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イタリアで見た過去生と直後の事件~ローマパスポート盗難 その10

サンタマリアマジョーレに通じる道で
目の前のランナーの群れに 
なぜ飛び込んだのか?

☆☆☆☆☆☆
人、人、人の群れ(ランナー)。

それは戦いから逃れて来た人々のように
その時の私の目には見えたのだった。

「今だ!」という何かからの声を聞いた気がして
咄嗟に飛び込んだ。
今この行動をするかしないか、は
まるで 私の生死の分け目のような気がした。

私の右肩をグゥウ。
とつかむ警備員。
当然制止するだろう。

わたしは腰を落として身を低くすることで
その右肩を掴んだ手から逃れた。

こんなワザどこで覚えたんだろ?
という感じ。

とにかく私は今
道の向こうに渡るのだ!!
(警察行くんだからさ)

こんなに強い意志に従って
走ってはいるのに
なかなか進みゃあしない。

この爆発的に増えた大人数を横切るには
私だって前に進みながら
斜めに横断していくしかないのだ。

昨日までは数秒で横断していたその道を、
数分走った。
ランナー達とともに。

ただ無我夢中、の瞬間もありながらも
この数分間にアタマをよぎったよしなしゴトは~

わたしローマまで来て何をやっているんだろう。
普段も走ることなんか滅多にないのに!
前回走ったのは電車に乗るときだったかなあ。

とかなんとか。

なんかこの人たちは(一緒に逃げた)同志っぽいわ。
警備員には肩を掴まれたのに、
この大人数のちがう方向に行くひと達と
殆どぶつからないってどういうことかしら?

で、無我夢中とこれらのアタマの中のブツブツ言葉が
交錯しつつ。
無事 向こう岸、にたどり着いたのである。

たどり着いたわたしを見て
「おーっ。関心関心!(あるいは呆れる)」
みたいな表情で目を丸くしている人たち。(たぶん観光客)。

警察へご用がなくとも
この岸辺にいた人たちも できれば早く道を渡りたい、
のである。
彼らもこのマラソンで10分以上ふいに
待たされることになったようだから。

しかしこんな荒ワザで横断した人は
他に誰もいないようだった。

出よう、と試みてた人は何人かいたけれど
みな警備員に止められ、横断出来なかった。

その人々のかなりの注目の眼差しに
どういう顔をしてよいかわからぬまま
その日3軒目の警察に向かった。

マラソン中、前進を余儀なくされてたので
元来た道をかなり戻ってた。

もうここは素直に
マラソン沿道でなく
警察の通りへ行こう。

で、なんだあ。
たった1本平行した道だった
Via Farini.

この通りに来たら
なんと30秒ほど前マラソンしていたのが
ウソのよう。

別世界なのだ。
なんだか日常に戻ったのだ。
(ローマに居るだけで非日常、盗難にあってさらに非日常だけれども)

で、馴染みの警察の入口にやってきた。

ふふふ。ここはもう知ってるもんねえ。
という安心感とともに。

時間は12時半を回っていたと思う。
きっとあのマラソンのスタートは
12時だったのだろう。

「昼休みの時間にかかると、ロクなことがない」
という思いはそれまでのイタリア、
というよりFlamencoのためにスペインを
何度も旅した経験から
骨の髄まで身にしみていた。

今回の旅も、イタリアに来る前に
しばらくぶりにスペインに行ってきた。
セビージャ⇒ローマという初めての路線の
フライトを経験、
実に面白かったが
それなんて結果的に小さなことで

いやここローマで
今ドロボーなんかに合わなくても、
その前のスターサファイアエナジーワークの
半月間のがっつり経験したコースを受けなくても、

イタリアに向かう前にスペインで
もう日本に帰ってもいいや、
と思うほど充分な
楽しい、感動する、ドキドキする
実りある
旅をしてきたのである。

お腹いっぱい状態な上にさらにさらに
また様々な経験をした旅だったのである。

で、たぶんイタリアは
スペインより1時間くらい昼休みが早いみたい、
となんとなく掴んでた。

スペインだと午後2時頃からで、
その後5時頃までは お店とか完全に閉まる。
スーパー、とかはやってるけど。

イタリアの警察だって
3時間くらい休むかもしれない。

公式に休み時間でなくとも、
昼飯食べるべき時間に働いてくれ、というタイミングには
人々は皆あまりに不機嫌なのだ。
そしてそんな時はムリヤリ何かを頼んでも
マチガイも多いし、いつも以上にノロい。

