです。

(後編に続く)

自分を取り戻したヒーリングのセッション。

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本郷綜海さん スピプロ同期の、

Ikukoさんの ヒーリングのセッションを受けることができた!

彼女が行うヒーリング、
どんなものかはあまりよく知らなかったし、あまり聞きもしなかった。

BBSH、のものだそうだが
どんなものであれ、ぜひ彼女のヒーリングを受けてみたい、
と思った。

私は自分でサトルボディヒーリング、という別のやはりヒーリングと名のつくものをやっているので、
チャクラやオーラに働きかけるワークなのだろうな~
また自分は横たわって、Ikukoさんは手を使ってやるのだろうな~
そんな想像をし、それは大体その通りだった。

セッションはセージを炊いたりと、部屋の浄化から始まった。
各すみずみまで、彼女が気を配って行っているのがわかる。
いやあ、ほんとまずこれで場が変わりました。

そして~。
彼女は
今回の場合は特にイシューとか、今抱えている問題、とか聞かなかった。

この時のわたしにとっては

これがよかった。

 

整えられた場に横たわり
足の方から始まった、と思う。
彼女が触れているのは足なんだけど、受けている私の感覚は、
それが腹にきて、胸に来て、首、目、ついにアタマまで、とすべてに到達したなあ、と感じた。

急に「ラク~」な感じがやってくる。

またお腹に手をあててもらっている時、またここから喉、首、アタマの中、そして足のウラに血だかエネルギーが流れている感じ、循環している感じを強烈に感じた。
いわゆる「血の巡り」がよい、急に冷え性が治った感じ。
そしてエネルギーが流れ出す感じである。

他にもいろんなことやったと思うのだけど、すっかり気持ちよくなっていて細部はよくわからない。

あるとき、急にカラダの右側、右半身が浮くような感じがした。
そしてとても強い感じがした。
逆に左側は動かずに、静観しているような感じ。

 

これが今の体の右半身、左半身のエネルギー状態だ、と彼女は伝えてくれた。
うん、これが今の自分の状態っぽい、と感じた。
もしかするとこれは男性性、女性性エネルギーの状態を表しているかも、とも自分では思った。

ヒーリング中、第3チャクラのところにはいろんなものがあるようだった。
自分で感じていたのはゴチャゴチャゴチャ!とした感じ。
対外側、に向かってぶつかったり、ぶつけられたりしてるような。
あくまでイメージですが。

Ikukoさんからも「人との関係云々~」といったようなコメントもあった。
この第3チャクラにIkukoさんがいろいろと働きかけてくれているのがよくわかる。
たくさんのもの(エネルギー)が動いた感じがする。

体のどの部分だけ、ということでなく、ヒーリングは全体に及んだのだと思う。
眠くないのだけれど、ほわっとなって細かいことははっきりわからないながら、
常に体の中で何かが動いたり、変わっていること、
彼女が何かをやってくれている、
ヒーリングエネルギーのようなものを送っているみたい、
と感じることができていた。

優しくありながら、効いている実感常にあり。

 

さて、この時のわたしにとって
「何も話さなくていい」のはとてもラク。
やってもらうばかりなのも、とてもラク。

やっていただき気持ちよくなってばかりで、何かが動いて変わる実感があるのだから
ほんとラクに気持ちよくなれる感じ。

よく言う「癒される」とは、こういう感じなのかもしれない。

こういうことを、わざわざ言葉にする必要はないのだろうけれど~

このヒーリングを受ける前に感じていた自分の状態は
「(自分の何かのエネルギーが)前に行きたくて、つんのめりそう!」
な感じだった。

それがこのヒーリングが終わった後・・・
「このエネルギーは私の(ための)ものです」
「このエネルギーは私と共にいます」
という感じがした。

そして、
「自分がひとつにまとまった感じ!」になりました。
おさまるべきところにおさまった、というのでしょうか。
おかげで私は自分を取り戻しました!

