前の話から続いてます⇒ 愛の目の瞑想
こうしてハートを感じることで、わたしのアタマ、つまりマインドの使い方はだいぶ変わって来たようです。
そうして少しずつハートに入ることが出来るようになっていきました。
すると少しずつ
この世は生きにくい、
居心地がわるい、
わたしの居る場所がない、
というフィーリングから
安心感、自分の居場所はあるのだ、という感覚が生まれてきました。
ここに来てよかった✨
という感覚。
やっとほっとしてよいスペースにやって来たのです。
そして
瞑想を始めてみて数年の時点で気づいたのは〜
わたしに必要だったのは
「感じすぎる」のを感じなくすることではなくて
逆に「もっとしっかり自分を感じる」必要があったのでした。
驚きでした。
わたしは「カラダやハートでたくさん感じていたこと」を、
「感じない」ように頑張っていたのです。
「気づかない」ように麻痺させようとしていたのです。
なんてことでしょう!
自分の状態を
ありのままに感じる、
というのはわたしにとって
かつてはとてもむずかしいことでした。
それはこんなことです。
きょうのハート瞑想イベント「愛の目の瞑想」のワークの中で、まずは鏡でいつものように自分の顔を見てみました。
・・・
眉間にシワが寄っています。
顔にできたシミや、髪の乱れやら、
白髪やら、と気になりすぎます。
改めて普段どれだけ鏡を見るとき自分を批判的に見ているか、に気づきました。
そもそも思春期のころはともかく、最近では身だしなみチェックのために鏡を見るだけでした。
この批判的見方で自分から失われていたもの。
それを「愛の目」で鏡を使って自分自身を見ることで気づいたのです。
批判的に見るとなにが起こるか?
自分の要らない部分を分割しよう、切り離したい、という思いが生まれます。
この鏡で普段自分を批判的に見ていたのと同じように、
自分のすべて、そして自分に起こることや周囲を厳しく
批判的に見ていたことに気づきました。
当然見たくない
感じたくない
エスカレートして麻痺させたい。
そんな風になっていたのです。
(続く)
前の話は⇒ 愛の目の瞑想