明日 3月11日 CASA ARTISTAで唄います✨

あす 3月11日 土曜日✨

荒木町 カサアルティスタ(CASA ARTISTA)
のFlamenco ショーに唄いに参ります。

いつもファミリアのように
仲のよい カサアルティスタ
レギュラーメンバーと。
楽しみです。         

カサアルティスタはギタリスト、
ホアン一色が経営する 日本最古のFlamencoタブラオです。
タブラオ、とはFlamencoの踊りのための
板づくりのステージが用意されたFlamenco専門の空間。

創業50年。
日本のFlamencoの歴史とともに、
いや、日本のFlamencoがカサアルティスタとともに、
歩んできたのでしょう。

数々のアルティスタ、フラメンコファンを生み出してきた素敵な空間。
多くのフラメンコ人がここを通過し、
今もここに集います。

カサアルティスタでの楽しみは
特にFlamencoファンだけのものではありません。

店主ホアンのもてなしは
初めて会ったのか 100回目なのかなど関係なく
分け隔てなく どなたさまにとっても 暖かい空間。
一度入って気に入れば
何度も行きたくなる安らぎの空間。

一昨年、新大久保より現在の地、荒木町に移転しました。
荒木町は
趣あふれる石畳の迷宮、歴史ある飲食店街。

神楽坂ともまた異なった気軽さ、みたいなものを感じ
どのお店も個性あふれ
どんなところ?と入ってみたくなるところばかり。

その中でも
カサアルティスタ、ホアン一色の個性は
出色、赤、赤、赤!!!でアリマス。

ここでのFlamencoショーはバイレ(Flamecoの踊りです)、
店主 ホアン一色のギターソロを中心に毎日2回。
(19時半、21時)

レイコは唄います。
どうぞお気軽にお立ち寄りくださいませ。

下記へご予約大歓迎

カサアルティスタごあんない
カサアルティスタ
 ⇒コチラ東京都新宿区荒木町3番地 駒ビルB1
最寄駅 四谷三丁目 4番出口より徒歩3分
お問い合わせ先 電話
03-6380-1535《夜》
090-3330-6340《昼》

フラメンコショー ①19:30- ②21:30-
ショーチャージ¥1000
ドリンク グラスワイン¥700~
パエジャは要予約

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その18

パスポートはじめ殆ど失った
2015年10月31日土曜夕から3日間。
一生忘れそうもない。

11月2日月曜の
帰国便に乗るまで18話、
を費やしている。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
ローマ日本大使館
守衛室のベンチで
待つこと10分。

ちょっきり帰国便出発3時間前。

タクシーのお迎えが来て
優しい守衛さんに挨拶して
います旅立つ。

さようなら〜
日本大使館!
そしてローマよ!!

今度のタクシー運転手も
しごくまともなお方。
必要以上のことは喋らず
淡々と運転。

最近はいつも空港に3時間前には
到着していたので、
チョットどきどき。

でもタクシーだから
2時間以上前には
着けるはず。

で、無事到着、
やはり領収書と1€のお釣りを
固辞されそうになったが
チップとして受け取っていただいた。

空港まではFixプライスが
明示されており
これも心配なく
スムーズだった。

さて。
カタール航空のチェックインカウンターは
どこかなあ⁈

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
この旅の往路は
成田からドーハ(カタール)経由、
マドリード(スペイン)
に入っている。
2015年10月5日、成田発だった。

前半は
Flamencoのための旅だったから。

なので
ローマの空港での
カタール航空の情報は
まったく知らない。

今回初めてアラブの国の
航空会社、カタール航空を選んだ理由は
主に値段だ。

往復8万5千円。

前年はブリティッシュ航空で
ローマ往復 14万円だった。

コース代やら滞在費やら
費用捻出は容易でなし!