以上。

サトルボディヒーリング~再び戦ってきた男性性を理解

サトルボディヒーリング。

ハートのスペースから気づきを促し、変容につながっていくワーク~。
スターサファイアとともにわたしの愛するエナジーワーク。
このサトルボディヒーリングと共に大輪の花を咲かせているガヤトリ、にやってもらいました。
わたしは今重要な地点に居ると感じています。

「自分が好きなこと、それをやって生きていくことを自分に赦したい」
特に唄うこと、です。

「許す」より「赦す」。
そんなイシューでセッションは始まりました。

まずはガヤトリのリーディングで出てきたのは~
「批判的なエネルギーがアタマの上を飛び交っている」
「こうなってはいけない。
わたしはひとりで立派に生きなければ。」

そうです。その通り。
わたしはこのように感じながら 育ちました。

同時に。
「それはムリだ!」

そうです。
わたしはこのような葛藤を抱えて生きてきたのです。

自分に制限をかけ、立派になろうとしてきました。
なんとも正直ではない、ムリしている。
でもそんなジブンご苦労さん、そんな感じです。

ガヤトリはまた
わたしが人サマにとシェア出来るいろんな質があることをリーディングしてくれました。
豊かさ。
なごやかさ。
安心感。その他にも。
そんなにもいろんなものがある!
それらの質がよろこぶのを感じました。

 しかし、実際に何かやろうとすると~例えば 何かプロジェクト、新しい仕事を始めるとか。
動きが止まってしまう。
考えてわからなくなると眠くなって寝てしまう。
それはそれで気持ちい~から まあよいか~ となったりする。

驚きました。
まるでガヤトリが 私の生活を覗いていたかのようです。
まさしくこの数日、私はこんな状態でした。
図星! で ぐうの音もでません。

しかし痛いところをつかれてる、かと思いきや。
「その通り!」と笑って認めることができている自分がいます。

これにはガヤトリの優しさ、配慮の素晴らしさもさることながら、
サトルボディヒーリングゆえ、という理由もあるのでしょう。
なぜならセラピスト、ガヤトリとクライアントReikoがともにいるシンクロニシティのスペースが、ハートチャクラの受容のスペースでもあるからです。
ハートはすべてを受け入れてくれるからです。
この受容のスペースがセッションを通じて拡大しているのを感じることができます。

そしてガヤトリは
「これらは表層で起きていることです。
表層は全体の5%にしかすぎません。」と。

そうでした!

意識全体の中で、肉体、思考、他の人にわたしがどんな人なのか、
と思われているかというパーソナリティ、つまり表層は5%にしかすぎない。
サトルボディヒーリングの学びと同時にこれを学んできました。
何度も 何度も。このことを思い出す必要があります。
「本来の自分」は、より深い中心の近くにあることを。

ガヤトリのこの時のこの言葉でさらなるエンパワーメントがなされました。

そしてガヤトリが表層ではなく、内側にある本質、つまり「本来の私」をリーディングしてくれました。

自由。
生きる喜びの実感。
生を祝う。
誰の人生でもない、自分自身のパワー、自分の喜びを生きる。

これが私! これが本来の自分!!

そうです!
それがわたしなのです!!
自分の中にこれがあるのに自分でなかなかそれを取り出せなかったもどかしさ。
そのもどかしさが一気に吹き飛ばされたようなこの瞬間でした。

そしてこれら「本来の自分」を覆いかくしてしまう、
わたしの思い込みは何か。
これもガヤトリが丁寧にリーディングをしてくれました。

第一チャクラ関連では~
お母さんのエネルギー。
「自由に生きられない」というエネルギー、
「私には力がない」という母の思いを、私Reikoが生きようとしてしまった。
これは 今まで気づいていたことでもあるのですが~。

これが今回のイシュー、
「自分が好きなこと、それをやって生きていくことをなかなか赦せない」
ことにつながっていたのですね。

それを確認することができました。

そしてガヤトリは言いました。
「Reikoがそうして母のエネルギーを生きたことは
「親密さ」という本質を表現したことでもある、
「親密になれる」ということに価値を与えてください、
お母さんの生き方を繊細に感じ、その生き方を尊重したことに価値を与えてください。」

