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2023年2月22日(水)午後2〜5時
葉山瞑想イベント
💓変容の錬金術:ハートから第5チャクラへ。

2023年2月22日(水)午後2〜5時
葉山瞑想イベント
💓変容の錬金術:ハートから第5チャクラへ。

詳細・お申し込み⬇️

https://resast.jp/events/793117

レイコシミズ サンギットによる

海に近い葉山の瞑想スペースでの催し

「変容の錬金術:ハートから第5チャクラへ」のご案内です。

ハートのスペースで共にいること。

まず自分自身と そしてそこにいる人々と そこに存る自然と。

そこから生まれるものがなんであれ。

これまでたくさんのハート瞑想会をしてそれを楽しみました。

ハート(チャクラ)の持つ愛、慈愛、優しさ、スペース、受容、思いやり。

それらを感じ、その場所に行くのは生きていくことをこの上なく応援してくれる。

それを実感してきました。

 今回はさらに、ハートチャクラの上にある第5チャクラ(喉のチャクラ)にもアプローチします。

 

第5チャクラ。

ここには、私たちの過去から形成されてきた様々な「思い込み」が内包されています。
その「思い込み」に今現在の生き方が制限されていない人はいないでしょう。
同時にここは、過去とはまったく関係のない「今ここ」のエネルギーにつながることのできる場所でもあります。

これらに気づき、過去の制限から自由になる。

これが今回の瞑想イベントの目的です。

ともに楽しくこれを実験し、試してみましょう!

いつものように少人数でじっくり、ゆったりとした

スペースで楽しく行います。

【主に予定している内容】

◎ジベリッシュ瞑想:チャクラを活性化し、「過去からの思い込み」を緩めるのに役立つアクティヴな瞑想です。

◎ハート瞑想:ハートチャクラにつながるガイド瞑想(レイコ の声で誘導するので、ただ目を閉じて耳を傾けるだけの瞑想)

◎日常生活場面を使ったあなたの「思い込み」の発見と、それに対するアプローチ

:ここでもハート瞑想や、第5チャクラに働きかけるテクニックを使ってワークします。

【実施人数について】

最大4名さま。


【場所】

神奈川県 三浦郡 葉山町
個人宅にて(ご参加の方に詳細お知らせします)

JR逗子駅、京急 逗子・葉山駅よりバス利用
バス停下車 徒歩7分。

【スケジュール】

13時40分~: 食事を済ませて集合

14時〜17時:瞑想イベント

その前後に 行きたい方は海へ行き、ハートのスペースを感じるのがオススメです♡

【参加費&支払い方法】

   5,000円

(2日前までのお申し込みで3,500円)

2022年10月29日(土)ハートチャクラを感じる&海ー第4チャクラー

2022年10月29日(土)午後1時〜
ハートチャクラを感じる&海ー第4チャクラー

詳細・お申し込み⬇️

https://resast.jp/events/759083

葉山での海の近くのスペースでの瞑想イベント♡

今回は「ハートチャクラを感じる」がテーマです。

今回から開始が「午後1時」になります。

アクティブ瞑想(動きのある瞑想です)

やハート瞑想(ハートチャクラの働きに注目した、座って聞く瞑想)、

そして小人数のメンバーで

誰もが経験している普段の日常生活場面を使ったワークを通じて
「ハートチャクラのエネルギーを感じてみよう」
という3時間程度の瞑想イベントです。

チャクラのエネルギーを感じると何がよいのでしょう?

わたしは日々の生活で起こっている状況に振り回されがちで

なぜそうなるの?
とアタマで原因を考えることで解決を求めようとしがちでした。

しかしチャクラのエネルギー状態がどのようだからこれが起こるのか?

