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2023.2.17 歌詞で感じるフラメンコ【ブレリア1/2】レイコ旅唄Flamenco⑨(スタンドfm)

フラメンコを唄うレイコ シミズサンギットです。

毎週金曜夜は「フラメンコラジオ🌹」

以下のスタンドfmで、アプリをいれずともすぐにお聴きいただけます。

2023.2.17

歌詞で感じるフラメンコ【ブレリア1/2】レイコ旅唄Flamenco

https://stand.fm/episodes/63ef9887faa60ced406a450e

毎週金曜「レイコ旅唄Flamenco」の放送では

1月27日からしばらく、歌詞を通じてフラメンコを語ります。

内容はフラメンコを通じたスペイン現地での楽しい経験や、曲の内容やメッセージ、それへの思い🌹

フラメンコにご興味ある方のみならず、フラメンコをこれまでご存知ない方にも。
レイコ の感じていることをお伝えしたい、と始めました。

語ってみて、改めて感じたのは
フラメンコの歌詞の奥深さ。

例えば「ひとつ目の歌詞」。
これは女性に対する束縛のうた、なのだろうか?
それとも愛情の深さ、を示しているのだろうか?

などなど。
想像、妄想が膨らみます。
表面的にはこう言っているが、本当に言いたいことは何だろう?

そう思わせられるのがフラメンコの唄かもしれない、と感じています。

************

本日はブレリア・デ・ベルナルダの前編

内容はこんな感じでした。

●ブレリアとは?

●希少な女性唄い手:

フェルナンダ、ベルナルダ・デ・ウトレーラ姉妹の紹介

●フラメンコではない音楽、唄をフラメンコ化するということ

09:00●ひとつ目の歌詞

Que lo que quiere de mi,

que lo que quiera de mi,  

hasta la agua que yo bebo te la 

tengo que pedir.

私に何を望むと言うの?

これ以上

私に何を望むと言うの?

私が水を飲むのさえ

あなたに聞かなければならない

と言うのに。

13:00●ふたつ目の歌詞

Que tú haces conmigo

 lo que tú haces conmigo 

y al ver gran poder

y buscando y te va a mandar castigo.

あなたが私にしたことを

偉大なる力が見ていたら

あなたに罰をお与えになるでしょう。

16:30●三つ目の歌詞(南米のBoleroから)

Ay tú tan alto y yo tan bajar

y acercarme a ti no puedo.

Ay tú tan rico y yo tan pobre

Ay rica soy el sentimiento.

あなたはとても高く 

わたしはとても低く

私はあなたに近づくことができない。

あなたはとても豊かで 

私はとても貧しい

ああ、でも

私の感じる心はとても豊かなの。

●フラメンコ伝統歌詞とほかの歌詞に感じる違いウトレーラの街紹介

●1920年代生まれのウトレーラ姉妹の女らしさ・優しさ

●旅のエピソード「ウトレーラのバス停で」

Andalucía

************

紹介する曲種や歌詞は

レイコの初製作CD

“Derramando mil flores”に基づいて紹介しています。

「ブレリア・デ・ベルナルダ」は3曲目に収録されています。

このCDをぜひお手に取っていただけたらうれしいです。

フラメンコ唄のCD: 

DERRAMANDO MIL FLORES

~唄声は内側の宝石への通り道~

Cantaora(唄い手): Reiko Shimizu Sangit

Guittarista(ギタリスト): Toshio Kinami

¥2,800-(+送料 ¥180-)

CDの詳細と販売ページ

https://reiko.link/shop/product/cante_flamenco_cd/

ご紹介映像⬇️

レイコ(Reiko Shimizu Sangit)のMalagueñas(マラゲーニャス):Cante Flamenco

フラメンコラジオ:歌詞で感じるフラメンコ【グラナイーナ】のご紹介

毎週金曜「レイコ旅唄Flamenco」の放送では

1月27日からしばらく歌詞を通じてフラメンコを語っています。

歌詞で感じるフラメンコ【グラナイーナ】レイコ旅唄Flamenco⑧

https://stand.fm/episodes/63e65cb871ba463cc3103262

内容はフラメンコを通じたスペイン現地での楽しい経験や、曲の内容やメッセージ、それへの思いです🌹

************

この日はグラナイーナ。

内容はこんな感じでした。

○フラメンコのサリーダ

○Granadaにおけるモーロ人とジプシー

○グラナイーナという言葉の意味

●ひとつ目の歌詞(10分頃)