なんということでしょう!
「思い込み」「ブロック」と呼ばれるような中にも
表層ではなく、「親密になれる」という本質が表現されていたのです。

これにはまったく気づいていませんでした。
言われてみて、そうだな、と。
これはおおいに価値を与えてよいのだ、と気づいた瞬間、涙が出そうでした。

さて「本来の自分」を覆いかくしてしまう、
思い込み、続きです。

第3チャクラ関連では~。

「私には価値がない、できるわけがない」
と言っているそうです。
「唄うことはお金にならない」、とか。
これは思い込みなのですが~。

この背景に「シスターのような存在」がReikoを見守っており、
その人が私を心配するがゆえに
「普通にしなさい、冒険なんかダメ」というようなことを言ってきているそうです。
よって、そのような思い込みにもつながったようです。
これは過去生、という次元の話しかもしれません。

しかし~。
この人のおかげで何がどういう風に守られてきたか。
ガヤトリがReikoに聞きました。
わたしは何の根拠もないのですが 
しかしはっきりこのように口から出ました。
「病気にならない」「怪我をしない」。

そういう見守りの存在のようです。
そのおかげで生きることができたのです。
思い込みにもつながったけれども、
生き延びるためには私には必要な存在だったのです。

そのような実感、この時すぐにはわかりませんでした。
しかししばらくすると「何かある理解」、が自分に起こったと感じました。

するとガヤトリは
「真の自由を生きる強さ」
「羽がパタパタしている」
「育ち始めている」
「何があっても人生の肥やしにしていける(強さ)」
というエネルギーの変化を告げてくれました。

なんということでしょう!

ほぼ同時に、
「自由に生きていいわけがない!」
「愛を表現しているのに、いらない!と言われての怒り、悲しみ、悔しさ」
そういうエネルギーも感じることを伝えてくれました。

そうです!
これはまたまさしくこの数週間にReikoが感じ、体験したことでした。
そして「悲しい」「悔しい」という中に何日もいたのです。

それをガヤトリに告げると、
「悲しみ」「悔しさ」にスペースを与える、ことを提案してくれました。

それらはそこにあるのであり、私はそれを充分に感じる
必要があると感じました。

私はここでまた
「唄をお金にすると、存在との繋がりが切れてしまう、ことの不安」
があることをガヤトリに告げました。

私は唄っているとき、何か大いなるものとつながっている、
それが私を使っているような感じがすることがよくあります。
今ではこれが「私に与えられたギフト」なのだ、と自覚しています。
そしてそれを涙が出るほど感謝しているのです。
そのつながりが途切れること、
私にとってそれほど恐ろしいことはありません。

するとガヤトリは
それもまた「表層」のもの、思い込みであることを告げてくれました。
「お金」と「大いなるものとのつながり」が引換になるわけではない、
そこにあるものはある、ことを。

そしてまたここでガヤトリはリーディングで重要なことを告げてくれました。

カラダの右側に「戦ったきたエネルギー」があることを!
戦ってきて絶望した、
しかしそこにある本質は「勇気」であることを!

一方左側には「痛みのエネルギー」がある、と。

ちょうど1年前にイタリアで受けた
サガプリヤによるスターサファイアのセッション。
これは男性性と女性性をリーディングしていくエネルギーワークです。
これを3年前から日本で学び、はるばるイタリアまで2年連続で学びにいき~
人生で最も重要な学びと感じているもののひとつです。
そしてその中でも、そのセッションを受けたことが最も重要な学びだったのです。

そのセッションで出てきたのがまさしく「戦ってきた男性性」です。
この男性は1年たった今でも私の中に居るのです。
「勇気」という本質が垣間見えて少し、絶望が緩んでいるようにも感じますが~。

戦う男性性、その男性性に攻撃される女性性。
これが1年前時点のサガプリヤがリーディングした
「Reikoの人格の基本構造」だったのです。
基本構造がそう簡単には変わりません。

男性性が戦ってきて絶望。
女性性を攻撃。
これが「好きなことをやって生きていくことを赦せない」ことにもつながっていました。
これに今回気づいたことはあまりに大きい!

