「突発性難聴日記」カテゴリーアーカイブ

突発性難聴日記 その7ーよーきーのボディワークー

突発性難聴日記 その7


さて
コワイ歯医者から帰って来た
その日の夜は
友人よーきー、と過ごす日だった。

彼女は身体とエネルギーについて
とても詳しく
とどまるところ知らずの探求心を持ち

直感的知性に溢れた
エネルギーボディワーカーだ。

彼女の施術と
いったらとにかくスゴイ。

たまたま数ヶ月前に
「ずっと腰痛いんで どうにかならないか」
という主訴で
やってもらっていた。

そのように訴えて
たった1回の施術後に
「とりあえず腰なんともない!」

なんてワーク
今までお目にかかったことがない。

そして
施術後に自分のカラダの使い方、
というか腰に対する対応が
変化している
ような感じを持ったので

それを聞いたら
「あとその人のカラダがどう対応するか、
の変化の余地を残す」(だったかな?)
みたいなこと言ってた。

不思議だ。

とにかくよくなってきている、
そして変化が続く、

という実感明白な驚きのワークだったのだ。

なので、耳についても1週間前にやってもらっていた。

この時はまた驚いたのが
「耳の回りのエネルギーが今通りました!」
という瞬間がわかり
そしてその時 メリメリと

穴開けのような音が
聞こえたからである。

わたしはマッサージとか、指圧とか 鍼とか
はたまた美容院とか
カラダに触れるワークには
とても敏感なので

一般的なものを何でもは
受けられない。
やりすぎて逆効果になったりするから。

その普通ならなかなかわかってくれない、
ちょうどよい加減
というものも

彼女にはよくわかるようで
任せて大安心なのだ。

で、そのくだんの彼女に
今日行った コワイ歯医者が
こうだったよー、と報告。

「その歯を抜いたアト
その歯医者はどーするのがいいって?」

と彼女は聞く。

おー それは
歯医者の言ってた今後の治療計画、
というヤツだ。

で彼女の意見は
「その方法はいいと思えない。」

おー。

コワイ、
以外はいい歯医者と思っていた
わたしは驚いた。

いったい何がよいのかねぇ。

とにかくこの状況で
必要なのはセカンドオピニオン、
ってやつだろう。

これまでなかなか出会えなかった
いい歯医者さん。

どこに居るのかねぇ。

彼女曰く
「〇〇ちゃん、確かいい歯医者に
今行ってるって確か言ってた」

で、さっそく聞いてもらった。

おー、
良さそうではないか。

しかしまた遠ければ
はなしにならない。

ところが。
ほぼ隣町ではないか!!

出てくるもんだーっ。

(つづく)