そのように理解するのはまったく新しい方法でした。

自分のせい、とか誰がわるいとか、でもなく
よい人、立派な人になろうとするのでもなく

変容のためのパワーは外側ではなく 自分の手のうちにあるとも感じ

とても役立ったのです。

このワークで取り上げる題材は

日常生活におけるもしかしたら

「とても小さなこと」だと感じるかもしれません。

でもそれに価値を与えることが、大きな変容に繋がる実感があります。

つまりわたし達の毎日毎瞬に変容の機会があるのだなぁ、と気づくのがまた驚きでした。

題材が小さくても大きくても起きる変容は大きい、とも感じました。

わたしは「サトルボディヒーリング」を
学び実践してきた過程で

ハートチャクラで起こるシンクロニシティが毎回起こり、ハートチャクラへの信頼、そして不思議とも感じるそのさまざまな機能に畏敬の念さえ抱いています。

この瞑想イベントは各回いろんなチャクラに焦点をあてて
見て行くのですが
すべての礎となる「ハートチャクラ」をまずは

ともに探求しましょう♡

映画Muerte de un ciclista

これを見た。

https://eiga.com/movie/43813/

1955年

内戦後のスペインでの話。

直訳すれば

「自転車に乗ってた人の死」

が日本語タイトルは

「恐怖の逢びき」

となってる。

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直後は

わからんちん、でした。

でも責任を取ろうとすることで

これまでに最高の生きる気力が湧いてきた、というのはわかる気がした。

ひき逃げしたのを

自首したら

それまでの持っていたものは

すべて失う。

それでも

それはそれまでよりも

生きる気力をもたらす。

それまで外側から見たその人の

生活は満たされているようで

実は

逃げて逃げて

その外側を保っていた。

責任の本質

の提示、提案なのか?

別にひき逃げした罪悪感

ではなく

死ぬまでに

「自分自身を生きなかった罪悪感」

「自分自身を生きようとすることで

出てきた生きる気力」

の話

なのかもしれない。

生きる気力が人生でMaxになるのが

死の直前、だったとしても

それを味わってから

この生を終えるのと

外側は人並みより

ずっとずっと満たされていながら

ひたすら逃げて

終えるのと

そんな対比なのかもしれない。

5月25日水 ♡「ハート瞑想とタッチ瞑想」葉山のお知らせ♡

次回

葉山での「ハート瞑想とタッチ瞑想」のお知らせ💓

5月25日水曜 14時〜17時

詳細・お申し込み⬇️

https://resast.jp/events/707405

レイコシミズ サンギットと神吉ミタで

毎月葉山のゆったりとした個人の瞑想スペースで行う

少人数の楽しく じっくり深い瞑想イベントへのお誘いです。

ハート瞑想は

ガイド瞑想(ただ耳を傾けるだけの瞑想)と、シンプルなエクササイズ

で構成された瞑想会です。

レイコは

あるがままの自分を受容するって何?

自分を大切にする、ってわからない

と感じていた時期がありました。

自分が感じる恐怖はもちろん、

うれしい、楽しいと感じることも受け取るのがその頃困難でもありました。

そこから抜け出せたのは「ハート瞑想」のおかげだったのです。

ハートに気づくことは、また瞑想の入り口に立つことでも

ありました。

リラックスしていること

ただくつろいで気づいていること

ジャッジがないこと

ハートはそれらを可能にします。

ハートには

自分と共に居ること

自分の本質に気づいてそれを受け取ること

を可能にするさまざまな機能があります。

この日は「ハートを感じる」

という方法を通じて、それを体験していただく機会です。

【ただ、ハートと共に在る ♡ タッチ瞑想について ミタより♡】

手はハートと繋がっています。

手は、愛を受け取ること、伝えること、繋がることを可能にしてくれます。

後半は、タッチを通して、自分のハートと友達のハートに触れていきます。

何も変えようとしない、、

ただ愛と共に触れ、

ただタッチと共に在ること、

それはとっても愛しい寛ぎの瞑想です。 

それを共に楽しみましょう。

ゆったりと海を望む葉山にて

ハートの体験を共に過ごしましょう💓

【実施人数について】

最大4名さま。

【参加費】

5,000円

(2日前までのお申し込みで3,500円)



【場所】

神奈川県 三浦郡 葉山町
個人宅にて(ご参加の方に詳細お知らせします)

JR逗子駅、京急 逗子・葉山駅よりバス利用
バス停下車 徒歩7分。

【詳細・お申し込み】⬇️

https://resast.jp/events/707405

「ふたつの愛の岸辺」3

「ふたつの愛の岸辺」。

それはなんだろうか?