航空会社のカウンターであれ、
タクシー運転手であれ、
警察であれ、だ。

本来ニンゲン、それでいいんじゃないか、
とそういうのに賛同してたわたしは
自分自身もそういう行動形式にもなってたわけだ(スペインではね)。

なんせきょうは日曜だし、こういう傾向はマックスだろう、

という思いからの焦りもあったわけだ。

で、まあ昼前に訪問出来てラッキー。
でないと他の用が済まなかったかもしれない。

で、警察の入口を入ると
両側に見覚えのある部屋。

そうだそうだ。この右手の部屋で前年
待たされたのだ。

あのときは「お金盗られました~」
とかなんて言うのかなあ、
なんて考えながら話かけようとしたら

「すとーるん?」「スィ」
の一言で済んで拍子抜けしたのがスタートだった。
で、この右の待合室には盗られた人が
何組も待っていた。

日本人かな~と思って話しかけた男性親子は
上海から来た中国人だった。

何を盗られたんデスカ?
と聞いたら

「ホテルについてすぐお金をおろしてきた」
「で、それをベッドの上に置いて少し部屋を離れたら30秒で盗られた!」
とのこと。

「ネットで確かな予約サイトで探した、
ちゃんとしたホテルだと思ったんだよおお!」
とわたしに訴えた。
中国人のオジサンの手にはPCからプリントした
ホテルを予約した紙。

見せてもらうとわたしも予約した覚えのある
ホテル予約サイト名だった。

で、いくら盗られたんデスカ?
と聞いたら

「1万5千ユーロ、、、」

だってさ。
あははーっ。ざっと200万弱ぅ?

私たちの100倍以上なのね。
(前年の被害金額はそんなものだった)

もうわたしは何がホントか、
とかぜんぜんわからなくなっていた。

さあて、今回は
この警察でどんなことがあるのだろう。

(その11 に続く)
その11

⭐️前のハナシは 上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
へお願い致します。

イタリアで見た過去生と〜ジケン 外編 7.5

ハート瞑想からと イタリアでの夢からの気づき。

葦だかヨシだか名前はわからないけれど。
そんな感じの草が水辺に生えている自然が身近な環境で
今暮らしていて、とても満足です。

そんな予感がハート瞑想を通じて、昨年この地に来る前、夏に予感があったこと、
そしてハート瞑想をきっかけにいろんなことに気づいたことを思い出しました。

またわたしは、とても大事なことなのに
「自分を大切にする」ってどういうことか、
とか「何もやらなくても価値のある自分」って
よくわからなかったのでした。
今でもわからなくなることがあります。

で、それを教えてくれたのが、子供のような
男の子の存在。
これまで何人かに会いました。

「スターサファイア エナジーワークの学びのために行ったイタリアのコースに参加した後の直後の事件(ローマパスポート盗難 その7)」

までようやく体験記はゆるゆるながら、続いていますが・・・。

この旅、2015年10月に、イタリアの前にFlamencoのための旅、
スペインはヘレス、少しセビージャにも行っています。
その時起こったことについて、改めて今気づいたことがあったので、書いてみました。

昨年の9月、13日だったか。
♡瞑想をリードしてくれた人にあてて、こんなメールを送っていました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

今日から昨日までとすっかりモードが変わった感じがあり、何か象徴的に変わり目と感じています。
どうやら星だか月だかの巡りもそうらしいのですが、寝ている間に気づきました。

昨晩メールして気づいたことがあります。

私にとって 「男の子のジブンの子供のような存在」(わたしに実際子供おらず)は、
その彼(過去の恋愛)に限らずキーになるようです。
それに気づいたのは昨年秋のイタリアでの
スターサファイアエナジーワークのサガプリヤのコース中の雷でした。

(夢の中で象徴的に)その彼は雷で打たれて死に、新しいメキシコ人の若者がやってきました。
そのMさんは実在の人物で、不思議な出会いを4年前に日本でしており、
昨年サガプリヤのコース前のわずか10日間のスペイン滞在の間に、
奇跡的にも偶然彼はメキシコからやってきて、セビージャで会うことになったのです。

セビージャという街はスペインの南、
フラメンコ震撼の地なのですが、彼はフラメンコとは無関係です。

彼は日本でスペイン語の先生になりたいと、
そのための学びのためにセビージャ大学の大学院生としてやって来ました。

セビージャはローマとはまた違いますが、古いものや遺跡がやはりたくさんあります。
昨年Mさんと歩いていてローマ時代の遺跡の横を通りかかったときに、
その頃、だか昔もこの人に会っていた!
と直覚したような瞬間があり、立ち止まり、過去世ワールドに引き込まれそうになりました。

その近辺は、かつ昨晩話した彼と出会った17.8年前、
彼(過去の恋愛相手)についての重要な情報を得た場所でした。
不思議な事ですが、通りすがった男の人が教えてくれたのです。

車の通りもかなりある大きな道路の向こう側から、
私に向かって「お告げのようなこと」を叫ぶ、という不思議な光景でした。

ベージュのチノパンをはいた、ごくごく一般的なスペイン人に見えました。
結果的に、私はその重要情報を活かしきれなかった、
というか信じきれていなかった気がします。

Mさんについては、彼のようなスッタモンダな関係にはならないはずで、
何かわたしが教育⁉だか、気づかされるようで Mさんに会うと変化を余儀なくされています。
単に変わり目に彼が現れるという偶然、と言えばそれまでですが。

何というか天然エッセンシャルライフコンサルティング、のような状態になり、
これからやることを宣言し、それを実現して来ています。
Mさんにとってもそのようです。

話しは変わって、8月の「ハートの直観」の瞑想会で、
唄について書いたようであった「稲穂だかススキが枯れかけて茶色、もしくは紫になった絵」を書きました。

あれは葦(ヨシ)だったようで、
9月7日に高島屋に入っている和菓子屋さんの作ってる冊子のヨシの写真を見てそうだと気づき、
泣いてしまいました。

日本では茅葺きの材料になったりするのだと思いますが、
スペインでもそれが川原に映え、
其処で自然と共に暮らそうとしている男女の美しい話である詩を、
今自分が歌おうとしている事にも気づきました。

この葦の絵と、Mさんとの再会は関係あるようです。

というような色々な事に ハート瞑想を通じて 気づかせていただき ありがとうございます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

スターサファイアが初めての方へ

スターサファイア エナジーワークとは?

第2回モニターセッションご希望の方募集中。

3枠となりました。

1月29日(日)我孫子駅(常磐線 上野より35分) 徒歩2分
 ⇒29日コチラ
http://www.reservestock.jp/events/165043

2月4日(土)上野駅 徒歩5分
4日コチラ

2月12日(日)午後 上野駅 徒歩5分
12日コチラ

スターサファイアのご質問、
どうぞお問い合わせくださいませ。

    サトルボディヒーリング~再び戦ってきた男性性を理解

    サトルボディヒーリング。

    ハートのスペースから気づきを促し、変容につながっていくワーク~。
    スターサファイアとともにわたしの愛するエナジーワーク。
    このサトルボディヒーリングと共に大輪の花を咲かせているガヤトリ、にやってもらいました。
    わたしは今重要な地点に居ると感じています。

    「自分が好きなこと、それをやって生きていくことを自分に赦したい」
    特に唄うこと、です。

    「許す」より「赦す」。
    そんなイシューでセッションは始まりました。

    まずはガヤトリのリーディングで出てきたのは~
    「批判的なエネルギーがアタマの上を飛び交っている」
    「こうなってはいけない。
    わたしはひとりで立派に生きなければ。」