ココまで差があったら
安い方を選ぶのだ。
たとえ時間がかかっても。

しかしながら
ドーハからマドリードの7時間、
というのはかなり体に来た。

またいくら安くても
それまでヨーロッパ系の航空会社しか
利用したことのなかったわたしは

前年まではなかなか
アラブ系の会社を
選ぶ勇気がなかったと思う。

わたしは20数年前から
Flamencoを求めて
スペインに数年に一度は行く。

その他の国にも旅するのは大好き。

スペインに行くようになってから
なかなか他の国に行く機会は減ったが
行ければ行きたい。

しかし決して自分が
冒険野郎だとは思わない。

バックパッカーになったこともないし
一回の旅は1.5ヶ月以内で終わるし
ユースホステルにも
泊まったことがない。

richには行かなくとも
希望はなるべく優雅な旅、だ。

そのクセ野宿経験はあるのだが
結果論である。

安全がイチバン
怖がり、なのだ。

ところが前年
私としては変わり種の飛行機に
乗ってしまった。

ターキッシュ エアラインで
トルコはイスタンブールを経由して
ローマから成田へ帰って来たのだ。

ブリティッシュ航空からの
振り替えで。

この時 人生初めての
飛行機の振り替え乗車
(いや、乗船ですね)だった。

というのも、この時期
夏時間が終了し
11月最初の日曜から冬時間、
その冬時間初日のフライトを
選んでしまったためだ。

コースが前日土曜に終了、なので
その翌日の帰国便を選んだのは
さっさと帰りたいこの時の
ナチュラルな選択だった。

時間が変わるというのは
トラブルが起きやすい。

というわけで
今回もこの時期の
冬時間への移行日を
はっきり掴んでいなかったわたしは

とにかく日曜のフライトは
やめて月曜にしておこう!

(そうすれば時間が変わって初日ではない、
少なくとも2日目、となるから)

という過去の学習効果による
選択をしたおかげで

こうしてパスポートを
失くしても
渡航書発給に
こぎ着けられたのだ。

ほかの日本人仲間達と同じように
そして前年と同じように

わたしも日曜出発を
選んでいたら
まったく不可能、

事件にあった時点で
予定便帰国不可決定だったのだ。
休日で大使館がやっていないのだから。

夏時間と冬時間という制度。
年に2回も時計を一時間進めたり
遅らせたり。
まったくタイヘンなコトだ。

実はこの夏時間から
冬時間に変わる時期に
帰国することが
これまでもよくあった。

いつもいつも
何日に変わるの?
とよく現地(スペイン)の皆に聞いてた。

すると
「今年は10月末だっけ?それとも11月1週?」
「う〜ん、どっちだっけねぇ」

なんてやりとりが
いつものことなのだ。

もう翌週にせまったことを
聞いてるんだけどねえ。

当初、こんな感じが
日本人のわたしには
正気の沙汰とは思えなかった。

だけど。

冬時間になる時は
遅らせるので1時間トクする、
みたいな感覚になる。

1時間という時間のごほうび。

飛行機に乗る、なんて用さえ無ければ
どうということもないのかもしれない。
日曜の夜中(午前3時だったと思う)
に変わるわけだしね。

なんて ようやく思えたのは
この年初めて。
今回帰国の1週間前。

スターサファイアのコース中に
既に冬時間になったその日、
楽しい休日を
1時間分の余裕でゆったり
みんなで過ごし
そんな風に感じたのだった。

そういうわけで
前年(2014年)のブリティッシュは
荷物のシステムに異常を来たし、
ロンドンから乗り継ぎの乗客には
全員振替便を充当することになったのだ。

3時間半、列に並んでようやく
ゲットしたのがターキッシュエアライン
だった。

で、乗ってみたら
食事は美味しい、
なんと言ってもよかったのは
乗り換えがラクラク。

飛行機はかなり古い型の
ようだったけど。

まるで
福岡空港あたり⁈
乗り換えるかのような近さ
と感じたものだ。

ヨーロッパの大空港はどこも
乗り換え移動にはタイヘンな距離、
乗り継ぎに2時間見ても
ギリギリだったり。
からするとほんとに素晴らしい!!

この時は翌年は
ターキッシュエアラインを検討しよう!

なんて思っていたが
世情でイスタンブールへの渡航なんて
とんでもない、事態になったのだ。

例の
2015年1月、
ISISと名乗るテロ組織が
人質にされた2人の日本人の身代金要求する
映像をYouTubeに投稿〜〜云々。
湯川さん、後藤さんの事件だ。

そして帰国後しばらくして
2015年11月14日(日本時間)
には パリ同時多発テロ、だった。

イスラム。アラブ。
考えさせられた年だった。
どのようにこれらが
自分に関係してくるのか。

日本とアラブ圏、
正直なかなか
アタマの中で繋がらなかった。

そしてまさか自分が
抱えていた苦しみが

モーロ人(北アフリカを経由して
イベリア半島、つまりスペイン
に入ったイスラム教の人をこう言う)
の女性だった過去生に関係する、

なんて
モチロン考えられなかった!

そのハナシは
今書いている
この「直後の事件」部分が終了後に

その前に
サガプリヤのセッションで
見た「イタリアで見た過去生」
部分に続く予定である。

で、
アラブ圏であっても
カタールへの渡航はこの時期
大丈夫、とされており、
値段で選んだわけだ。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
さて、ローマは
レオナルドダヴィンチ空港での

カタール航空の
チェックインカウンター探し
に話は戻る。

手前はヨーロッパのメジャー会社。

歩けども 歩けども
中々カタール航空出てこず。

ターミナルが違うんじゃなかろうな、
と不安になりつつ
2回聞いてようやく到着。

遠かった!

が、よかったのは
カウンターに並ぶ人の列に列も
ヨーロッパ主要路線より
短いことだった。

なんかオンラインチェックイン、
なんて関係なさそう
な雰囲気だし。
(していても、ここで
また一から確認が必要ぽい)

またベールを被ったイスラム女性の
後ろに並ぶ。
すごい荷物だ。

ヨーロッパで時々みる姿だが、
キャスターの
着いてない大きなカバンをいくつも
お持ちのようだ。

というわけで前の方、
すべて荷物預けるのに
なかなか時間がかかる。

ようやくわたしの番。

さて、ここでいよいよ
先ほど発給された
「帰国のための渡航書」
をカウンターに出す。

カタール航空のおねえさんは
「じいっ」
と穴があくほど渡航書と
わたしの顔を見る。

また質問が始まった。

「なぜして
パスポートでなくコレを?」

「かくかくしかじか」
一昨日夜から何度もした
盗難のハナシを繰り返すなり。

コピーを取らせて、
とか、いつもより
多少逡巡あったものの
無事通過出来そう。

がしかし最後に
「待って!それはダメ!!」

と指さされたのが
カバンにつけていたキャリー、
である。

成田から
大丈夫だったんだから
大丈夫なはずなんだけどねぇ。

これがないと
空港内大移動がかなりキツイ。

大きなカバンを成田で
出したあかつきには
モチロン買わなきゃ持てやしない。

ほんとに前のキャリーなし大荷物
ベールの女性は
どうしているのかしら。
サーバントが迎えにくるのかなぁ。

咄嗟の意外なダメだしに
途方に暮れながら
仕方なく
キャリーをたたんだ。

(その19に続く)
その19
⭐️前のハナシは
上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

3月11日(土)たま学びのフェア✿フラメンコのステージで唄います✿

直近のフラメンコはコレ!

町田を拠点に活躍する踊り手、阿部潤子さんの
スタジオ Levanteの皆さま、そして潤子先生のステージです。

普段それぞれの生活に勤しむ姿そのものが素敵で
そしてFlamencoを楽しみに、
生き生きと踊る女性達、そして子供たちに毎回心洗われています。

お近くの方、どうぞ多摩市民館 大ホールへ
お越しくださいませ!

※入場無料

※『たま学びのフェア』は
学びのフェアは、生涯学習団体や機関などによる発表や生涯学習機会を紹介するおまつりです。
地域の人々による地域参加のキッカケになる多様な学びの見本市です。

◆日時:3/11(土) 『たま学びのフェア』
◆場所:多摩市民館 大ホール
※向ヶ丘遊園駅から徒歩7分
フラメンコは14:20頃から40分間ほどの出演となります!

