初のCD制作ミックス段階。私の耳を形成したのは一体誰だった?🌹

いま結構きぃ狂いそうである😳

初のCD録音初日から1年、が立つ。
あの頃、まだコロナ騒ぎにはなっていなかった。
その影響で、だいぶ時間がかかることになったが、
しかし思えば「コロナ」より、パルマの録音方法を検討していた時間が長い。

パルマ、とはフラメンコにおけるリズムをとるための手拍子で、何より重要な楽器である。
で、それについてはまた別に書こうと思う。


今これまでまったく
気づかなかったことを知る、という体験は

CDの音ミックス、からである。

ミックスと言えば、複数のマイクに収録されたものを混ぜる。
単にそのさじ加減だろう、なんて想像していたのだが、
そのarte たるもの。
そのさじ加減、これこそが芸術、を創り出しているのかもしれない。

これまで自分が聴いてきたFlamencoの音は、
誰がクリエイトしたものだったのだろうか❓❓❓

いきなり問いかけたくなったのだ。

わたしが聴いてきたあのレコード、
このレコード、そして山のように集めたCD。

20代の頃、バブル花盛り。
会社帰りに月5万ほどCDを買っていた時期がある。

それまでカンテ フラメンコ(フラメンコの唄です)のCDは、

ある場所にしかない、専門店を尋ねないとなかなか手に入りにくかった。

92年、カマロン・デ・ラ ・イスラが亡くなった年、

それが突然、銀座山野楽器に並び始めたのだ。
あれは自分にとってとてもおおきなことだった。

そしてCDの音や、当時大流行りのモデルノ(現代的なフラメンコ)より、古い純粋なものを求めてレコードを探し歩くようになるまで10年。

その頃には、一時は残業100時間以上していた会社も辞め、バブルはとうに終わり、ついでに離婚もしたばかりだった。

モノにもよるが、レコードの音。

この暖かみや臨場感。

これぞきっと本物のフラメンコに近いのだろう。

そう思った。

何人もの唄い手やギタリストが共に集い、飲みながら唄う、弾くといったフィエスタのような録音がある。

誰かが唄っている右の向こう側から、その唄に触発されたまた誰かがアイ アイィイ〜と唄い、いや印象としては唸りはじめる。

その「右端、こちら手前から」

「堪え切れずに」

ということまで伝わるのがレコードだ、と思った。

実際、同じ録音のCD復刻版を聴いたら

右手前から、とわからないし、

この人が「堪え切れず」に唄いはじめたとは感じなかった。

そんなわけでレコード信奉者になり、それはいまだに続いてもいる。

いや、しかし。
なんと言ってもこれまで大きく影響を受けて来たのは
生、でFlamencoを聴く機会だ。

これについてはまた別の時に書こうと思う。

ざっくり言えば、

日本に居る時には、貴重な来日アルティスタが唄うのに接する機会。

フラメンコの現地、スペインには数年に1回、1か月ほど滞在する機会もこれまで持って来た。
そんな時でも、今日はよい唄を聴いた💓💓💓
って経験が毎日、なんてあるわけじゃない。

それを補うのが録音されたもの、かもしれない。
よくよく思えば
これまでの人生、フラメンコに接してきた総時間は
生より録音を聴いた時間の方が
圧倒的に長いのだ。

いったいこれまでわたしを
教育してたのは
誰だったのか?

CDのミックス、という段階に来て
初めて知ったこと。

このむかしのレコードで
唄ってる人はもちろん、
演奏してる
ギタリストの○○氏や△△氏ではなかったのかね?

ミキサーや音響の人が
こんなにも 
自分のフラメンコ耳の形成に
影響していたなんて。

お釈迦さまでも
気がつきまいよ。

いま、そんな気分です。

カンテフラメンコ レコーディングライヴ映像 https://youtu.be/7ybbmfAZ57I

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください