「わからない で生きる」とは?【後 編】

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2年前、
「どうしたら?」でなく
「わからない」で生きるって
どういうことだかわからなかった私。
 
 
これはこれまで
サトルボディヒーリングで習い、
ワークで体感した

「第5チャクラの『わからない』」
というスペース。
 
ここから生きる、
 
ということだったんだ!
と今回実感した。
 
 
「わからない」で生きる。
 
生きることを 謎に満ちた神秘のままにしておくこと。
無条件に生を信頼するということ。
 
過去の記憶、そこから作られた思い込みに
支配されない、ということ。
 
 
痛いもの、傷に触れるものを 自分から切り離してしまわないこと。
それらを無視せずに見ること。

すると
記憶は単なる記憶となり、
それが今起こることをコントロールすることがなくなっていく。
 
困難なチャレンジがやってきても
何か自分に役立つものだ
という態度で受け入れること。
 
これらはまた本来の「信頼」というスペースでもある、
とプラサード達は教えてくれていた。
 
ああ、これら言葉だけ言っても 
むなしい感じがする。
 
2年前のサガプリヤのスターサファイア
のセッション。
私のそれまでの内なる男性性は、
つまり信頼していなかったのだ。

 
自分が100%コントロールしなければ生きていくことはできない、
と思っていた。

何をしたら、何が起こるのか、
ということを
存在にまかすことなく、
すっかり自分で決めていた。
100%過去を指針として。
 

だからヨレヨレに疲れてしまっていた。
「喜び」は遠のいていくばかり。
責任感がある、ようにも見える。
しかしそれはエゴからだったのだ!

 
一方内なる女性性は
「大いなるもの」「存在」
とのつながり、
というものを
感じることができるのだった。
 
しかし 
生きていく上での大事な決定や
責任を取ることをしない。
働きもしない。
男性まかせ。

ほとんどを男性性に支配されることを
許してしまっていた。

 
女性性は「自分で生きる」ことが怖い、
自分の力で生きれることを 
また信頼していなかったのだ。
 
だからわたしは
「わからない」というスペースから
生きる必要があった。
 
 
これからまた
何度もこれに気づいていくのかもしれない。

少しずつ信頼して生きれるようになるのかもしれない。

今のわたしは
あの頃のわたしより少しマシ、
だろう。
 
第5チャクラの無条件の信頼、
というのは「私たちの在り方、在り様」だ、
というアルヴィナの言葉もあった。
 
私が明日唄おうとしていたFlamencoの歌詞。
これってその「生きる在り方」を表したものではないのかな、
と今感じる。
数日前にFacebookの投稿に書いた歌詞。
 
俺は死ぬのは怖くない
死は自然なことだから
俺は生きるのがもっと怖い
なぜなら …
どこに行き着くかわからないから
俺のこの頭では。
わたしにはとても印象深く

✨これがFlamencoだ

✨と感じていたもののひとつ。
ジブンはと言えば~
死ぬのが自然と思えるほど
素直に感じるまま
生きてこれたわけでもない。
それでも 生きる方が怖い、がわかる気がしてた。
信頼することが怖い、気がしてた。
 
それをこんな風に表現できるなんて!
なんて素朴 なんて正直
品格をも感じる。
こういう歌詞に感動しています。
 
「サトルボディヒーリングは
 単なるチャクラのヒーリングではない」
 
「今ここ、を生きるためのものである」
とプラサード。
 
今ここ、を生きるとは
過去の記憶にコントロールされないこと。
ヒーリングだけでなく、
そのスペースに開いていける
サトルボディヒーリング。
 
 
そして私達の中に
別のふたりの人格のように存在する
内なる男性性、女性性エネルギーの
現れを読み解き
今後の指針を得られる スターサファイア。

 
初めてこれらのワークを体験していただくための
機会をただいま準備中。

投稿者: Sangit.Reiiko

Flamencoカンタオーラ(唄い手)。 インドを起源としたジプシーの芸が スペインアンダルシアに根付いたFlamenco。 Flamencoの発祥は唄から。その魅力を自ら唄い伝えていく。 Flamencoに触れることで行き着いた瞑想をベースとした、サトルボディヒーリング、スターサファイアのエネルギーワーク従事。

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