『たま学びのフェア』詳しくは ⇒ コチラ

今が船出〜最終日の赦し【本郷綜海さん スピプロ終了報告 その2】

✨自分の人生で
本当にやりたいことを実現するために✨✨✨
今船出した。

半年間のスピプロが終わって今が
本当の始まり、と実感している。

スピプロ最終日に質問した
「赦し」について。

もうこの日コレは終わってる、
と綜海さんに言った。

このテーマは
両親との関係での親、そして自分に対する赦し、
特に父との関係のコトだと思っていた。

しかし実際は終わっていなかった。
そして赦しの対象はそればかりでなく、

わたしが魂の使命と感じることにダイレクトに通じている

赦しがたい、赦されがたい思いを
未だに持っていた
別のことでもあって

それこそが大きかったことに
後から気づいた。

それは
スピプロ終わって2日も経ってから❗️
だった。

それはソロの歌い手として、人前で唄うこと、そしてお金をいただくことへの自分への赦し、
だったのだ。

わたしは
Flamencoを
ヒトサマの前で
うたわせていただくようになって
短い期間ではない。

踊りの伴唱だから、
なんだかんだと
いつも唄うことに言い訳があった。

自分が一番唄いたい唄を
お客さまの前で
堂々と唄うことを
自分に許可していなかった。

それが1月に独演会、というスタイルで
表現の場を持ったとき、
わたしにはコレだ、
これがやりたいんだ、
と気づいた。

薄々知っていたけど
本当の自分の気持ちがわかったのは
あまりの喜びであり
そしてショックだった。

これは根本的な自分の使命に関すること
なのだ。

綜海さんが
「いつか必ずあなたの唄を聴きに行きます」

と先日の
スピプロ最終日に言ってくれたとき

大好きな綜海さんがこう言ってくれて
嬉しいはずなのに

この瞬間、時もマインドの動きも
止まったようで、
まるで無、だった。

何も感情が起こらなかった。
外側的には
ただ ボーッ、としていた、と思う。

このときは
何が起こったのかわからなかった。
気づいたのは2日後月曜あたり。

実は8年前に尊敬する先生に
これと全く同じセリフをもらったのだ。

と同時に、長年ものすごく
お世話になっていたこの先生から離れたのだ。
今振り返ると
これが私の歩み始め、であった。

この時 わたしは既に赦されていた
と8年後の今、
綜海さんのセリフで気づかされた。

ただ先生はそれまで
次のようなメッセージも
私に突きつけていた。
「それほどまでに、Flamencoを人前で唄いたい、
というあなたの気持ちはエゴからだ。
自己満足のためだ。」
と。

当時わたしは
黙っていれば殆ど機会がない
Flamencoをカンテソロ、
踊りではなく、唄だけで表現する場を
必死になって作ろうと活動していた。

都内の
スペインレストラン、などだ。

というわけで
わたしは後者のセリフに長年
囚われて来て
これを完全払拭してなかったようだ。

「わたしが唄で表現したいという気持ちは
エゴではない」
とハッキリ知ったのは、
2年半前である。

瞑想と、内なる男性性、女性性、
自分に中にいる
これらふたりの本質と現実を
理解することで

衝撃的なまでに自分を知る
エネルギーワーク、
スターサファイア 
スターサファイア
の学びの
ある瞬間に確信した時だった。

そして唄うことで
何かとの導管のようになれているコトに
自分がそれを深く感謝していることに、
気づいた。

瞑想で行きたいような境地に
既に唄っている時、たどり着く経験を
自分が持っていたことに気づき、
愕然とした。

それを知っていながら
わたしはまだ過去の呪縛から
完全に自由になっていなかったのだ。

今回綜海さんがやってくれたこと、
スピプロ最後の日に学んだのは
この後者の呪縛から
とっくに逃れてよかったことに気づいたことだ。

この綜海さんのセリフは
わたしが
「唄でお金をもらってよいのだろうか?」
というところに
今さら後戻りしてしまいそう、

という不安を告げたところで
出てきた言葉だった。

ドンピシャ、だったのだ。

綜海さんは
「わたしに今どーして欲しいのお!」
と聞いてくれて

その問いにわたしは答えたものの、
それが今ひとつ適切でないな、
と言った途端に自分で感じた。

わたしが迷いながら言ったのは
「ありのままのわたしを認めてほしい」
みたいなコトだった。

違った。

綜海さんはモチロン、
という感じでこれが
違う、と
わかってくれて

「いつか必ずあなたの唄を聴きに行きます」

このセリフを言ってくれた。

唄うことでお金をいただくことを承認。

既にそうしているのに
今さらかもしれないが
私にとっては凄く大きなことだった。

どのくらい大きいか、はこれから実感すると思う。

そして今。
わたしは尊敬していた
わたしの先生のこと✨

涙が出るほど今も大好きで
とても尊敬してる
ってコトにも気づいた。

書いたら号泣

おしまい

※この投稿は
本郷綜海さん スピプロ終了報告 その2 です。

【その3】へ続く。
その3

本郷綜海さんースピリチャルプロフェッショナルコース終了報告【その1】

2月25日土曜に
終了した✨スピプロでは

夢を叶えるために
こーかなー、
あーかなー、


どーなるかわからない
初めてのことにトライ、してきた。

スピプロ開始は昨年9月。
10数人の仲間とともに

✨自分の人生で
本当にやりたいことを実現するために✨✨✨

船出したのだ。

もう随分と昔に感じる。

こういうチャレンジ
私には初めて✨

まずチャレンジしてみた自分を褒めたいわ❣️

それが外側に
現れてこんなことが出来たよ✨✨
達成したよ✨✨

ということも、ある❣️
これに自分で価値を与えたい😍😍😍

でもネ。
もっともっと達成したいっ😳
目に見える成果をもっとあげたいっ😳

という気持ち、正直すんごく、ある❗️❗️

一日たった今朝、
それに気づいて朝っぱらから
わーわーっ 泣いてたよ。
悔しいのだ。

この自分の意外なオトコらしさに
オドロイタ😲

「オレは悔しいゾ❗️」
初めてのセリフだ。

今は自分の達成度に期待しすぎて
もー疲れたあ!😭😭😭

本郷 綜海さんには
先月、すっかり 「そみおとーさん」に
なってもらい、
リアル父に求めて叶えられなかったこと、

綜海さんに叶えてもらって癒された✨

そして今月の昨日は
「綜海せんせい」になってもらったの!