●二つ目の歌詞(14分頃)

○グラナイーナとメディアグラナイーナ

○フラスキート・ジェルバグエナとアントニオ・チャコン

○「アントニオ・チャコン本人が唄うグラナイーナ」音源紹介

○踊り手:エバ・ラ・ジェルバブエナ

************

紹介する曲種や歌詞は

レイコの初製作CD

“Derramando mil flores”に基づいて紹介しています。

このCDをぜひお手に取っていただけたらうれしいです。

フラメンコ唄のCD: 

DERRAMANDO MIL FLORES

~唄声は内側の宝石への通り道~

Cantaora(唄い手): Reiko Shimizu Sangit

Guittarista(ギタリスト): Toshio Kinami

¥2,800-(+送料 ¥180-)

CD販売ページ

https://reiko.link/shop/product/cante_flamenco_cd/

ご紹介映像⬇️

レイコ(Reiko Shimizu Sangit)のMalagueñas(マラゲーニャス):Cante Flamenco

グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その3


¡Hola!
ヒトが通りがかればみなこんな風にあいさつします。

グラナダのジプシー達の洞窟の前に
椅子を出し
新聞を読んでる
恰幅のよい、
腹の肉豊かな よく居る
スペイン人のオジサンあり。

そのオジサンと通りがかりのあいさつを交わすこと毎夕。

アルハンブラ宮殿を望む
アルバイシンを越え
さらに上のサクロモンテの丘を
毎日のように散歩していた日々。

会社を休み グラナダの語学学校に通った日々。
学校が終わったら毎日のように
そのサクロモンテの丘にのぼりに行きました。

毎日通るそのうちに。
その洞窟には
「マリア ラ カナステーラのサンブラ」
というタイルの表札⁈が
白く塗られた岩に
埋めこまれているのに気づきました。

まさしくそれは
日本で見つけたCDで聴いていた
一座の洞窟だったのです!

通りがかること何日目かに
¡Hora!
のその先の会話にようやく進みました。

「ここでCanteを習いたいんです。
日本で聞いていたCDでこの洞窟の名前を知りました」

そのオジサンの答は。
「ガイジンには到底ムリだから。
Canteは諦めて踊りにしなさい。」

この後のフラメンコ人生で
何度もスペイン人アルティスタ達から聞くことになるこのセリフ。

この時が初めてでした。

※写真は「マリア ラ カナステーラ一座」(=エンリケおじさんの洞窟)

コトバの壁、という以上にそこには
「FlamencoはFlamencoたる人達の伝統であり


そこで大切に受け継がれてきた財産であり


他の文化の人達が習得するには難解であり」


という意味あいが含まれていました。

その中で唯一
外人に開かれているのはバイレ(踊り)だから、と。

あれから20年。
彼らの認識も
私達の認識も大きく変わりました。

世界でスペイン人の次にフラメンコファンが
多い日本人。

日本ではその後バイレだけでなく
Canteを学び その喜びを享受する
人達が増えたのです。

さて。
そういうオジサンにくいさがる私。

「そもそもあなたパルマは打てるのか?」
オジサンは言いました。

そうです。
踊るのであれ
唄うのであれ
パルマ(手拍子でFlamenco独特のリズムを表現する)が出来なくては
ハナシにならないのです。

そうしてそのオジサンから
パルマを習うことになりました。

翌日からは 小さなテープレコーダー持参で
このサクロモンテの丘を
登ってくることになりました。

そのオジサンは
何者だったのか?

次回 (グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その4) に続きます😃✨

※最初のハナシはコチラ⇒ グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その1

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✨グラナダ エンリケおじさんの洞窟✨その1

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Cante Flamenco✨✨✨

フラメンコの唄だけのライヴを
ひとりでやり
皆さまに楽しんでいただく。

それはかつては夢でした。

今では 独演ライヴ、先日6月16日で
8回目を重ね
現実のものとなっています✨✨✨
***********

こちらはライヴの場でも
シェアさせていただいている
「Flamencoと旅」のハナシです。

よかったらまたライヴの場で
お会い致しましょう✨✨✨

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

20年ほど前
わたしの人生は危機的状況でした。
何もかもうまくいかない。
「自分には居場所がない」(物理的にはちゃんと住める場所あるのに)
「わたしの望むことは何ひとつ叶えられない」
という思いに苛まされ
ひたすら仕事に逃げました。

時はバブルの頃
仕事はいくらでもあり
毎月の残業時間は常に100時間超でした。
そんな生活が続くわけもなく
精神的にも身体的にも辛くなったわたしは

勤務してた会社の近く
聖路加国際病院 精神科の大平 健先生
を訪ねました。

そしてFlamenco、特に唄と自分との絶対的な関わりを培うことになった
スペインへの長旅が実現したのです。

会社を辞めずして
それが出来たのは
「病名:神経衰弱 3カ月の休養を要す
気分転換に旅はよし」
という素敵な診断書を
出してくれたおかげでした。

私は仕事、会社という牢獄に
自らを押し込めて感じることをマヒさせていた暮らしが一変。
突然の自由、を手にしたのです。

人間、あまりに本来やりたいことをガマンし
やりたくないことをやり続けると
体の具合がわるくなる~
まったくコレを体現していました。

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
さて。
私が選んだFlamenco的行き先は
グラナダ、そしてセビージャでした。

アルハンブラ宮殿を擁す
イスラム教徒の支配が最後まで続いた地
グラナダ。

モーロ人(北アフリカからスペインに入ってきたイスラム教徒)の文化が
花開いていた美しい都。
まず一番魅力を感じた場所でした。

サクロモンテの丘
アルハンブラ宮殿を見渡せる川を挟んで
対岸の山。
この山肌を穿った洞窟住居があります。

この山肌をたどる道を歩くのは

旅情
何が出てくるかわからない危険な感じ
を超えて
「今わたしはどこにいるのだろう?」
場所も時間もわからない。
そんな感覚になります。

ここでは観光客を相手に
伝統的なFlamencoのショー
を見せる洞窟住居がいくつなあります。

20年前当時バブル華やかなりし日本。
今では考えられないほど
たくさんのめずらしい分野も含めた
音楽に触れる機会があり

一流のアルティスタが次々来日し
それまで触れたことのなかった
新しい情報が溢れ出ていました。

そんな中から
Flamenco、特に唄の魅力を発見しました。

次回 (グラナダ エンリケおじさんの洞窟 その2)へ続く。

※最新話は以下にて連載中。

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※次回の独演ライヴごあんない。
✴︎✴︎
Cante Flamenco 独演ライヴ
唄声は内側の宝石への通り道✨ por8✨

日時と場所: ‪2018年6月16日(土)‬
‪17時40分開場 ‪18時‬開演
ギャラリー ゆうど(目白駅 徒歩6分)

出演:
カンテ(唄)*レイコ シミズ サンギート
ギター* 木南利夫

チャージ: 3,000円(当日払い)

レジェス マゴス〜東方の三賢人🌕

今日1月6日は
そうだった❣️

〜レジェス マゴス〜
東方の三賢者がやってくる日。

明治学院大学のグリークラブで
クリスマスオラトリオを
歌っていた大学生のころ。

三賢者が持って来たのはなんだっけ?

それは黄金 没薬 乳香!!!

なんてのをやったなぁ
と懐かしく思い出します。

わたしはスペインにその時期
滞在したことはないのだけれど。

子供達はこの日に
プレゼントをもらうそうです。

山車から菓子まき、
というかキャンディ撒きがあると
聞きました。

わたしも受け取ってみた〜いっ

と思ったところで
いただきました✨✨✨

ありがと❣️❣️❣️

水玉テープで飾ってくれた

うふふ

子供じゃないけど
うれしいな🙂🙂🙂

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その15


✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
夕飯までひと眠りの前に。

念のため〜
で開けたPC。
すっかり今日の仕事は
終わった、かと思いきや

こんな時に限って!!
みたいなコトが
日本で起きてた。

この旅で日本を
1ヶ月ばかり
離れていたわたしは
お仕事など
この時まったくないはずが

急ぎの事務対応が今ただ今!
必要な事態になっていた。

ちょっとしたトラブルなのだけども
昨日、まさしく
ここローマで盗難にあった
時間帯にそれは起こったらしい。

これも
シンクロニシティ、って言うヤツか?

