「ふたつの愛の岸辺」。
それはなんだろうか?
それは
このじぶん、とはいったいなんだろうか?
という問いかけとほぼ同じだ。
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じぶんの内側にいる男女。
インナーマンとインナーウーマン。
このふたりの関係は
すなわちじぶんと
外側の誰かとの関係に投影される。
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わたしと外側の誰かは
これまで随分と戦って来た。
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それはある時は
尊敬する先生だったり
元々は仲のよかった瞑想仲間だったりした。
わたしはもうこの戦いをやめる。
もうしたくない。
しない。
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この世に体のある時間は限られている。
わたしはじぶんのエネルギーを
じぶん本来の仕事に使いたい。
わたしの本質を発揮することに。
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それは戦いではない。
今世の中では
「戦争」なんて言葉で
随分と戦いが表面化してるように
思うけど
それは常に起こってた
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マスコミが戦争、と呼ぶかどうかはともかくとして。
そしてわたし個人の中でも
それは起こっていた。
当然、苦しかった。
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なぜそんなことが起こるか理解出来なかった。
わたしはそれでも
一生懸命に生きていた。
とても疲れながら。
それを紐解いて
わたしの内なるふたりを
見せてくれたのが
瞑想の師 サガプリヤである。
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彼女は両岸が海に挟まれた
ど真ん中の道を堂々歩いていた。
わたしの先を。
両岸は片岸がインナーマン。
そしてもう片岸はインナーウーマンなのである。
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ではその真ん中の道は何か?
愛、なのである。
ふたりの間を流れる愛、なのである。
かつて話しにはこれを
聴いていたけれど
夢を通じて
これを改めて知らされた、
と気づいてわたしは
衝撃を受けた。
感動した。
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内なるふたりは
それぞれが流れている。
そしてそのふたりの間に流れる愛がある。
そのど真ん中に立ってみよ
そこで起こることを見よ
そんな風に感じた。
(5 に続く)