それで自分が
「とっくに赦されていた」
コトに気づいた。

で、それに気づいたのは
やっと今日✨

変幻自在に 求めに
応えてくれて
気づかせてくれた 綜海さん😳😳😳

なんでわかるんだろ。

ありがとう、とか言葉の種類
色々あると思うけど
どんな言葉で感謝したらよいかわからない。

わたしの夢は
存在の通り道となってFlamencoを唄う✨

生きることを絶対肯定。
それがFlamencoのメッセージ
メッセージの原点は唄。

Flamencoを知らない人達にも
これを
伝えることです✨✨

それも昨日でよりハッキリ。

この続きはまた✨✨😘

※写真の1枚は 娘レイコを
担ぎあげてくれようとして
しかし ムリがあった
そみおとーさん とレイコの図。

【その2 に続く】その2

カサアルティスタ ワールド (唄日記)

それぞれのセカイが
炸裂しておりました✨

一昨晩 (2月23日)カサアルティスタ
🍷🍷🍷

踊り手 たまちゃん
(大野 環 さん)
とも久々再会し
うたって感動

どんどんと深まっている
その踊り!

Flamencoで時を
重ねる人達に囲まれるって
いいわーっ💓

まちがいなく
一生やめられんもの。

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その17

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
なんか大使館の外は
まるでシャバに出たという解放感だ。

それにしても
お買い物布バックで行動してるのが
ずっと気になっている。

空港で荷物検査の機械になんか通したら
いかにもバラバラものが落ちそう。
お金は
ジップロックに入れてるし。
(ジッパーつきビニール袋)

あぁカバンを買いたい。
出来れば おみやげも
ガサッとまとめて買いたい!

いつもの旅以上に
今回は義理立てするヒトが
たっくさんなのだ。

結局連絡はしなかったけど
友達の友達の先輩のローマ大使館職員、
なんてヒトまで探してもらって
連絡先を教えてもらったり、
とかしてるのだ。

家族以外にも
何人もをお騒がせしている
レイコなのだ。

そうだ。
ローマ三越に行ってみよう。

むか〜し 一気に手ごろなモノ
の数々をここで手に入れたことがある。
27年前だけど。

地図で見、
ローマ三越方面への道に来たけれど〜。

あ・あ・あ。
断念!
ここからでは遠すぎて
時間がかかりすぎる、とわかった。
ああ 27年ぶりの ローマ三越と
再会を逃す。

後から皆さまに聞いたハナシでは
そんなに惜しむほどの場所でもなかったよ、
とも 聞いたのだが。

さて、こうなると自分のカバンだけでも
欲しいのだケド。
もうテルミ二近くの
大道のみやげ物、とか?

「ローマ! LOVE❤️」
とか描かれた中国製のしか、ない!
(目に入らなかっただけかも)

かくして カバンも
手に入らないまま
どうでもいい
(モノしか目に入らなかったのかも)
キーホルダーや
ローマ法皇のブロマイドみたいのや
よくわからない置物

たっくさんの
みやげ物屋があるけど
ひとつも購買意欲がわかない、
ままホテルに着いた。

何やってたんだか、
ブラブラしていて
あっという間に11時をとうに過ぎている。

こうなったらもう荷物を
出してもらって さっさと
タクシーに乗ろう。

今回はスーツケースでは
来なかった。
ひとり行動が殆どの予定だったから
大きな布バック。
それでもキャリーに乗せての
移動はラクではない。

駅近ホテルだから
キャリーを引いて駅のタクシー乗り場へ。

ほどなく乗り込むと
「日本大使館までだと ◯◯€だがよいか?」
と運転手の方から聞く。

へええ!
こんなの初めてだ。
これまでローマのタクシーでは
散々だった。

ローマタクシー初体験、
あの時は海外旅行も初体験。
やはりテルミニからホテルへ
向かおうとして

巨大なスーツケースを2個
(友達とふたりで行った)、
ヒョイと持ち上げ
勝手にトランクに入れて
誘拐さながらに
持って行かれた、という感じ。
モチロン法外な料金を取られた。