それは

このじぶん、とはいったいなんだろうか?

という問いかけとほぼ同じだ。

/

愛、慈愛、優しさ、勇気、受容性、繊細さ、忍耐、自由、喜び・・・

表現するなら例えばこう言った言葉になる。本質はほかにもたくさんある。

わたし達を生かしている資源、本質はたくさんある。

/

それらはそれぞれ

両岸のどちらかに帰属する。

同じ本質がふたつの岸辺

どちらにも流れていることもある。

/

そのふたつの岸辺、

とは

「インナーマン(内なる男性)」と

「インナーウーマン(内なる女性)」なのだ。

/

この両者のエネルギーの流れが

ある限り

私達は生きている。

/

どちらかが死ねば死ぬ。

生きていることは

ふたりのダンス、なのだ。

どちらかが仕事をし

あるいはふたりで同じ仕事をし

別の分野を受け持つ。

/

どちらかは唄うことが好きで

どちらかは唄を聴いていることが好きである。

どちらかは

年中旅をし、冒険することが大好きで

どちらかは家で瞑想することが好きだ。

/

そんな風にふたりの性質は

違うことが多い。

いつもふたりの関係が

上手く行っているとも限らない。

どちらもじぶんでありながら

お互いをよく理解しているとも限らない。

/

朝出かけるときには

「いってらっしゃい」の一言を

相手が強烈なまでに欲していた、

なんて知らなかったりする。

/

だから大なり小なり

ふたりの間には色々なことが起こる。

まるであなたと

あなたのパートナーの間に

いろんなことが起こるように。

いや、

実は順序は逆だ。

/

あなたの

インナーマンとインナーウーマンの間柄が外側に現れるのだから。

必ずパートナーとの関係に

現れるわけでもない。

相手は親かもしれない。

子供かもしれない。

あるいはあなたが散々苦労している

職場の上司との関係かもしれない。

( に続く)

ふたつの愛の岸辺①

「ふたつの愛の岸辺」。

それはなんだろうか?

それは

このじぶん、とはいったいなんだろうか?

という問いかけとほぼ同じだ。

瞑想の師であり

わたしの愛するエナジーワーク

スターサファイアの師である

サガプリヤの夢を見た。

わたしは葉山の海の近くで

仲間と瞑想会をしている。

むかしから変わらない海岸沿いの道路の道幅はせまく

ここを通る路線バスの運転にはかなりの技術がいる。

歩くにも注意が必要な箇所が多い。

逗子駅に向かって左手は海岸で

そこここから砂浜に出られる。

ここからの眺めは最高だ。

この広がりは最高だ。

天気がよい時の富士山の眺めは

一種 この世のもの、とも思えない。

右手は山側で

わたしの瞑想スペースもこちら側にある。

(ココまでは夢でなく現実)

その左右の真ん中を

わたしを先導するように師は

さっさと歩く。

道を知っているのはわたしで

彼女は何も知らないはず。

彼女は当然のように右手に降りた。

急いでわたしが続くと・・・

なんと!

そこは海岸ではないか!!

現実は山、のはずが夢では海。

そしてその断崖絶壁のそこここには

イルカがいる。

アシカもいる。

楽しそう!

かなりの年寄りであるはずの

師はその断崖絶壁をいかにも

ラクチンそうに降りてゆく。

わたしの心配など

まったく無用のようだ。

(②へ続くhttps://reiko.link/2022/04/07/)。

散らばっていた自分のかけらを取り戻す✨

いままたこれ!