    そうです。その通り。
    わたしはこのように感じながら 育ちました。

    同時に。
    「それはムリだ!」

    そうです。
    わたしはこのような葛藤を抱えて生きてきたのです。

    自分に制限をかけ、立派になろうとしてきました。
    なんとも正直ではない、ムリしている。
    でもそんなジブンご苦労さん、そんな感じです。

    ガヤトリはまた
    わたしが人サマにとシェア出来るいろんな質があることをリーディングしてくれました。
    豊かさ。
    なごやかさ。
    安心感。その他にも。
    そんなにもいろんなものがある!
    それらの質がよろこぶのを感じました。

     しかし、実際に何かやろうとすると~例えば 何かプロジェクト、新しい仕事を始めるとか。
    動きが止まってしまう。
    考えてわからなくなると眠くなって寝てしまう。
    それはそれで気持ちい~から まあよいか~ となったりする。

    驚きました。
    まるでガヤトリが 私の生活を覗いていたかのようです。
    まさしくこの数日、私はこんな状態でした。
    図星! で ぐうの音もでません。

    しかし痛いところをつかれてる、かと思いきや。
    「その通り!」と笑って認めることができている自分がいます。

    これにはガヤトリの優しさ、配慮の素晴らしさもさることながら、
    サトルボディヒーリングゆえ、という理由もあるのでしょう。
    なぜならセラピスト、ガヤトリとクライアントReikoがともにいるシンクロニシティのスペースが、ハートチャクラの受容のスペースでもあるからです。
    ハートはすべてを受け入れてくれるからです。
    この受容のスペースがセッションを通じて拡大しているのを感じることができます。

    そしてガヤトリは
    「これらは表層で起きていることです。
    表層は全体の5%にしかすぎません。」と。

    そうでした!

    意識全体の中で、肉体、思考、他の人にわたしがどんな人なのか、
    と思われているかというパーソナリティ、つまり表層は5%にしかすぎない。
    サトルボディヒーリングの学びと同時にこれを学んできました。
    何度も 何度も。このことを思い出す必要があります。
    「本来の自分」は、より深い中心の近くにあることを。

    ガヤトリのこの時のこの言葉でさらなるエンパワーメントがなされました。

    そしてガヤトリが表層ではなく、内側にある本質、つまり「本来の私」をリーディングしてくれました。

    自由。
    生きる喜びの実感。
    生を祝う。
    誰の人生でもない、自分自身のパワー、自分の喜びを生きる。

    これが私! これが本来の自分!!

    そうです!
    それがわたしなのです!!
    自分の中にこれがあるのに自分でなかなかそれを取り出せなかったもどかしさ。
    そのもどかしさが一気に吹き飛ばされたようなこの瞬間でした。

    そしてこれら「本来の自分」を覆いかくしてしまう、
    わたしの思い込みは何か。
    これもガヤトリが丁寧にリーディングをしてくれました。

    第一チャクラ関連では~
    お母さんのエネルギー。
    「自由に生きられない」というエネルギー、
    「私には力がない」という母の思いを、私Reikoが生きようとしてしまった。
    これは 今まで気づいていたことでもあるのですが~。

    これが今回のイシュー、
    「自分が好きなこと、それをやって生きていくことをなかなか赦せない」
    ことにつながっていたのですね。

    それを確認することができました。

    そしてガヤトリは言いました。
    「Reikoがそうして母のエネルギーを生きたことは
    「親密さ」という本質を表現したことでもある、
    「親密になれる」ということに価値を与えてください、
    お母さんの生き方を繊細に感じ、その生き方を尊重したことに価値を与えてください。」

    なんということでしょう!
    「思い込み」「ブロック」と呼ばれるような中にも
    表層ではなく、「親密になれる」という本質が表現されていたのです。

    これにはまったく気づいていませんでした。
    言われてみて、そうだな、と。
    これはおおいに価値を与えてよいのだ、と気づいた瞬間、涙が出そうでした。

    さて「本来の自分」を覆いかくしてしまう、
    思い込み、続きです。

    第3チャクラ関連では~。

    「私には価値がない、できるわけがない」
    と言っているそうです。
    「唄うことはお金にならない」、とか。
    これは思い込みなのですが~。

    この背景に「シスターのような存在」がReikoを見守っており、
    その人が私を心配するがゆえに
    「普通にしなさい、冒険なんかダメ」というようなことを言ってきているそうです。
    よって、そのような思い込みにもつながったようです。
    これは過去生、という次元の話しかもしれません。