そんな昔のハナシをしなくても

サガプリヤのコース開始前に
ローマで仲間と落ち合うために
駅から乗ったタクシーは
充分高かったし 最初に聞いても
料金不明瞭。

それがほんとにFix プライス!
(表示はよくローマ市内Fix、とかあるが
実際違ったりした)
しかも聞く前に運転手が
言うとは
かなり驚きの事態なのだ。

で、大使館に着いたら。
「領収書は必要ですか?」と。

おーっ!
これもあまりに新鮮なセリフだ。

考えてみれば
そうであろう。
大使館の人達は皆仕事で
タクシー乗っているのだから。

かくして
「必要じゃ!」
と答え、支払い。

その料金にピタリの金額は
持ち合わせていなかった。

確か3€くらい、お釣りのある状態。
ところが 釣りがない、
と言う。

小銭が全く無いわけではなかったが、
こちらには その小銭は
ココで出せない理由があった。

何せ これから大使館で支払う
帰国のための 渡航書発給手数料、
18€。

これは
「決してお釣りのないようピタリと!
ご用意願います」とのコト。

ここで小銭を出してしまっては
その18€ピタリ、が払えず
元も子もない、のである。

というわけで
「釣りはいらないぞよ。」

と言ったら
運転手の
恐縮仕様と言ったらない!

さすがは
泣く子も黙る日本大使館⁈
なのか
これまでありえない対応なのだ。

かくしてタクシーを降り、
今度は警備室での
書類記入は顔パスにて
省略で
荷物検査のみで入場。

大きな荷物は
警備室にて預かってもらう。

さあ、12時10分以上前にまた
ここへやって来た。

あとは待つだけ。

椅子に座って毎日新聞を眺めたり
飾ってある 日本人形を見たり
立ち上がって行ったり 来たり。

ここを出てから2時間後の
12時10分。
待ちきれなくて 窓口の前に立つ。
丸窓ブース⁈の中は
ヒトが右往左往してる様子だが
何をしてるか
外からはあまり見えない、
ので気を揉む。

例えば日本の銀行の受付窓口の内部、
とかの方がずっとよくわかる、
という感じ。

そして12時15分頃。
「お待たせしましたーっ」
の声にほっ❣️

めでたく渡航書が発給されたのである!

「タクシーですね?」

「そうですそうです!
お願いします!!」

の会話を最後にココを去る。
あとは守衛室でタクシーを待つのみ❣️

帰国便は15時30分、
ローマ発 ドーハ経由便に乗り
ドーハから成田だ。

(その18 に続く)
その18

⭐️前のハナシは
上記メニューより
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最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

2月23日(木)荒木町カサアルティスタで唄います☆彡

2月23日 木曜日

荒木町 カサアルティスタ(CASA ARTISTA)
のFlamenco ショーに唄いに参ります。

 この日の踊り手は 大野 環さん。
 
そしていつもファミリアのように
仲のよい カサアルティスタ
レギュラーメンバーと。
楽しみです。         

カサアルティスタはギタリスト、
ホアン一色が経営する 日本最古のFlamencoタブラオです。
タブラオ、とはFlamencoの踊りのための
板づくりのステージが用意されたFlamenco専門の空間。

創業50年。
日本のFlamencoの歴史とともに、
いや、日本のFlamencoがカサアルティスタとともに、
歩んできたのでしょう。

数々のアルティスタ、フラメンコファンを生み出してきた素敵な空間。
多くのフラメンコ人がここを通過し、
今もここに集います。

カサアルティスタでの楽しみは
特にFlamencoファンだけのものではありません。

店主ホアンのもてなしは
初めて会ったのか 100回目なのかなど関係なく
分け隔てなく どなたさまにとっても 暖かい空間。
一度入って気に入れば
何度も行きたくなる安らぎの空間。

一昨年、新大久保より現在の地、荒木町に移転しました。
荒木町は
趣あふれる石畳の迷宮、歴史ある飲食店街。

神楽坂ともまた異なった気軽さ、みたいなものを感じ
どのお店も個性あふれ
どんなところ?と入ってみたくなるところばかり。

その中でも
カサアルティスタ、ホアン一色の個性は
出色、赤、赤、赤!!!でアリマス。

ここでのFlamencoショーはバイレ(Flamecoの踊りです)、
店主 ホアン一色のギターソロを中心に毎日2回。
(19時半、21時)

レイコは唄います。
どうぞお気軽にお立ち寄りくださいませ。

下記へご予約大歓迎

カサアルティスタごあんない
カサアルティスタ
 ⇒コチラ東京都新宿区荒木町3番地 駒ビルB1
最寄駅 四谷三丁目 4番出口より徒歩3分
お問い合わせ先 電話
03-6380-1535《夜》
090-3330-6340《昼》