まあPCでのやり取り
1時間以内で無事、済んだのだ。
それで済んだ事に感謝したい。

はぁあああ。
ベッドに横たわって溜め息をつく。

それにしても。
行動に疲れ
こうして静かにしていると

なんかハナシが出来過ぎだ、
と感じるのだ。

ホテルや警察や
道ゆく街の人達に
いろんなこと聞いて
いろんな親切を受けて

ここまで
まるでゲームのように⁉︎
歩みを進めてきた。

イチバンのショックは
日本大使館 緊急連絡先のしょっぱな
電話対応で

ここローマ、イタリアの対応は
すべて親切 優しい
そして一旦始まりさえすればスムーズ。

であることに
感激していたのだけれど。

なんだか
これって芝居、みたいではないか?
ローマ劇場??

イタリアの経済
は限りなくわるい、
と聞いている。

電車内の様子、街の様子、
荒れた感じのところは荒れている。
わたしの体感では
Flamencoの地
スペイン、アンダルシアより
わるい。

街を歩けば
「ゼネラルストライキ◯月◯日決行!」
の予告貼り紙とか。

駅周辺や車中には
物乞いやモチロン、ドロボー。

ローマの
ドロボー、警察、ホテル。

もしかして
もしかして皆・・・

ぐる! なんぢゃないのぉおお?

観光客が
ローマにお金を
落とすための
芝居をうってるんじゃないのおお??

という想像がぐるぐる。
ながらも寝落ちした。

はっ!
と気づくと
すぐ夕飯に出かけないと
食いはぐれてしまいそうな時間。

目星をつけていた
レストランへ駆けこむ。
あやうくセーフ。

お味のほどは〜

う〜ん!
最後の晩餐にして今ひとつな感じ。
まあ白いテーブルクロスの上で
ワインから🍷始めて
デザートまでいただく。

それをこの状況で
ひとり完遂したのだから
よし!としようではないか。

この夕飯の席で
初めて隣りの隣りのテーブルに来た
日本人のご夫婦に
話しかけられた。

サガプリヤのエネルギーワークの
グループメンバー以外で、
初めての日本人との会話をここで少々。

さあ、明日は帰国をかけた決戦だ!

(その16 に続く)
その16

⭐️前のハナシは
上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

最初のハナシからの場合は⇒ その1へ

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その14

☆☆☆☆☆
さあ、めでたく
パスポート用写真を撮ったゾ。

後は日本大使館の場所だ。

この時は
テルミニからホテルに戻らなかった、
気がする(キオク曖昧)。

戻ったら寝てしまう、
という気がした気がする。

で、ローママップを見ると
在ローマ 日本大使館は
ホテルから歩いて30分強ほどだろう場所。
見つけるのにむずかしくなさそう。

しかしながら
明日は帰国決戦日!
朝初めて探す、
のはやめておこう。
今歩いてみよう。

その通りはすぐ見つかった。
目抜き通り、ではない。
そういうのに平行した
少しそれより細い道。

へえ、こういう通りに
日本大使館があるのかあ。

この時思い浮かべてたのは
大きなビルの何階かにあるのかなあ、
なんて思ってた。
盗難届をゲットした警察の建物のような。

住所のあたりに小さめのビル、
あれどもどうも違う。

そのうちこの通り沿いに出てきた
あらまあ✨
レイコ好みの素敵なお屋敷
瀟洒でクラシカルな洋館✨✨

3階建てかしら。
ビルとは違って
小ぶりでまとまりがあって
上品な😍

え!
ココが日本大使館⁈

なんて素敵なの!😍😍😍
ローマに住むならぜひ
ココで働きたいわ!!