    しかし~。
    この人のおかげで何がどういう風に守られてきたか。
    ガヤトリがReikoに聞きました。
    わたしは何の根拠もないのですが 
    しかしはっきりこのように口から出ました。
    「病気にならない」「怪我をしない」。

    そういう見守りの存在のようです。
    そのおかげで生きることができたのです。
    思い込みにもつながったけれども、
    生き延びるためには私には必要な存在だったのです。

    そのような実感、この時すぐにはわかりませんでした。
    しかししばらくすると「何かある理解」、が自分に起こったと感じました。

    するとガヤトリは
    「真の自由を生きる強さ」
    「羽がパタパタしている」
    「育ち始めている」
    「何があっても人生の肥やしにしていける(強さ)」
    というエネルギーの変化を告げてくれました。

    なんということでしょう!

    ほぼ同時に、
    「自由に生きていいわけがない!」
    「愛を表現しているのに、いらない!と言われての怒り、悲しみ、悔しさ」
    そういうエネルギーも感じることを伝えてくれました。

    そうです!
    これはまたまさしくこの数週間にReikoが感じ、体験したことでした。
    そして「悲しい」「悔しい」という中に何日もいたのです。

    それをガヤトリに告げると、
    「悲しみ」「悔しさ」にスペースを与える、ことを提案してくれました。

    それらはそこにあるのであり、私はそれを充分に感じる
    必要があると感じました。

    私はここでまた
    「唄をお金にすると、存在との繋がりが切れてしまう、ことの不安」
    があることをガヤトリに告げました。

    私は唄っているとき、何か大いなるものとつながっている、
    それが私を使っているような感じがすることがよくあります。
    今ではこれが「私に与えられたギフト」なのだ、と自覚しています。
    そしてそれを涙が出るほど感謝しているのです。
    そのつながりが途切れること、
    私にとってそれほど恐ろしいことはありません。

    するとガヤトリは
    それもまた「表層」のもの、思い込みであることを告げてくれました。
    「お金」と「大いなるものとのつながり」が引換になるわけではない、
    そこにあるものはある、ことを。

    そしてまたここでガヤトリはリーディングで重要なことを告げてくれました。

    カラダの右側に「戦ったきたエネルギー」があることを!
    戦ってきて絶望した、
    しかしそこにある本質は「勇気」であることを!

    一方左側には「痛みのエネルギー」がある、と。

    ちょうど1年前にイタリアで受けた
    サガプリヤによるスターサファイアのセッション。
    これは男性性と女性性をリーディングしていくエネルギーワークです。
    これを3年前から日本で学び、はるばるイタリアまで2年連続で学びにいき~
    人生で最も重要な学びと感じているもののひとつです。
    そしてその中でも、そのセッションを受けたことが最も重要な学びだったのです。

    そのセッションで出てきたのがまさしく「戦ってきた男性性」です。
    この男性は1年たった今でも私の中に居るのです。
    「勇気」という本質が垣間見えて少し、絶望が緩んでいるようにも感じますが~。

    戦う男性性、その男性性に攻撃される女性性。
    これが1年前時点のサガプリヤがリーディングした
    「Reikoの人格の基本構造」だったのです。
    基本構造がそう簡単には変わりません。

    男性性が戦ってきて絶望。
    女性性を攻撃。
    これが「好きなことをやって生きていくことを赦せない」ことにもつながっていました。
    これに今回気づいたことはあまりに大きい!

