✨自分の人生で
本当にやりたいことを実現するために✨✨✨
今船出した。
半年間のスピプロが終わって今が
本当の始まり、と実感している。
スピプロ最終日に質問した
「赦し」について。
もうこの日コレは終わってる、
と綜海さんに言った。
このテーマは
両親との関係での親、そして自分に対する赦し、
特に父との関係のコトだと思っていた。
しかし実際は終わっていなかった。
そして赦しの対象はそればかりでなく、
わたしが魂の使命と感じることにダイレクトに通じている
赦しがたい、赦されがたい思いを
未だに持っていた
別のことでもあって
それこそが大きかったことに
後から気づいた。
それは
スピプロ終わって2日も経ってから❗️
だった。
それはソロの歌い手として、人前で唄うこと、そしてお金をいただくことへの自分への赦し、
だったのだ。
わたしは
Flamencoを
ヒトサマの前で
うたわせていただくようになって
短い期間ではない。
踊りの伴唱だから、
なんだかんだと
いつも唄うことに言い訳があった。
自分が一番唄いたい唄を
お客さまの前で
堂々と唄うことを
自分に許可していなかった。
それが1月に独演会、というスタイルで
表現の場を持ったとき、
わたしにはコレだ、
これがやりたいんだ、
と気づいた。
薄々知っていたけど
本当の自分の気持ちがわかったのは
あまりの喜びであり
そしてショックだった。
これは根本的な自分の使命に関すること
なのだ。
綜海さんが
「いつか必ずあなたの唄を聴きに行きます」
と先日の
スピプロ最終日に言ってくれたとき
大好きな綜海さんがこう言ってくれて
嬉しいはずなのに
この瞬間、時もマインドの動きも
止まったようで、
まるで無、だった。
何も感情が起こらなかった。
外側的には
ただ ボーッ、としていた、と思う。
このときは
何が起こったのかわからなかった。
気づいたのは2日後月曜あたり。
実は8年前に尊敬する先生に
これと全く同じセリフをもらったのだ。
と同時に、長年ものすごく
お世話になっていたこの先生から離れたのだ。
今振り返ると
これが私の歩み始め、であった。
この時 わたしは既に赦されていた
と8年後の今、
綜海さんのセリフで気づかされた。
ただ先生はそれまで
次のようなメッセージも
私に突きつけていた。
「それほどまでに、Flamencoを人前で唄いたい、
というあなたの気持ちはエゴからだ。
自己満足のためだ。」
と。
当時わたしは
黙っていれば殆ど機会がない
Flamencoをカンテソロ、
踊りではなく、唄だけで表現する場を
必死になって作ろうと活動していた。
都内の
スペインレストラン、などだ。
というわけで
わたしは後者のセリフに長年
囚われて来て
これを完全払拭してなかったようだ。
「わたしが唄で表現したいという気持ちは
エゴではない」
とハッキリ知ったのは、
2年半前である。
瞑想と、内なる男性性、女性性、
自分に中にいる
これらふたりの本質と現実を
理解することで
衝撃的なまでに自分を知る
エネルギーワーク、
スターサファイア
スターサファイア
の学びの
ある瞬間に確信した時だった。
そして唄うことで
何かとの導管のようになれているコトに
自分がそれを深く感謝していることに、
気づいた。
瞑想で行きたいような境地に
既に唄っている時、たどり着く経験を
自分が持っていたことに気づき、
愕然とした。
それを知っていながら
わたしはまだ過去の呪縛から
完全に自由になっていなかったのだ。
今回綜海さんがやってくれたこと、
スピプロ最後の日に学んだのは
この後者の呪縛から
とっくに逃れてよかったことに気づいたことだ。
この綜海さんのセリフは
わたしが
「唄でお金をもらってよいのだろうか?」
というところに
今さら後戻りしてしまいそう、
という不安を告げたところで
出てきた言葉だった。
ドンピシャ、だったのだ。
綜海さんは
「わたしに今どーして欲しいのお!」
と聞いてくれて
その問いにわたしは答えたものの、
それが今ひとつ適切でないな、
と言った途端に自分で感じた。
わたしが迷いながら言ったのは
「ありのままのわたしを認めてほしい」
みたいなコトだった。
違った。
綜海さんはモチロン、
という感じでこれが
違う、と
わかってくれて
「いつか必ずあなたの唄を聴きに行きます」
このセリフを言ってくれた。
唄うことでお金をいただくことを承認。
既にそうしているのに
今さらかもしれないが
私にとっては凄く大きなことだった。
どのくらい大きいか、はこれから実感すると思う。
そして今。
わたしは尊敬していた
わたしの先生のこと✨
涙が出るほど今も大好きで
とても尊敬してる
ってコトにも気づいた。
書いたら号泣
おしまい
※この投稿は
本郷綜海さん スピプロ終了報告 その2 です。
【その3】へ続く。
その3