なんて勝手ながら 思ったのですわ💕

モチロン日曜のこの日はお休み。

鉄格子、と言ってもこれもあくまで
瀟洒な感じの扉、
中がよく見える開放的な空間。
建物の入り口までは結構な距離。
ゆったりスペース。

お屋敷左手の
警備員小屋のような建物から
キチッとした制服姿
高身長のイタリア人(たぶん)
の警備員さんが出てきた。

瀟洒な鉄格子につかまって
中を覗きこむわたしに

「きょうは閉館ですよ」
と優しく かつ紳士的に
話しかける警備員さん。

なんか、
ノーブルな感じだわ!
さっきの警察とはかなり違う雰囲気だわ!!
と喜ぶわたし。

「ハイ、知ってマス。
パスポートをなくし、
しかし明日の便で帰りたいのです。」

と、聞かれてもないのに
また事情を説明するわたし。

「ふんふん。
ではまた明日の朝
来るんだね。」

「はあい。また明日✨」

この会話に気をよくして
また 少しるるん、
というキブンになり
ホテルへの帰路へ。

何せこれで
今日の仕事が ほぼ終わったのだ。

明日大使館に持っていく
モノは揃えたのだ。

カンジンの戸籍謄本を
除いては。
あぁ弟が、奇跡的に取りに行けて
大使館に送ってくれたらぁあ〜っ。

もうこれは考えても仕方がない。

きょうは
後、ひとりでどんな
ローマ最後の晩餐するか
だけ考えればよいだろ。

道すがら
ステキなレストランを
物色しながら 戻る。

あとで ココに食べに来ようかな〜
という候補が複数出来た。

どんなときだって
美味しいモノを食べること
考えるのは楽しい✨

・・・
ホテルに戻った。

そうだ、
帰国便のリコンファーム、
でなくて
事前のPCからのチェックイン。
搭乗24時間前から出来る。

行きはした。
早めにすれば希望の座席が確保される、
可能性が高い。

今回はどーする?
チェックインしてしまえば
もう便の変更は出来ない。
(そうでなくとも変更出来ないチケットだけど)
もし明日の大使館で手続き間に合わなかったら?
どーなる??

もー考えるのも
メンドーになり、
やらないことにした。

他にやることあったか?
ないと思うケド 念のため
ベッドに倒れる前に
PCを開けて見よう。

えっ。

まだあったみたい!

(その15 に続く)

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その15

イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その13

☆☆☆☆☆
スピード写真の機械から
つるりと下方へ出てきた写真。

疲れ果てたわが顔を
じぃっと見るなり。
あ あ あ。

そこへ
「使えマスカア?」と、次の方。

じっとプリントされた写真に
見入っていたわたしをみて
機械は正常に動いているのか、
と聞いてきたわけだ。

「はい、大丈夫ですよお!」
大丈夫でないのは
このわたしの顔で
機械は正常作動してますよお。

ってことで 再度撮ろうとも思ったが、
なかなかこのスピード写真機は
混んでいるのである。

次も待ってるし
わたしも先ほど ふたり待ってから
撮影したのだよ。

このベールを被って彫りの深い
イスラム系美人のこの次の方も、
パスポート用の撮影だそうだ。
わたしに喋りかけた言葉はスペイン語
だった。
ナニジン?お国は??

はああ。
どれだけそういう人多いのかね。

ここはすぐに
次の方にお譲りし
ようやく昼ごはん、にする。
この時3時はとっくに
まわっていた、と思う。

そうだ
こういう時に
お腹を空かせてるから
ますます顔もこーなる!

ここは
テルミニ地下飲食店街、
まずは食べようじゃないか。

レストランに入る
時間はないからカンタンに、
でも美味しいものをネ!

で、選んだのは
切り売りしているピザを
席でも食べれるタイプのお店。

わ〜っ
どれも美味しそう❣️

コレ、ひと切れの値段かしらね。
チョットお高めな気がするけど。

では コレとアレ、
お願いしまーす!

結構ご年配の店員さんは
ケースの中のピザ、切らずに!
そのまま袋へ!!

え?え??
ひとつがこの大きさ⁈
これをさらにいくつかに切った
ひと切れ、
で充分な量なんだけど。

いわば ひとりだというのに
ケーキをホールで
買ってしまったような状態。

「いくらなんでも大きすぎるーっ
小さくして売ってくれませんか?」

といつもの
ブロークン スペイン語でコーフンぎみに
言ったのですが〜。
この時は通じなかった!

ご年配の店員さんは
次に待ってた大学生風のワカモノに聞いた。
「このご婦人、何が言いたいのかねえ?」
みたいな感じ。

で、聞かれたワカモノは
「おじさーん、このひとはね。
ピザが大きくて食べにくいから、
細かく切ってくれ、
って言ってるんだよ」

え〜〜っ!
「違うの、違うのおおお!」
もはやまた日本語だった。

疲れもピークに来たわたしは
このたびは それ以上の要求は
あきらめ
巨大なフタ切れのピザと
飲みモノをトレーにのせて
席についた。

脱力。

食べながら〜
なんか元気の出る方法、ないかなあ。
この写真も出来れば
もっと美しく、とまでいかなくても
さっきよりマトモな顔を撮りたい!
わたし、余裕なくしてる!