フラメンコショー ①19:30- ②21:30-
ショーチャージ¥1000
ドリンク グラスワイン¥700~
パエジャは要予約

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その16

今書きながら
コレは 楽しい体験
貴重な体験
だったんだなあ

と改めて気づく。

そんな体験を記録しておきたかった
からブログを始めたようなものだ。

しかしこんな思いは
2度としたくない!
もう充分堪能しましたあ❣️

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さあ帰国をかけた決戦の朝だ。

当然今日の便で帰れるつもりで
荷物のパッキングを済ませ〜
その大荷物はホテルに置いたまま

ハンドバックがないままの私は
お買い物用布バックひとつで
日本大使館へ徒歩でGo!

門前到着9時17分。
「開館の9時半まで待ってね」
という昨日の守衛さんの
言いつけを守り

13分間
例の素敵な鉄格子の門を
握りしめ 中を覗きながら待った。

この間 横の扉から入場した
職員らしきヒト 13人。
うち半数が日本人のようだった。

ふ〜ん。
そういう割合の職場人員構成なのかしら〜
と眺めているうちに
ジャスト9時半になり
守衛さんがガラガラ、と門を開けてくれたんだったと思う。

それから守衛室に入り
入館記録に名前、国籍ほか
必要事項を記入する。
日本語にイタリア語が併記された書類だ。

これを守衛に提出し
空港にあるような機械で荷物検査。
人間も身体検査ブースみたいのを通過して
外側から内側へ。
入り口と出口が反対側なのである。

「緑のボタンを押してくださぁあい。」
という中に居た
もうひとりのイタリア人守衛さんの
日本語発音がおもしろく
あたたかく
この非常時にココロ和ませててくれる。

内側に来て椅子で待つようにとのこと。
あ、ここにお手洗い あった!
行っておこう。

バル、とかでそうであるようのように
声をかけてカギを借りて
使用するスタイルだ。
へえ。

次に来てた日本人のおねえさんは
お手洗いの借り方も心得ていて
ローマに長く居る風だった。

そんなことをしていて
5分以上経過するものの
めでたく入館。

守衛室から素敵な石づくりの洋館まで
少し距離があり
緊張感が高まる。

入り口を入ると〜一番のり。
また警察本部⁉︎とかが
そうであったように
透明ガラスにボツボツと穴の開いた
丸窓つきの窓口がふたつ。

すぐに「土日に緊急連絡先に電話したレイコです、今日3時過ぎの便で帰国したい!」
と告げる。

窓口のいかにも仕事の出来そうな
おねえさんの職員が
「わかりました」
と冷静迅速な口調で対応。

「こちらの5種類(だったと思う)の書類に
必要事項を記入してください」

「机に記入例があるので
『その通りに』『間違えないように』」

むむむ。
最もわたしの不得意とするところだ。
この指示にまた緊張感を高めながら
席に着く。
着席時9時40分すぎ。

わたしが今申請しようとしているのは
「パスポートの再発行」ではなく
「帰国のための渡航書」
という1回限り、指定便のみ有効のもの。
(そうでないと即日発行はムリ)

そのためには
「なぜパスポートでなく、
1回限りの渡航書で
直ぐに帰国する必要があるか、の理由」を
記述式で記入、
大使の許可を
もらう書類、とか。

『本来ならパスポートを再発行
すべきところ、
業務の都合で至急帰国せねばならず云々』
的な例文だったと思う。

またモチロン
盗難届を出したときのように
どこでどのような盗難にあったか、を
記述する書類、とか

また何より
戸籍謄本が提出出来ない理由、
それに変わってどのような書類を出すか
また日本に帰ってから
それを必ず取得して
日本大使館に送付する
という誓約書、とかである。

いわゆるマル、バツ記入で済むような書類
ではないので記入には
結構な時間がかかる。

記入机の隣りに 先ほどの
いかにもローマに住んでいそうな
おねえさんがやってくる。

やはり 数年ローマに住んでいて
パスポートが切れるために
更新に来たそうだ。

彼女に細々した記入方法を
いくつか聞きながら進めた。
ありがたい。

なにせ 間違えると
最初からやり直し!
になるらしい。

おねえさんも
わたしに聞きたい、と言う。

この状況で
このヒトにわからなくて
わたしにわかること
なさそうな気がするなあ、
と思ってたんで少々驚く。

おねえさんは
「すみません。
今年は平成27年デスカ?」と。

なるほど!
それなら聞きたい気持ちはわかる。

ここでいつもなら
「はい!」
と即答できるはずが

どうもわたしも
自信が無くなってしまったのである。
今がいつやらわからない、
が正直な感覚。

「だと思うんですが〜。
そこに新聞があったから
見てみますね、わたしも必要だし」

と、ロビーに常設してるらしき
1週間遅れ1週間分の
毎日新聞で確認する始末。

どうやらほんとに
平成27年、でホッとした。

そんなこんなで
ずっと
ストップウオッチが
傍らで音を立てているようなキブンのまま
記入を修了!

窓口提出10時10分!!

ここで職員から重大情報。

「戸籍謄本がFaxで届いていますよ。」
と。

取りに行ってくれたのだ!
弟が役所に!!
そして送ってくれたのだ!
たぶん 義理の妹が。

あぁ もう言葉にならない。
この感謝の気持ちが。

職員が
「これから渡航書を発行します。
最低2時間はかかります。」

なるほど。
記入に30分、発行に2時間が
最低必要時間なわけだ。
あと2時間立つと12時10分。

予定搭乗便
ほぼ出発3時間前だ。

「このままここでお待ちになっても
出直されても構いません。
どうなさいますか。」
と丁寧に聞いてくれた。

わたしはホテルに戻って
荷物を取ってくる旨
そしてその足で
空港に向かう旨、告げた。

すると職員さんは
「タクシーを呼びますか。」
とまた丁寧に。

「今は必要ないです。
次に空港に向かう時には
お願いします!」

と答え、ここは徒歩で
ホテルに戻ることにする。

あぁ、ここまでよくやった!
と自分を褒めつつ
先ほどの守衛室の前を
通り 外へ。

さあて!
ローマでの自由時間は
ホテル往復時間をマイナスすると
あと1時間弱だあ❣️

(その17 に続く)
その17

⭐️前のハナシは
上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その15


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夕飯までひと眠りの前に。

念のため〜
で開けたPC。
すっかり今日の仕事は
終わった、かと思いきや

こんな時に限って!!
みたいなコトが
日本で起きてた。

この旅で日本を
1ヶ月ばかり
離れていたわたしは
お仕事など
この時まったくないはずが

急ぎの事務対応が今ただ今!
必要な事態になっていた。

ちょっとしたトラブルなのだけども
昨日、まさしく
ここローマで盗難にあった
時間帯にそれは起こったらしい。

これも
シンクロニシティ、って言うヤツか?

まあPCでのやり取り
1時間以内で無事、済んだのだ。
それで済んだ事に感謝したい。

はぁあああ。
ベッドに横たわって溜め息をつく。

それにしても。
行動に疲れ
こうして静かにしていると

なんかハナシが出来過ぎだ、
と感じるのだ。

ホテルや警察や
道ゆく街の人達に
いろんなこと聞いて
いろんな親切を受けて

ここまで
まるでゲームのように⁉︎
歩みを進めてきた。

イチバンのショックは
日本大使館 緊急連絡先のしょっぱな
電話対応で

ここローマ、イタリアの対応は
すべて親切 優しい
そして一旦始まりさえすればスムーズ。

であることに
感激していたのだけれど。

なんだか
これって芝居、みたいではないか?
ローマ劇場??

イタリアの経済
は限りなくわるい、
と聞いている。

電車内の様子、街の様子、
荒れた感じのところは荒れている。
わたしの体感では
Flamencoの地
スペイン、アンダルシアより
わるい。

街を歩けば
「ゼネラルストライキ◯月◯日決行!」
の予告貼り紙とか。

駅周辺や車中には
物乞いやモチロン、ドロボー。

ローマの
ドロボー、警察、ホテル。

もしかして
もしかして皆・・・

ぐる! なんぢゃないのぉおお?

観光客が
ローマにお金を
落とすための
芝居をうってるんじゃないのおお??

という想像がぐるぐる。
ながらも寝落ちした。

はっ!
と気づくと
すぐ夕飯に出かけないと
食いはぐれてしまいそうな時間。

目星をつけていた
レストランへ駆けこむ。
あやうくセーフ。

お味のほどは〜

う〜ん!
最後の晩餐にして今ひとつな感じ。
まあ白いテーブルクロスの上で
ワインから🍷始めて
デザートまでいただく。

それをこの状況で
ひとり完遂したのだから
よし!としようではないか。

この夕飯の席で
初めて隣りの隣りのテーブルに来た
日本人のご夫婦に
話しかけられた。

サガプリヤのエネルギーワークの
グループメンバー以外で、
初めての日本人との会話をここで少々。

さあ、明日は帰国をかけた決戦だ!

(その16 に続く)
その16

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Flamenco~瞑想への魂の旅✨