勝田保世氏の「砂上のいのち」で感じたアンダルーア🌹

このカテゴリーでは

日本のフラメンコ界を牽引したアーティスト、などなど
私が影響を受けたフラメンコの人々や書籍などを紹介していくつもりだ。



勝田保世(しょうだ ほせ)氏。

この名前に初めて触れたのは、25年以上前に日比谷図書館で借りたフラメンコのレコードの解説者の一人、

としてだったと思う。

レコードプレーヤーなんて持っておらず、フラメンコの情報に飢えきっていた私はその解説書を目のさらのようにして読んだ。

当時、求められて友人の踊り手の皆様の舞踊伴唱を始めた頃でもあったと思う。

私自身はフラメンコの唄であるカンテに最も惹かれていたものの
当初それを習うすべが見つからず、まずはバイレ(フラメンコの踊り)教室に入門した。

そこで抱いた素朴な疑問は
なんでこの曲の時には、たいていの歌い手がこの歌詞のこのメロディを歌っているようだがなぜだろうか?

だった。


それもそのはず。
30年前、踊り用に学んだり、参考にするレコードなどの資料はごく少なかったようだ。
私が日比谷図書館で借りた RCA盤「フラメンコ芸術の真髄」シリーズは、その貴重な資料だったのだと思う。
その中にたくさんの、バイレ伴唱でよく耳にするメロディや歌詞があった。

既にその時、その図書館でだけ手に取れたレコードは売られておらず(というかレコード全てがもう売ってなかった)、だからと言ってCDに復刻もされていなかった。
今思えば古レコード店を探せばあったのかもしれないが、そう言う術を知ったのはだいぶ後だ。

「なかなか皆が歌っているカンテの大元の録音に出会えないのだが、
                 そういう資料を手に入れたいがどこに行けば?」
と唄っている先輩に聞いたら
『日比谷図書館に行け』、ということだったのである。

かくして聴けないレコードを借りた私はとにかく解説書を熟読。
歌詞も濱田滋郎氏のしっかりとした訳と、スペイン語のletraが載っていて、
どれだけこの解説書のお世話になったかわからない。

そして濱田滋郎氏は、今年2021年の3月のお彼岸の時期に亡くなられた。
言ってみればこの方のこのようなレコードでの解説が唯一、
フラメンコを学ぶ私達にとっての灯台の光のようなもので
誰もがそれに照らされて唄であれ、ギターであれ、踊りであれ、実践し学んできたのだと思う。

そんな大きな、偉大な、そしてフラメンコをする私達にとてもお優しい大きな存在だった。
今もそれを思い出すと胸がきゅっとなってしまう。

で、このレコードでの解説者は、その濱田滋郎氏の「はじめに」という解説文に始まる。

それに続いて葦原英了氏、そして勝田保世氏、小松原庸子氏、中林淳真氏、ソンコマージュ氏、高場将美氏である。

いろんな方の名前をあげたが、
ここでは勝田保世氏についてである。

まず「ほせ」、というスペイン名に漢字を当てたんだなぁ。
「なだ い なだ」さんみたいののスペイン版か?
どんな人だろう、と当時興味を持った。


この解説書での彼の文には
「初めて南スペインで、この民謡(フラメンコのことをそう言っている)を聴いたのは
スペイン市民戦争の最中だった」とあった。

後々知ったが、この方こそ「日本最初のフラメンコギタリスト」、だそうだ。

1907年5月生まれ。東洋音楽学校を経て1930年5月にイタリア、スペイン、フランスに音楽研究のため渡る
とご著書の略歴にある。

そしてスペイン内戦(1936年夏に勃発)の最中に、フラメンコの地であるアンダルシーアに入っている。
その当時のご経験や、その後のスペイン行きでの経験を綴ったのが
この書籍なのである。

砂上のいのち フラメンコと闘牛」1978年 第1刷発行 音楽の友社

これをずっと読みたいと思っていたが、最近になってようなく古本で手に入れた。

まだ読み始めである。

著者が言う「最近のスペインは〜」と言うのが45年前のハナシ。
「以前行ったスペインは〜」と言うのが内戦当時80年前のハナシ。

楽しみすぎる。

(続く)

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