・・・
そういえば
今朝 顔は洗ったけど
化粧してない。

パスポートのみならず
カバンごと持ってかれたから
そこに入っていた数少ない化粧品も
すべてない・・・。

そうだ、ここはひとつ
化粧品を買うことにしよう。

といっても
ブランドモノとか買うフトコロの余裕なし。
貴重品袋にあった
明日までに使う現金を
計算しながら使っている状態。

カードの使用限度額も心配だ。

では、ドラッグストア、
そこに適当なのがなく
結局なんでも揃ってる テルミニ地下の
スーパー、コナードへ。

口紅が2千円弱くらいのだったか?
「どうせスーパーのだしなあ。
(クオリティは期待出来ない)」

という思い込みに反し、
日本に帰国後にも使ったなかなか
コスパの高いものだった。
さすがイタリア!

買った化粧品を開封し
ここはもうホテルに戻らず
1ユーロはらう
テルミニ駅御手洗にて
身支度を整え

再度
スピード写真撮影に挑む!

いや〜〜っ。
今度は、まあいいか。
確か6ユーロ、だったかの
再投資。
わりとスピード写真、高し。

(その14 に続く)
その14

⭐️前のハナシは
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イタリアで見た過去生と直後の事件ーローマパスポート盗難 その11

ハナシは3軒目の
馴染みの警察へ来たところだ。

☆☆☆☆☆
この度は
この警察でどんな経験をするのかなあ?

もうこの際、楽しむことにした。

また1階左側の部屋で
最初の受付をする。

「盗られたの?何を? どこで?」
みたいな最初の問答。

前回はその後、
右の部屋で待ったのだけど
今回は即
「上の階へ上がって」
とのことだった。

上の階ね、はいはい。
前回も行ったもんね。
2階の左手の部屋でしょ。

パーテーションが上半分
ガラス張りのね。

中の机と椅子で面接しながら
盗難届けとか書いてる様子が
見える
アソコでしょ。

前年そこで
初めての盗難届けの書き方、
教えてもらいながら

ようやく記入を終え
「ふうーっ」と
深いため息をついたわたしに
担当警察官は
熱い握手をして
あの部屋から
見送ってくれたものだった。

それにしても今回の
警察官達
(だと思うけどそう言い切る自信がない)
の格好、服装はラフ極まりない、
ヒトが多い。

所謂 制服みたいな姿が
あまり見当たらない。

日曜で
ここに居る何人かは
「警察官のお友達」
が遊びに来てんのかな?
なんて思ってしまったくらいだ。
(真相はわからず)

で、上の階に上がったら
さらに上の階(3階)に導かれた。
わたしの担当⁈
のオニーサン(警察官だと思うが)は

ラフなメンバーの中でも最もラフな姿、

白いヨットパーカーに
ジーンズ、サンダル姿である。

このヒトについてって
よいのかね?