    (絶望した)男性性が「信頼を学ぶ必要がある」、
    これがそのセッションのお試しのようなハードな試練
    (当ブログ「イタリアでみた過去生と直後の事件」に連載中)
    のあとの帰国後のReiko、
    へのサガプリヤのメッセージにありました。

    サガプリヤのセッションでの気づきは、
    あらためてまた別の機会にシェアしたいと思います。

    さて、セッションも終盤にかかります。
    ガヤトリは私の第5チャクラをリーディングしてくれました。
    「私はここに居るというエネルギー」
    「存在するよろこびのエネルギー」
    「家に帰って、たんたんと何かを始める男性の姿」
    を告げてくれました。

    私はこれを書いている今ただ今~
    家に帰ってきて食事後、これをたんたんと書いているのです!

    リーディングとヒーリングは、第6、第7チャクラに行きます。
    「純粋な喜びに返った子供」
    と告げてくれました。

    唄ってお金をいただくことについてこの瞬間~
    「躊躇なく まっすぐに 単純に」
    こんな風に感じていました。

    そして「何かリセットされた感じ」だとガヤトリに告げました。

    セッションの開始からみたら なんという変化でしょう!!

    そしてガヤトリは
    「このスペースからやりたいと感じること、始めたいことはありますか?」
    と聞きました。
    Reikoは
    「障害はない」
    「このまままっすぐ進める気がする」
    と言いました。

    「第7チャクラ、アタマの上に 旗が立っているようだ」、
    とも告げました。
    ガヤトリ「お子様ランチのような旗?」
    Reiko「そう、その通り!」

    今、わたしはなんとも子供のように自由です!!

    以上。

    ※このセッションは スカイプを使用した 遠隔セッションで行なわれました。
    サトルボディヒーリングは対面ではもちろん、このように遠隔であってもリーディング、ヒーリングがハートチャクラからお互いのシンクロニシティのスペースに入るので可能です。

    イタリアで見た過去生と直後の事件〜ローマパスポート盗難 その6

    〜その6

    11月1日、ローマ日曜の夜は明けようとしていた。

    あと連絡するべきところはあったか?

    そうだ、wifi❗️

    カバンには
    パスポートや財布もさることながら
    wifiもケータイも入っていた。

    手元に残っているのは
    充電器が入ったバッグだけ。

    あ〜いやいや。
    こんな時のために
    ネット上の申し込みでは「保険に入る」欄に自動的にチェックが入る仕組みになっていた。

    この保険料が1万5千円だったかと思う。
    高い!
    と思ったわたしは
    チェックを外していたのだあああ。

    結果、紛失に際しての弁償代は4万円‼️
    これにはモチロン保険は出ない。

    申し込み時に、チラと確認していたことだったが ココで改めて再認識。
    ガックリと、ほんとにガックリとしていたところに wifiサポートからメールの即レスが。

    「成田返却の日時が、予定を1ニチでも越えたらイクラ、2ニチだとイクラ・・・」

    盗難にあったことへの見舞いのコトバはまったくない。
    予定通りの日に 残っている充電器を返して、とのこと。
    盗難にあったことと、
    予定通りの便で帰れないかもしれない、
    という連絡をしたのですがネ。

    あ〜はいはい、
    もー何もする気力がなくなりベッドへ。

    あす、いや今日
    朝8時半に開いたと同時に
    警察に行こうと思ってたのですがネ。

    起きたら9時半すぎでした。

    (続く)

    続きは その7へその7へ

    イタリアで見た過去生と直後の事件~その5

    ~その5の前に今日の日記~
    今日は2016年11月2日。
    今書いているのは昨年、2015年10月31日~11月2日の話しである。

    この話しの続きの前に、今ただ今、今日の日記。

    昨晩、10月31日に画家の堀越千秋さんが逝去された、との報を聞いてショック。
    今見たマスコミを通じて流されている訃報には、画家としての経歴だけで、
    Flamencoを唄うことはまったく書かれてない。

    ヒトは亡くなった時にも「社会的に評価された実績」のみで見られのだなあ、
    と当然なのだろうけど 寂しい。

    堀越氏は画家であるだけけなく、Flamencoの世界に強くひかれて
    スペインの生活では
    どっぷりとその世界につかり、その魅力を私たちに伝えてくれた。

    そしてFlamencoが好きになり実践する私たちに
    厳しく、なにより味のあるご意見番として存在してくれた。

    Arteの世界、ということで絵も唄も 共通かもしれないが
    絵のモチベーションとなっていたのもFlamencoの世界、なのでは、と思ってしまう。

    Flamenco、特にCante Flamencoから生きる力をもらい続け、そして唄っているReikoには、
    堀越さんこそがそういう方だったのだろう、と強く感じるからである。
    心からご冥福をお祈りします。

    さて、~その5デス。

    11月1日(日)になったばかりの深夜。
    帰国予定のローマからドーハ経由(カタール航空)成田への帰国予定便は
    11月2日(月)の午後3時。

    これから36時間、何をすれば予定通りに帰国できるのか??
    正直「予定通り」、はかなりのハードルの高さに感じる。
    予定通りにいかなくとも とにかく帰るため、にはいろいろやらにゃあ!

    まず日本大使館の場所は~
    なになに、今居るホテルから歩いても40分くらいか?
    そしてこのHPで見た緊急連絡先にまた☎する。

    結局つながったのは 夕方に☎した先と同じ!
    お決まりの 現実的に入手困難なものを含む、様々な必要書類を教えてくれたあと~。

    その担当者は。
    「でも 諦めないでください。
    最短2時間半で 帰国のための渡航書 が出ることがあります。」

    Reiko「! ということは、3時の便なのだから 日本大使館開館と同時に行けば、
        予定の便で帰国できるかもしれないのですね?」

    その担当者「そうです。」

    わあああ。
    これでやる気が出てきた。
    ローマにこれから何日も滞在し、航空券を買いなおす、という可能性もかなりある、
    と思っていたが。
    明日の予定便で帰ろうではないか!

    元気が出てきたところで実家に☎。
    弟に頼みごと、なんてこれまで殆どしたことがない。

    おそる おそる~ ☎。
    ☎に出た義理の妹に「かくかく~しかじか~」
    と話すと
    「うわあぁあああ! ひぇえええ!!!」
    といろんな声を出したあと、
    とにかく仕事に出ている弟に言うから、と。

    「本籍地入りの 戸籍抄本」をゲットするには、
    月曜の午前中中に役所に取りに行ってもらい、そしてそれをすぐさま日本大使館にFAX
    してもらうしか、ない。

    日本の午前中、そしてわたしが在イタリア日本大使館に行くのも午前中、9時半!
    であるが 
    そこは「8時間という時差(イタリアの方が後れ)」という事情でこの手続きが可能となる。

    そして「決まり」に従うなら
    その戸籍抄本原本をすぐさまFedexで送り、その送り状もFaxで送れ~
    いやこれはゼッタイムリ!ムリ。
    で、頼みませんでした。

    そもそもいそがしい弟が急に 午前中中に役所にでむける、というのもかなり可能性低い。

    後から聞いたのだが、義理の妹が代わりにやってくれようとしたが、
    役所に聞いたら 血のつながりある兄弟でなければとりあえず代理になれなかったそうだ。

    もう家族を騒がせに騒がせた。

    これもアトから聞いたが
    「立てない」はずの父がこの知らせを聞いて
    「立ち上がって」しまったそうだ。
    アトからアチコチ痛くなったのは言うまでもない。

    さて、次は保険会社に☎だ。

    コレクトコールができる。ありがたし。
    すぐにつながって話もできた。ありがたし。

    で、話し始めたら。
    「盗難にあった状況」の詳しい説明を求められる。

    こちらが聞きたいこと、は後回し。

    いつ、どこの通りで、どんな人が、
    取られたものはなに、現金は、カードは、パスポートは???

    なにせ「かばんごと」持っていかれたわけで。

    取られたものを申告するのにえらく時間かかるのだ。
    帰国後に申請したリストにゆうに30品目くらいあったのだから。
    「その他いろいろ」、という言い方をなかなかゆるしてくれない。

    「この保険には予定便に乗れなかったときの保障が入っていたか?」
    とか
    「ローマにサポートしてくれる支店はあるか?」
    とか 
    いろいろ聞くことが出来たのは40分後くらいだった。

    いやあ、これでかなり消耗。
    外はだんだんと白みはじめていた。

    続きは その6へ

    その6