悲しいなら
無理に明るさだけを見ることはしない

だからと言って
悲しみにはまりもしない

わたしには
喜びも楽しみもある

どちらもあらしめる

全体であること✨

散らばっていた自分のかけらを
取り戻す

それをやっています😃

-以下、Manish Kazuo NukiiさんのFacebook投稿から引用-

Osho/「祝祭とは感謝だ」

幸せはひとつの極、
悲しみはもう一方の極だ。
至福はひとつの極、
惨めさはもう一方の極だ。
生は両極を含んでいる。
至福だけの生には、
横への広がりはあるが、
深みがない。

悲しみの生には、
深みがあるが、
広がりがない。
悲しみと至福の
両方からなる生は
多くの次元にわたる。
それは同時にすべての
次元のなかを動く。

仏陀の彫像を見てごらん。
あるいは時々、
私の目をのぞき込んでごらん
― あなたは両方を
同時に見出すだろう ―
至福、平安、悲しみもだ。
あなたは悲しみを含んでいる
至福を見出す。

なぜなら、
その悲しみが至福に
深みを与えるからだ。
仏陀の彫像を見守ってごらん
― 至福に満ちている、
が、それでいて
悲しみをたたえている。
<悲しい>というまさに
その言葉が
あなたに何かが悪いという
間違った連想を促す。
これはあなたの解釈だ。

私にとって、
生はその全体においてよいものだ。
そして、
生をその全体において
理解するとき、
そのときにのみ、
あなたは祝うことができる。

さもなければ、
だめだ。
祝祭とは、
何が起ころうとかまわない、
私は祝う、という意味だ。

祝祭は、「幸せなら祝おう」とか、
「不幸せなら祝わない」というように、
ある決まったものごとに
条件付けられるものではない。
祝祭は無条件だ。

私は生を祝う。
生が不幸せをもたらす

― けっこうだ、私はそれを祝う。
生が幸せをもたらす
― けっこうだ、私はそれを祝う。
祝祭が私の態度であり、
生が何をもたらそうとも無条件だ。

しかし、問題が生じる。
なぜなら、
いつであれ私が言葉を使うと、
それらの言葉があなたのマインドに
連想を引き起こすからだ。

私が「祝いなさい」と言うと、
あなたは、
人は幸せで
いなければならないのだ、
と考える。

悲しいのにどうして祝えるのか?と。

私は、人が祝うためには、
幸せでなければならない、
とは言っていない。
祝祭とは、
何であれ生があなたに与えるもの、
何であれ神があなたへ与えるものへの
感謝だ。

祝祭とは謝意だ。
それは感謝だ。

あるスーフィーの神秘家が
とても貧しく、
空腹で見捨てられ、
旅に疲れていた。
夜になって彼はある村へ行ったが、
その村は彼を
受け容れようとしなかった。
その村は保守的な人々の村だった。
そして、保守的な回教徒が
いるとなると、
説得するのは非常に難しい。
彼らは町の中の、
雨をしのぐ小屋さえ
与えようとしなかった。

夜は寒く、
彼は空腹で、疲れ、
着るものも充分になく、
震えていた。
彼は、町はずれの木の下に
坐っていた。
彼の弟子たちは悲しみに
うちひしがれ、
意気消沈し、怒りさえ覚えていて、
そこに坐っていた。

すると、彼は祈り始めた。
神に向かって、彼は言った。
「あなたは素晴らしい!
あなたは常に、何であれ、
私に必要なものを与えてくださる」
これはあんまりだった。

弟子の一人が言った。
「ちょっと待ってください。
それではあまりにも言いすぎです。
とりわけ今夜は。
その言葉は偽りです。
私たちは空腹で、疲れ、着るものが
ないないというのに、
冷たい夜のとばりが降りようと
しているのですよ。
そこらじゅうに、
野生の動物がいるのに
私たちは町から拒絶されているのです。
私たちには小屋さえありません。
あなたは何に対して、
神に感謝の念を
捧げているのですか?
<あなたは常に、何であれ、
私に必要なものを与えてくださる>
というのは、どういう意味ですか?」