と一瞬思った。
けどココは警察、言うこときいて
行動するしかあるまい。

で、

外から来た我々が入るのは
2階までと思ってたけど
3階にも盗難届け書くような
スペースあるのかあ、
へええ。

と思いつつ、導かれるまま
3階に上がる。

そこは❗️
机の上に書類が散乱、
机やいすの置き方ジタイもなんかランダム、

どこに何が置いてあるか
わかりそうもない
散らかり放題の事務所、という様相だ。

ここが警察でなく、
何かクリエイティブな創作する
ミニオフィス、とか言われれば
まだ納得したかもしれない。

スチールの書棚扉には
超グラマーな
ビキニ姿の色っぽ〜い
おねえさんの巨大ポスター、あり。

いや、クリエイティブなオフィスの一角
というよりは
フツーの庶民のオニーサンの部屋、
って感じかなあ。
この目の前のオニーサンのような。

で、
そのオニーサンは
オフィスの一角に
わたしに座るよう促し

急いで目の前の書類とかを
かたづけた。

「コレに記入して。」
とイタリア語表記のみの
盗難届をわたしの目の前に出した。

そこで わたしは
「昨年は 日本語(どれだけ盗難にあう日本人多いんだ!)のがあったのですが。
せめて英語のはないですか?」
と聞いた。

オニーサンは
「うーん!」とうなり
散乱につぐ散乱の書類を
ちょいとは探してくれた。

が、すぐには見当たらないようだった。

で、
「ない」、とのこと。

「ないと何をどこに記入するか
わからないの、困る」
と答えた私。

イタリア語、
特に文字になると
ほとんどわからないのである。

ちなみに
ここまでの会話は
スペイン語、で押し通している。

これまでのFlamencoの旅で
自由自在、とまでは行かなくても
旅であればまあまあ困らない程度の
スペイン語が口から出てくる
習慣がついていた。

これがイタリアを旅する
命綱になっていた。

イタリア語とスペイン語は
似ている。
わたしはイタリア語わからなくても、

イタリア人は
なんとか類推して
わたしの言いたいこと、
わかってくれる人が多いのだ。

ここイタリアでは
英語で話すより
(たいして話せないのだが)
スペイン語の方がよほど
コミュニケーション出来るようだ。

ところが
イタリア語、皆が話している言葉より
さらに
書類、文字になるとカラキシ
わからないのだ。

そんなわたしへの
オニーサンの返答は〜

「あなた喋れてるんだから
(イタリア語のみ書類で)
いーじゃない!」

と来た。
コレへの咄嗟のわたしの受けコタエは

「コレ、スペインごぉおおお‼️」

もはやこの時 日本語、
そして大声だった。

オニーサンはわたしのコトバのイミは
わからなかった気がするが
わたしの勢いに押されてか
ようやく
英語併記の イタリア語盗難届が出てきた。

記入しようとすると
「待って!」
とオニーサン。

どうやら原紙、
みたいなものだったらしく
コピーをするから、
と持ってった。

やれやれ。

そして記入。

被害総額、とかマジメに計算してると
えらく時間がかかる。

もーいーわい!
えらく、概算。

オニーサンに渡すと
ポーンっ!
とハンコを押し、記入ないところに
くの字を書く。

1秒。

読んでない、と思う。

ここまで3階に
上がってから約十数分。

前年も思ったが
素晴らしく
仕事がはやい‼️

日本でむかし
自転車盗られて届けた時には
2時間半、かかった。

さすがはローマだ。

さあ、いったん
ホテルへ戻ろう。

2階に下がると
昨年盗難届を書いたあの部屋、
は暗い。
2階は営業終了?
休日の節電対策で
散乱の3階事務所で手続きした??

もーいいか。
そんな理由、どーでも。

おつかれさまあああ!
わたし。

(その12 に続く)
その12
⭐️前のハナシは 上記メニューより
「イタリアで見た過去生と直後の事件」
にお願い致します。

イタリアで見た過去生と直後の事件~ローマパスポート盗難 その10

サンタマリアマジョーレに通じる道で
目の前のランナーの群れに 
なぜ飛び込んだのか?

☆☆☆☆☆☆
人、人、人の群れ(ランナー)。

それは戦いから逃れて来た人々のように
その時の私の目には見えたのだった。

「今だ!」という何かからの声を聞いた気がして
咄嗟に飛び込んだ。
今この行動をするかしないか、は
まるで 私の生死の分け目のような気がした。

私の右肩をグゥウ。
とつかむ警備員。
当然制止するだろう。

わたしは腰を落として身を低くすることで
その右肩を掴んだ手から逃れた。

こんなワザどこで覚えたんだろ?
という感じ。

とにかく私は今
道の向こうに渡るのだ!!
(警察行くんだからさ)

こんなに強い意志に従って
走ってはいるのに
なかなか進みゃあしない。

この爆発的に増えた大人数を横切るには
私だって前に進みながら
斜めに横断していくしかないのだ。

昨日までは数秒で横断していたその道を、
数分走った。
ランナー達とともに。

ただ無我夢中、の瞬間もありながらも
この数分間にアタマをよぎったよしなしゴトは~

わたしローマまで来て何をやっているんだろう。
普段も走ることなんか滅多にないのに!
前回走ったのは電車に乗るときだったかなあ。

とかなんとか。

なんかこの人たちは(一緒に逃げた)同志っぽいわ。
警備員には肩を掴まれたのに、
この大人数のちがう方向に行くひと達と
殆どぶつからないってどういうことかしら?