突発性難聴日記😮その6/コワイ歯医者終了✨

突発性難聴日記 その6

さて。
で、その歯医者である。

やっぱり。

歯医者のそのセリフは
「そんな昔のこと(何せ11年前)
言われてもねぇ!
まあ とにかく見せてください」

この段階からかなりコワイ。

で、レントゲン撮ったら
その右奥歯はふたつに割れていた。
そりゃ抜くしかない。

で、その抜いた後をどうするか
が歯医者によって色々らしい。

前に行った歯医者でも治療計画という
ものを提示されただろう、
と言われたがよく覚えていない。

大体歯が割れていたことだって
その時言われたのだろうが
まったく覚えていないのだ。

そんなわたしに業を煮やしたように
「大体ねえ!
ウチに通っていただけるんですかあ!
前だって途中でやめてるでしょうがあ!!」

そうだったのか。
どうやら当時3年近くも通ったらしい。

こちらとて
そんな昔のことを覚えてない、
のだが
この激しい言われようは思い出した。

言ってることはごもっとも。
途中で来ないなら 治療計画は変わってくる、
とのこと。
途中で放られても困るよ、と。

そして前に行った歯医者に行かず
ココに来たわたしの経歴は
前課を上塗りしてるように見えるかもしれない。

わたしは決して医者ジプシーをして
アチコチ渡り歩くタイプじゃない、と思う。
むしろこれまでひとつところを
唯一と思い込んでしまっていたなぁ、と
反省ぎみなのだ。

前の歯医者もなんとなく気に入らない、
とかではない。

どうしようもない恐怖で逃げて来たのだ。

などという言い訳もせず
まったくひるまなかった、とは言わないが
自分はどれだけの期間通ったのかを
歯医者に聞いた。

こういう対応を
前に通っていたときは 出来なかったな、
と思い出した。
ひたすら萎縮してた。

う〜ん。
こんなことも私はガマンして
がんばってたんだね。

で、住まいは当時都内、今千葉県。
前より遠い。
そりゃ今回だって通いきれないかもね
その歯医者の言う通り。

しかし
どこからやってきたのか
わからない恐怖を感じた
前の歯医者には もう行けないが

この歯医者なら行くことはがんばって
可能だな、と思った。

しかしまったく嬉しくない。
歯医者に通う、ってこと自体が嬉しいわけもないけれど。

いずれにせよ
痛くないなら
治療は急がなくて大丈夫だから
突発性難聴の治療が終わってからにせよ、
とのこと。

ステロイドの服用期間はもう終わっていたのだが、
ほかのクスリをたんまりと飲んでいた。

歯を抜くなんて体力使うんだから
クスリが抜けてからの方がいいよ、と。

そう言ってくれてホッとした。

歯医者もゆっくり選べばよいのだから。

で、帰りがけには
「では気をつけてお帰りくださいね」
だって。

優しいことも言う。
ただし顔はあさっての方向を向けながら。

そんなところを救いに
かつてのわたしは
ココに通っていたのかもしれない。

(つづく)

突発性難聴日記😮 その5/ヌラの贈り物

ところで
オーラソーマを習うなら
唯一ヌラ、と思っていた。

セッションを人さまに提供するというより
自分のために習う、
あくまで自分の瞑想のため
(瞑想をまだよく知らなかった当時はそんな言葉を使って説明できなかったけれど)

そんなわたしの目的を
素晴らしい、とチカラづけてくれたヌラ。

自分を受容する
ジャッジしない
起こることを楽しむ

そして何より
「癒しの感覚」というものを
教えてくれた最初の人。

まさしくわたしがその渦中に入ったとき
初めての感覚に
「これは一体何なのですか」
と聞いた。

瞑想的な場ではあったが
何かワークやセッションの最中ではない。

ただグループの皆と共に過ごし
輪になって話しているような時にそれは起こった。

ヌラは
「それが癒しの感覚」です
と応えた。

わたしは号泣。
びっくり そして感動。
これまで知らなかった感覚を知って
驚いたのだ。

わたしにとっては
世紀の大発見だった。

ただ知識として知っている、知らないを
まったく超越した次元の 知る、だった。

これを本当の意味での理解
と言うのだ
ということをかなり後から知った

突然真実に触れた瞬間、
とも言える。

一緒に居たコースの仲間達も
ほぼ同時に泣いているか
またそこから
何かが起こって大変な状態になったメンバーも居た。

そのときわたしがヌラに言われて
選んだオーラソーマボトルは
23番。

愛と光。

落ち着いたピンクのまさしく癒しのボトルだった。

10人弱のコースメンバー全員、
その場で「癒しの感覚」を
明確に共有した一生忘れられないこの場面を
体験したのが

この歯医者に行った数日後だったのである。

わたしはその後
結局オーラソーマからは離れ
サトルボディヒーリングの学びに進んだが

この2007年のヌラのコースの時に
「癒しというのは 起こるもの」
という感覚をがっちりと掴んだのだった。

そもそもは
何かヒーリングと呼ばれる施術をして
でなく

起こるもの。

その例として4月に
こんな記事を書いていた
 ↓
「羽生結弦くんによって起こったヒーリング」

ヒーリングとは何かの理解
それは起こすのでなく起こる、と知ること

それこそ
わたしが望んでいたものだった。

ハートの優しさが溢れた女神さまの
ように感じたそのヌラのコースで
受け取ったその絶対的な感覚は

結果的に その後のヒーリングの
学びの礎となった。

そのヌラはもう2年前か?
来日中に突然にこの世を去った。

ショックと驚き。
ヒトはいつまでも生きてるわけじゃないない。
当たり前であることを忘れていた。

突然何かが起こる。

「人生ってそういうものです」
ヌラのあのコースのときのセリフが蘇った。

コース中に
近くに救急車が止まり
それについて ハートが動揺した、
と あるメンバーがシェアしたことを受けてのセリフだった。

とてもきっぱりとしていたのが
印象的で忘れられない。

私達はそういう人生を生きている、と。

ヌラの亡くなった病状に
ついて わたしはよく知らないのだが
最初は 歯から、とも聞いた。

これを結びつけて
考える必要もないだろうが

歯の治療って大事だな
と思わされる出来事でもあった。

さて
でその歯医者、今のハナシだ。
(つづく)

※最初のハナシは「突発性難聴日記 その1」

突発性難聴日記😮 その4/初瞑想の日の歯医者再び

右奥歯から何やら出てるかも、
でお次は歯医者に行くことにした。

昨年タイ帰国後に行って
怖くて逃げ帰って来た
近所の歯医者には
もう行けない。

そこでこのたび行ったのは
神奈川県内。

11年前に
この同じ歯のいきなりの激痛で
お世話になったところである。

実はあの時もきっかけは
瞑想だった。

初めて自分にとって
本格的な、というべきか
今現在の瞑想ライフにつながる
瞑想の始まりも始まり、
忘れもしない初日だった。

それはオーラソーマ
コースでお世話になったG氏に
紹介してもらったいい歯医者、
がそこだったのである。

紹介してくれたご本人は
予約をぶっちぎっていたらしいのに
車で連れてってもらって
頼みこんで終業間際に見てもらい、

被せていたものを外して
とりあえずその時の激痛は解決。

あの時は
涙が出るほど感謝した。

そしてしばらくそのなかなか腕のよい
歯医者に通ったものだったが

その歯からは思いのほか
長期間 膿が出続け
再度かぶせるなりなんなり、の最終処置が
なかなか出来ずにいた。

そしてついに
詰めモノだけで
現在に至ったのである。

この11年、
チョットしたことで
他の歯医者に
行く機会はもちろんあった。
しかしながら結局そこは
手つかずのまま。

さて。

その歯医者は腕がよく
そして とてもこわい!

前の診察受けてる人に
言ってるセリフが
聞こえて思い出した。

「この歯は土砂崩れ 起こしてる!
もーまったくどうにもならないね!」
みたいな。

うわー
どんな人が言われてるんだろう
こわいなあ!と思ったら

とても上品な雰囲気の
ようやく歩いてるおばあさん。

この調子じゃ
わたしはどんな言われようだろうかと
想像がつき

当時もそんな言われようだったことが
急に蘇り
待合室で俄然キブンが暗くなった。

(その5 へつづく)

※最初のハナシは「突発性難聴日記 その1」

突発性難聴日記😮その3/鍼治療

さすさすさす。

アタマや首をさする優しい音。
あ〜ゆるむ。
指圧とか 色々苦手なわたしには
代わりにさすってくれた。

この治療院では鍼の前に
そういう時間があった。

優しいっていいね!
うん、自分をいつもさすってあげたい、
と思った。

涙が出てきた。

やっぱり
疲れてたんだな
まだまだがんばってたんだな

そんなことに気づいた瞬間だった。

あ〜もうあまり来ることないと
思ってた新橋で。

ところで
なんだか右の奥歯から
何やら出てきてる気がする

右眼だけで書類を見ると
なんだかボケている。

耳が左なら
それらは右。

かつて覚えのあるカラダの不具合箇所が
いま再度もの申す。

そんな感じだ。

実は右の奥歯は
昨年タイの瞑想から帰って来て
痛みがあり
近所の歯医者に駆け込んだところだった。

その時確か
「抜くしかないだろう」
と言われた。

しかしながら
その歯医者からは怖くなって
逃げるように
出て来たのだった。

清潔で 親切で 優しく 丁寧な
歯医者さんだったと思う。

それなのに。

わたしが怖かったのは
顔にかけられたタオル!

もちろん言って
とってもらったのだが

心臓のバクバクは止まらず、
その歯医者の近くを通るのさえ
しばらく怖かった。

わたしは2年半前にイタリアから
帰って来る飛行機の中で
初めて閉所恐怖を発症した。

その2、で書いた
イタリアに居るサガプリヤの元で

スターサファイア エナジーワークを
学ぶためのイタリア行きだった。

成田に着く1時間前に
急に飛行機の狭さを感じ
「降ろしてくれーっ!」と
叫びたくなるように感じた恐怖。

それをなんとか乗り切れたのは
車中で「ハート瞑想」をしていたおかげだった。
それについてはまた別に。

あの頃は2度と飛行機に乗れない、
そう思っていた。

それが昨年9月
性懲りもなく 飛行機に乗った!

タイのボブ フィックス氏の
元での長期瞑想の一端に
友人 よーきーが誘ってくれたから、である。

このタイ行きは
わたしにとってとても大事な機会だった。

自分がよくも都合よく
コロリと 飛行機の中での恐怖を忘れらていられた、
と思う。

で、タオル掛けの恐怖から
逃げてきたあとは
痛みもおさまり またわたしは右奥歯を
放置していたのだった。

(その4 へつづく)