(絶望した)男性性が「信頼を学ぶ必要がある」、
これがそのセッションのお試しのようなハードな試練
(当ブログ「イタリアでみた過去生と直後の事件」に連載中)
のあとの帰国後のReiko、
へのサガプリヤのメッセージにありました。

サガプリヤのセッションでの気づきは、
あらためてまた別の機会にシェアしたいと思います。

さて、セッションも終盤にかかります。
ガヤトリは私の第5チャクラをリーディングしてくれました。
「私はここに居るというエネルギー」
「存在するよろこびのエネルギー」
「家に帰って、たんたんと何かを始める男性の姿」
を告げてくれました。

私はこれを書いている今ただ今~
家に帰ってきて食事後、これをたんたんと書いているのです!

リーディングとヒーリングは、第6、第7チャクラに行きます。
「純粋な喜びに返った子供」
と告げてくれました。

唄ってお金をいただくことについてこの瞬間~
「躊躇なく まっすぐに 単純に」
こんな風に感じていました。

そして「何かリセットされた感じ」だとガヤトリに告げました。

セッションの開始からみたら なんという変化でしょう!!

そしてガヤトリは
「このスペースからやりたいと感じること、始めたいことはありますか?」
と聞きました。
Reikoは
「障害はない」
「このまままっすぐ進める気がする」
と言いました。

「第7チャクラ、アタマの上に 旗が立っているようだ」、
とも告げました。
ガヤトリ「お子様ランチのような旗?」
Reiko「そう、その通り!」

今、わたしはなんとも子供のように自由です!!

以上。

※このセッションは スカイプを使用した 遠隔セッションで行なわれました。
サトルボディヒーリングは対面ではもちろん、このように遠隔であってもリーディング、ヒーリングがハートチャクラからお互いのシンクロニシティのスペースに入るので可能です。

イタリアで見た過去生と直後の事件〜ローマパスポート盗難 その6

〜その6

11月1日、ローマ日曜の夜は明けようとしていた。

あと連絡するべきところはあったか?

そうだ、wifi❗️

カバンには
パスポートや財布もさることながら
wifiもケータイも入っていた。

手元に残っているのは
充電器が入ったバッグだけ。

あ〜いやいや。
こんな時のために
ネット上の申し込みでは「保険に入る」欄に自動的にチェックが入る仕組みになっていた。

この保険料が1万5千円だったかと思う。
高い!
と思ったわたしは
チェックを外していたのだあああ。

結果、紛失に際しての弁償代は4万円‼️
これにはモチロン保険は出ない。

申し込み時に、チラと確認していたことだったが ココで改めて再認識。
ガックリと、ほんとにガックリとしていたところに wifiサポートからメールの即レスが。

「成田返却の日時が、予定を1ニチでも越えたらイクラ、2ニチだとイクラ・・・」

盗難にあったことへの見舞いのコトバはまったくない。
予定通りの日に 残っている充電器を返して、とのこと。
盗難にあったことと、
予定通りの便で帰れないかもしれない、
という連絡をしたのですがネ。

あ〜はいはい、
もー何もする気力がなくなりベッドへ。

あす、いや今日
朝8時半に開いたと同時に
警察に行こうと思ってたのですがネ。

起きたら9時半すぎでした。

(続く)

続きは その7へその7へ

イタリアで見た過去生と直後の事件~その5

~その5の前に今日の日記~
今日は2016年11月2日。
今書いているのは昨年、2015年10月31日~11月2日の話しである。

この話しの続きの前に、今ただ今、今日の日記。

昨晩、10月31日に画家の堀越千秋さんが逝去された、との報を聞いてショック。
今見たマスコミを通じて流されている訃報には、画家としての経歴だけで、
Flamencoを唄うことはまったく書かれてない。