神秘家は言った。
「そのとおりの意味だ。
私はもう一度、繰り返す。
神は、何であれ、
必要なものは与えてくださる。
今夜、私には貧しさが必要なのだ。
今夜、私には拒絶されることが
必要なのだ。
今夜、私には空腹になることが、
危険にさらされることが必要なのだ。

さもなければ、なぜ神が私に
それを与えなければならない?
それは欠かすことができない
ものに違いない。
それは必要とされている。
そして、
私は感謝しなければならない。
神は本当に素晴らしく、
私に必要なものの面倒を見てくださる。
神は実に素晴らしい!」
これが、状況にかかわらない態度だ。
状況は関係ない。

祝いなさい,
どんな場合であろうとも。
もし悲しかったら、
あなたは悲しいのだから、
祝いなさい。

これが錬金術の何たるかだ。
― 卑金属を
より質の高い
金属に変えることだ。

悲しみ、
怒り、
嫉妬
こうした卑金属は
金に変容されうる。

Osho













2020年2月22日 ハート瞑想イベント♡我孫子♡

今週土曜22日、
手賀沼のほとりで
小人数のハート瞑想イベントいたします✨😃

ハート瞑想は目を閉じて聴くだけの
ガイド瞑想。

あなたのハートチャクラ💓
そこがどんな場所なのか、
ご自分で感じられ 
表せるところまで
ガイドさせていただきます✨

毎日いろんな人といろんな事、
が起こります。

そしていつものパターンで
それに反応してしまう自分に気づく。

わたしが
よくやって来たのは
相手からナイスな反応が得られないと、自分を変えようとすること。

相手の反応がかんばしくない

→それは何かわたしに非がある、
わたしは間違ってる、充分でない。

→ だから自分を変える必要がある。

→結果「自分ではないもの」になってしまう。

というループにさんざんはまって
ました。

こんな時どうしたらよいのかな?
何を選べばよいんだろ?

「もし~したら、私は自分を愛することができますか?」

これって魔法のような
言葉だと思う。

ホントの自分が戻ってくる。

そして
「自分じゃないナニモノか」になる努力、
なんてまったく必要ない、って気がつく。

ハート瞑想ではそういうのもやります。

そして瞑想は何も時間を取って
目を閉じて座ることとは限らない。

「こんな時どうしたらいいんだろ」

ふだんの生活のそういうシーンで
ハートに聴くことなんだなあ、
って腹の底から実感してます😃

◉ハート瞑想イベント「ハートから見る」inあびこ
・2月22日土曜 12時30分〜14時30分

・常磐線 我孫子駅から徒歩10分の公共施設
(我孫子は上野から約30分)

お申込み、詳細は⬇️


https://resast.jp/events/410038

謹賀新年✨愛の次元へ✨

あけましておめでとうございます🎍🌅

昨年までを振り返って

瞑想にせよ
フラメンコにせよ

いろんな技法
いろんな学びがあるなあ

とこれまでの道のりを
眺めると
目の前が夕焼け、あるいは朝焼け
のような曙だと感じることがあります

これまで色々なものがある
その豊かさを存分に享受して
味わわせてもらい

そしてかつ
何を選べばよいのか
わたしはどの道へ?

わたしにとって信頼できる道は?