※最初のハナシは「突発性難聴日記 その1」

突発性難聴日記😮 その2/鍼治療

突発性難聴日記 その2

「とにかく早く」
「できれば48時間以内」
に治療せよ、のネット情報に触れ
マインドはぐるぐるぐる。

近所の耳鼻科に行った3日後には
突発性難聴専門とうたう
鍼治療院に行った。

懐かしい!
ココは
サラリーマンの聖地
(とレイコは思ってる)
新橋ではないか。

なぜ懐かしいかと言うと
それはかつてシャカリキに
ハードに 倒れるほど

サバイバルのために働いていた
わたしの男性性を象徴するような場所
だからである。

わたしは
自分の内なるふたり
男性性・女性性のエネルギーを見て
これまで これからの人生道程上の
成長を促すエネルギーワーク

スターサファイアと
その創始者であるサガプリヤとの出会いが
わたしに大きな影響を与えた。

サガプリヤの初セッションを受けたのは
2014年の7月。

※写真はサガプリヤ

この時のわたしの女性性は
「ぶるぶると恐怖に震え
穴に逃げかえる 白ウサギのような」ヒト、

対する男性性は
「その白ウサギをエゴで喰わす
サバイバルを担当する ハードに働いてきた」ヒト、だったのである。

そのハードな働き方が
サガプリヤからみたら
ジャパニーズサラリーマン、
つまり
「あなたの男性性はまるで
新橋のサラリーマンね」
というイメージだったのだ。

その後わたしの中のふたりは
かなりの様変わりをしている。

男性性は
もう好きでもないのに
ハードにやっていた仕事を手放し
好きな冒険に出

女性性は
穴に隠れず 自分のやりたいことを
やり始め
鼻開き始めたのである

だからもう新橋とは無縁、
と思っていた。

想像した通り
その治療院の院長先生は
元サラリーマン。

見た目も想像通り。

自分が難聴が治らず
鍼灸師に転身したそうだ。

その経験から出てくる言葉は
なかなか説得力がある。

「忙しい生活を見直してね。
ストレスを溜めないようにね。」
先生は言う。

もうわたしは
かつてのような忙しい生活はしていない。

勤め人時代の
大昔は
100時間残業なんてやってたし

同じ仕事でフリーとなった
小昔も
締切日イノチ、最優先
のハードな働きぶりだった。

その時代から見たら
唄ってやりたいことをやって
やりたい放題、
と思っていた。

それが今
突発性難聴で新橋ねー。

これは原因わからぬ病気だそうだ。
ウイルス説、血行わるいから説、
があるらしい。

とにかく疲れ、ストレスからとも言われている。

(その3 へつづく)

※最初のハナシは その1 へ。

突発性難聴日記😮 その1

2018.6.22
突発性難聴日記。

6月7日に近所の耳鼻科で
突発性難聴と診断された。

ここではその前後からの
よしなしごとを含めて
この原因わからぬ、とされている突発性難聴とのつきあいを綴っていくものとする。

6月4日〜6日の3日間。
が耳詰まり感がひどく、
かつこの上なくネガティブな気分にさいなまされた。

なんでもかんでもマイナスに受け取り
テレビから聞こえたアニメ番組の
「もーサイアク!」
というキャラクターの声に
「それよ!」と呼応したものだった。

耳詰まり感というのは
飛行機に乗ったとき 気圧が変わって
耳に感じるあの圧迫感のことだ。

「いつもより聞こえない」
という感じは自分では自覚出来なかった。
翌7日に聴力検査で初めてわかったことである。

この日から
即ステロイド剤、プレドニンが処方された。
一気に量を増やして
そしてだんだん減らし
9日間かけてゼロにする。

原因はわからないが
ステロイドが効く、
ということはわかっているんだそうだ。
効かない人もいるらしいが。

糖尿病でさえないならば
とにかくなるべく早くステロイドを処方する、それが一番の方法だそうだ。

ステロイド、
については昔処方された目薬が
なかなかやめられなかった経験がある。
眼医者を変わってようやくやめて
いのちびろいをしたような思いがある。

「薬をすべてやめなさい」
と言ってくれたその眼医者に
すごく感謝した。
5年以上前のことだ。

そしてその眼医者さんが
亡くなってしまって閉院になった、
と知ったのが昨年だった。

そんな経験で
ステロイドによいイメージがなかったわたしは抵抗を感じたが
「それが一番」
「早いうちなら有効」
「9日間で必ずやめる」

という厳格な態度の医者に
説得されるように
ステロイド(プレドニン錠)を受け入れた。

その時期はもう過ぎた。

結果は
聴力検査では少しよくなった。

耳詰まり感や耳鳴りは
自分の感覚で問題なければ問題ない、
という判断になるようだ

体感としては結構よくなった。
しかし完全ではない、というところだ。

ネットで突発性難聴について
いろいろ調べてみた。

完治3割、快癒3割、3割治らん
治療は早ければ早いほどよい、

という情報が最も目についた。

そして鍼治療もよい、という情報。
わたしは
突発性難聴専門、と謳っている
鍼治療院にも行ってみることにした。

(その2に つづく)