で、無我夢中とこれらのアタマの中のブツブツ言葉が
交錯しつつ。
無事 向こう岸、にたどり着いたのである。

たどり着いたわたしを見て
「おーっ。関心関心!(あるいは呆れる)」
みたいな表情で目を丸くしている人たち。(たぶん観光客)。

警察へご用がなくとも
この岸辺にいた人たちも できれば早く道を渡りたい、
のである。
彼らもこのマラソンで10分以上ふいに
待たされることになったようだから。

しかしこんな荒ワザで横断した人は
他に誰もいないようだった。

出よう、と試みてた人は何人かいたけれど
みな警備員に止められ、横断出来なかった。

その人々のかなりの注目の眼差しに
どういう顔をしてよいかわからぬまま
その日3軒目の警察に向かった。

マラソン中、前進を余儀なくされてたので
元来た道をかなり戻ってた。

もうここは素直に
マラソン沿道でなく
警察の通りへ行こう。

で、なんだあ。
たった1本平行した道だった
Via Farini.

この通りに来たら
なんと30秒ほど前マラソンしていたのが
ウソのよう。

別世界なのだ。
なんだか日常に戻ったのだ。
(ローマに居るだけで非日常、盗難にあってさらに非日常だけれども)

で、馴染みの警察の入口にやってきた。

ふふふ。ここはもう知ってるもんねえ。
という安心感とともに。

時間は12時半を回っていたと思う。
きっとあのマラソンのスタートは
12時だったのだろう。

「昼休みの時間にかかると、ロクなことがない」
という思いはそれまでのイタリア、
というよりFlamencoのためにスペインを
何度も旅した経験から
骨の髄まで身にしみていた。

今回の旅も、イタリアに来る前に
しばらくぶりにスペインに行ってきた。
セビージャ⇒ローマという初めての路線の
フライトを経験、
実に面白かったが
それなんて結果的に小さなことで

いやここローマで
今ドロボーなんかに合わなくても、
その前のスターサファイアエナジーワークの
半月間のがっつり経験したコースを受けなくても、

イタリアに向かう前にスペインで
もう日本に帰ってもいいや、
と思うほど充分な
楽しい、感動する、ドキドキする
実りある
旅をしてきたのである。

お腹いっぱい状態な上にさらにさらに
また様々な経験をした旅だったのである。

で、たぶんイタリアは
スペインより1時間くらい昼休みが早いみたい、
となんとなく掴んでた。

スペインだと午後2時頃からで、
その後5時頃までは お店とか完全に閉まる。
スーパー、とかはやってるけど。

イタリアの警察だって
3時間くらい休むかもしれない。

公式に休み時間でなくとも、
昼飯食べるべき時間に働いてくれ、というタイミングには
人々は皆あまりに不機嫌なのだ。
そしてそんな時はムリヤリ何かを頼んでも
マチガイも多いし、いつも以上にノロい。

航空会社のカウンターであれ、
タクシー運転手であれ、
警察であれ、だ。

本来ニンゲン、それでいいんじゃないか、
とそういうのに賛同してたわたしは
自分自身もそういう行動形式にもなってたわけだ(スペインではね)。

なんせきょうは日曜だし、こういう傾向はマックスだろう、

という思いからの焦りもあったわけだ。

で、まあ昼前に訪問出来てラッキー。
でないと他の用が済まなかったかもしれない。

で、警察の入口を入ると
両側に見覚えのある部屋。

そうだそうだ。この右手の部屋で前年
待たされたのだ。

あのときは「お金盗られました~」
とかなんて言うのかなあ、
なんて考えながら話かけようとしたら

「すとーるん?」「スィ」
の一言で済んで拍子抜けしたのがスタートだった。
で、この右の待合室には盗られた人が
何組も待っていた。

日本人かな~と思って話しかけた男性親子は
上海から来た中国人だった。

何を盗られたんデスカ?
と聞いたら

「ホテルについてすぐお金をおろしてきた」
「で、それをベッドの上に置いて少し部屋を離れたら30秒で盗られた!」
とのこと。

「ネットで確かな予約サイトで探した、
ちゃんとしたホテルだと思ったんだよおお!」
とわたしに訴えた。
中国人のオジサンの手にはPCからプリントした
ホテルを予約した紙。

見せてもらうとわたしも予約した覚えのある
ホテル予約サイト名だった。

で、いくら盗られたんデスカ?
と聞いたら

「1万5千ユーロ、、、」

だってさ。
あははーっ。ざっと200万弱ぅ?

私たちの100倍以上なのね。
(前年の被害金額はそんなものだった)

もうわたしは何がホントか、
とかぜんぜんわからなくなっていた。

さあて、今回は
この警察でどんなことがあるのだろう。

(その11 に続く)
その11

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