ヒトは亡くなった時にも「社会的に評価された実績」のみで見られのだなあ、
と当然なのだろうけど 寂しい。

堀越氏は画家であるだけけなく、Flamencoの世界に強くひかれて
スペインの生活では
どっぷりとその世界につかり、その魅力を私たちに伝えてくれた。

そしてFlamencoが好きになり実践する私たちに
厳しく、なにより味のあるご意見番として存在してくれた。

Arteの世界、ということで絵も唄も 共通かもしれないが
絵のモチベーションとなっていたのもFlamencoの世界、なのでは、と思ってしまう。

Flamenco、特にCante Flamencoから生きる力をもらい続け、そして唄っているReikoには、
堀越さんこそがそういう方だったのだろう、と強く感じるからである。
心からご冥福をお祈りします。

さて、~その5デス。

11月1日(日)になったばかりの深夜。
帰国予定のローマからドーハ経由(カタール航空)成田への帰国予定便は
11月2日(月)の午後3時。

これから36時間、何をすれば予定通りに帰国できるのか??
正直「予定通り」、はかなりのハードルの高さに感じる。
予定通りにいかなくとも とにかく帰るため、にはいろいろやらにゃあ!

まず日本大使館の場所は~
なになに、今居るホテルから歩いても40分くらいか?
そしてこのHPで見た緊急連絡先にまた☎する。

結局つながったのは 夕方に☎した先と同じ!
お決まりの 現実的に入手困難なものを含む、様々な必要書類を教えてくれたあと~。

その担当者は。
「でも 諦めないでください。
最短2時間半で 帰国のための渡航書 が出ることがあります。」

Reiko「! ということは、3時の便なのだから 日本大使館開館と同時に行けば、
    予定の便で帰国できるかもしれないのですね?」

その担当者「そうです。」

わあああ。
これでやる気が出てきた。
ローマにこれから何日も滞在し、航空券を買いなおす、という可能性もかなりある、
と思っていたが。
明日の予定便で帰ろうではないか!

元気が出てきたところで実家に☎。
弟に頼みごと、なんてこれまで殆どしたことがない。

おそる おそる~ ☎。
☎に出た義理の妹に「かくかく~しかじか~」
と話すと
「うわあぁあああ! ひぇえええ!!!」
といろんな声を出したあと、
とにかく仕事に出ている弟に言うから、と。

「本籍地入りの 戸籍抄本」をゲットするには、
月曜の午前中中に役所に取りに行ってもらい、そしてそれをすぐさま日本大使館にFAX
してもらうしか、ない。

日本の午前中、そしてわたしが在イタリア日本大使館に行くのも午前中、9時半!
であるが 
そこは「8時間という時差(イタリアの方が後れ)」という事情でこの手続きが可能となる。

そして「決まり」に従うなら
その戸籍抄本原本をすぐさまFedexで送り、その送り状もFaxで送れ~
いやこれはゼッタイムリ!ムリ。
で、頼みませんでした。

そもそもいそがしい弟が急に 午前中中に役所にでむける、というのもかなり可能性低い。

後から聞いたのだが、義理の妹が代わりにやってくれようとしたが、
役所に聞いたら 血のつながりある兄弟でなければとりあえず代理になれなかったそうだ。

もう家族を騒がせに騒がせた。

これもアトから聞いたが
「立てない」はずの父がこの知らせを聞いて
「立ち上がって」しまったそうだ。
アトからアチコチ痛くなったのは言うまでもない。

さて、次は保険会社に☎だ。

コレクトコールができる。ありがたし。
すぐにつながって話もできた。ありがたし。

で、話し始めたら。
「盗難にあった状況」の詳しい説明を求められる。

こちらが聞きたいこと、は後回し。

いつ、どこの通りで、どんな人が、
取られたものはなに、現金は、カードは、パスポートは???

なにせ「かばんごと」持っていかれたわけで。

取られたものを申告するのにえらく時間かかるのだ。
帰国後に申請したリストにゆうに30品目くらいあったのだから。
「その他いろいろ」、という言い方をなかなかゆるしてくれない。

「この保険には予定便に乗れなかったときの保障が入っていたか?」
とか
「ローマにサポートしてくれる支店はあるか?」
とか 
いろいろ聞くことが出来たのは40分後くらいだった。

いやあ、これでかなり消耗。
外はだんだんと白みはじめていた。

続きは その6へ

その6