そんな迷いや混乱に陥いることも
よくありました。

そんなわたしへの
こたえのひとつが
このOshoの言葉かな✨😘

本年もどうぞよろしく
お願い申し上げます。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
もし誰かを愛していたら、
たとえ相手が
どこかの星にいようとも、
愛の中でその人は
すぐそばにいる。
たとえ相手がもう死んでいようと、
たとえ二人の間に何世紀もの
距離があろうと、
愛に距離は存在しない。

人によっては今も
ブッダのそばにいられる。
二十五世紀もまったく関係ない、
なぜならそれは愛の距離だからだ。

空間的には今ブッダはいない。
その身体は消え失せた。

時間的には
二十五世紀の距離がある。
だが愛に距離は存在しない。
ブッダを愛している人にとっては、
時間的、空間的な距離は
消え失せる。

ブッダは今もここにいて、
あなたはその恩寵を
受け取ることができる。

あなたがブッダのような
人間のすぐそばに
座っているとする。
空間的にもギャップはないし、
時間的にも距離はない。

でも愛がなかったら、
そこには無限の距離がある。

だから、
ブッダと共に生きながら、
何の繋がりも
持たなかった人間もいるし、
また今ここにありながら、
ブッダと繋がりを持っている
人間もいる。

恩寵は愛の次元で起こる。

愛にとっては、
すべてはいつも永遠に現在だ。

だから
愛の中にいれば、
恩寵もまた起こってくる。

愛とは明け渡しだ。
愛していれば、
相手が自分より重要になり、
そして、
相手の生命のために、
死ぬこともできる。

相手に生きていて欲しいから、
自分自身を犠牲にする…
相手が中心となり、
自分は単なる周辺部となる。

少しずつあなたは消え、
いなくなる。
そして相手が残る。

まさにこの瞬間、
恩寵が受け取られる。

だから師というものは、
別に恩寵を
与えてくれる人ではない。

まずは無力な弟子になることだ…
愛の中で全面的に
明け渡している弟子に…。

師はきっとあなたのところへ
やってくる。

弟子に準備ができたとき、
必ず師はやってくる。

物理的に近くにいるか
いないかは関係ない。
あなたに準備ができたとき、
知られざる愛の次元から
恩寵は起こる。

だが恩寵のことを逃げ道と
考えてはいけない。

私の糧の技法があまりに多いので、
みんなはきっと技法のどれかを
試してみるか、
あるいはただ混乱してしまうか
のどちらかだろう。
後者の可能性の方が大きい。

112もの技法を
ひとつ、またひとつ、
またひとつと続けざまに聞いていると、
混乱してしまうに違いない。

途方に暮れてしまう。
こんなにたくさん技法があって、
一体どれを選んだらいいか。

するとこんな考えが
浮かんだりする…
技法のジャングルみたいな
世界に入るよりも、
恩寵「グルグリパ」を
受け取った方がいい。

技法の世界はひどくややこしい、
恩寵を受け取る方が楽だ。

でもそれはあなたには
起こらない…
もしそんなふうに
考えているのであれば。

これらの技法をやってごらん。
誠実にやってみるのだ。

もし失敗しても
その失敗そのものが
あなたの明け渡しとるなるだろう。
それが究極の技法だ。

OSHO

(ManishのFacebook投稿より転載させていただきました)

2019年1月14日 ✨第三チャクライベント🌅

1月14日 チャクライベント-第3チャクラ-
のお知らせ✨

「チャクライベント」とはなんぞや⁇

アクティブな瞑想(身体を動かし、呼吸を使います)や
ハート瞑想(ただ耳を傾けるだけの瞑想)、
そしてワークを通じて
「チャクラのエネルギーを感じてみよう」
という3時間程度の小人数イベントです。

チャクラのエネルギーを
自分自身で感じることが出来るようになると

これまでと違った形で自分を大切にし
自分自身を癒していくことにつながります。

次回は 1月14日、午後1時
葉山にて(JR逗子駅より約30分 バス利用)
第三チャクラをテーマに行います。

ストレス溜まってる!
発散したい!
お酒飲んでクダまきたい!

いわゆる浄化が必要なとき
スッキリしたいとき
とても役立つ

ジベリッシュ瞑想もこのイベント
の中で紹介致します✨

歩いて5分で海に行ける🏖
葉山で
休日の午後✨


ハートにつながり
自分自身のエネルギーに
つながっていきましょう✨😃

詳細、申し込み コチラ⬇️
https://resast.jp/events/311713